紫灰の日時計

二月ほづみ

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十八

高原の夢-3

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 気持ちのよい陽気に、のんびりと流れるくっきりとした雲。アーシュラの折れそうな身体を抱いたまま柔らかい地面に寝転がり、二人して特に何も話さないまま、長いこと空を見ていた。
「僕、アヴァロン城に就職できないかなぁ」
 そして唐突に、ゲオルグは突拍子もないことを口にする。
「就職?」
「そう。君の使用人だったらいいな。本当は、ジュネーヴで何か仕事を探そうかなって、思ってたんだけど……」
「だけど?」
「近いほうがいいから。君に」
 冗談なのだか、真面目なのだか。ゲオルグは微笑む。
「君からラントさんに頼んでみてよ」
「クヴェンに頼んでも駄目よ。家令(ジェームズ)に言わないと」
「そうなの?」
「たぶん」
「そっかぁ……ラントさんだったら顔見知りだし、なんとかなるかなあって思ったのに……」
 残念そうにため息をつくゲオルグの腕の中でアーシュラはもがいて身を起こし、向きなおって彼の目を覗きこんだ。
「本当に、へんなことを言い出すのね」
「名案だと思ったんだよ」
「あなた、お家のお仕事を継ぐのではないの?」
「うーん、家の商売は好きだけど、別にそういうのは期待されてないかな。うちには姉さん達がいるしさ」
「だけど、別にわたくしの使用人になりたいわけじゃないでしょう?」
 間近で見開かれた大粒の菫色に、ゲオルグは眩しそうに目を細める。
「そうなんだけど、だんだん、欲張りになってしまってさ。前は君にたまに会えるだけで、充分すぎるくらい幸せだったのに。今は……」
「そんなに、わたくしに会いたい?」
「もちろん。君に、僕の時間を全部捧げたい」
 未熟な情熱には迷いがない。ゲオルグは、世界で一番尊い人の冷えた指を捕まえて、草のにおいのするそれに、恭しく口づけた。アーシュラは切なげに目を伏せて、暫く黙りこんでいたけれど、やがて顔を上げると、神妙な顔で言った。
「……本当に、ぜんぶくれる?」
「うん」
「後悔すると思うわよ?」
「構わないよ」
「向こう見ずなのね」
「君さえいれば」
「……分かったわ、ゲオルグ。だったら、わたくしの夫になって」
 ゲオルグはいつもどおりの軽い返事をしかけて、ハッとして口をつぐむ。少女が差し出した解決案は、途方も無いものだった。
「え……と……」
 彼女が、簡単に結婚相手を選べるような立場でないことは、ゲオルグだって分かっているのだ。
「駄目かしら?」
「えっ……と、いや、そうじゃなくて……そうじゃなくて……」
「まぁ、うふふふ、ゲオルグったら、びっくりしてるわ」
「当たり前だよ! 君ねえ、そういう冗談は心臓に悪い! 僕はね、本気なんだからね」
「わたくしだってそうよ」
「いや、だから……」
 すっかり混乱した様子で目を白黒させるゲオルグを見て、アーシュラは可笑しそうに笑った。
「あなたがそばに居てくれたら、わたくしはお祖父様よりも立派な皇帝になれると思うの。誰にも文句は言わせないし、あなたを生涯愛します。きっと幸せにするわ」
「アーシュラ……」
「けれど、不幸にもすると思う。わたくし、きっと長生きはしないと思うから。ごめん――」
「君ねえ!」
 少女の口上を遮って、ゲオルグは怒鳴った。
「ずるいよ!」
 きょとんとする恋人を柔らかく押し倒して、その唇を手折った花で塞ぐ。水仙(ナルサス)の甘い香りがふわりと二人の間に広がった。
「それ以上言っちゃだめ。僕の台詞が無くなっちゃう!」
 情けない顔でそんなことを言うゲオルグに、アーシュラは一瞬黙って、すぐにクスクスと笑い出した。落ちそうになった花を拾って、指先でクルクル回す。

「言葉は要らないわ」
「こんな大事なことをだね。そういうわけには……」
「じゃあ、キスして?」
「…………」
 正午過ぎの眩しい高原の太陽を、ちぎれた雲が一瞬隠す。満開の花畑に影が走るのに紛れ、二人は大切な約束の口づけを交わしたのだった。
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