紫灰の日時計

二月ほづみ

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十八

高原の夢-4

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 苦笑するアーシュラの周りを、エリンが落ち着かない様子でクルクル歩きまわる。
彼らが離宮にやって来て、暫くの時間が経っていた。
「エリン、大丈夫だと何度言ったらわかるの?」
「ですが……」
「約束はちゃんと守るわよ。お前が帰ってくるまで、離宮から出なければ良いのでしょ?」
 アーシュラは少し呆れつつも、優しい口調で繰り返す。
「本当に……」
「私を信じなさい」
 その後、エリンは何度も何度も離宮を出るなと言い含めて、ようやく、兄を訪ねるため一人で出かけたのだった。
 彼が、個人的な用事でアーシュラの元を離れるのは、初めてのことだ。
 アヴァロン家の離宮と隣り合う敷地に、カスタニエ公爵家の別荘はあった。もっとも、隣といっても、どちらの家の敷地も広いので、ちょっとしたハイキングくらいの距離がある。
 前はアーシュラに引っ張られて歩いた美しい遊歩道を、今日はひとりで辿る。
 彼女の体調や安全に気を配る必要が無いぶん気楽な筈なのに、どうしてだか頼りなく、心細い気持ちになってしまう。
 美しい景色も、気持ちのよい気候もちっとも楽しめなくて、目的が兄に会うのでなければ、外出なんか今すぐやめて彼女の元に帰りたいと思っていたことだろう。



 ぎこちない会話を交わす兄弟の間を、白い紙飛行機がすうっと通り抜け、そして、ふわりと風に煽られて高く舞い上がった。
「あっ!」
 と、同時に悲痛な叫びが響く。ロディスの声だった。エリンがぼんやり見ている横を、少年は必死に走って、飛ばされていった飛行機を追いかける。デッキの端まで走っていき――その小さな後ろ姿ががっくりとうなだれた。
「ロディス、どうした?」
 席を立って優しく声をかけたセルジュに、ロディスは振り返ると、大きな青い目を潤ませて屋根を指さす。
「じゅうさんごうが……」
「十三号?」
「ぼくの……」
「ロディ、お外に向けて投げてはいけないと言ったのに……」
 セルジュの妻、リュシエンヌが心配そうに居間から出てくると、少年は母に飛びついてしくしくと泣き始めてしまった。
「どうしたんだ?」
「十三号はロディスの自信作なんです。今まで作った中で、一番よく飛ぶのよね。お父様とエリン様にお見せするんだって、張り切っていたのですけれど……」
「それは少し、よく飛びすぎたようだな」
「ふえええ……」
「飛行機くらいまた作れば良いだろう?」
 セルジュが諭すが、ロディスは泣き止む様子がない。呆気にとられて親子のやりとりを見つめていたエリンだったが、ふと、風に飛ばされていった十三号の行方を目で追ってみる。どうやら別荘の大屋根の上に乗ってしまったようだ。白い鳩の羽のように軽やかなそれは高い屋根に着地して、次に強い風が吹けば、もっともっと遠くまで飛んでいってしまうように思われた。
 エリンは一瞬考えて、口を開く。
「……私がとって参りましょう。ロディス様」
「え……?」
 ロディスが顔を上げると、エリンが窓枠の高い飾りに、確かめるようにそっと手を触れていた。そして、突然軽業のようにヒョイと身体を持ち上げ、飾りにつま先をかけて登る。
「あ……!!」
 少年が驚きの声を上げた次の瞬間には、彼はさらにもう二段くらい高い場所に居て、あっという間に大屋根の上まで上がっていってしまった。そして、白い紙飛行機をそっと拾い上げると、屋根の端まで歩いて行って、そこから壁の一箇所を足場にし、ロディスの目の前にひらりと舞い降りる。
 エリンは小さく笑って、少年の前に膝をつき、目線を合わせた。
「十三号はとても高く飛べるようですので、どうぞお気をつけ下さい」
 そして、幸運にも折れたり傷ついたりしていなかった少年の自信作を、そっと小さな手に戻す。
「ありがとう……」
 けろりと涙の引っ込んだロディスは、泣いて汚れた顔をつやつやさせ、エリンを尊敬の眼差しで見つめて言った。
「礼には及びません。母君の仰るように、屋敷の中で飛ばされませ」
「あ……の……」
「?」
「エリンさま、ぼくのひこうき……」
 ロディスはエリンの袖を掴んで居間を指し、恥ずかしそうに俯く。
「……私に、見せてくださるのですか?」
 少年はコクリと頷いた。子供の相手なんて全く自信の無いことだったのだけれど、この些細な出来事によって、エリンはロディスに懐かれてしまったようだった。
 そして、これにより彼はこの夏の間、小さな甥のために何度も兄の屋敷を訪ねることとなった。
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