銀鼠の霊薬師

八神生弦

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1 白雪の里

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「あれが白雪しらゆきの里か……」


 眼下にある小さな集落を見下ろしながら額ににじむ汗をぬぐう。
 もう一息かと呟きながら、その里へと続くであろう細い道をくだった。ムッとするくらいの草の匂い。うるさく鳴くせみの声の合間に、背負う弓矢がカラカラと音を立てた。




 集落の入り口まで来ると、自分の姿を見つけた村人が不審そうにこちらを見た。
 よそ者があまり近づかない、山奥の集落ではよくある反応である。ここも外からの客人は珍しいのだろう。


「お嬢さん、どこから来なすった?」


 
 まだらに白髪交じりの老人が、警戒心を隠す事もなく話しかけてきた。その目は頭の上からつま先まで無遠慮に見まわしてくる。


「私は旅の薬師くすしだ。怪しい者ではない」


 愛想笑いが苦手なので、その代わりなるべく柔らかい口調を心がける。
 “薬師”という言葉に、老人は過剰な反応を示した。


「薬師⁉あんた……いや、あなたは薬師なのですか?ああ、ありがたい。流行はややまいの噂を聞いて来て下さったんですねっ‼」


「いや、そういう訳では……。ここでは病が流行っているのか?」


 老人の意外な反応に、眉をひそめながらも「病状がたい」と病人の元へと案内してもらう事にした。
 こちらですと言いながら、老人は歩きかけた足を不意に止め「そういえば、お名前を訊いてませんでしたな」と振り返る。


桔梗ききょうだ」


 そう言うと、彼女は老人と共に歩き出した。










 「こちらです」


 通された場所は普段は集会所にでも使われているのだろう。広い部屋に二十人程の病人が布団の上で寝かせられていた。
 その中で甲斐甲斐かいがいしく看病をしている少女がこちらに気が付く。


「吾作さん……こちらの方は?」


 少女は桔梗の姿を見ると、不安そうに首を傾げた。


「薬師の桔梗様だ。さえよすまないが長老を呼んできてもらえんか」


「は、はいっ」


 “さえ”と呼ばれた少女は慌てて外へと飛び出していった。
 桔梗は一番近くの患者のそばで膝をつくと、症状を診始める。


「熱が異常に高いな」


 患者の額に手を当てた桔梗は、その切れ長の目をスッと細めた。










 茶をれて飲んでいると、さえが「長老様っ‼」と血相を変えて家に飛び込んできた。
 
「なんじゃ、騒がしい」


 里の長老と呼ばれる老女は、眉間みけんしわをいっそう深くして、わずらわしそうにさえを見た。


「薬師様が、来てくださいました‼」


「なんじゃと?」
 
    薬師が?この里に?


 にわかには信じられなかった。なぜこんな辺鄙へんぴな里に薬師が?流行り病の噂を聞きつけて来たのか?……いや、この一ヶ月程は里に来た者も出て行った者もいない。そんな噂など流れる筈もない。
 ともかく、行ってみないことには仕方が無いと。老婆は愛用の杖に手をかけると「よっこらしょ」と重い腰を上げた。


 くだんの薬師は彼女の想像とは違っていた。
 歳は二十歳はたちくらいだろうか?あちこち旅をして回っているのだろう、恰好こそは動きやすい旅人そのものだ。が、旅人らしからぬ白い肌に、後頭部で一つにまとめ上げた流れるような艶やかな黒髪が印象的な若く美しい女だった。
 彼女の荷物だろうか。布の包みと弓と矢が入り口に置いてある。


「あんたが薬師さんか?」


    声をかけると病人を診ていた彼女は顔を上げ、涼しげな切れ長の目で老女を見た。













一月ひとつき前くらいからですかの、ひとり、またひとりと倒れていきまして。昨日までで五人命を落としました」


    長老宅で茶を振る舞われながら、桔梗は事の経緯を聞いていた。


「初めは身体中に湿疹が出て、それからしばらくして高熱を出します。喉の痛みを訴え出すと、痛みのせいか飯も喉を通らなくなり……やがて衰弱して……」


    長老はそこまで言うと、言葉をつまらせうつむいてしまった。
    手の中の湯飲みを見つめながらそれを黙って聞いていた桔梗は、口を開いた。


「以前、同じ症状の者を見た事がある。この里の生活水はどこに?」


「え?ああ。山から引いている沢水と、里の端にある井戸でございます」


    何故そんな事を訊くのかと、首を傾げる老女に、桔梗は更に質問する。


「症状が出たのは、主に沢の水を飲んでいる者ではないか?」


    その問いに、老女はハッとした表情を見せた。


「言われてみれば、おっしゃる通り。井戸の近くの者は病にはなっておりません」


 長老宅に案内される途中、桔梗はこの里の沢水を舐めてみた。もしやとは思っていたが老婆の答えで確信が持てた。


「長老」


「は、はい?」


    凛とした声で呼ばれ、老女は驚いて顔を上げた。


    桔梗は、自分の荷を解くと。何やら書物を取り出しパラパラとめくりだした。


「この植物をご存知か?」


    彼女の白く細い指が、ある植物の絵を指す。


「これは……」


「ご存知か?」


    もう一度問われると、老女はコクコクと頷いた。


「この里の北側にある山。白狼山はくろうざんに生えておりました。毒消しに良いとか、私の母がよくせんじていたのを覚えています」


「白狼山……」


    長老は、この山の名前の由縁について語ってくれた。


    大昔、この山は白い山犬が群れで暮らしていた。山の名もそこからついたそうだ。
    その毛皮は、町では高く売れ。それ目当ての猟師達が山のふもとに住みついたのがこの里の始まりだという。
    その毛皮のおかげで里は潤い、人も集まり、今では考えられない程活気に満ちていたようだ。


    しかし、それも長くは続かなかった。猟師が集まるにつれ、当然狩られる数も多くなる。乱獲がたたり山犬は白狼山から姿を消した。


「今では、“白狼山”という名前だけが、その名残なごりを残しております」


「…………」


「もしや桔梗様、あの山に入られるおつもりですかな?」


  言うと長老はため息をつきながら首を横に振る。


「止めておきなされ、あの山には十数年前から“白鬼びゃっき”がみついておる」


    桔梗の身体がピクリと揺れた。


    この国には、“鬼”と呼ばれる種族が存在し、それは人より長寿で身体能力も優れている。何より彼らが人と違うのは、その額に生える角だ。
    古来より、人と鬼は互いに忌み嫌いお互い関わる事無く住み分けてきたのだが、まれに人と鬼とで恋に落ちる事がある。
    基本、人と鬼の間に子は産まれない。しかし、これもまたごく稀にどういう訳か子を身籠みごもる者がいる。
    そうして産まれてきた子は、皆総じて特徴的な見た目をしていた。角こそ生えていないが、髪は色素の抜けたような白銀はくぎんで、瞳は金色。およそ普通の人とはかけ離れた姿ゆえに、人間は気味が悪い。不吉だと遠ざける。
    鬼の方も、角の無い者は“角無し”と呼び仲間と見なさない。


「あなたも薬師なら、ご存知でしょう。“白鬼”の心臓の血は不老不死の薬の元になるという言い伝えを」


「……ああ」


    もちろんただの迷信だ。
 そんな夢物語のような代物がこの世に存在するわけが無い。


「以前はそれ目当てのやからが他所から来ては、あの山に入って行きました。“不老不死”の薬にゃ、なんぼ金をつんでもいいという金持ちはおりますから」


  老婆は両手に持つ茶をズズっとすすると、話を続けた。


「ですが誰一人山を下りて来る者はおりませんでした。白鬼に殺されたのでしょう……今では誰もあの山には近づきませぬ。それに、今は山に入っても無駄かと……」


 桔梗はどういう事かと老婆に小さく首を傾げて見せた。


「山犬を狩るのに私たちは随分山を荒らしました。時には火を放った事も……。更に山犬が居なくなった事で草を食む獣が増えたのか、あんなに生えていた薬草も見ることは無くなりましたから……。天罰でしょうね、今ではたまに通りかかる薬師から買う他、薬を手に入れる術が無くなりました」


 老婆は皺の深く刻まれた口元に自嘲の笑みを浮かべると、茶をズッとすすった。
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