日々つれづれなることを、書け! inアルファポリス

三屋城衣智子

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日本の「ファンタジー」という語の始まり〜児童文学から探る、格を支える二軸についての思考〜



 ■はじめに■

 ずっと言語化しづらい違和感、座りの悪さを感じていた。
 何にか、というと昨今目にするファンタジー作品群、特に「本格」と各々が思うものをそれぞれ挙げる中のとある主張に対して。
 または、一部のアマチュア派閥とも呼べるかもしれない辺りから、その挙げられた作品に対して強く除外する発言があるということに。

 断っておくが、他者の主張を否定をしたいわけではない。
 これまでもこれからも一貫してその主張に対しては一部「捉え方の違いでは」といった疑義あれど、否定する気は毛頭ない。
 しかし、座りの悪さは依然あって、深く思考すればそれは日本の先人達が生み出してきたファンタジーが除外されることに対してだった。
 よってこの記事では、否定ではなく、含める形でそのファンタジーのありようを「増やせやしないか」という主張を展開したく思う。

 他の方の本格ファンタジー論については、こちら『第三の本格についての解釈と提案:「巨視的ファンタジー」で、どうでしょう!?』https://note.com/shin_akagi/n/nc9e8b1184dd2や色々と検索で出てきたものを参照していただければと思い、割愛する。


 ■日本で最初に定義されたと思しきファンタジーとは■

 今回この記事を書こうと思ったきっかけのサイト及び文言を、まず提示する。

引用はじめ――――――――――

 日本にはっきりとファンタジーという考え方を持ち込んだのは、瀬田貞二の評論「空想物語が必要なこと」(1958年)でした。瀬田は、英米の児童文学論を参照しながら、「空想的な創作童話」のことをファンタジーと呼ぼうとします。現代児童文学の起点となった『だれも知らない小さな国』(佐藤さとる)や『木かげの家の小人たち』(いぬいとみこ)は、まさに、そのファンタジーでした。その後は、あまんきみこ、安房直子、天沢退二郎、舟崎克彦、柏葉幸子、浜たかや、岡田淳、荻原規子、富安陽子、上橋菜穂子などの作家たちがより独自なファンタジー世界を創り出すことになります。

引用おわり――――――――――日本の子どもの文学 国際子ども図書館所蔵資料で見る歩み『第4章 児童文学の現在―1980年代から1999年まで』 https://www.kodomo.go.jp/jcl/section4/index.html(参照:2026.2.14)

 不勉強、かつ私は特にファンタジーを研究してきた側ではないので、瀬田貞二氏を知らなかったのだが「「空想的な創作童話」のことをファンタジーと呼ぼう」としたのが、日本にファンタジーが根付いていく初動だったらしい。

 瀬田貞二、とは日本の編集者であり、児童文学研究者、作家、翻訳・再話者でもあった人のようだ。
 研究者としての実績の一部を以下に引用する。

引用はじめ――――――――――

 1950年(昭和25年)、瀬田貞二は、当時岩波書店で岩波少年文庫の企画をしていた石井桃子と出会い、意気投合します。やがて石井桃子がアメリカ留学から帰国した1955年(昭和30年)、鈴木晋一、いぬいとみこ、松居直とともに「子どもの本研究会(ISUMI会)」を発足します(のちに渡辺茂男も参加)。この研究会の成果をもとに1960年(昭和35年)に出版されたのが、『子どもと文学』(共著 中央公論社)でした。「明治のすえから現在までの、つまり、近代日本児童文学とよばれるものが、はたして今日の子どもにどう受けとられているのだろうか、また、子どもを育てる上に適当なものだろうか」[4]という問題意識のもと編まれたこの本は、当時の児童文学界で大きな反響をよびました。

引用おわり――――――――――さいたま市図書館 https://www.lib.city.saitama.jp/contents;jsessionid=9393DFDBAE070A7C4E97644FD03D8A6F?0&pid=1836(参照:2026.2.14)


■その当時の児童文学を取り巻く空気■

 問題意識が何故あったか、というのは別の論文から推測するに、戦後の児童文学文壇からすれば自然主義リアリズムから社会主義リアリズムに脱皮すればよく、メルヘン風のものや幻想的童話などは関心が薄いばかりかむしろ克服せねばならぬとして批判的でさえあったようだ。

 この点に一石を投じたのが、前述の瀬田貞二氏ということらしい。

 小説的要素の強いいわゆる児童文学文壇以外の作家作品である『ビルマの竪琴』、『ノンちゃん雲に乗る』、『二十四の瞳』などが子どもから大人まで人気だったものの、姿勢や手法に批判だけされた上に良書の選択リストから除外されたというのだから、当時の空気が窺い知れるだろう。

 そして児童文学における読者不在の姿勢とその作品は、不支持とされた結果、安易で刺激的な営利出版によって押し流されてしまったらしい。


■生まれた新しい潮流及び作家について■

 ここで面白いのが、読者に向けた新しい児童文学を書く場がなくなった人たちが同人誌という場を主戦場にしたことだろう。
 従来の読者不在への姿勢である児童文学文壇を、身をもって、そのアンサーとなる作品によって批判したとも取れる。
 実際は、児童文学の本質への理論的追求だったらしいが、上記が外的要因ともなって草の根運動的な同人誌の動きが出たことは興味深い。

 結果、その同人誌にて育った世代が伝統否定の宣言をした、とこの論文には記載されていた。

 作家の代表として紹介されている、いぬい・とみこ氏も、同人活動をしていたとのこと。


■上記の児童文学の運動的なものとライトノベルの間に見えてきた共通点■

 以下は、その論文にて非常に示唆的な終わりの文からの引用画像である。


CiNii『日本近代児童文学におけるファンタジーの問題 : その成立について』番匠光子 https://cir.nii.ac.jp/crid/1050564287534784000 内論文URL https://www.google.co.jp/url?esrc=s&q=&rct=j&sa=U&url=https://hokurikugakuin.repo.nii.ac.jp/record/921/files/2-02%2520%25E7%2595%25AA%25E5%258C%25A0.pdf&ved=2ahUKEwjSu6eBrdiSAxXUQfUHHaNaLXcQFnoECAYQAg&usg=AOvVaw1afV9oNvEdFRpgojHjz752(参照:2026.2.14)

 面白いのが、子供へ語りかけるということを果たしたと思う、という論者の言である。
 こういった文言には、以前カクヨムへエッセイを書く際に調べた中でも出会った。
 確か『ライトノベル宣言 マンガ・ラノベ図書館 開館によせて』だったかと思う。
 これは開館に寄せて新たに書き起こされた、との職員の方の発言がある宣言で、全文はマンガ・ラノベ図書館のサイト上でも読むことができる。
 以下抜粋する。
 「ライトノベルは青春期の少年少女が与えられた本に満足せず、自分の意志で手に取る最初の本である。 児童文学とおとなの文芸の狭間にこれまでになかった豊かな世界が切り拓かれた。 ライトノベルで綴られる言葉は、同時代の生きた言葉である。 書き手が読み手と同じ空気を吸っている、時代を共有していると実感できることが大きな特徴となっている。」

 どうだろうか。
 特に「自分の意志で手に取る」「書き手が読み手と同じ空気を吸っている」という文言は、近代が子どもにも人権があると発見したり、新しい児童文学作家によって伝統が否定され読者不在から脱却し子ども目線を獲得した点と、近似しているように思う。


■昔と今の相違点■

 昔、子どもと大人の嗜むものには明確に差があり、小説に対して大説があり、アニメに対して実写ドラマや映画があり、漫画に対して小説があった。
 大人が嗜むものの枠から外れたものを楽しむ人間は、時に非難され時に侮蔑を投げつけられたという。
 そういった風潮は、論文にもあるようにC・S・ルイスが存命中の海外にもあったらしい(論文P51:子供と共にファンタジーを楽しむ大人を子供っぽいとして非難する人)。

 それにくらぶれば今、大人と子どもの嗜むものについて、非常に開かれ自由化が進んではいまいか。
 漫画を読んでも大人は後ろ指刺されず、大人も子どもも一緒になってアニメを鑑賞しその感想を語らい合っている。
 昔の漫画のポジションにライトノベルやその派生のなろう系を当てはめる層は存在してしまっているが、兎角なろう系から出た新しい物語は、海外で異世界が「isekai」という英製和語として通ずるまでの人気を得ている。


■日本ファンタジーノベル大賞、選評における荒俣宏氏のファンタジー種別の話■

 以前エッセイに書いたのだが、こんな話がある。 以下引用する。

引用はじめ――――――――――

 ファンタジーノベル大賞に『後宮小説』が突然選ばれては混乱するばかりであろう、と懸念されたのである。
 しかし、その懸念を救う作品もまた、今回の応募作品には含まれていた。山口泉『宇宙のみなもとの滝』である。
 この作品もまた、『後宮小説』に匹敵する硬質な言語空間を持つ。さらに世界の入れ子構造を暗示させる。“劇中劇“の趣向を取るに至っては、ただ者の技とも思えなかった。唯一、山口泉にはコールリジから宮沢賢治に直列する建設神デミウルゴスの真摯さがあり、笑い飛ばすよりは抱擁する優しさにおいて酒見賢一の作品と対立していた。大賞はこの二作のどちらかしか考えられぬ。
 実は私もかつては山口泉のようなファンタジーが好きであった。しかしこの系列の作品がファンタジーノベルを去勢し、女性化させる危険を孕んでいることにも、最近気づきだした。なぜなら、ファンタジーは『指輪物語』のトールキンがそう宣言して以来、救済と幸福の物語と定義されるに至り、自己建設と救済探索の同義語となったからである。最終選考に残った他の三編は、その意味で、私にとっては泥沼に落ちた典型的な作品に思えたのである。
 しかし、違う。ファンタジーの目指す世界は、すでに述べたように本来、自己建設のみでなく自己破壊でもある。ファンタジーの輪郭を再度示す意味でも、私は『後宮小説』を推すことにした。同時に、他の四委員が山口泉の力作を採られこそすれ、まさか『後宮小説』は押されないだろうとの見通しがあったことをも、告白しておきたい。

引用おわり――――――――――後宮小説、付録の荒俣宏氏の選評、Twitter https://twitter.com/kasuga391/status/1700486903680954623(参照:2026.2.14)

この荒俣宏氏の発言をもってして、剣と魔法は排されたのであるから日本ファンタジーノベル大賞受賞作群を本格的でないとする向きもあるが、注意したいのは「しかし、その懸念を救う作品もまた、今回の応募作品には含まれていた。山口泉『宇宙のみなもとの滝』である。」という文言である。
 氏の言う系列が海外作品を指すならば、きちんとそれの後継である『宇宙のみなもとの滝』と日本の奇想の力溢れる『後宮小説』という二種のファンタジーを据えて、賞にふさわしい作品を選んだことが窺えるのではないだろうか。

 また、この言説は以下私が提唱する論の補強でもあるように思う。
 何故なら『指輪物語』の系譜はまさしく海外を祖とする国内作品群を、指しているとも言えるからだ。


■前述と以前からよく提示される日本のファンタジー群を踏まえての提言■

 上記のことを鑑みると、日本にファンタジー、とみに本格的なものにおいて作品がないとするのは馬車の片側一輪がないような、心もとなさを感じるというのが私の考えである。
 ファンタジーという概念を持ち込まんとした瀬田貞二氏の挙げる作品、ないし作者はネット上でも本格としてよく名が挙がる。
 剣と魔法のみをファンタジーとしそれらを排するというならば、一定の具体的で論理的な言が必要なように思う。

 もしも具体性ある除外論がないならば、これら日本産ファンタジーの黎明期を迎えるに力を添えた作品も含め、海外作品を起点としたのものと国内作品を起点としたものの二軸によって論を支える柱にすることを提唱したい。


■最後に■

 長々書いてきたが、再度念を押しておきたいのは私は排除するスタンスをとっていないということだ。
 加えて欲しいと言い、その論拠を示したのみでこの小論文にも似たエッセイにおいて誰の言説の否定もしていない。
 昨今の創作物の広がりは目覚ましい。
 YouTubeという動画公開プラットフォームまで登場し、マインクラフトというゲームを使って二時間もののファンタジー映画を撮り、全世界に公開するグループがいるほどの広がりを見せている。

 どうか忘れないでいただきたい、と思うのだ。
 私たちが子どもの頃に出会ったであろう、種々様々なファンタジーの萌芽を、その作品達を。
 それは小説だったかもしれない、漫画だったかもしれない、ゲームだったかもしれない、特撮やアニメ、ドラマや映画などの映像作品だったかもしれない、音声作品だったかもしれない。
 その出会ったワクワクや衝撃は、各個人の原体験としてグラデーションに存在し、その体験は何人たりとも毀損されるべきものではないと考えるのである。
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