身代わり濃姫~若き織田信長と高校生ヒロインが、結婚してから恋に落ちる物語~

梵天丸

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第四章

身代わり濃姫(83)

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 信長が清洲きよすに帰還したのは、予定よりも一日早く、清洲をってから九日目のことだった。
 その信長の清洲への帰還には、無事に岡崎城の城主となった竹千代も同行した。
 織田家と松平家の正式な同盟の調印を清洲城で行うためということもあったが、竹千代自身が清洲に行ってみたいと願い出たからでもあった。
 竹千代が成人するまでの後見人として正式に任じられた本多忠真ほんだただざねも、今回の清洲行きに同行している。
 道中信長は、竹千代と馬を並べて街道を進んだが、竹千代は目に見えるものすべてが珍しそうだった。
 一刻も早く清洲にいる美夜の元へ帰りたいという信長の本音はあったが、竹千代が長い間不自由な生活を強いられてきたことを考えると、信長も少し堪えて付き合おうという気持ちにもなったようだった。
「あれが清洲ですか。とても大きな街ですね」
 街道の先に清洲の街が見えてくると、馬に乗った竹千代が嬉しそうに声を上げた。
「ああ、清洲の街は賑やかで良いぞ。忠真殿らに付き添ってもらって、街歩きも楽しんでくると良い」
「はい。ぜひそうさせてもらいます」
「俺が案内してやれると良いのだが……騒動になっては困るからな」
 信長は清洲の街ではあまりにも名も顔知られてしまっていることもあり、出かけるとなると大々的に護衛をつけてという話になってしまう。
 それでは竹千代もゆっくり街を見て回ることができないだろうと信長は考えたのだった。
「いえ。こうして連れてきてくださっただけでも、ありがたいことです。本当にすごいですね、信長殿は……あんなに大きな街を治めているなんて……」
 竹千代は心から感嘆して言った。
 岡崎城もそれなりに大きな街ではあるが、やはり清洲に比べると、田舎という印象がぬぐえない。
(信長殿には当主として見習うべきところがたくさんあります。今度の清洲滞在でも、しっかり信長殿の良いところを吸収しなければ……)
 竹千代は清洲の街もしっかりと見て回り、今後の岡崎城の整備にも役立てようと思うのだった。


 信長たちを出迎える清洲城の城門には、蔵ノ介を始めとする家臣たちと共に美夜みやの姿もあって、信長は少し驚いた。
 馬をりた信長は、出迎えの他の家臣たちには目もくれずに美夜に駆け寄り、その身体を抱きしめた。
「信長様、お帰りなさい」
「こんなところまで出てきて大丈夫なのか?」
「はい……今日は少し調子が良かったんです。だからお医者様の許可も出たので、蔵ノ介さんにお願いしてこ出迎えにさせてもらいました」
「そうか……なら良かった。ずっとそなたの心配ばかりしていた……」
「すみません……でも、たぶん悪阻つわりの峠は越えたのかなと思います」
「そうだな。だが、まだ油断はせずに身体をいたわって欲しい……」
「はい……」
 今回はおよそ十日ほど離れていたこともあり、信長の抱擁はいつも以上に長かった。
 美夜もここが城門でなければいつまでもそうしていてもらいたいと思う気持ちはあるが、さすがに待たせている者たちのことも気になってしまう。
「あ、あの……信長様、竹千代さんも来られているのではないのですか?」
 美夜が気遣ってそう言うと、信長はようやく思い出したように抱擁を解いた。
「そうだったな。そなたに竹千代を紹介する約束であった」
「はい。実はそれも楽しみにしていました」
 信長が友達だという竹千代は、まだ九歳にしかならないというのだが、どんな子なのかと美夜は興味があったのだ。
 信長から話を聞く限りでは、信長の子どもの頃に似て、子供らしくない子どもだということだけれども……。
 信長は美夜の手を引いて、竹千代のところまで歩いて行った。
 大人に囲まれて、一人だけ子どもがいたので、美夜はすぐにそれが竹千代だと分かった。
 竹千代は髪をポニーテールのように高く結っていて、見た目は女の子のようにとても可愛らしく、笑みを浮かべるとさらに愛らしくなるような、そんな雰囲気の少年だった。
「竹千代、そなたに紹介しよう。俺の妻の帰蝶きちょうだ」
 信長がそう言うと、竹千代はにこりと微笑んだ。
「初めまして、帰蝶様。私は松平竹千代と申します。帰蝶様のことは信長様からいろいろとお聞きしております。どうぞよろしくお願いします」
 ぺこりと行儀良くお辞儀をするその仕草すら、とても愛らしい。
 こんなに愛らしい子どもを嫌う人間なんて、この世には存在しないのではないかと思えるほどだった。
 しかしこんな子どもが六歳の時から人質として故郷を離れ、あちこちに連れ回されていたのだと思うと、胸が痛む気持ちにもなってしまう。
「あの、ご丁寧に挨拶をいただきまして、ありがとうございます。信長様の妻で帰蝶と申します。よろしくお願いします」
 帰蝶も慌てて頭を下げて挨拶をした。
「信長殿の仰っていた通りですね。帰蝶様はとてもお美しくて素晴らしい女性です」
 邪気のない笑顔で面と向かってそんなことを言われると、嬉しい気持ちと同時に照れくさくもなってしまう。
 美夜が顔を赤くしているのに気づいた信長が、少し真面目な顔をして竹千代に言った。
「竹千代、何度も言ったが、帰蝶に惚れるでないぞ」
「の、信長様……竹千代さんはまだ子どもじゃないですか……惚れるとかそんなこと……」
 美夜が慌てて口を挟むと、竹千代は笑った。
「いえ、信長殿のご心配はとてもよく分かりますから。心しておきます、信長殿」
「うむ……そうしてくれると助かる」
 にこにこと笑みを絶やさない竹千代からはまったく邪気が感じられず、信長ですら毒気を抜かれているように美夜は感じられた。
(信行の場合は見た目が天使で中身が悪魔だったけど、竹千代さんの場合は見た目も中身も本物の天使って感じ……)
「あ、蔵ノ介殿、お久しぶりです」
 里にいたときに顔見知りになっていたのか、蔵ノ介を見つけて竹千代はてくてくと歩み寄っていく。
 おとなしそうなのに物怖じしないところも、美夜には少し意外だった。
(信長様は子どもらしくない子どもだと言っていたけれど……何となくその理由が分かるような気がする)
 見た目や仕草、その性格は子どもそのものだが、その中身までも子どもだとあなどっていれば、しっぺ返しを食らってしまう……美夜は竹千代からそんな印象を受けた。
(やっぱり信長様が一目置く人は何か違う気がする……竹千代さんも今は見た目にごまかされているけれど、大人になったらすごい人になるのかも……)
 蔵ノ介もいつになく愛想の良い笑みを浮かべて竹千代に応対していた。
 竹千代には、つい相手が気を許してしまうような、そんな魅力があるようだった。
 竹千代に得たいの知れないものは感じつつも、きっと、信長にとっては味方にこそなれ、敵対することはないだろうという気もした。
(それにしても、竹千代って……どこで聞いた名前なのかしら……)
 美夜にはその名が思い出せなかったが、じきにやってくる雪春なら、竹千代が史実で誰だったのかを知っているかもしれないと考えた。
(信長様とこんなに仲が良くて、それなりに権力もあるようだから、有名な人には間違いないのだろうけど……)
 松平竹千代が後の徳川家康であることを美夜が知るのは、もう少し先の話になりそうだった。

 竹千代が清洲城に入ると、さっそくその日のうちに織田家と松平家の同盟が正式に調印され、周辺各国にもその報せは届いた。
 織田家の同盟先である斉藤家の斎藤道三にも、同盟締結に先んじて信長が明智光秀を通じてすでに報告をしている。
 道三の側からは「喜ばしきこと」という返事が、すでに光秀を通じて信長の元へ届けられていた。
 信長は、密かに美夜の兄の雪春を保護しているということを除いては、同盟相手の斎藤道三に対する義理を欠いたことはなかった。
 そうしたことが伝わるから、斎藤道三も惜しみなく信長に対して助力を惜しまないのだろうと、道三の性格をよく知る光秀などは考えいる。
(しかし、美濃の様子が気がかりです……)
 光秀は美濃の斎藤道三やその家臣たちとも頻繁に書状のやりとりをしているが、どうもこのところ、斉藤家の者たちが何かに忙殺されているような気配を光秀は感じていた。
(信長様にも一応報告しておいたほうが良いのかもしれませんね……)
 光秀がそう考えて信長のところを訪ねると、ちょうど信長のもとにも一通の書状が美濃から届いていた。
小西隆信こにしたかのぶから連絡が来たか」
「はい。どうやら美濃のほうでひと騒動起きそうな気配がありますね」
 書状を手渡しながら、蔵ノ介が言う。
 小西隆信は、信長の近習きんじゅうであった佐々木信親ささきのぶちかの父であるが、佐々木信親が謀反むほんくわだてたことによって処刑された後、信長の指示で名を変え、斎藤道三のもとに保護されている。
 信長は小西隆信からの書状を開いた。
 そこには、小西隆信が美濃の斎藤道三の元に保護されてからこれまで見聞きしてきたものが詳細に書かれてあった。
 道三が娘婿である信長に斉藤家の家督かとくを譲るのではないかという噂が斉藤家の家臣たちの間にまことしやかに広がり、家中に動揺が走っているということ。
 そして、そのことにより、斉藤家の跡取りであるはずの斎藤義龍よしたつ廃嫡はいちゃくされてしまうのではないかという噂も同時に立っているということ……。
 それらは信長のあずかり知らぬところで勝手に立っている噂ではあるが、決して軽く見ることはできない噂ではあった。
「光秀、そなたはこうした噂について聞いておるのか?」
「以前から多少はありましたが、ここまで噂が大きく、そしてまるで真実のように広がっているということまでは知りませんでした」
「では、こうした噂は急に広まったということか」
「はい。おそらくそうではないでしょうか。道三様は確かに信長様を気に入っておられ、何かにつけて助力を惜しみませんが、家督に関する話は、迂闊うかつに他の者に話したりはなさらないはずです。もしもそうした話があれば、まず私が聞いているでしょうし」
「そうだな。では、俺に家督を譲るとかいう噂は、誰かが意図的に流したものとも考えられるな」
「はい。おそらく、道三様に対する敵意を増やしたいものの仕業でしょう」
 光秀がそう言うと、蔵ノ介が口を挟んだ。
「先の菊池勝五郎きくちかつごろう叛逆はんぎゃくも、そうした噂に関連しているのかもしれませんね」
 蔵ノ介のその言葉に、光秀は頷いた。
「私もそう思います。菊池勝五郎とは幾度か面識がありましたが、道三様の信頼もあつく、地位も保証されていますから、わざわざ裏切る意味がありません。もしもその噂を流した人物が勝五郎に接触し、上手く説得したのだとしたら、彼の裏切りの理由も見えてくる気がします」
 二人の意見を聞いた信長は、少し考えるように沈黙してから口を開いた。
「美濃に何か起こる可能性があるかもしれぬな。末森城を攻めるのに美濃から借り受けている兵があると心強いのは事実だが、いったん道三に兵を返すことにするか」
 信長がそう言うと、光秀は微笑んだ。
「そうしていただけますと、私も道三様の甥として多少安堵あんどできます」
「よし、明日にでも、美濃から借り受けている兵に関しては、道三のもとに返そう。今は道三自身の身の守りを固めたほうが良いように思われる」
「では、末森城は織田家と松平家のみで攻めるという方向で、策を練り直します」
「ああ、頼む。時間がないから大変であろうが」
「いえ。では、策が固まり次第、またご相談にあがります」
 光秀はそう告げると、信長の元を辞していった。
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