年下将軍に側室として求められて

梵天丸

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年下将軍に側室として求められて(11)

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 城門の前では、出発の準備を整えた幕府軍の兵らでごった返している。馬の嘶き、慌しく駆け回る兵たちの声、それを送り出す者たちの声。さまざまな喧騒が、城の前を賑やかしている。
「ご武運をお祈りしております」
 女房たちの戦闘に立つ芭乃の言葉に、義藤は笑みだけで答える。
 お互いに言葉に出して言うべきことは、先ほどの準備の間にすべて言った。だからそれほど言葉は必要なかった。義藤の笑みだけで、芭乃はすべての気持ちを理解できた気がした。
 総大将として兵を率い、出陣する義藤を、芭乃も白い鉢巻に袴姿で見送った。手には薙刀がしっかりと握られている。
 万が一にもこの中尾城が敵に攻め込まれた時は、女房や留守を預かる家臣たちを指揮して芭乃が先頭に立って戦うことになる。
 もちろん城にもある程度の兵は残してあるから、芭乃が実際に戦うことになるのは、最悪の事態となったときだけだ。
「行って来る」
 豪奢な鎧兜も、馬も、まだ義藤には大きすぎるように見える。けれども、義藤はこの国の武門の棟梁だ。その責任を、義藤の背中は十分に自覚しているように見えた。
「あ、芭乃」
 何かを思い出したかのように、義藤が振り返った。兜の中の顔は、意味ありげに笑っている。
「何でしょう? お忘れ物でも?」
「浮気するなよ!」
「えっ? あ、あのっ……」
 芭乃がその顔を赤くしたのを見て義藤は声をあげて笑い、そのまま背を向けた。周囲にいた女房や家臣たちもつられて笑っている。
「も、もう……っ……こんな時になんてことを……」
 先ほどまでは一心に義藤の安堵ばかりを願っていた芭乃だったが、今はその背中が憎らしい。きっと芭乃や周囲の者たちの反応を想像して今も笑っているのだろうと思うとさらに憎たらしかった。
「本当にいつも仲がおよろしいですね」
「ええ。お世継ぎの心配も必要ないぐらい」
「小侍従さまがお美しいから、きっと義藤様も不安なのでしょうねえ」
 傍にいた女房たちが、口々にからかうように笑うので、芭乃は身の置き場に困ってしまう。
「べ、別にそ、そういうわけじゃ……ないと思うけど……」
 こういう時にうまくあしらえない芭乃は、女房たちの格好の獲物になってしまうのだ。
「でも最近の公方様、何だかめっきり大人っぽくおなりになったわよねえ」
「やはり小侍従様のおかげなのかしら?」
「手取り足取り、お教えしてさしあげておられるの?」
 にやにやと笑う女房たちの興味は、どうやら閨でのことにあるようだ。
「し、しませんっ! お教えできるほど……その……私も経験ないし……」
「あっ、じゃあ、やっぱり公方様が積極的に?」
「い、いや、別にそういうわけじゃなくてっ」
「でも、あの少年のような公方様が強引で積極的なんて、かえって燃えてしまいそうっ」
「あ、ええと……だから……そのっ……」
 本当にみんな、どこでどうやってそういう知識を得ているのだろうと、妙な汗をかきながら芭乃は思う。父から渡された春画を流し読みしただけで閨に放り込まれた身としては、もっと早くに彼女たちからいろいろ教わっておけば良かったと心底後悔してしまう。
「ほら、小侍従様がお困りよ。あまり意地悪なことを申し上げてはいけません」
 女房の中でも年長の女房が、他の女房たちをたしなめるように言った。彼女は女房たちのしつけには厳しいが、心根はとても優しい女性だ。
 今もそれほどきつく女房たちの軽口を咎めないのは、戦で本当は不安だらけの彼女らの気持ちを慮ってのことだろう。軽口でも叩いていなければ、不安に押しつぶされてしまう。
 ひょっとすると、義藤もそんな留守を預かる者たちの気持ちを理解してたからこそ、あんな冗談を言ったのだろうか。
 気がつくと、もう義藤の馬は見えないところまで進んでしまっている。
 今も相変わらず義藤に恋をしているという感じはない。けれども、義藤の妻としての自覚は少しずつ出てきたように思う。
 この城の留守を任された。その責任は命に代えても果たさなければならない。自分は将軍の妻なのだから。
(本当にご無事で……)
 芭乃は祈るような気持ちで、出陣の隊列を見守った。

 義藤らが出陣してから数日後、三好長慶らの軍も二万近くの兵を率いて上洛した。
 戦は三好軍と義藤が率いる幕府軍による市街戦となったが、頼みとしていた幕府軍の援軍である細川晴元と六角氏は、それぞれ北白川と吉田に留まったままだった。
 本来なら、幕府軍がおびき寄せた三好軍を、細川軍と六角軍によって挟み撃ちにする作戦だ。
 彼らが動かなければ、義藤たちに勝ち目はない。
「晴元らはなぜ動かない?」
 苛立ちをかみ締めながら、義藤は傍らの藤孝に問う。
「何度も早馬を出して急かしていますが、現在準備を整えているという返事が来るばかりで。予想以上に三好の動きが早かったなどと申しておりますが……」
 藤孝の言葉も切れが悪い。おそらく事態は義藤にとって最悪の方向に動きつつあるようだった。
「くそっ、晴元め。この期に及んで裏切るつもりか!」
 細川晴元の怪しげな動向については、以前から気にはなっていた。しかし今回の相手は晴元を失脚へと追い込んだ三好長慶だ。晴元とて、倒したい相手のはず。だから必ず援軍は来ると確信していた義藤だったが、こういう状況になってみると、義藤がそう思うこと自体がすでに罠だった可能性がある。
「そもそも、晴元と長慶が結んでいた、ということか」
「こうなってしまった以上、その可能性も捨て切れません。ですが、もう一つ、気になる噂が」
 そう言って、藤孝は声を潜める。
「どんな噂だ?」
「晴元殿らは、三好軍に公方様を襲わせて亡き者にし、千歳丸様をその後釜にすえようと画策していると」
 千歳丸というのは、義藤の異母弟で、義藤が将軍位を継ぐことが決まると、寺に入れられ、現在は僧籍に入り、覚慶を名乗っているはずだ。
 義藤が義弟の千歳丸と別れたのは物心が付く前のことだったから、その面影さえもう覚えていない。
「なるほど。俺がなかなか思い通りにならないから、思い通りになりそうな義弟に鞍替えしようという腹か」
「あるいは、そうかもしれません。千歳丸様は物心ついた頃から僧門に入っておられますから、くみしやすいと考えたのでしょう」
 そう考えれば、この不自然な状況も理解できる。本来ならとっくに細川軍と六角軍はこの戦場へやって来ているはずなのに。
「どうされますか、公方様?」
 指示を仰ぐように待機する藤孝の言葉に、義藤はしばらく沈黙を続けた。やがて意を決するように頷くと、藤孝に命じる。
「撤退するぞ、藤孝。全軍に撤退命令を出せ」
「よろしいのですか?」
「待っても来ない援軍を待って自滅するほど俺は馬鹿じゃない。晴元らは来ない。来なければ、必ず負ける。だから撤退だ」
「かしこまりました」
 すぐに各隊に伝令が走り、義藤らは中尾城へと撤退することになった。

 中尾城へ幕府軍が撤退すると、三好軍も本拠地である大山崎へと撤退した。
 撤退した後になって、細川晴元や六角氏が謝罪に訪れたが、義藤はそ知らぬふりをして彼らに応対し、特に懲罰などは与えずにそのままにしておいた。
「怒鳴ってやりたい気持ちは山々だが、今は表立って晴元らと敵対するのは得策じゃない。たぶん、向こうだってそう思ってるから、わざわざ謝罪に来たんだろ」
 出された菓子をつまみながら、義藤はこともなげにそんなことを言う。話を聞く芭乃は複雑な気分だった。
 義藤の年齢なら、普通はもっとのびのびと育っているはずの頃だ。それなのに、自分の本心を隠して高度な駆け引きの中に身をおかなくてはならない。将軍という立場上仕方のないことかも知れないが、芭乃としては義藤にはもっとその年齢らしい楽しさや喜びも味わって欲しいと思っていた。
 けれども、義藤をとりまく状況は、そんな悠長な時間や思考を彼に与えてはくれない。
「芭乃、お前は無理に見る必要はないんだぞ。見たくないものからは、目をそらせばいい。俺はそれを咎めないし、むしろこれからはそうしたほうがいいようにも思う」
「義藤様……」
 芭乃が沈んだ顔をしていたことで、義藤は気を遣ったのかもしれない。年下の義藤に気を遣わせてしまったことを、芭乃は悔やんだ。
 義藤だって、本当は見たくない、聞きたくないことだらけなのだろう。だけど、将軍だから目をそらすことも、耳を塞ぐこともできない。
 その上に、誰にも話すことも出来なくなってしまったら、義藤はどこで息抜きをするんだろう。
 義藤が何でも話せる場所は、残しておかなくてはならない。
「芭乃は、義藤様のことなら、何でも知りたいです。それがどんなに汚いことであっても、目を背けたくなることであっても、耳を塞ぎたくなることであっても」
「そうか」
 義藤は短くそれだけを言った。その顔は微かに笑っていたけれど、どこか安堵したような表病を浮かべている。
 それを見て芭乃は、自分の判断が間違っていなかったのだと思った。
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