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第2章
嵐の前の静けさ
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テラロディア帝国の帝都シネニイスルに帰還した後、バータルはしばらく暇を持て余していた。と言っても、まったく仕事がない訳ではない。彼は今やハーンであり、平時にも国内の政治を司る務めを果たさねばならなかった。
ただ、基本的に、ハーンの内政に関与する権限は少ない。テラロディアの正式名称である「テラロディア諸部族連邦帝国」が現す通り、この国は連邦制を採っている。普段は各地域毎に置かれた「部族」が部族評議会を主体に内部問題を処理するため、ハーンは立法、外交、軍事といった公務にのみ精励する。
ところが、8月16日についてはこの限りでは無かった。
11年前にテラロディアがシューネスラント王国より解放し、新たな領土となったデルバルガス族・トゥメンゴル族の両者の間で、領地を巡った対立が発生していたのである。
宮殿・瑠璃館の謁見の間で、バータルは両部族の族長と対面していた。両者とも、明らかな怒りの表情を顔に浮かべているし、今にも互いに衝突しそうな様相だ。
「一旦そち達、両名の訴えを聞きたい。まず、デルバルガス族のツェーリング族長」バータルが言うと、ツェーリングが進み出た。
「陛下、我らデルバルガス族は、テラロディアの支配下に入る際に、我々の祖先が代々支配してきた土地の権利を保証されると約束されております。しかし、トゥメンゴル族は今や、その約束を無視し、我々の領地に入り込み、勝手に耕作を始めております!」
「そちは、トゥメンゴル族がそち達の領地を侵し、農業を行っていると申すのか?」
両部族とも元々はシューネスラント人であり、古くから農業を行っている。部族名はテラロディアに服属する際に、テラロド語で新たに付けられたものだ。
元々同じ民族でありながら、「解放」が争いを助長したのである。バータルは実に皮肉なことだと感じていた。
「トゥメンゴル族のイェーガー族長、あなたの訴えも聞こう」
「陛下、問題となっている村の境界は、昔からかの地を流れる小川と決まっております。我々は、我々の土地で農業を行っているだけです!」イェーガー族長の訴えも熱を帯びて来る。
「何だと!お前らは既に小川を越え、こちら側の対岸まで農地を広げているじゃないか!」ツェーリング族長が立ち上がる。
「黙れ!そんな事実は無い!我々は小川の手前でしか耕作はしていないぞ!」
何回か大声の応酬が繰り返された後、二人の会話は論争ですらなくなった。言葉に出すのも憚られるような罵言が飛び交い、バータルは大いに困惑していた。
父帝バヤルであれば、このような争いはすぐに解決できたのだろうか。いや、そもそも部族の間を上手く取り持ち、このような無益な衝突を最初から生じさせなかったのだろうか。
だが、バヤルはもうこの世にいない。バータルはハーンとして、その現実を受け入れて行動せねばならなかった。
「やめぬか、そち達!そち達は我が帝国の支配下に入った事で、部族こそ分かれた。だが、元々同じ民族であり、同胞だったはずだ。ついこの間までは友好を保てていたのであろう!?」バータルが一喝すると、流石に二人も恥入り、再びその場に座った。
「まず、これまでの先例通り、境界は小川。これを再確認しておく。次に、デルバルガス族の訴えが事実かどうかを確かめるため、国務省の役人を派遣する。もし、境界を超えて耕作を行っている事実があれば、その農民は強制的に退去させ、土地を元の所有者に返還する。これで双方、依存は無いか」バータルが言うと、二人はまだ多少の不満を匂わせつつも、一応頷いた。
「大分、臣下の扱い方に慣れてきておられるようですな、陛下」
謁見の間を出たバータルに、ムンフバトが声をかけた。
「ムンフバトか。何用だ」
「陛下、たまには私と剣の鍛錬でもしませんか?こう見えて私は剣術が得意なのですよ!」
「ほう、剣術か。面白い。受けて立とう」
2人は宮殿内の中庭に歩いて出た。
この広大な中庭からは、宮殿の建物全体を見渡すことができるが、ここに初めて来た者は、シネニイスルの宮殿が宮殿としては驚くほど小さいことに驚嘆する。
確かにシューネスラントの属国ですら、この宮殿よりは豪華な宮殿を有しているに違いない。シューネスラントの王宮などと比較するのは論外だろう。
この理由には先帝バヤルの「支配者の贅沢よりも民の生命を優先せよ」という精神もあるが、元々遊牧民族であるテラロド人は質素な生活に慣れているのだ。贅沢を好んでする訳でもない。
「どうぞ」ムンフバトがバータルに木剣を渡す。
「陛下、確か以前は乗馬弓術のほうが得意でおられたかと存じますが、剣の腕はいかほどで?」
「幼い頃から父上に厳しく仕込まれた。そう簡単には負けぬぞ」
「それは頼もしいお言葉!」
ムンフバトが一足先に踏み込み、鋭い突きを繰り出す。バータルはそれを難無く受け流し、態勢を整えて反撃へと転じる。木剣が打ち合い、乾いた音が中庭に響き渡った。
「中々の腕ではないか、ムンフバト。少し見直したぞ」
「ありがたき幸せ。ですが…陛下、まだまだ参りますよ!オラァ!」
言うが早いか、ムンフバトが再び剣を繰り出す。バータルは体を反らして避け、そのまま反転し、剣をムンフバトの肩にピタリと添えた。
「…む、むむむむ…これは痛快ですな!いやぁ、流石陛下!」
バータルは軽く息を吐きながら、剣をムンフバトに返す。「こうして体を動かすと、頭の中が少し澄むようだ」
「そうですな!政治よりも戦いの方がずっといい…そうでした、今夜、私の屋敷で、知己の者たちと酒宴を催すのですが、陛下もいらっしゃいませんか?」
「それは良い。是非参加させて貰おう」
こうして、大陸の情勢は、一時的なものであれ平静を取り戻しているかに見えた。
しかし、来たるべき動乱の足音が迫っていることを、この平穏が嵐の前の静けさであることを、誰一人として予測できずにいたのだった。
続く
ただ、基本的に、ハーンの内政に関与する権限は少ない。テラロディアの正式名称である「テラロディア諸部族連邦帝国」が現す通り、この国は連邦制を採っている。普段は各地域毎に置かれた「部族」が部族評議会を主体に内部問題を処理するため、ハーンは立法、外交、軍事といった公務にのみ精励する。
ところが、8月16日についてはこの限りでは無かった。
11年前にテラロディアがシューネスラント王国より解放し、新たな領土となったデルバルガス族・トゥメンゴル族の両者の間で、領地を巡った対立が発生していたのである。
宮殿・瑠璃館の謁見の間で、バータルは両部族の族長と対面していた。両者とも、明らかな怒りの表情を顔に浮かべているし、今にも互いに衝突しそうな様相だ。
「一旦そち達、両名の訴えを聞きたい。まず、デルバルガス族のツェーリング族長」バータルが言うと、ツェーリングが進み出た。
「陛下、我らデルバルガス族は、テラロディアの支配下に入る際に、我々の祖先が代々支配してきた土地の権利を保証されると約束されております。しかし、トゥメンゴル族は今や、その約束を無視し、我々の領地に入り込み、勝手に耕作を始めております!」
「そちは、トゥメンゴル族がそち達の領地を侵し、農業を行っていると申すのか?」
両部族とも元々はシューネスラント人であり、古くから農業を行っている。部族名はテラロディアに服属する際に、テラロド語で新たに付けられたものだ。
元々同じ民族でありながら、「解放」が争いを助長したのである。バータルは実に皮肉なことだと感じていた。
「トゥメンゴル族のイェーガー族長、あなたの訴えも聞こう」
「陛下、問題となっている村の境界は、昔からかの地を流れる小川と決まっております。我々は、我々の土地で農業を行っているだけです!」イェーガー族長の訴えも熱を帯びて来る。
「何だと!お前らは既に小川を越え、こちら側の対岸まで農地を広げているじゃないか!」ツェーリング族長が立ち上がる。
「黙れ!そんな事実は無い!我々は小川の手前でしか耕作はしていないぞ!」
何回か大声の応酬が繰り返された後、二人の会話は論争ですらなくなった。言葉に出すのも憚られるような罵言が飛び交い、バータルは大いに困惑していた。
父帝バヤルであれば、このような争いはすぐに解決できたのだろうか。いや、そもそも部族の間を上手く取り持ち、このような無益な衝突を最初から生じさせなかったのだろうか。
だが、バヤルはもうこの世にいない。バータルはハーンとして、その現実を受け入れて行動せねばならなかった。
「やめぬか、そち達!そち達は我が帝国の支配下に入った事で、部族こそ分かれた。だが、元々同じ民族であり、同胞だったはずだ。ついこの間までは友好を保てていたのであろう!?」バータルが一喝すると、流石に二人も恥入り、再びその場に座った。
「まず、これまでの先例通り、境界は小川。これを再確認しておく。次に、デルバルガス族の訴えが事実かどうかを確かめるため、国務省の役人を派遣する。もし、境界を超えて耕作を行っている事実があれば、その農民は強制的に退去させ、土地を元の所有者に返還する。これで双方、依存は無いか」バータルが言うと、二人はまだ多少の不満を匂わせつつも、一応頷いた。
「大分、臣下の扱い方に慣れてきておられるようですな、陛下」
謁見の間を出たバータルに、ムンフバトが声をかけた。
「ムンフバトか。何用だ」
「陛下、たまには私と剣の鍛錬でもしませんか?こう見えて私は剣術が得意なのですよ!」
「ほう、剣術か。面白い。受けて立とう」
2人は宮殿内の中庭に歩いて出た。
この広大な中庭からは、宮殿の建物全体を見渡すことができるが、ここに初めて来た者は、シネニイスルの宮殿が宮殿としては驚くほど小さいことに驚嘆する。
確かにシューネスラントの属国ですら、この宮殿よりは豪華な宮殿を有しているに違いない。シューネスラントの王宮などと比較するのは論外だろう。
この理由には先帝バヤルの「支配者の贅沢よりも民の生命を優先せよ」という精神もあるが、元々遊牧民族であるテラロド人は質素な生活に慣れているのだ。贅沢を好んでする訳でもない。
「どうぞ」ムンフバトがバータルに木剣を渡す。
「陛下、確か以前は乗馬弓術のほうが得意でおられたかと存じますが、剣の腕はいかほどで?」
「幼い頃から父上に厳しく仕込まれた。そう簡単には負けぬぞ」
「それは頼もしいお言葉!」
ムンフバトが一足先に踏み込み、鋭い突きを繰り出す。バータルはそれを難無く受け流し、態勢を整えて反撃へと転じる。木剣が打ち合い、乾いた音が中庭に響き渡った。
「中々の腕ではないか、ムンフバト。少し見直したぞ」
「ありがたき幸せ。ですが…陛下、まだまだ参りますよ!オラァ!」
言うが早いか、ムンフバトが再び剣を繰り出す。バータルは体を反らして避け、そのまま反転し、剣をムンフバトの肩にピタリと添えた。
「…む、むむむむ…これは痛快ですな!いやぁ、流石陛下!」
バータルは軽く息を吐きながら、剣をムンフバトに返す。「こうして体を動かすと、頭の中が少し澄むようだ」
「そうですな!政治よりも戦いの方がずっといい…そうでした、今夜、私の屋敷で、知己の者たちと酒宴を催すのですが、陛下もいらっしゃいませんか?」
「それは良い。是非参加させて貰おう」
こうして、大陸の情勢は、一時的なものであれ平静を取り戻しているかに見えた。
しかし、来たるべき動乱の足音が迫っていることを、この平穏が嵐の前の静けさであることを、誰一人として予測できずにいたのだった。
続く
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