【完結済】『咲いた花、そして空の鳥へ捧ぐ物語』

譚月遊生季

文字の大きさ
45 / 57
第三章 咆哮の日々

15. 籠の鳥

しおりを挟む
「あの、ルイ様……そろそろ出てきませんか?」

 ラルフがいくらノックしようが、ルイからの返事はなかった。
 兄の死を悼んでいるのか、それとも、重責を背負いたくないのか……。 

「……失礼します」

 気の進まないまま、扉を開く。
 背丈はラルフよりも高いが、ルイの中身は幼子のままだ。
 世の仕組みからは遠ざけられ、下手な知恵を見せれば殺される立場で、まともに成長できるわけもない。
 ……今も、自分の感情の処理だけで精一杯なのだろう。

「ルイ様、おはようございます」
 
 ルイは、既に起き上がっていた。
 ぼんやりと窓の外を見つめていた碧眼が、ラルフを映す。

「……ねぇ、ラルフ。エドガーは、どんなふうに死んだの?」

 漏れだした言葉には、なんの色もなかった。
 透き通るように現実味のない青さが、灰色の視線と交錯する。

「……父様は、満足そうに死にました。もう、お疲れだったのでしょう」
「そっか。……酷いなぁ」

 それはこちらも同じ気持ちだ、と、ラルフは拳を握りしめて、

「置いて逝くなんて、許してないのに」

 どきりと、鼓動が反転したような気がした。

「僕ね、何も教えてもらえなかった。教えてもらえなかったのに、みんなそれすらバカにして、まともに接してもくれなかった」

 色の白い指が、机の上の本を指し示す。

「……それ、エドガーと買いに行ったんだ」

 なんの啓蒙も、なんの宗教も、それらの中には含まれていない。
 ただの、つくり話物語の類。

「父様が……?」

 ジョゼフを疎み、評判に怯え、見栄を張った愚かな姿を思う。

「エドガーしか、僕のためになんか笑ってくれなかったんだよ」

 ──私のことは、遠慮なく父と呼んでくれていい

 脳裏に蘇る、親子となった日の言葉。
 そこに見栄や驕りはあれど、嘲笑や侮蔑などは含まれていなかった。

「僕と接するのは楽だって、言ってた。育てる責任を負わなくていいから……って」

 どれほど稚拙なごっこ遊びだったとしても、

「僕なら、余計な私情を挟まなくて済む……って」

 どれほど愚かな自己満足であったとしても、
 確かに、ルイは救われたのだ。

「……どうせ僕は、道具なんでしょ」

 言葉が返せない。

「伯爵なんかになったって、飾りみたいに偉そうにしてたらいいだけ。僕には何も期待してない……そうでしょ」

 否定もできない。
 青く澄んだ瞳が、ふいっと逸らされた。

「好きに使えばいいよ。……君、つまんないやつだと思うけど、別に嫌いじゃないし」

 滅相もない。道具などではない……と、見え透いた嘘をつく気にはなれなかった。その方が、不誠実にも思えた。

「ルイ様、あなたに重荷を背負わせる気は毛頭ありません。……ですが、私に従えとも言いません」

 銀灰色が煌めく。

「私ができる限りのことはします。あなたに多くは求めません。……それは、あなたが背負うことではない」

 それが冷酷なことであろうとも、ラルフの腹は決まっていた。

「ごっこ遊びのつもりでよろしいとでも、お考えください」

 凍てついた瞳が映す金髪と碧眼は、お伽噺のように輝いている。
 澄んだ瞳が映す黒髪と隻眼は、痛みを背負ってそこに在る。

「……兄さんみたいな顔してる。早死しそう」
「長生きしたいわけではありませんから」
「じゃあ僕、君のこと絶対好きにならないけどいい?」
「好かれようとも思いません」
「後から寂しいとか、悔しいとか思っても、絶対好きにならないよ?」
「……あなたに好かれなくとも、仕事はできます。ルイ様こそ好きになされば良いかと」
「ラルフ嫌い」
「なら、私が死んでも泣かなくて済みますね」

 いつの間にか溢れていた涙を指で拭い、ルイはまた一言、「嫌い」と呟いた。



 *** 



「あら、おかえり

 黒髪の女の言葉に、「ジョゼフ」は眉をひそめた。
 まだふらつく足取りをどうにか隠し、姿見の前に立つ。

「僕は団長じゃないよ。代理でしかない」
「そうかねぇ。あの舞台は、あんたでなきゃれないよ。みんな分かってんのさ、ジャン」

 長い黒髪にブラシを入れ、唇に紅を差す。

「あたしはあんたの舞台以外で、主役になる気はない」

 深い紺色の瞳には、確かな決意が宿っている。
 舞台女優コルネーユ。後にパリ全土に名を轟かせる、「悲劇の女」。

「……なんと言おうと、あんたはジャンだ。あたしの唯一無二の親友さ」

 革命派、ストーリーによっては反革命派に惨殺されるジョゼフ・アンドレア。その愛人として、数多くの悲劇がまことしやかに語られている。

「……コルネーユ、衣装の補修は終わったのか?」
「それならアルマンがやってくれた。……さぁ、胸を張って舞台に上がりな。お姫様も、それを望んでる」

 衣装に袖を通して舞台に向かう「ジャン」を見送り、コルネーユも支度を続ける。

「……何がお姫様よ。もう」

 物陰に隠れた金髪からは、赤い耳が覗いていた。
 
「あんたらがお互いに想いあってる……なんてのは、見てたらわかる」

 ケラケラと笑いながら、コルネーユは髪をまとめる。

「舞台の上じゃ寝取ってる気分になるもんでね。焦れったいったらありゃしないよ」

 スッと、女優は艶やかに、それでいて儚い微笑みを宿す。

「……見ててね、ソフィ。貴女の書くヒロインは完璧よ」

 彼女の歩んだ人生は、壮絶であれど悲劇ではなかった……と、後に劇作家アルマンソフィは書き残している。

「いいえ。貴女が完璧に演じてくれるからよ、コルネーユ」

 まあ、嫉妬しないわけじゃないけど……と、小声で漏らした本音には投げキッスで返し、女優は舞台に上がる。白いドレスを見にまとい、控えめに笑う乙女を演じるために。

「……赤いドレスも着せてみたいんだけど……観客のイメージは白い服か喪服なのよね……」

 兄を殺した想い人。その想い人と恋物語を演じる友。その姿に胸がちりりと痛むが、2人の演技の前には酔いしれるほかない。
 ここは、報われない現実を忘れ、夢中になれる場所なのだから。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

クロワッサン物語

コダーマ
歴史・時代
 1683年、城塞都市ウィーンはオスマン帝国の大軍に包囲されていた。  第二次ウィーン包囲である。  戦況厳しいウィーンからは皇帝も逃げ出し、市壁の中には守備隊の兵士と市民軍、避難できなかった市民ら一万人弱が立て籠もった。  彼らをまとめ、指揮するウィーン防衛司令官、その名をシュターレンベルクという。  敵の数は三十万。  戦況は絶望的に想えるものの、シュターレンベルクには策があった。  ドナウ河の水運に恵まれたウィーンは、ドナウ艦隊を蔵している。  内陸に位置するオーストリア唯一の海軍だ。  彼らをウィーンの切り札とするのだ。  戦闘には参加させず、外界との唯一の道として、連絡も補給も彼等に依る。  そのうち、ウィーンには厳しい冬が訪れる。  オスマン帝国軍は野営には耐えられまい。  そんなシュターレンベルクの元に届いた報は『ドナウ艦隊の全滅』であった。  もはや、市壁の中にこもって救援を待つしかないウィーンだが、敵軍のシャーヒー砲は、連日、市に降り注いだ。  戦闘、策略、裏切り、絶望──。  シュターレンベルクはウィーンを守り抜けるのか。  第二次ウィーン包囲の二か月間を描いた歴史小説です。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

処理中です...