その傷痕に口づけを

譚月遊生季

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2001年 春

2nd.

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 その夜は、雨が降っていた。
 窓を叩く雨粒の音がうるさくて、耳を塞ぎたくなる夜だった。



 姉貴がお袋を殺した。俺もそれを見ちまって、2人で家を飛び出した。
 ……言葉にしたら、たったそれだけのことだ。
 俺にばっかり冷たくて、俺ばっかり無視して、俺のことばっかり貶したお袋の死を、喜ばなかったといえば嘘になる。
 けど、それでスッキリできるほど非道にもなれなかった。

「……ロデリック、出かけてくるわ」

 姉貴はビジネスで忙しい。……自分の罪がバレる前に、なるべく力をつけておきたいのだと語っていた。
 お袋は、姉貴の大切な人を遊び半分で殺した。酔っていたから足を引っかけただけ……と、悪びれもせず語って、逆鱗に触れた。
 そんなことで誰かを殺せるお袋が、母親でも殺して、埋めてしまえる姉貴が、その血を引いてる俺が、恐ろしかった。
 ……兄貴のほうはまだ仕事で忙しいらしい。あの人と顔を合わせなくて済むのは、むしろ、嬉しかった。

 顔を洗いたくて、洗面台の前に立つ。……歳の割にずいぶんと老けた顔がそこにあった。目の下にはうっすらクマができているし、無精髭も伸びてきている。
 ……カッコ悪ぃなぁ、と、ちっとばかし思いはした。



 玄関のベルが来客を告げる。……姉貴の客かも知れないが、俺に応対なんぞはできない。
 と、思っていたら、家の電話がなった。

「……はい」
「ロッド。……玄関、開けて」

 懐かしい声だと、……大好きで、誰より聞きたかった声だと、電話越しでもわかった。
 アンドレア・ハリス。前の家で隣人どうしだった幼馴染で……俺の、義理の姉だ。
 ……ロジャー義兄姉貴の旦那さんが死んじまったから、今は、ただの幼馴染とも言える。

「……アン姉さん、どうして?」
「どうしてるかなって、気になった。……迷惑だった?」
「全然!……むしろ、その……会いたかった」

 アン姉さんは、訳あってローランドという名前をよく名乗っていたし、男性らしく振る舞うことも多かった。
 俺もほかの兄弟の前ではロー兄さんと読んでいたけど、二人きりの時にアン姉さんと呼ぶようになったのはいつからだったか。
 嫌かな、なんて気にしたこともあったけど……本人は気にせずに振舞っていたから、密かな遊びを続けられた。
 ……腐れ縁のロバート弟分と違う呼び方をしたかったってガキっぽい理由ではあるが、それだけ、俺はこの人のことを想っていた。

 ドアを開いて、迎え入れる。ハグして、頭の位置に驚いた。
 久しぶりに会ったアン姉さんは、少し小さくなっていた。……俺が大きくなったんだとはわかっているが、そう見えた。
 おおー、と、ちょっとだけ嬉しそうに見上げる姿を、可愛いなと思った。

「元気にしてた?」
「ん……。まあ……程々に」
「嘘ばっかり。顔がもう元気じゃないし」

 目尻を下げて、困ったように笑う。左目の泣きぼくろが、つられて下がる。
 ……相変わらず、綺麗だ。

「シャワー借りてもいい?」
「もちろん。ゆっくり浴びていいから」
「ありがとう」

 バスルームに向かう背中を見送る。
 ちょっとだけ横に広がった俺の身体とは違い、前より痩せて細くなった気がする。……少し、心配になった。

 ガキの頃から、ずっと、ずっと、アン姉さんのことが好きだった。
 4歳上のあの人にとっては、俺はもう1人の弟みたいなもんだってことも何となく理解してはいた。
 うちの兄貴のことが好きだって気づいて、諦めようとしたこともある。……けど、数年後、その兄貴と口論したり……殴られたり、首を絞められたり……独りで泣いていたりしたのを見て、上手くいっていないとは察した。

 ……結局、助けることもできないまま、姉貴に連れられて家を出た。
 俺に振り向いてくれるとか、くれないとかそれ以前に……幸せに笑ってくれそうにない現実が、何より悔しかった。



 バスローブとバスタオルを用意して、そそくさと自室に戻った。……あの細い身体に跳ね返るシャワーの音を聞くだけで、心臓が高鳴って顔が熱くなる。
 股間で例のブツも主張を始めていて、さすがにマジかよと思った。

 本人が帰ってくる前に抜いておこうと、竿を握る。……何度も想像した痴態を、いつものように頭の中で再生する。
 アン姉さんが、恥じらうように頬を染めて、それでも与えられる快感には嬉しそうに腰を跳ねさせて、もっと欲しいとねだる。……当然、妄想だ。見たこともない姿、聞いたこともない声を、想像だけで繰り返す。
 指で先端を擦り、上下に幹を扱く。……入れたことのないナカを懸想する。
 徐々に熱が昂って、欲がこみ上げる。

「……ッ、アン……っ」

 脳内で、抱かれる彼女が甘い声で「いいよ」と告げる。……早く出しておかないと。さすがにおっ勃てたまま、本人と会うわけにはいかない。
 ……だが、絶頂が間近になるより前に、ふわりと柔らかい感触が背中に当たった。

「……!?」

 思考が固まる。
 バスローブ姿のアン姉さんが、抱きつくよう俺の身体に手を回していた。

「……俺の名前、呼んでただろ」

 ……必死に感情を抑えたような口ぶりで、いつもみたいに男性的な口調で、彼女は腕の力を強める。
 そのまま、ほっそりとした指が、俺の亀頭を静かに握る。

「あ、え、えと、お、俺、アン以外じゃ抜けない、から」

 自分でも何を口走っているのか分からない。口から心臓が飛び出そうだ。

「……なぁ、ロッド」

 あたたかい吐息が耳をくすぐる。真っ白な頭に、甘い声音が染み渡る。……ゆっくりと手を上下に動かされて、どんどん絶頂が近づいてくる。

「もう、酒も飲めるんだっけ?」
「っ、あ、えっと……、ぅ、単独じゃだめ……だけ、ど、一応……っ、パブでは……の、飲める……」
「じゃあ……できるんだ。セックス」

 その言葉を飲み込むのに、時間がかかった。……惚けている間に玉をさすられて、呆気なく達してしまう。

「そっか」

 首筋に、ポタリポタリと生ぬるい雫が伝う。……泣いているんだと、すぐにわかった。

「ロッド」

 俺は、まだ知らなかった。
 彼女がどれほど思い詰めていたのか。……その細い背中に、何を背負わされていたのか。

「俺の身体、どうしたい?」
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