【完結済】敗者の街 ― Requiem to the past ―

譚月遊生季

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第1章 Rain of Hail

20.「敗者の街」

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 敗者の街と呼ばれる治安の悪い場所には、悪い噂がたくさんあり、負け組と呼ばれるような人間が集まっている。
 言ってみればそれこそが、都市伝説のようなものだった。

 どこかにあるような街の特徴に、マイナスイメージをつける。ただそれだけ。始まりが「架空の街」だとしても、やがては具体的な都市を思い浮かべる者、あの街のことだろうかと首を捻る者が現れる。
 架空だという前提を知らない者が増えていけば、その街は、実在の街に徐々にすり変わっていく。

 まあ、実際にこうして実在もしているけれど。



 ***



「……そうか。貴様の地方では「敗者の街」なのか」
「やっぱり、呼び方は違うの?」 
「俺が聞いたことがある似たような噂では、「迷い子の森」だな。森の中には村があり、その村は迷い込んだ人間が常に出口を求めて争っている。疑心暗鬼に満ちた、おぞましいその場所には「悪いことをしたら連れていかれる」……まあよくある類の話だ」
「確かに似てるかも。条件もこっちは「敗者」だけど、勝てば官軍の法則もあるし」
「キース・サリンジャーが左遷されたとされる街は、おそらくだが「噂の街によく似ている」という評判でもあったのだろう」
「なるほどね」

ㅤ情報交換は滞りなく進む。
 当たり前だけど、地方によって都市伝説の形は違う。
 僕は「敗者の街」の噂とこの街を結びつけたけど、レヴィの方は特にこの現象に名前をつけていたわけじゃなかったようだ。
 彼の国籍はドイツらしい。そして僕の国籍はイギリス。本来なら、めぐり逢うこともなかったのかもしれない。
 話し合う2人の声色に不安や恐怖の色はなく、僕が探してきた情報をレヴィは冷静に分析している。

「でも驚いたよ。自分の記憶がおかしくなるなんて」
「……少し楽しんでいないか?」
「うん、今はちょっと楽しい」
「……やはり呑気な奴だな……」

 呑気だ呑気だとさっきから言われているけど、こんな状況を味わえる人なんかめったにいない。怖くもあるけど、怖がるよりは楽しみたい。
 けれど、

「じゃあ、質問。君はどうやってロッド兄さんにメールを送ったの?」
「……は?」

 その瞬間の空気は、凍ったというより、ヒビが入ったという方がふさわしかった。

「俺が……?」
「うん、送信者名に表示されてたって」
「……俺の名を騙った誰かではないのか?」

 明らかに動揺するその声には、わずかに不安の色があった。

「……キースは、レヴィくんのことを知ってたみたいなんだ」

 更に、そう告げてみる。

「俺の、ことを……?」

 その反応こそが、ある事実を示していた。

「君もなんだね」

 記憶の改変は、僕以外にも行われている。

「……君は、「レヴィくん」で間違いないの?」

 だとすれば、彼にも「レヴィという名の別人の記憶を持った誰か」という可能性は十分にある。そこは確認しておきたかった。

「……そこまで頭が回るなら、大丈夫そうかもしれんな」

 張り詰めていた空気が、少し緩んだ。
 ……あ、思ったより警戒されてたんだ、僕。

「一応、俺には身分を証明できる手段がある」
「え?そんなのあるの?免許証とかならほかの人のでも」
「……貴様には、兄がいるだろう?しかも「街の外にいる協力者」までいる。自分だけでなく他者から身分が保証されることは、この街においてかなり重要となる」
「……でも、それは本人のことをよく知ってないとダメじゃないのかな」

 濁したいことなのはわかっていたけど、あえて踏み込んだ。
 協力できる相手だと、向こうは何となく感じているらしい。
 なら、あと一押しだ。

「……医者によくかかっていると、カルテがやたら細かくなるものでな。福祉の関係でも、かなり身分証明になる」

 苦虫を噛み潰したような顔で、彼はそう言った。

「医者によくかかるんだ」
「ああ、見えないかもしれんがな」 
「え?顔色すっごく青白いし、頭痛持ちっぽいし、納得はしたけど?」
「…………頭痛よりは胃痛の方が多いがな」

 あれ?何今の間。また何か無神経なこと言ったかな?

「言っておくが、普段から食事運動睡眠には十分に気をつけている。だから決して生活習慣の問題ではない」
「……レヴィくんって、神経質ってよく言われない?」
「……!?」

 いや、そんな「なぜ分かった!?」みたいな顔しなくても。
 ……やっぱり変わった人だなぁ。

「本棚の本の高さとか絶対揃えるでしょ」
「むしろ、揃えなくても平気なのか貴様は」
「全然平気」
「分類はするだろう?小説と一緒に実用書は」
「置くけど」
「……ホコリは3日に一回は掃除で除去」
「しないよ」
「……そうか……」
「というか、3日に一回掃除する人って、もはや掃除が趣味か何かじゃないかな?」
「……掃除は、楽しくないのか?」
「あっ、趣味だったんだ。……なんか、ごめん」

 ……結構変な人だけど、真面目だし信用もできそうかもしれない。
 情報を整理するのも上手そうだし、協力関係はこの先できるだけ保持しておくべきかもしれない。
 あ、まだ聞いておきたいことがあったんだった。

「ロー兄さんのことは、なんで様付けだったの?」
「……何となくだ。というかうっかり言ってしまってなかなか治らないだけだから気にするな。……だがな」

 気まずそうにそこまで言って、彼は顔を曇らせた。……流石に、そんな表情をされる心当たりはある。

「……あまり同情しすぎるのは良くないだろうが、兄を大切にしろ」
「……分かっては、いるんだけどね」

 彼があんな形で存在しているのは僕たちが甘えているせいだと、本当はよくわかっている。時々うっかりしているし、ぼんやりした人だけど、幽霊になってまで僕らの面倒を見てくれるのは……それほど、心配しているからなんだと思う。
 だからこそ僕は、「もう大丈夫だね」と言われるような人間にならなきゃいけないんだ。



 そんなことを話しているうちに、日が暮れてきた。
 流石に夜出歩く勇気はないから、すっかり氷の溶けた紅茶を飲み干す。

「じゃあ、今日はここら辺で」
「……ロバート」
「ん?何?」

 立ち去ろうとして、真剣な声色で呼び止められた。
 彼の口から躊躇いがちに飛び出した名は、

「……ロジャー・ハリスは、どんな男だった?」

 震える声。翡翠の瞳は不安そうに揺らぎ、風が柘榴のような色の長髪を揺らした。

「……嫌味でムカつく、偉そうな奴だよ。優しい言葉なんかほとんどかけられたことない」

 きっと、ロジャー兄さんは、彼にも何か迷惑をかけたのだろう。
 そう思って、苛立ちを吐き捨てたのに、

「……そうか。そちらがロジャーか」

 そう言った彼は、なぜか心の底から安堵したような表情をしていた。



 もしかしたら、兄さんたちのことを本当の意味で知らなかったことが、
 いや、知ろうともせずに生きていたことが、
 僕の、最大の罪だったのかもしれない。
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