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第4章 Save and Live

64.「過ぎ去りしもの」

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 遠目に「寂れた医院」が見える湖畔。……ブライアンの領域に僕達はいる。
 澄み渡る湖畔、芽吹く新緑、座り込む僕達。そして僕の隣にはさっき取れてた頭をさすってる画家。やっぱり落ちると痛いんだ……。

「さて、運良く協力者も集まった。作戦会議と行こうではないかね」

 ……と、顔の半分を骨で覆い隠した……違う、顔半分の骨が丸見えな英国軍人は語る。

「まずは、状況整理だ。……それぞれの目的を明らかにし、同盟関係を確認する」

 骨の指先が、僕を指差す。
 レヴィくんの視線がこちらに向く。カミーユさんはスケッチブックを取り出し、ブライアンはその隣で大人しく膝を抱えて座っている。
 こうして見ると、ブライアンの身体の大きさが際立つ。カミーユさんと比べて頭一つ……ほどじゃないけど、身長も高かったし……。

「ロバート。お前の目的は分かりやすくシンプルだが、具体性に欠けている。「物事を知る」段階からそろそろ先に進みたまえ。変革を望むのであれば、具体的なプランの提示がなくては判断に困るのだよ」

 めちゃくちゃ正論すぎてムカつく。

「まだない。……けど、折り合いをつけて未来に進むのに時間がいるのは分かった。それまで、取り返しのつかない事態だけは防ぎたい」

 僕にできることは限られている。
 そんなことは分かっているし、下手に動けば足を引っ張りかねない。
 ……さっきのことで、もうよく分かった。

「ふむ、時間稼ぎ……というわけかね。確かに、お前の実力ならばそれが妥当だろう」

 本当にいちいちムカつくんだけどこの人。

「でも大事じゃない?時間稼ぎ。僕らに時間が必要なのに違いはないしさ」

 カミーユさんのフォローが胸に沁みる。この人、やっぱり優しいんだよな……。

「ロバートくん、護身用ナイフすら持ち歩かないとこあるけど……ポテンシャルはまあまあ高そうだし」

 余計な事言わなくていいから。

「ロバートの交渉術、および世渡りの上手さに関しては私も認めている。この肉体の記憶なら共有されているからな」

 腕を組み、半分だけ骸骨の顔がうんうんと縦に揺れる。
 ……認められて嬉しい、とか絶対言いたくない。

「まあ、手早く済ませてよ。今、ここしか言語機能通じてないんだよね。レオあたりが悲惨なことになるかも」

 ……えーと、ブライアンがこの街で言語をどうにかしてるんだっけ。それぞれ、権限?みたいなものがあるんだったかな。

「ふむ……。兎も角、君たち兄弟にも聞いて構わないかね?」
「目的、そんなに変わらないんじゃない?過去の精算、未練の解消……そんなところでしょ?」
「そこまで後ろ向きなものかね。私は復活も目論んでいる」
「ふーん、いいんじゃない?野心家っぽくて」

 ……カミーユさん、話している時に絵を描くのはやめた方がいいんじゃないかな。

「……兄さん」
「んー?どうしたの?」
「兄さん、たちは……えと、」

 しどろもどろになりつつ、ブライアンは言葉を紡ぐ。
 普段以上にどもりながら、つっかえつっかえ話している。

「う……」
「話しやすい言葉でいいよ。通じるし。……あ、日本語……あれ日本語かな……?はやめて。通じてるのによくわかんない」
「……えと……復活、目指さない……の?」

 泣きそうな声にも、思えた。

「美学に反するし、僕は嫌かな」

 即答だった。
 ……ブラコンだと思ってたけど、案外、弟への接し方は冷たい。
 そっか……と頷いて、ブライアンは黙りこくった。

「美学……とはまた違うが、俺も似たような意見だ。新たに理を乱しかねないと考えれば、リスクが高い。同盟関係は「解決策の把握」までと考えた方が堅実だろう」

 片膝を立てて座っていたレヴィくんが、ブライアンの肩に軽く手をやり、冷静に語る。

「なるほど。……それがお前達の決めたことなら、私からは何も言うことはない」

 ロジャー兄さんは複雑そうに、それでもしっかりと頷いた。
 ブライアンは意を決するよう立ち上がり、湖の方に歩き出した。レヴィくんも見守るよう後に続き、湖面を覗く。
 ……僕には何も見えないけど、わかる人にはなにかわかるのかな。

「ロバート。確か、霊感があると言っていたな」
「え?あー、うん。あるけど……」
「ならば、お前も感知できるだろう。……よく目を凝らせ」

 レヴィくんに促され、僕も湖面を覗く。
 水面に揺らぐ、茶髪に碧眼。……その奥に、何かの姿。
 ……動いてる……?

「ダメよ、こうするの」

 あれ、この話し方どこかで聞
 いや待って突然顔面を水に付けるのやめて!!あっ、親指が右耳掴んでる!左手だ!!!ノエル!?ノエルかな!?

「大丈夫だロバート君。なんたってカミーユですらこれで一度も死んだことがない。……いや、カミーユを比較対象にするのは問題があるか。まあ大丈夫だろう!たぶん!目を凝らしてよく見るといい」

 これはサワさんかな!?
 いやでも、殺し慣れてる手のような気がするんですが!?
 っていうかそもそもジャック・オードリーは殺人鬼じゃ

「余計なこと考えないでさっさと見なさい。殺すわよ」

 殺る気満々じゃないかなこれ!?
 ……あれ、でも本当だ。何か見える──



 ***



 サングラスの男は腕を組み、思案していた。
 正確に言えば、組んだような格好をしていた。隻腕を組むことはできないが、身体に染み付いた癖があるのだろう。

 隣では金髪の男と黒髪の少年が話している。
 いかにも息ぴったりなやり取りだが、それが繰り返されるたび金の瞳に困惑が増していく。

 わからねぇ……。

 傍から見ても、いくらポーカーフェイスでも、何が言いたいのかわかる表情。冷や汗がたらたらと顎を伝い、タバコの灰が落ちかけている。
 下手に手の内をさらけ出せばまずい、と、本能で感じているのか、あえて何も言わず成り行きを眺める。
 黒髪の男にとってもそれは同じだった。南部訛りの強いイタリア語も、地方訛りの滲むドイツ語も、彼の理解できる言語ではない。

「Adolf」

 隙をついた、と言うべきか。
 男の口から、知己の名を呼ぶように紡がれた言葉があった。
 ぎょっと、そちらを向くアドルフ。のヘーゼルの瞳がじわりと色濃くなる。

「das gift」

 呻くように、

「das Gift」

 それだけ繰り返し、自らの胸に手を伸ばす……が、手はそのまま空を切り、上に挙げられた。

Sorry悪いI lost it失くした

 怪訝そうに眉をひそめ、アドルフは一言「Ichはあ verstehe了解っす」と告げた。

 レオナルドは意にも介さず、気さくな態度で語り続けている。
 レニーの態度からは、彼らの思惑は読み取れない。
 会話の流れか、それとも意図してか、流れるようその言葉は紡がれた。

「マダ ツヅケロ」

 と。



 ***



 水から、ようやく顔を上げる。
 ……なんでロッド兄さんがあそこにいるんだろう、と考える間もなく、ブライアンの険しい顔に気付く。

「……えと、ロデリックさん、こっちに連れてこられた……って」
「あー……それはまずいね。外との関わりが絶たれたってことだし」

 ブライアンの言葉に、カミーユさんも気難しい表情になる。左腕にうっ血した痕があるのは見ていないことにした。
 レニーが、会話に見せかけてブライアンに事態を伝えた……ってことで良さそうだ。

「あと、言葉、まだ……戻すなって」
「……ふーん?サワ、どう思う?」

 首を捻りつつ、カミーユさんは1人でブツブツ話し出す。

「濡れた髪をどうにかしろ。風邪を引く」

 レヴィくんがため息混じりに告げる。
 あたりを見回し、おもむろに服を脱……え、何してるのこの人!?

「えっ、ちょ、えっ」
「拭くものがないからな。せめて1枚着ろ」

 脱いだワイシャツを事も無げに差し出す。
 下にTシャツを着ていたとはいえ、その……胸の形が、まあ、わかる。

「あ、ありがとう。でもレヴィくんが着てて」
「……そうか。……?なぜ赤くなっている」

 答える代わりに、そっと顔を逸らした。

「……ロー?どうした」

 ロジャー兄さんの言葉が、やけに響いて聞こえた。

「そうかね、私が伝えよう。……今は、無茶をするな」

 痛みに苛まれた、あの叫びを思い出す。
 ……「殺してくれ」と、僕に縋るほどの、激しい苦痛……。

「……なんで、そこまで痛むのかな」

 カミーユさんが、ボソリと呟いたのも聞こえる。
 ロジャー兄さんは何か言おうとして、一瞬だけ口を噤んだ。

「……ローからの伝言だ。ドイツ・ミュンヘンにリヒターヴァルトという街があるのを知っているかね」

 カミーユさんの質問には答えず、本題に入る。
 レヴィくんの表情が、サッと青ざめた。

「リヒターヴァルトの療養施設に、エリザベス・アダムズは重篤な患者として入所していた。……何かの拍子に波長があってしまったローランドは、苦痛のあまり彼女の無念に同調してしまい、完全に正気を手放した」

 レヴィくんの母親でもある、「赤毛の娼婦」……エリザベス。この場所においてはかなりの重要人物だと、僕も察している。

「……既に擦り切れていたのもあるが、付け入られたことにより、私の弟は本来関係のない「祈り」および「呪い」の中核に触れてしまうこととなった。「敗者の街」と「迷い子の森」が接続した……とも言えるだろう」

 日常に潜んだ都市伝説と因果応報を語るおとぎ話が結びつき、この土地は生まれた……のかな。ロー兄さんが仲介役になっていたのか……。

「……なるほど。誰かがリヒターヴァルトに向かえるのなら、ロデリックに頼らなくとも、との結び付きが強まるかもしれない……か」

 箱庭を望んだのは母さんだからな……と、レヴィくんは静かに呟いた。
 ブライアンが、きゅ、とこぶしを握り締めたのも視界の端に映る。

「そうなると、アドルフかグリゴリー、ローザ……土地的に近そうなのはアドルフかな」

 携帯電話を取り出し、カミーユさんはメールを打つ。

「やっぱり、ロデリックくんには送信できないね……」

 一応、試したらしい。……大丈夫かな、ロッド兄さん。
 あの人、自分から動くの苦手だし……。



 ***



 リヒターヴァルトの療養院……森林に囲まれたそこは、いわゆる終末期医療や心理療法、リハビリテーションのための治療施設だった。

 ──死んだ方がマシだと思った

 ロデリックの追求に、ナタリーはそう語ったらしい。

「問い合わせしたサーラ・セヴェリーニだけど。話、通ってるかい?」

 見学、と称して中に入る。こういう時、投資家の名前は役に立つ。ロデリックとは駅で待ち合わせしてあるが、着くのはもっと先になるはずだ。
 ベージュの白衣に連れられ歩くうち、庭園に出た。庭先の階段に、花が添えてある。

「これ、なんだい?」

 案内人に尋ねてみた。
 説明書きのドイツ語はわからないが、英語ができる相手を指名してある。

「去年の……春先でしたか。足を踏み外し、亡くなった女性がいて……」

 なんでも紛争地域出身だったから、不憫に思った奴らが多かったんだとか。
 ……不憫に思われて大袈裟なほど祀られるのが、良いことなのか悪いことなのか、あたしにはわからない。
 忘れ去られていく弟……アンジェロのことを思うと、少しばかり羨ましくはあった。

「あそこの病室に意識不明の患者がいまして、容態を見に行った看護師が……」

 事細かに説明してくれるけど、今知りたいのはそいつの話じゃない。

「……そう言えば、知り合いのが入院してるのもここだったかねぇ」

 さりげなく切り出してみる。

・ハリス……だったか。ひどい事故にあったらしくてさ」
「……ああ、それがあの病室の患者ですよ」

 さっき、意識不明っつってたね。そういや……。
 献花に踵を返し、奴さんと対面に向かう。
 誰が送ったのか、簡易な碑が目に入る。Elizabeth……という有り触れた名前が、なぜか気になった。
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