75 / 92
第5章 After Resounding Requiem
71. 帰還
しおりを挟む
視界の端で、赤毛の男がエリザベスに手を差し伸べている。
……その手を振り払い、エリザベスはふらふらと立ち上がった。
「俺は、どうすればよかったかな」
「そんなもの……私に聞かれても、わからない……」
ほとんど掠れ、それでも必死に伝えようと紡がれる男の声。
無念と後悔に彩られ、それでも涙を懸命に飲み込む女の声。
「エリー、生きたかったんだよな」
「……わたしは、穏やかで、平凡な生が欲しかった。ただ、それだけだった……」
そんな会話を交わしているのも聞こえた。
ロジャー兄さんの気配がふっと揺らぎ、俺も意識が遠くなる。
「なるほど、これがロジャーの……。しかも、2匹ほど可愛い魂を飼っている。……なかなか良い物件だね」
完全に身体を覆い、ゲス野郎がロジャー兄さんの口で語る。
言い方に鳥肌が立った。肉体の感覚はないけどそれだけは間違いない。純粋に気持ち悪い。
コルネリスが俺を更に隠した感覚がある。ありがとう、案外紳士だな。でもその人男でも食うぞ。
「悪がどうして悪と呼ばれるか、教えてあげよう」
聞いてもいないのに語り出しやがった。
「自分本位に世界を見、なおかつ他者への還元を一切考えないからだ。一種の独占欲の塊だよ」
つまり、利益を個々が独占できなければ、彼らは怒りを持て余す……と、つらつらどうでもいいことを語りながら渦巻く思念に手を伸ばす。
何がそこまで楽しいのかわからないくらい、嬉々としつつ協力してくる。珍しい。
「こういう場合、大抵は善行を積めば咎も軽くできるだろう?」
さすが腐れ外道。抜け目がない。なんで俺は一度でもこんなのに惚れた時期があったんだろう。
「……まあそれはそうとして、集合体だと言うなら、共食いさせるのが一番効率がいい」
あいつが触れた指先から、塊に泥が流れ込む。急速に、軍服姿の肉体が骨に戻っていく。
……たぶん、例の甘い言葉で誘惑でもしに行ったんだろう。
塊の動きがピタと止まる。悶え苦しむような哭き声とともに、自壊が始まる。
……ちらと視線を戻すと、赤毛の男は褪せた金髪の男にすり変わっていた。
「よーし兄弟!今だ!死んだやつ全員押し込め!」
「よく分かんねぇけど分かった!」
レニーの合図で、レオナルドがロジャー兄さんごと塊に飛び蹴りを食らわせる。「ぐえっ!?」と間抜けな声を上げ、ロジャー兄さんの胴体が二つに分かれる。……どっちの声だ、今の。
というか、乱暴すぎるだろ。
「とと、嬢ちゃんはこっちな?」
「……誰が嬢ちゃんだ、誰が」
本能的に命に惹き付けられたのか、レオナルドの方に吸い寄せられる感覚。……仕方なく、しがみついて様子を見る。
「……オレら以外全員死んでっからな、ここでお別れだ」
エリザベスが何事か呟くと、見えない壁ができる。……しっかりと、「断絶」を感じた。
向こう側で、レニーがにししと笑う。
「じゃあな、兄弟。楽しかったぜ」
「……サーラちゃんと会わなくていいのかよ」
「未練はそろそろ断ち切りなって伝えとけ。俺好みの人妻になったら地獄の底からでも夜這いに行ってやるかも……とも、な」
「レニー、お前の好みって熟女じゃなかったっけ」
「バカ野郎、何でどうでもいいことは覚えてんだ」
和気あいあいと語りながら、双子は別れの挨拶と思えない気楽さで語り合う。
ロジャー兄さんはほとんど骨だけになりながら、こちらを見つめていた。
「……なにか伝言はない?ロブか、ロッドか……義姉さんにでもいいけど」
「何も言うことはない。……ああ。一つだけある。ロデリックと式を挙げるなら、私の葬式をした教会は辞めておけ。あそこは棺桶の扱いが雑だった」
「クソほどお節介な口コミありがとう。……参考にする」
意識が光に溶けていく。あちら側で、思念の塊がばらばらと解けていくのが見えた。……コルネリスがようやく真っ当に「悪」を捌いているのが、目に浮かぶようだった。
意識が……肉体が、痛みを訴えている。
ぽたりと、頬に熱い雫が落ちたのを感じる。
「……ただいま」
涙の溜まった、ヘーゼル……いや、ライトブラウンの瞳と目が合う。
「髭、ちゃんと剃れって言ったろ」
「……ッ、うう……」
ずき、ずき、と身体は痛み続けるけれど、久しぶりに重なった鼓動が心地良くて、どうでも良くなった。
「……ロッド。直接、会いたかった。こうして話したかった」
兄でも、姉でもなく、アンドレアとして、この温もりに包まれたかった。
「アン、ごめんな。苦しい思いさせて……助けて、やれなくて……」
ロッドは俺を抱きしめて、情けなく泣いた。
ベッドが斜めに傾いていて良かった。身体の動かし方を忘れて、起き上がれない。
「こっちこそ、ごめん。……変なことに巻き込んだ」
「そんなのいいよ!全然いい……!むしろ、もっと早くても良かった……!!」
抱きしめる腕は震えている。優しくて、頼りなくて……愛おしかった。
***
「ロバートくん、これからどうすんの?」
グリゴリーの言葉に、すぐには返答できなかった。
「……レヴィくんの手助け、できないのかな」
「あー……あいつ、茨の道の方選んじゃったんだっけ……?」
イオリちゃんの方に尋ねつつ、グリゴリーは気まずそうに腕を組んだ。
「……闇に堕ちるでもなく、ちゃんとした意志でそっちを選べたのはすごいけど……でも、やっぱ一人じゃ大変かも……?」
珍しく、イオリちゃんの表情も曇っているように見えた。
メールの着信音が響く。ガタタッと音を立て、イオリちゃんとグリゴリーも画面を覗いてくる。
ローザ姉さんは苦笑しつつ、薬指のリングを撫でていた。
『ロバートくん、メールありがとう。……君のそういう優しさが、レヴィくんの背中を押したんだね』
簡素に綴られる言葉。……時々、空白や文字化けが目立つけど、何とか読める。
『彼の憎しみは消えない。……だけど、彼は人の善性も信じた。矛盾しているように見えるけど……彼は、世界を愛してもいるから』
「1人で、大丈夫なの?」と、そう、送る。
『「そばにいたい」の間違いじゃなくて?』
図星を刺された。もう表情は見えていないはずなのに……。……いや、見えてるのかな?もしかして。
『1人じゃないよ。まだ「贖罪」が必要な罪人もいるし。……ノエルはそっちだし、後で呼びつけられる……って、ぼやいてた』
あ、なるほど、とイオリちゃんが声を上げた。
「レヴィさんの目的は、破綻するほど溢れ出した負の感情の整理。……だから、仕事も一応ちゃんと終わりがある。人手もあんなら、まあ問題ない……かも……?」
「……無理は、して欲しくないな」
ピロリ、と、メールの着信。
『エリザベスさんが無理させないでしょ。あの人、ロナルドあたりと接触したら割と正常化するし。ロナルドもエリザベスさんの能力には弱いし』
何その、マイナスとマイナスかけたらプラスになる現象。知らなかったんだけど。
「あー……赤毛の娼婦……の噂、そういうことか……」
グリゴリーのぼやき。ああー……なるほど……。あの人が形を保てなくなり、コソコソ影で動く羽目になったのって……。
「……まあ……10代前半が一番好みとはいえ……守備範囲、そこそこ広いものね……。……それにしても、しぶとい人ねぇ……」
姉さんが呆れたようにため息をつく。
……アンダーソン家って、変態しかいないのかな……。
まあ、ロッド兄さんはそうでもない気はするけど。
『ロバートくん、そこ、ケベック・シティだよね』
「え? あ、そっか、この医院から外はそうなるんだ……」
『きっと、もう入口は閉ざされる。君もロンドンに帰れるよ。……だから……
最後に、モントリオールのブリーズ・ジャルダンに来て欲しい。
場所は、ブライアンに聞けばわかるから。
Camille-Chrétien Barbier』
そのメールを最後に、カミーユさんからの返信は途絶えた。
ロッド兄さんからもメールが届く。……ロー兄さん……いや、「アン姉さん」の目が覚めた、という報告だった。
……眠っているブライアンに目を向ける。
「悪いなんて、思わなくていいのよ。むしろ、その方が侮辱にもなるわ」
ローザ姉さんに釘を刺されて、邪念を振り払う。
死者はあるべき場所に還り、生者はあるべき日常に帰る。
……ただし、例外を除いて。
僕には、まだやるべきことがある。
***
「……早く起こしすぎたら、あっちの役目が途中になるかもって……アドルフが……」
「……うん、ちゃんと終わったよ。ありがとう、ロッド」
手を握って、彼女が自分から目覚めるのを待っていた。……どうやら、何とか区切りはついたらしい。
前より痩せて髪も伸びて、でも相変わらず愛嬌がある。色気なんか、むしろ増した気さえする。……なんて、ぼうっと見蕩れていたらデコピンされた。
「ロッドだけ?」
「……まあ……今は……」
額を押さえつつ答える。さっき、サーラがアドルフを引きずって廊下に出ていったことは隠した。
「……ロー兄さん、俺は、あの日々に戻ろうとは思ってない」
「うん。……それで?」
あの日々は、終わらせなければいけない。
とっくに終わった時間は、過去にしなくてはいけない。
だから、
「新しく、その……別の、家族になろうと思う」
きょと、と、アンは目を見開いた。
左目の泣きぼくろが、じわりと滲んだように見える。
「……馬鹿だな。ほんと馬鹿だ。こんな身体で、もう若くもないのに……子供だって、産めるかどうか……」
「アンこそ、馬鹿なこと言うな。……ほかの誰かでいいなら、とっくに恋人なり婚約者なり作ってる」
隣でアンが笑ってくれるなら、
この温もりが、傍らにあるのなら、
……それ以上に、幸せなことなんてない。
「……俺の書いた話、読んでくれてた?」
「読んでたよ。……意識はぼんやりしてたけど、童話くらいなら読めた」
「…………あの主人公……俺と、アンの子どものつもりで書いてた」
あの雨の日の夢を、何度も、何度も繰り返し思い返した。
そのうち、妄想の中で子どもが生まれて育った……つったら、引かれるよな、さすがに。
「ああ、産ませたんだ。思春期によくあるやつ?」
……普通にバレるあたり、この人に隠し事は無駄らしい。
ダメだ。顔から火がでそう。向こうが恥じらってないのが余計に恥ずかしい。
「……そこまで思ってくれてるなら、遠慮する方が野暮かな」
照れたように微笑んで、アンは、まだ上手く動かない腕をこちらに伸ばす。俺の方から近づくと、痩せた指が唇をなぞる。
「愛してる」
顔に血が上りすぎて、何がなにやらわからなくなってきた。
「あっ、えっと、……俺も、その、25年くらい前から好きでした……」
「知ってる。15年前、ベッドの上で散々聞いた」
「えっ、俺ちゃんと好きって言ってた!?」
「ばっちり言ってた。アン以外じゃ抜けないとも言ってた」
ちくしょう。若い時の俺を殴りたい……。
つつ、と、手のひらが頬を覆う。……すぐに意図を察した。
「……き、キス、しても、いいですか……?」
「どうぞ」
いたずらっぽく笑う口元に、恐る恐る唇で触れる。
……ドアの隙間から写メを撮るサーラと、止めようとしつつガン見してるアドルフのことは見なかったことにした。
……その手を振り払い、エリザベスはふらふらと立ち上がった。
「俺は、どうすればよかったかな」
「そんなもの……私に聞かれても、わからない……」
ほとんど掠れ、それでも必死に伝えようと紡がれる男の声。
無念と後悔に彩られ、それでも涙を懸命に飲み込む女の声。
「エリー、生きたかったんだよな」
「……わたしは、穏やかで、平凡な生が欲しかった。ただ、それだけだった……」
そんな会話を交わしているのも聞こえた。
ロジャー兄さんの気配がふっと揺らぎ、俺も意識が遠くなる。
「なるほど、これがロジャーの……。しかも、2匹ほど可愛い魂を飼っている。……なかなか良い物件だね」
完全に身体を覆い、ゲス野郎がロジャー兄さんの口で語る。
言い方に鳥肌が立った。肉体の感覚はないけどそれだけは間違いない。純粋に気持ち悪い。
コルネリスが俺を更に隠した感覚がある。ありがとう、案外紳士だな。でもその人男でも食うぞ。
「悪がどうして悪と呼ばれるか、教えてあげよう」
聞いてもいないのに語り出しやがった。
「自分本位に世界を見、なおかつ他者への還元を一切考えないからだ。一種の独占欲の塊だよ」
つまり、利益を個々が独占できなければ、彼らは怒りを持て余す……と、つらつらどうでもいいことを語りながら渦巻く思念に手を伸ばす。
何がそこまで楽しいのかわからないくらい、嬉々としつつ協力してくる。珍しい。
「こういう場合、大抵は善行を積めば咎も軽くできるだろう?」
さすが腐れ外道。抜け目がない。なんで俺は一度でもこんなのに惚れた時期があったんだろう。
「……まあそれはそうとして、集合体だと言うなら、共食いさせるのが一番効率がいい」
あいつが触れた指先から、塊に泥が流れ込む。急速に、軍服姿の肉体が骨に戻っていく。
……たぶん、例の甘い言葉で誘惑でもしに行ったんだろう。
塊の動きがピタと止まる。悶え苦しむような哭き声とともに、自壊が始まる。
……ちらと視線を戻すと、赤毛の男は褪せた金髪の男にすり変わっていた。
「よーし兄弟!今だ!死んだやつ全員押し込め!」
「よく分かんねぇけど分かった!」
レニーの合図で、レオナルドがロジャー兄さんごと塊に飛び蹴りを食らわせる。「ぐえっ!?」と間抜けな声を上げ、ロジャー兄さんの胴体が二つに分かれる。……どっちの声だ、今の。
というか、乱暴すぎるだろ。
「とと、嬢ちゃんはこっちな?」
「……誰が嬢ちゃんだ、誰が」
本能的に命に惹き付けられたのか、レオナルドの方に吸い寄せられる感覚。……仕方なく、しがみついて様子を見る。
「……オレら以外全員死んでっからな、ここでお別れだ」
エリザベスが何事か呟くと、見えない壁ができる。……しっかりと、「断絶」を感じた。
向こう側で、レニーがにししと笑う。
「じゃあな、兄弟。楽しかったぜ」
「……サーラちゃんと会わなくていいのかよ」
「未練はそろそろ断ち切りなって伝えとけ。俺好みの人妻になったら地獄の底からでも夜這いに行ってやるかも……とも、な」
「レニー、お前の好みって熟女じゃなかったっけ」
「バカ野郎、何でどうでもいいことは覚えてんだ」
和気あいあいと語りながら、双子は別れの挨拶と思えない気楽さで語り合う。
ロジャー兄さんはほとんど骨だけになりながら、こちらを見つめていた。
「……なにか伝言はない?ロブか、ロッドか……義姉さんにでもいいけど」
「何も言うことはない。……ああ。一つだけある。ロデリックと式を挙げるなら、私の葬式をした教会は辞めておけ。あそこは棺桶の扱いが雑だった」
「クソほどお節介な口コミありがとう。……参考にする」
意識が光に溶けていく。あちら側で、思念の塊がばらばらと解けていくのが見えた。……コルネリスがようやく真っ当に「悪」を捌いているのが、目に浮かぶようだった。
意識が……肉体が、痛みを訴えている。
ぽたりと、頬に熱い雫が落ちたのを感じる。
「……ただいま」
涙の溜まった、ヘーゼル……いや、ライトブラウンの瞳と目が合う。
「髭、ちゃんと剃れって言ったろ」
「……ッ、うう……」
ずき、ずき、と身体は痛み続けるけれど、久しぶりに重なった鼓動が心地良くて、どうでも良くなった。
「……ロッド。直接、会いたかった。こうして話したかった」
兄でも、姉でもなく、アンドレアとして、この温もりに包まれたかった。
「アン、ごめんな。苦しい思いさせて……助けて、やれなくて……」
ロッドは俺を抱きしめて、情けなく泣いた。
ベッドが斜めに傾いていて良かった。身体の動かし方を忘れて、起き上がれない。
「こっちこそ、ごめん。……変なことに巻き込んだ」
「そんなのいいよ!全然いい……!むしろ、もっと早くても良かった……!!」
抱きしめる腕は震えている。優しくて、頼りなくて……愛おしかった。
***
「ロバートくん、これからどうすんの?」
グリゴリーの言葉に、すぐには返答できなかった。
「……レヴィくんの手助け、できないのかな」
「あー……あいつ、茨の道の方選んじゃったんだっけ……?」
イオリちゃんの方に尋ねつつ、グリゴリーは気まずそうに腕を組んだ。
「……闇に堕ちるでもなく、ちゃんとした意志でそっちを選べたのはすごいけど……でも、やっぱ一人じゃ大変かも……?」
珍しく、イオリちゃんの表情も曇っているように見えた。
メールの着信音が響く。ガタタッと音を立て、イオリちゃんとグリゴリーも画面を覗いてくる。
ローザ姉さんは苦笑しつつ、薬指のリングを撫でていた。
『ロバートくん、メールありがとう。……君のそういう優しさが、レヴィくんの背中を押したんだね』
簡素に綴られる言葉。……時々、空白や文字化けが目立つけど、何とか読める。
『彼の憎しみは消えない。……だけど、彼は人の善性も信じた。矛盾しているように見えるけど……彼は、世界を愛してもいるから』
「1人で、大丈夫なの?」と、そう、送る。
『「そばにいたい」の間違いじゃなくて?』
図星を刺された。もう表情は見えていないはずなのに……。……いや、見えてるのかな?もしかして。
『1人じゃないよ。まだ「贖罪」が必要な罪人もいるし。……ノエルはそっちだし、後で呼びつけられる……って、ぼやいてた』
あ、なるほど、とイオリちゃんが声を上げた。
「レヴィさんの目的は、破綻するほど溢れ出した負の感情の整理。……だから、仕事も一応ちゃんと終わりがある。人手もあんなら、まあ問題ない……かも……?」
「……無理は、して欲しくないな」
ピロリ、と、メールの着信。
『エリザベスさんが無理させないでしょ。あの人、ロナルドあたりと接触したら割と正常化するし。ロナルドもエリザベスさんの能力には弱いし』
何その、マイナスとマイナスかけたらプラスになる現象。知らなかったんだけど。
「あー……赤毛の娼婦……の噂、そういうことか……」
グリゴリーのぼやき。ああー……なるほど……。あの人が形を保てなくなり、コソコソ影で動く羽目になったのって……。
「……まあ……10代前半が一番好みとはいえ……守備範囲、そこそこ広いものね……。……それにしても、しぶとい人ねぇ……」
姉さんが呆れたようにため息をつく。
……アンダーソン家って、変態しかいないのかな……。
まあ、ロッド兄さんはそうでもない気はするけど。
『ロバートくん、そこ、ケベック・シティだよね』
「え? あ、そっか、この医院から外はそうなるんだ……」
『きっと、もう入口は閉ざされる。君もロンドンに帰れるよ。……だから……
最後に、モントリオールのブリーズ・ジャルダンに来て欲しい。
場所は、ブライアンに聞けばわかるから。
Camille-Chrétien Barbier』
そのメールを最後に、カミーユさんからの返信は途絶えた。
ロッド兄さんからもメールが届く。……ロー兄さん……いや、「アン姉さん」の目が覚めた、という報告だった。
……眠っているブライアンに目を向ける。
「悪いなんて、思わなくていいのよ。むしろ、その方が侮辱にもなるわ」
ローザ姉さんに釘を刺されて、邪念を振り払う。
死者はあるべき場所に還り、生者はあるべき日常に帰る。
……ただし、例外を除いて。
僕には、まだやるべきことがある。
***
「……早く起こしすぎたら、あっちの役目が途中になるかもって……アドルフが……」
「……うん、ちゃんと終わったよ。ありがとう、ロッド」
手を握って、彼女が自分から目覚めるのを待っていた。……どうやら、何とか区切りはついたらしい。
前より痩せて髪も伸びて、でも相変わらず愛嬌がある。色気なんか、むしろ増した気さえする。……なんて、ぼうっと見蕩れていたらデコピンされた。
「ロッドだけ?」
「……まあ……今は……」
額を押さえつつ答える。さっき、サーラがアドルフを引きずって廊下に出ていったことは隠した。
「……ロー兄さん、俺は、あの日々に戻ろうとは思ってない」
「うん。……それで?」
あの日々は、終わらせなければいけない。
とっくに終わった時間は、過去にしなくてはいけない。
だから、
「新しく、その……別の、家族になろうと思う」
きょと、と、アンは目を見開いた。
左目の泣きぼくろが、じわりと滲んだように見える。
「……馬鹿だな。ほんと馬鹿だ。こんな身体で、もう若くもないのに……子供だって、産めるかどうか……」
「アンこそ、馬鹿なこと言うな。……ほかの誰かでいいなら、とっくに恋人なり婚約者なり作ってる」
隣でアンが笑ってくれるなら、
この温もりが、傍らにあるのなら、
……それ以上に、幸せなことなんてない。
「……俺の書いた話、読んでくれてた?」
「読んでたよ。……意識はぼんやりしてたけど、童話くらいなら読めた」
「…………あの主人公……俺と、アンの子どものつもりで書いてた」
あの雨の日の夢を、何度も、何度も繰り返し思い返した。
そのうち、妄想の中で子どもが生まれて育った……つったら、引かれるよな、さすがに。
「ああ、産ませたんだ。思春期によくあるやつ?」
……普通にバレるあたり、この人に隠し事は無駄らしい。
ダメだ。顔から火がでそう。向こうが恥じらってないのが余計に恥ずかしい。
「……そこまで思ってくれてるなら、遠慮する方が野暮かな」
照れたように微笑んで、アンは、まだ上手く動かない腕をこちらに伸ばす。俺の方から近づくと、痩せた指が唇をなぞる。
「愛してる」
顔に血が上りすぎて、何がなにやらわからなくなってきた。
「あっ、えっと、……俺も、その、25年くらい前から好きでした……」
「知ってる。15年前、ベッドの上で散々聞いた」
「えっ、俺ちゃんと好きって言ってた!?」
「ばっちり言ってた。アン以外じゃ抜けないとも言ってた」
ちくしょう。若い時の俺を殴りたい……。
つつ、と、手のひらが頬を覆う。……すぐに意図を察した。
「……き、キス、しても、いいですか……?」
「どうぞ」
いたずらっぽく笑う口元に、恐る恐る唇で触れる。
……ドアの隙間から写メを撮るサーラと、止めようとしつつガン見してるアドルフのことは見なかったことにした。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
【戦国時代小説】 甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助
蔵屋
歴史・時代
わたしは、以前、甲斐国を観光旅行したことがある。
何故、甲斐国なのか?
それは、日本を象徴する富士山があるからだ。
さて、今回のわたしが小説の題材にした『甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助』はこの甲斐国で殆どの戦国乱世の時代を生き抜いた。そして越後の雄•上杉謙信との死闘は武田信玄、山本勘助にとっては人生そのものであったことだろう。
そんな彼らにわたしはスポットライトを当て読者の皆さんに彼らの素顔を知って頂く為に物語として執筆したものである。
なお、この小説の執筆に当たり『甲陽軍鑑』を参考にしていることを申し述べておく。
それでは、わたしが執筆した小説を最後までお楽しみ下さい。
読者の皆さんの人生において、お役に立てれば幸いです。
百物語 厄災
嵐山ノキ
ホラー
怪談の百物語です。一話一話は長くありませんのでお好きなときにお読みください。渾身の仕掛けも盛り込んでおり、最後まで読むと驚くべき何かが提示されます。
小説家になろう、エブリスタにも投稿しています。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる