【完結済】敗者の街 ― Requiem to the past ―

譚月遊生季

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番外編:唯一無二の親友へ

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「明日、デートなんだけどさ」

 目の前の親友は心底思い詰めたような顔で、私にそう言ってきた。
 どう考えても、色恋沙汰の話をする顔じゃない。病で余命幾ばくもない……と、言われたような表情にさえ見える。

「……良かったじゃない」
「何も良くない。刺激が強すぎて僕死んじゃう。いいの?親友がショック死してもいいの?」

 ……なんて、取り乱した様子で言ってくる。
 私の親友……カミーユ・バルビエは、心の底から人付き合いに向いていない。

「あんたねぇ……もう23でしょ?それくらい頑張りなさいよ」
「無理……愛されたいけど愛される刺激と愛する刺激がしんどい……」

 言動が支離滅裂すぎて、もはや何を言っているのか分からない。

「まず落ち着きなさい。……それで、相手はエレーヌなの?」
「そう!エレーヌなんだよ!色々脳内ではシミュレートするし本人にも甘い言葉は言えるんだけど」
「言えるんじゃないの。なんの問題もないわ」
「話最後まで聞いて!?家に帰ったあとめちゃくちゃ疲れ果てて20時間くらい寝ることになる」

 下手に気取るからなのか、それとも緊張してしまうからなのか……

「じゃあ寝てなさいよ」
「なんでわかんないの????デートのあと家に行くって言われてるんだよ????」

 なんでわかんないの?じゃないわよ。分かるわけないでしょそんなの。説明する気があるのかしら、こいつ。

「まさか……狭い空間で二人きりなんて心臓が持たない、とかじゃないわよね……?」

 そんな乙女チックな理由だったら蹴り倒したくなるだろうけど。

「……部屋が……めちゃくちゃ汚いんだよね……」

 顔面蒼白のまま大層な声色で紡がれたのは、想像よりずっと現実的な問題だった。
 絶世の美青年は震える唇で左手の爪を噛む。……幻滅されるのが、それほど恐ろしいのかもしれない。この男は繊細で臆病なくせに、人の期待に対して無垢すぎるほど歓びを示す。
 応えられないくせに、美しいものを生み出す美しい自分であろうとする。……あまりにも無駄な、理解できない行動を繰り返す。

「……いいわ。手伝ってあげる」
「ほんとに!?ありがとうノエル!!命の恩人!!」

 言動がいちいち大袈裟なのは無意識なのか、それとも本音なのか……。
 それになんだかんだ付き合ってしまうのは、私がこの男に興味があるからだろう。
 その才能と、その魂と、……その根源に。



「…………よくここまで散らかせたわね……」
「……て、てへ」

 目を逸らしながら可愛く言おうとしても無駄よ。
 私、汚い部屋やズボラなダメ人間は世界で一番嫌いなの。

「じゃあ僕、邪魔にならないように部屋の隅にいるね」
「…………」
「ごめんって!!嘘!!!ちゃんとやるから睨まないで!!」

 床に散らばった雑誌やら使い終わった画材やらを片付け、時々落ちている食い散らかしや汚物を袋に投げ入れる。散らかした衣類は亜麻色の後頭部や無駄に整った顔面に向けてその都度投げつけた。
 しばらくして床が見えてくると、相手は欠伸を一つして部屋の隅でスケッチブックに何やら描きだした。手近なホウキで頭をシバく。

「……思ったんだけど、この部屋本当に汚いのかな?もしかして僕の主観が自虐的な視点を伴いすぎてネガティブに歪められていたりしない?」
「安心しなさいどっからどう見ても汚部屋よ」
「だよねー」

 その無駄に端整で無駄に美麗で無駄に中性的で無駄に神秘的な顔面に雑巾を叩きつけてやろうかしら。

「しかしまあ……今までどうやって生きてたの、あんた」
「……実家、金だけはあるから……僕も金銭的に困ったことは一度も無いし……」

 そろそろ殴ったって許されるわよね。

「……母さんが言ってた。祖先が金と力を手に入れる代わりに、呪われたんだって」

 なんの話かわからないけど、大したことでもないでしょう。
 呪いだのなんだの、そんなオカルトめいた話、バカバカしくて耳を貸す気にもならない。

「僕は綺麗だと思ったんだけどなぁ、母さんの目」
「無駄話はやめて、そろそろ手を動かしなさい」
「……人の目は3つもないんだよ。ちゃんと見て描きなさいって……学校で言われちゃった」

 ふっと細められた蒼い瞳が、何を考えたのか私にはわからない。そこにあるのがただの懐かしさなのか、それとも後悔なのか、愛情なのか、そもそも単に疲れただけか……
 何も、私には読み取れない。

「……だから?」 
「……君のそういうとこ、話しやすくて助かるよ」

 カミーユはよいしょ、と腰を上げ、左膝をさする。……そう言えば、幼い頃に脱臼したことがある……と、言っていた気もする。

「そろそろお腹空いたし、何か食べに行かない?」
「その前に全部済ませるわよ。このままじゃ100年の恋も冷めるわ」
「……だよねー」

 彼の母親に目が3つあったから、なんだと言うのだろう。
 私の肉体が女でないことが、なんだと言うのだろう。
 ……私に人間を愛せないことが、なんだと言うのだろう。

「ノエル、もし、僕が人間じゃなくなったらどうする?」
「……皮脂と汗と体臭の分泌がなくなるなら今すぐ人じゃなくなって欲しいわね」 
「えっ、僕よりノエルのが汗くさ痛い痛い痛い痛い耳引っ張るのやめて!!」

 その苦悩や、その渇望が……その恐怖が、カミーユ、あんたにより良い作品を作らせるのなら、
 いくらだって、家の片付けくらいしてやるわ。いくらだって、できないことを支えてやるわ。
 何もかも癒されないまま、異常として楽しく生きればいいじゃない。

 あんたの作品だけが、私をそこいらの人間と同じにしてくれる。
 醜くて、汚くて、触れたくもない彼らを、私と同じにしてくれる。

 私を、独りにしないでくれる。

「……ところでノエル、家に泊めるってことはつまりそういうことだと思うんだけど、どうしたらいい?パリの女の子って、やっぱり情熱的なシチュエーションでセックスしたがるもの?」

 澄み渡る空の蒼が、私を見上げる。
 決して手の届かない領域が、すぐ、そこにある。
 空は触れられないから美しいのに……
 糞尿も唾液も涙も精液も汗も肉体に詰めているくせに、彼はその美を持っている。

「真顔でセックスについて聞くのやめなさい。もぐわよ」
「どこを!?」

 ……ああ、どうか、いつまでも、
 狂ったまま芸術家でいてちょうだい。

 人間なんて皆、生理的に反吐が出る汚物ばかり。
 ……でもね、寂しいのはもっと嫌いなの。
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