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終章「それぞれの結末」
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王都に帰った後、私はまず、機密保持に関する何十枚もの書類に署名させられた。
そして、この件を万が一にも外に漏らせば、どのような運命が待っているかを、法務官から幾度となく冷徹な言葉で説明された。
私のあの数日間の経験は、分厚い羊皮紙の束の中に、インクの染みとして封印された。
そして、それから一週間も経たないうちに、王宮に一つの報せが駆け巡った。
――辺境を治めるとある貴族が、一族諸共、国家反逆の罪で捕えられ、処刑された。
その「辺境貴族」という言葉を聞いた瞬間、私の血の気が引いた。まさか、そんな……。頭の中に、コレット嬢の泣き顔が浮かぶ。
しかし、公式な布告で読み上げられたその名は、私の知る「ベルナール」ではなかった。
心の底から安堵のため息が漏れるのと、背筋が凍るような新たな恐怖が駆け上がったのは、ほぼ同時だった。
コレット嬢たちは無事だった。だが、別のどこかの一族が、この事件の余波で消滅した。彼らが本当に罪人だったのか、それとも――。私には知る術もない。
私は通常任務に戻された。山のような書類を整理し、当たり障りのない調査報告書を書き上げる、以前と何も変わらない日々。
だが、私の内側では、何かが決定的に変わってしまっていた。
***
そんなある日、唐突に私個人への呼び出しが告げられた。
案内されたのは、王宮の最奥にある、人払いされた重厚な会議室だった。
恐る恐る扉を開ける。
がらんとした広い部屋の中、窓の外を眺めながら、一人の女性が立っていた。
そこにいたのは、疲れ切った表情のヴィクトリア殿下だった。
「殿下……」
私の声に、ヴィクトリア殿下はゆっくりとこちらに振り返った。その顔には、辺境の地で別れた時とは比べ物にならないほどの深い疲労の色が刻まれている。
「エリアナか。入れ。そして、そこに座れ」
殿下は重々しく椅子に腰掛け、私にも着席を促した。私は言われるがままに、彼女の向かいの席に静かに座る。
「……久しぶりだな」
「はい。まさか、このようにお目にかかれるとは思っておりませんでした」
私の言葉に、殿下は力なく笑う。
「ああ。暫定的な対応が決まり、一区切りついたのでな。お前にいろいろと伝えておくべきだと思った。……これはお前のこれからにも深く関わることだからな」
『私の、これからに』。その言葉が、私の胸に重く引っかかった。だが、それ以上に、目の前の王女の消耗しきった様子が気にかかる。
「殿下……大変お疲れのご様子ですが」
私の気遣うような言葉に、ヴィクトリア殿下は、はぁ、と深く重い溜息をついた。
「……やらなければならないことは膨大だが、事情が事情だ。関わらせる人員を極限まで限定せざるを得んからな」
そして、どこか遠い目をして、気重そうに呟いた。
「私たちにとっては、むしろ、これからが本番なのだ…」
殿下は私の顔をまっすぐに見て、続けた。
「とりあえず結論から言おう。イザベラからもたらされた情報は、すべて真実だった。……だからこそ我々は早急に手を打ち、こちらの『誠意』を見せる必要があった」
『誠意』。私は数日前のあの報せを思い出し、言葉を失った。
殿下は、そんな私の動揺には気づかぬふりをして、分析を続ける。
「奪還派にとっても、事態は想定以上の速度で進み、混乱に陥っていたはずだ。まさか、こちらがこれほど早く、そして容赦なく動くとは思うまい」
そして、どこか感心したような、あるいは呆れたような声で、ぽつりと漏らした。
「……もしここまで見越していたのだとしたら、イザベラの国の王は、一体どれほどの才覚の持ち主だというのだか」
殿下はカップに注がれた水を一口飲み、静かに続けた。
「あちらにしても王家のすぐそばまで合一派が迫っていたことは、よほどの衝撃だったのだろう。これまでにない規模の、容赦のない取り締まりが行われているそうだ。合一派は、これでほぼ力を失うことになるだろう」
「……では、元凶である側近と、王子殿下はどうなられるのでしょうか」
「側近は、死んだ方がましだと思えるような目に遭わされ、持てる情報をすべて吐かされた後だそうだ。一族共々、適当な罪状をでっち上げられ、近いうちに処刑されるだろう」
「王子は……」殿下は一度言葉を切った。「『偽の情報で国王に誤った判断をさせ国政を混乱させた』。その責を取り、王位継承権と王族としての権利の一切を自主的に放棄するという形になるだろうな。……まあ、実態は廃嫡だ。貴族社会とは完全に切り離されたどこかの田舎で、生涯を過ごすことになるだろう」
「そこまで……」
「当たり前だろう」ヴィクトリア殿下は私の甘さを一蹴した。「王子自身やその周辺が、どこまであの側近の思想に汚染されていたか分かったものではないからな。国王も公爵も、危険の芽はこの機に根こそぎ摘み取るつもりだ。むしろ『病死』させられないだけ、恩情だろう」
「……この件の、一番の被害者は、王子殿下だったのかもしれませんね」
私の同情のこもった呟きに、ヴィクトリア殿下は初めて心の底から意外だという顔をした。そして、静かに首を横に振る。
「いいや。むしろ一番幸運だったのは、彼だろう」
「え……?」
「王として実権を握った後で、危険な思想を持つ側近に唆されて、大陸全土を巻き込むような取り返しのつかない大失敗をしでかす前に、すべてが発覚したのだからな。……それ以上の幸運がどこにある?」
ヴィクトリア殿下のその言葉に、私は何も返せなかった。あまりに冷徹で、しかし、あまりに絶対的な真理。それが為政者の視点なのだろう。
私が沈黙していると、殿下は疲れたようにこめかみを押さえた。
「……向こうが徹底的にやるのなら、こちらも徹底的にやらねばならん。忌々しいことにな。それに、これからの外交でどれほどの譲歩をさせられるか……それを考えるだけで頭が痛い」
その愚痴とも本音ともつかない呟きに、私は最も気になっていたことを尋ねた。
「イザベラ様は、どうなられるのですか?」
「まず、彼女の『亡命』は公式にはなかったことになる。表向き、イザベラ・ヴァレンティスは判決通り辺境の修道院に到着し、静かに入った。ただ、それだけだ」
「そして後日、彼女に『先の件は間違いであった。公爵令嬢の名誉を回復し、追放も取り消す』という打診が行われる。だがイザベラ本人は修道院で神に仕える静かな暮らしを選び、その打診を断ることになるだろう。……そういうシナリオだ」
「実際には?」
「正直、表向きの筋書き通りに収まってくれれば、どれほど良かったか」と殿下は愚痴をこぼした。
「しかし、たとえ表にできないとはいえ、彼女は一度『亡命』したのだ。もう二度と故郷の土を踏むことはできんだろう。だからこそ我が国の中でどうにかせねばならず、処遇については悩みの種であった。……幸い、ベルナール家が彼女の境遇に深く同情し、支援を申し出てくれている。彼らが中央の勢力争いに無関係な田舎貴族であるおかげで、周りに疑われることなく秘密裏に事を進められる」
殿下は私をじっと見つめ、呆れ半分、愉快そうに笑った。
「……お前、あの女に何か吹き込んだな」
心臓が跳ね上がる。
殿下は口の端を悪戯っぽく上げた。
「それから、ベルナール家から伝言を預かっている。『先の件で多大な貢献をした調査官エリアナ・グレイの誠実さと能力に深く感銘を受けた。ぜひ当家で直接雇い入れたい』…とな」
「え……」
「お前が望むなら、調査局を円満に退職し、ベルナール家に仕える形でイザベラのそばにいる道もある。…もっとも、本当の役目は監視役だがな」
殿下は立ち上がり、私の肩を軽く叩いた。
「お前のこれからはお前自身が決めろ。調査官を続けるもよし、辺境で誰かさんの『責任』を取るもよし」
そう言い残し、今度こそ殿下は部屋を去った。
***
数ヶ月後。
私は調査官を退職し、ベルナール子爵領の、さらに外れにある地域の管理を任されていた。
役所を兼ねた自宅で業務を終え、食卓に向かう。
「お疲れ様。食事ができていますよ」
髪をまとめ、以前の優雅なドレスとは違う、庶民的で質素な服を着たイザベラ様、いや、イザベラが、夕食の準備をしてくれていた。
初めは戸惑いの連続だったが、勤勉な彼女はすぐさま新しい生活に馴染んでいった。そして今、こうして私と共に一つ屋根の下で過ごしている。
食卓に着き、私はもう何度目かになる質問を彼女にする。
「本当に、これで良かったのですか」
すると彼女は、以前の彼女からは考えられないほど感情を露わにして、ぷうっと頬を膨らませた。
「何度聞かれても同じです! ですから、もう聞かないでくださいまし」
そして、幸せそうに、こう言ったのだ。
「ただのイザベラとして、こうして大切な人と食事ができることが、何よりも幸せなのですから」
そして、この件を万が一にも外に漏らせば、どのような運命が待っているかを、法務官から幾度となく冷徹な言葉で説明された。
私のあの数日間の経験は、分厚い羊皮紙の束の中に、インクの染みとして封印された。
そして、それから一週間も経たないうちに、王宮に一つの報せが駆け巡った。
――辺境を治めるとある貴族が、一族諸共、国家反逆の罪で捕えられ、処刑された。
その「辺境貴族」という言葉を聞いた瞬間、私の血の気が引いた。まさか、そんな……。頭の中に、コレット嬢の泣き顔が浮かぶ。
しかし、公式な布告で読み上げられたその名は、私の知る「ベルナール」ではなかった。
心の底から安堵のため息が漏れるのと、背筋が凍るような新たな恐怖が駆け上がったのは、ほぼ同時だった。
コレット嬢たちは無事だった。だが、別のどこかの一族が、この事件の余波で消滅した。彼らが本当に罪人だったのか、それとも――。私には知る術もない。
私は通常任務に戻された。山のような書類を整理し、当たり障りのない調査報告書を書き上げる、以前と何も変わらない日々。
だが、私の内側では、何かが決定的に変わってしまっていた。
***
そんなある日、唐突に私個人への呼び出しが告げられた。
案内されたのは、王宮の最奥にある、人払いされた重厚な会議室だった。
恐る恐る扉を開ける。
がらんとした広い部屋の中、窓の外を眺めながら、一人の女性が立っていた。
そこにいたのは、疲れ切った表情のヴィクトリア殿下だった。
「殿下……」
私の声に、ヴィクトリア殿下はゆっくりとこちらに振り返った。その顔には、辺境の地で別れた時とは比べ物にならないほどの深い疲労の色が刻まれている。
「エリアナか。入れ。そして、そこに座れ」
殿下は重々しく椅子に腰掛け、私にも着席を促した。私は言われるがままに、彼女の向かいの席に静かに座る。
「……久しぶりだな」
「はい。まさか、このようにお目にかかれるとは思っておりませんでした」
私の言葉に、殿下は力なく笑う。
「ああ。暫定的な対応が決まり、一区切りついたのでな。お前にいろいろと伝えておくべきだと思った。……これはお前のこれからにも深く関わることだからな」
『私の、これからに』。その言葉が、私の胸に重く引っかかった。だが、それ以上に、目の前の王女の消耗しきった様子が気にかかる。
「殿下……大変お疲れのご様子ですが」
私の気遣うような言葉に、ヴィクトリア殿下は、はぁ、と深く重い溜息をついた。
「……やらなければならないことは膨大だが、事情が事情だ。関わらせる人員を極限まで限定せざるを得んからな」
そして、どこか遠い目をして、気重そうに呟いた。
「私たちにとっては、むしろ、これからが本番なのだ…」
殿下は私の顔をまっすぐに見て、続けた。
「とりあえず結論から言おう。イザベラからもたらされた情報は、すべて真実だった。……だからこそ我々は早急に手を打ち、こちらの『誠意』を見せる必要があった」
『誠意』。私は数日前のあの報せを思い出し、言葉を失った。
殿下は、そんな私の動揺には気づかぬふりをして、分析を続ける。
「奪還派にとっても、事態は想定以上の速度で進み、混乱に陥っていたはずだ。まさか、こちらがこれほど早く、そして容赦なく動くとは思うまい」
そして、どこか感心したような、あるいは呆れたような声で、ぽつりと漏らした。
「……もしここまで見越していたのだとしたら、イザベラの国の王は、一体どれほどの才覚の持ち主だというのだか」
殿下はカップに注がれた水を一口飲み、静かに続けた。
「あちらにしても王家のすぐそばまで合一派が迫っていたことは、よほどの衝撃だったのだろう。これまでにない規模の、容赦のない取り締まりが行われているそうだ。合一派は、これでほぼ力を失うことになるだろう」
「……では、元凶である側近と、王子殿下はどうなられるのでしょうか」
「側近は、死んだ方がましだと思えるような目に遭わされ、持てる情報をすべて吐かされた後だそうだ。一族共々、適当な罪状をでっち上げられ、近いうちに処刑されるだろう」
「王子は……」殿下は一度言葉を切った。「『偽の情報で国王に誤った判断をさせ国政を混乱させた』。その責を取り、王位継承権と王族としての権利の一切を自主的に放棄するという形になるだろうな。……まあ、実態は廃嫡だ。貴族社会とは完全に切り離されたどこかの田舎で、生涯を過ごすことになるだろう」
「そこまで……」
「当たり前だろう」ヴィクトリア殿下は私の甘さを一蹴した。「王子自身やその周辺が、どこまであの側近の思想に汚染されていたか分かったものではないからな。国王も公爵も、危険の芽はこの機に根こそぎ摘み取るつもりだ。むしろ『病死』させられないだけ、恩情だろう」
「……この件の、一番の被害者は、王子殿下だったのかもしれませんね」
私の同情のこもった呟きに、ヴィクトリア殿下は初めて心の底から意外だという顔をした。そして、静かに首を横に振る。
「いいや。むしろ一番幸運だったのは、彼だろう」
「え……?」
「王として実権を握った後で、危険な思想を持つ側近に唆されて、大陸全土を巻き込むような取り返しのつかない大失敗をしでかす前に、すべてが発覚したのだからな。……それ以上の幸運がどこにある?」
ヴィクトリア殿下のその言葉に、私は何も返せなかった。あまりに冷徹で、しかし、あまりに絶対的な真理。それが為政者の視点なのだろう。
私が沈黙していると、殿下は疲れたようにこめかみを押さえた。
「……向こうが徹底的にやるのなら、こちらも徹底的にやらねばならん。忌々しいことにな。それに、これからの外交でどれほどの譲歩をさせられるか……それを考えるだけで頭が痛い」
その愚痴とも本音ともつかない呟きに、私は最も気になっていたことを尋ねた。
「イザベラ様は、どうなられるのですか?」
「まず、彼女の『亡命』は公式にはなかったことになる。表向き、イザベラ・ヴァレンティスは判決通り辺境の修道院に到着し、静かに入った。ただ、それだけだ」
「そして後日、彼女に『先の件は間違いであった。公爵令嬢の名誉を回復し、追放も取り消す』という打診が行われる。だがイザベラ本人は修道院で神に仕える静かな暮らしを選び、その打診を断ることになるだろう。……そういうシナリオだ」
「実際には?」
「正直、表向きの筋書き通りに収まってくれれば、どれほど良かったか」と殿下は愚痴をこぼした。
「しかし、たとえ表にできないとはいえ、彼女は一度『亡命』したのだ。もう二度と故郷の土を踏むことはできんだろう。だからこそ我が国の中でどうにかせねばならず、処遇については悩みの種であった。……幸い、ベルナール家が彼女の境遇に深く同情し、支援を申し出てくれている。彼らが中央の勢力争いに無関係な田舎貴族であるおかげで、周りに疑われることなく秘密裏に事を進められる」
殿下は私をじっと見つめ、呆れ半分、愉快そうに笑った。
「……お前、あの女に何か吹き込んだな」
心臓が跳ね上がる。
殿下は口の端を悪戯っぽく上げた。
「それから、ベルナール家から伝言を預かっている。『先の件で多大な貢献をした調査官エリアナ・グレイの誠実さと能力に深く感銘を受けた。ぜひ当家で直接雇い入れたい』…とな」
「え……」
「お前が望むなら、調査局を円満に退職し、ベルナール家に仕える形でイザベラのそばにいる道もある。…もっとも、本当の役目は監視役だがな」
殿下は立ち上がり、私の肩を軽く叩いた。
「お前のこれからはお前自身が決めろ。調査官を続けるもよし、辺境で誰かさんの『責任』を取るもよし」
そう言い残し、今度こそ殿下は部屋を去った。
***
数ヶ月後。
私は調査官を退職し、ベルナール子爵領の、さらに外れにある地域の管理を任されていた。
役所を兼ねた自宅で業務を終え、食卓に向かう。
「お疲れ様。食事ができていますよ」
髪をまとめ、以前の優雅なドレスとは違う、庶民的で質素な服を着たイザベラ様、いや、イザベラが、夕食の準備をしてくれていた。
初めは戸惑いの連続だったが、勤勉な彼女はすぐさま新しい生活に馴染んでいった。そして今、こうして私と共に一つ屋根の下で過ごしている。
食卓に着き、私はもう何度目かになる質問を彼女にする。
「本当に、これで良かったのですか」
すると彼女は、以前の彼女からは考えられないほど感情を露わにして、ぷうっと頬を膨らませた。
「何度聞かれても同じです! ですから、もう聞かないでくださいまし」
そして、幸せそうに、こう言ったのだ。
「ただのイザベラとして、こうして大切な人と食事ができることが、何よりも幸せなのですから」
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