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第十五章「終演への導火線」
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貴族街にある大教会の最奥、執務室で一人の壮年の女性が手紙を読み耽っていた。彼女こそ、この国における教団の統括を任された大司教である。
手紙を読み終えると、彼女は机の上のベルに手を伸ばし、軽く鳴らした。すぐにシスターが現れ、恭しく頭を下げながら尋ねた。
「いかがなさいましたか」
大司教は眉間に深い皺を刻んだまま、手紙を差し出した。
「これを見なさい」
シスターは「告発状……?」と呟き、内容に目を通した。やがて、その目が驚きを見開いた。
「これは……」
戸惑うシスターに、大司教は厳かに命じた。
「直ちに、その内容が正しいか調査を。……もし真実なら、神の代行者として当事者に確かめねばなりません」
◇
その夜。町外れの貧民向け診療所に、二人の女性の姿が現れた。
一人の看護師が「どうしました?」と慌てて駆け寄る。
片方の女性――フードを目深に被った人物が、肩を貸して支えられたもう一人の女性を示し、切羽詰まった声で訴えた。
「この人が、立派な馬車から捨てられるのを見たんです!全身に酷い痣があって……ただごとではないと思い、ここに連れてきました!」
支えられている女性はぐったりとしており、衣服の隙間から痛々しい打撲痕が覗いていた。
「わかりました、こちらへ!」
看護師が待合室のソファに女性を寝かせ、「先生を呼んできます!」と言ってその場を離れた。
数分後、医師が駆けつけてきた時、患者を連れてきたフードの女性の姿は、すでに消えていた。
残された患者――全身に打撲痕のある女性は、医師に身元を聞かれても、なぜこんな目に遭ったのかと尋ねられても、頑なに口を閉ざした。
まるで、何か恐ろしいものに怯え、真実を隠しているかのように。
その態度は、周囲の想像を掻き立てるには十分だった。
「立派な馬車から捨てられたって……」
「また貴族か。お偉いさんの慰み者にされて、酷い目に遭わされたんだ」
看護師や他の患者たちは、彼女に同情の目を向けるとともに、そんな非道を行った見えざる貴族への反感を、静かに、だが確実に募らせていった。
◇
数日後。粗末な診療所の前に、場違いなほど豪奢な馬車が止まった。
降り立ったのは、多くの警護を引き連れた王女セレスティアである。
「この件の話を聞き、心を痛めておりました。『豪華な馬車』という証言から、貴族が関与した可能性がある。王家としてそれを確かめに参りました」
王女の言葉に、医師や看護師たちは動揺した。
(もみ消すためか?それとも口封じに……?)
疑いの視線が突き刺さる。だが、相手は国の王女だ。拒絶などできず、彼らは緊張した面持ちで、女性の入院する病室へと案内した。
警護の兵士たちが目を光らせる中、セレスティアは女性のベッドの脇に椅子を寄せ、静かに腰を下ろした。
ベッドの上の女性が、王族の訪問に驚き、痛む体を押して起き上がろうとする。
「あっ……」
セレスティアはそれを手助けしようと、さっと手を差し伸べた。警護兵が危険と判断して動こうとしたが、セレスティアは鋭い視線だけでそれを制した。
そして、抱き起こすふりをして耳元に顔を寄せ、誰にも聞こえない声で囁いた。
「久しぶりね、イリス」
◇
(回想――数日前の教会)
「こんな服を着るの、初めてだわ」
平民の粗末な服を身に纏ったセレスティアは、鏡の前で嬉しそうに裾を摘んだ。
「で、これを着せて、どうするの?」
振り返ると、イリスは教会の中から、燭台や石など鈍器になりそうなものを幾つか並べていた。
「これらで、私を殴ってください」
セレスティアはあっけらかんと尋ね返した。
「それは構わないけど、それでどうするの?」
「変装したセレスティア様が、平民街の診療所に私を連れていってください。そして看護師たちに、私が貴族の馬車から捨てられたことを匂わせる証言をして、姿を消すのです」
イリスは淡々と計画を語る。
「怪我の理由を語らぬ被害者。それは彼らに、私への同情と、貴族に対する憤りを抱かせます。……そして数日後、あなたには王女として、無理をしてでも私のところに見舞いに来てほしい」
「父と母を説得するのは大変だろうけど……護衛を増員するという条件なら、多分いけると思うわ」
「ええ。そこでこう言うのです。『王女として、あなたにこんな酷い目に合わせた者を必ず突き止め、罰を与えると約束する』と」
イリスは続けた。
「……それから?」
セレスティアが期待を込めた声で先を促す。
「私は王女様を前に寝そべったままでは不敬ですから、起き上がろうとします」
イリスは懐から、聖職者しか持つことを許されない銀のロザリオの偽物を取り出した。
「その時、介助するふりをして、これを私に渡してほしいのです」
セレスティアは眉をひそめた。
「かなり危険ね。護衛は確実に目を離さないだろうし、その瞬間に見られるかもしれないわ。……そもそも、初めからあなたが持っているべきでは?」
イリスは首を振った。
「この段階ではまだ、見つかるわけにはいかないのです。治療のために服を脱がされるでしょうから、隠す場所がない。……あなたしか頼れないのです」
その言葉に、セレスティアは嬉しそうな笑みを浮かべた。
「わかったわ。なんとかしましょう」
セレスティアはふと気づいたように付け加えた。
「でも、平民街とはいえ診療所よ。清潔さには気をつけるでしょう?もし受け取っても、あなたの体が洗われたり、ベッドメイキングをされたりしたら、見つかるのでは?」
「受け取ったら、周りの患者が寝静まった頃を見計らって、ベッドの下のパイプにでも括りつけます。いるのは数日だけのつもりですから、見つかるリスクは高くないでしょう」
イリスはセレスティアを見据え続けた。
「わざわざ王女様がやってきて犯人を突き止めると宣言する。それで数日経っても再び訪れることなく、音沙汰もなければ、彼らはどう思うでしょうね」
そしてイリスは冷徹な瞳で告げた。
「ここから一気に畳み掛ける──事態を把握する時間すら、誰にも与えない」
手紙を読み終えると、彼女は机の上のベルに手を伸ばし、軽く鳴らした。すぐにシスターが現れ、恭しく頭を下げながら尋ねた。
「いかがなさいましたか」
大司教は眉間に深い皺を刻んだまま、手紙を差し出した。
「これを見なさい」
シスターは「告発状……?」と呟き、内容に目を通した。やがて、その目が驚きを見開いた。
「これは……」
戸惑うシスターに、大司教は厳かに命じた。
「直ちに、その内容が正しいか調査を。……もし真実なら、神の代行者として当事者に確かめねばなりません」
◇
その夜。町外れの貧民向け診療所に、二人の女性の姿が現れた。
一人の看護師が「どうしました?」と慌てて駆け寄る。
片方の女性――フードを目深に被った人物が、肩を貸して支えられたもう一人の女性を示し、切羽詰まった声で訴えた。
「この人が、立派な馬車から捨てられるのを見たんです!全身に酷い痣があって……ただごとではないと思い、ここに連れてきました!」
支えられている女性はぐったりとしており、衣服の隙間から痛々しい打撲痕が覗いていた。
「わかりました、こちらへ!」
看護師が待合室のソファに女性を寝かせ、「先生を呼んできます!」と言ってその場を離れた。
数分後、医師が駆けつけてきた時、患者を連れてきたフードの女性の姿は、すでに消えていた。
残された患者――全身に打撲痕のある女性は、医師に身元を聞かれても、なぜこんな目に遭ったのかと尋ねられても、頑なに口を閉ざした。
まるで、何か恐ろしいものに怯え、真実を隠しているかのように。
その態度は、周囲の想像を掻き立てるには十分だった。
「立派な馬車から捨てられたって……」
「また貴族か。お偉いさんの慰み者にされて、酷い目に遭わされたんだ」
看護師や他の患者たちは、彼女に同情の目を向けるとともに、そんな非道を行った見えざる貴族への反感を、静かに、だが確実に募らせていった。
◇
数日後。粗末な診療所の前に、場違いなほど豪奢な馬車が止まった。
降り立ったのは、多くの警護を引き連れた王女セレスティアである。
「この件の話を聞き、心を痛めておりました。『豪華な馬車』という証言から、貴族が関与した可能性がある。王家としてそれを確かめに参りました」
王女の言葉に、医師や看護師たちは動揺した。
(もみ消すためか?それとも口封じに……?)
疑いの視線が突き刺さる。だが、相手は国の王女だ。拒絶などできず、彼らは緊張した面持ちで、女性の入院する病室へと案内した。
警護の兵士たちが目を光らせる中、セレスティアは女性のベッドの脇に椅子を寄せ、静かに腰を下ろした。
ベッドの上の女性が、王族の訪問に驚き、痛む体を押して起き上がろうとする。
「あっ……」
セレスティアはそれを手助けしようと、さっと手を差し伸べた。警護兵が危険と判断して動こうとしたが、セレスティアは鋭い視線だけでそれを制した。
そして、抱き起こすふりをして耳元に顔を寄せ、誰にも聞こえない声で囁いた。
「久しぶりね、イリス」
◇
(回想――数日前の教会)
「こんな服を着るの、初めてだわ」
平民の粗末な服を身に纏ったセレスティアは、鏡の前で嬉しそうに裾を摘んだ。
「で、これを着せて、どうするの?」
振り返ると、イリスは教会の中から、燭台や石など鈍器になりそうなものを幾つか並べていた。
「これらで、私を殴ってください」
セレスティアはあっけらかんと尋ね返した。
「それは構わないけど、それでどうするの?」
「変装したセレスティア様が、平民街の診療所に私を連れていってください。そして看護師たちに、私が貴族の馬車から捨てられたことを匂わせる証言をして、姿を消すのです」
イリスは淡々と計画を語る。
「怪我の理由を語らぬ被害者。それは彼らに、私への同情と、貴族に対する憤りを抱かせます。……そして数日後、あなたには王女として、無理をしてでも私のところに見舞いに来てほしい」
「父と母を説得するのは大変だろうけど……護衛を増員するという条件なら、多分いけると思うわ」
「ええ。そこでこう言うのです。『王女として、あなたにこんな酷い目に合わせた者を必ず突き止め、罰を与えると約束する』と」
イリスは続けた。
「……それから?」
セレスティアが期待を込めた声で先を促す。
「私は王女様を前に寝そべったままでは不敬ですから、起き上がろうとします」
イリスは懐から、聖職者しか持つことを許されない銀のロザリオの偽物を取り出した。
「その時、介助するふりをして、これを私に渡してほしいのです」
セレスティアは眉をひそめた。
「かなり危険ね。護衛は確実に目を離さないだろうし、その瞬間に見られるかもしれないわ。……そもそも、初めからあなたが持っているべきでは?」
イリスは首を振った。
「この段階ではまだ、見つかるわけにはいかないのです。治療のために服を脱がされるでしょうから、隠す場所がない。……あなたしか頼れないのです」
その言葉に、セレスティアは嬉しそうな笑みを浮かべた。
「わかったわ。なんとかしましょう」
セレスティアはふと気づいたように付け加えた。
「でも、平民街とはいえ診療所よ。清潔さには気をつけるでしょう?もし受け取っても、あなたの体が洗われたり、ベッドメイキングをされたりしたら、見つかるのでは?」
「受け取ったら、周りの患者が寝静まった頃を見計らって、ベッドの下のパイプにでも括りつけます。いるのは数日だけのつもりですから、見つかるリスクは高くないでしょう」
イリスはセレスティアを見据え続けた。
「わざわざ王女様がやってきて犯人を突き止めると宣言する。それで数日経っても再び訪れることなく、音沙汰もなければ、彼らはどう思うでしょうね」
そしてイリスは冷徹な瞳で告げた。
「ここから一気に畳み掛ける──事態を把握する時間すら、誰にも与えない」
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