霊犬 早太郎伝説

多那可勝名利

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最初の物件は駅の近くにあるハイツだ。

横長の木造で築二十年は経っているかなり古ぼけた物件である。間取り自体は結構広めで一人暮らしには充分だが、若い者たちが好むような造りではなく、住人の殆どが老人であった。

「ここ?」

「ああ、先月手に入れたばっかだから、まだ彷徨ってるんじゃねえの」

 洋介は茶化した口ぶりでみゆきに向かってそう云った。彼女はそんな洋介の言葉に構う素振りもなくじっとハイツ全体を凝視している。彼女に抱かれたままのマロは一瞬、ハイツのほうを見上げたがまた興味なさそうに、みゆきの胸あたりに顔を埋めやがった。

「けっ、エロ犬が」

「えっ、何か云った?」

「い、いや。別に……。中、みるんだろ」

 洋介は慌てて目的の部屋の鍵を取り出し、ドアノブに差し込んだ。

 ドアを開けた途端、少しカビのようなすえた匂いが洋介の鼻をついた。

「ちっ、リフォームしたばっかだってのに、やっぱ匂うな」

 玄関脇に置いてあるスリッパを並べながら、文句を云った。やはり孤独死して発見が長引けば長引くほど、家には死臭が染みつくのである。こればかりはいくら表面的に綺麗にしても仕方の無いものであった。

 前をゆくみゆきが部屋に入ってすぐ急に立ち止まった。
ぶつかりそうになった洋介が文句を云おうと彼女を見ると、頬に涙が伝っていた。

「かわいそうに、何ヶ月も発見されなかったのね」

 みゆきがぼそっと云った言葉に洋介は思わずぎょっとした。まだこの物件が孤独死ともなんとも彼女には云っていなかったからである。

「マジか・・・・・・。やっぱり何か、視えんのか?」

「ううん。ここにはもう何も居ないわ。ただ、寂しげな念を感じるだけ……。それで、どうしても感情が揺さぶられてしまうの……」

 みゆきは静かにそう云うと、足元にそっとマロを降ろした。

 元々、涙もろいのは知っていたが、やはりチカラが働いていると余計に感情が高ぶるのか、とにかくどう声を掛けていいものやら戸惑った洋介はマロに話しかけた。

「おい。どうだマロ? なんか感じるか」

 マロはあまり興味もなさそうに、部屋をゆっくりと一周すると、さもここには何もないよと云わんばかりに、みゆきに向かってワンと吠えた。

「そう・・・・・・わかった。何もないんだって、きっともう成仏したのね」

「え? 何お前、犬語がわかんのかよ」

「そんな訳ないでしょ。ただなんとなくそう云ったように感じるだけ」

 みゆきは小さく笑いながらまたマロを抱き上げた。

「ほんとかよ。今でそんなんじゃ、修行したらほんとに犬とでも話せるようになんじゃねえのか」

 洋介はそう云いながら、亡くなったお袋さんの顔を思い浮かべ、あながち的外れではないかもと感じていた。
なぜならそのお袋さんからの遺言で、みゆきは満二十五歳を迎えたら、修行にゆくことが決まっているのだ。

行く先は、九州にある寺でお袋さんの親戚筋にあたるそうだが、これまたその世界……つまり霊能とかそのような類いでは由緒ある寺らしく、みゆきの持って生まれたチカラを覚醒させるにはもってこいというわけで、親父も早くその時が来るのを心待ちにしているような状態であった。

「ううん。修行かぁ……。なんかこれ以上、普通と違うようになるのは不安なんだけど、今みたいに、視えるだけで何も出来ないってのもなあ」

 みゆきは複雑そうな表情でそう呟いた。

「確かに、お化けが出てきて退治出来ないんじゃ何の意味もねえもんな」

「何よ退治って、鬼太郎じゃないのよ。お祓いよ、お祓い」

 洋介にとってはお祓いも退治も、幽霊や守護霊が視える時点で同じじゃねえかとの思いであったが、勿論それを敢えて口に出したりはしない。

「んじゃまあ、何もねえんなら次に行きますか」

      ※

 次の物件は一軒家だ。

比較的新興住宅地ではあるのだが、そこだけ恰も切り取ったように、他の家々とは違う雰囲気を醸し出している。というのも庭がほかに比べても随分と広くて、主を失った木々や雑草は伸び放題の状態で、道路にまではみ出しているからである。

「へえ、郊外にこんな住宅地があったなんて知らなかったわ」

「そうだろうな。オレだってこの仕事するまで来たことなかったからな。まあ、駅からは随分と離れているし、車がないと不便だからあんまし人気のあるエリアとは云えねえな」

 洋介はそう云いながら、それもひとつの原因だったのかも知れぬと感じていた。

この家のもと主は、借金を苦に自殺したのである。バブル期にこの家を購入したようだが、景気の低迷とともに、地価も下がりっぱなしでこれまた大損していて、借金に拍車をかけたようであった。

そしてこの物件は少しばかり厄介な代物でもあった。なぜなら洋介の会社が手に入れてから、何度か新しく借り手が決まっても、皆が三日ほどするとすぐに退去してしまうのである。

勿論事前に、以前ここで何があったかは伝えてあるので、借りるほうもそういった事情を気にする類いの人たちではなく、相場よりもかなり安く借りられたと喜ぶような人たちなのだが、それでも皆が一様に「出た、出た」と騒ぎ立てたのだ。

「ふうん。じゃあきっと居るのね。確かに・・・・・・ここからでも感じるけど」

 みゆきは家の門の前で、じっと建物を見据えながら云った。

「ワン!」

 マロがそれに同調するかのように、ひとつ大きく吠えた。

「……うーん、やっぱしオレには何も感じねえんだけどな」

 洋介は鍵を取り出しながら、首をひねった。

「アンタ、ほんっとに鈍感よね」

「ワン、ワン」

 一人と一匹に同時に呆れられたようで実に感じ悪いが、それも致し方ないように思えた。

というのも殆どの借り主が退去時に洋介に対して、少なからず文句を云ってきたのだが、何も感じないものだから、心底謝る気持ちにもなれなかったからである。

「ちょっとまって。先にこっちを見るわ」

 中に入りかけたところで、みゆきが庭のほうに向かって歩き出した。

 このあたりでは、結構立派な部類の庭だ。丁度真ん中あたりには大きな桜の木があった。以前の所有者も生前、庭で花見などを楽しんだであろうことは想像に難くない。

「あそこで、首を吊ったようね」

 徐にみゆきが桜の木を指差して云った。

「えっ、何? また視えんのかよ。つーか、そこに居るのか、地縛霊ってやつだろ」

「ううん。ここには居ない。でもかなり強い念が残像となって視えるの。よほどこの世
に未練があるのね……」

「ワン!」

 マロが雨戸の閉まった家のほうに向かって吠えた。

「どうやら中を彷徨っているみたいね」

「えっ? マジかよ。やっぱしこれまでの客の話はほんとだったってことか」

 洋介は少しばかり驚いてみせたが、当然予想していたことなので、どうせいつものように自分だけは視えもしないのだから、と高を括っていた。

「じゃあ、とりあえず中に入って、探してみようぜ。元の所有者さんをよ」

「アンタ。まだ信じてないんでしょ」

「いえいえ。信じてますよお」

 洋介はすたすたと前を歩き、少し茶化した口ぶりでそう答えた。だが、実際に信じてないわけではなかった。これだけ何人もの人間が視たというのだから、やはりこの世にはそういったモノが実際に存在するのだろうし、みゆきなどの特殊なチカラを持った人間でなくとも、その存在をある程度感じるのが普通であるとも思えたからである。

「じゃあ、開けますよ」

 洋介はうしろにいたみゆきのほうを見ながら、ノブに手を掛け勢い良く扉を引いた。

「あっ」
 みゆきの目が大きく見開いた。

「何だよ。いきなり出たってんじゃねえだろうな」

「あっ、そこ。アンタの目の前に、いる……」

 みゆきは少し青ざめた表情で洋介の肩口あたりを指差した。

「ウウッ」

 マロも低く唸り声を上げる。

 洋介は慌てて玄関に目を向けたが、やはり何も見えない。

「ど、どこだよ。えっ、何も見えねえぞ」

「そこよ。アンタのほんの目の前で、もの凄い形相でこっちを睨んでる! っていうか、首が、首があっ……」
「えっ、何だよ。首がなんだってんだ」

 桜の木で首を吊った姿が一瞬、洋介の頭に浮かんだ。

「な、長いのよお。長いっ、長い。その首が伸びて、アンタに巻き付いてるう……」

 流石のみゆきもそこまで云って完全にビビっている表情に変わった。

「な、何? どこ、どこだよ。何も感じねえし、何も見えねえって」

「ワン! ワン」

 狼狽えるみゆきの腕からマロが洋介に飛び移った。

 ――その刹那。

「うっ、うわああああ。何だよこいつうううっ」

 洋介のつい鼻先に初老の男の顔が現れた。凄まじい形相で睨み付けてくる。

 思わずその場にへたり込んだ。その拍子にマロがポンっと腕から床に飛び降りた。すると、急に洋介の目の前から首の伸びたオヤジが消えた。

「えっ? アレ? どこいった」

「何ゆってんの。どんどんアンタの首に巻き付いていってるよお。いやああ、どうしよ、どうしよお」

 みゆきは完全にテンパっている状態だ。

 洋介は見えなくなって、冷静さを取り戻した。

傍らで唸り声を上げているマロの背中に恐る恐る手を伸ばした。すると指先が小さな背中に触れた途端、また目の前に首長オヤジが現れた。確かにみゆきの云ったとおり、洋介の首から胸にかけて巻き付いている。

「うわあっ」

 咄嗟にマロから手を離す。消えた。またマロに触れる。

「おおっ」

 やはりもの凄い形相が目の前に現れた。今度はしっかりとマロの背に触れたままにした。

「視える。オレにも! でもどうすりゃあいいんだ」

 思わずみゆきに目を向けたが、ブンブンと思いっきり首を横に振ってやがる。

「何だ? お前、ほんっとに視るだけか? 退治とか、せめて呪文とかねえのかよ」

 だが、今度は首が折れんばかりに上下に振っているだけだった。

「な、何だよ。それでよく……」

 洋介が責めようとした時、

「あっ、マロ!」

 みゆきが叫んだ。

 咄嗟にマロに視線を戻した。洋介が触れている背中あたりが急激に熱を帯びたように感じた。

マロの小さな身体から水蒸気のような湯気が立ち上ってくる。

 すると洋介の身体に巻き付いていた首長オヤジがスルスルと離れていった。

ほぼ同時にオヤジの顔が怒りの表情から、怯えた表情へと変わった。

「な、何だ。急にどうしたってんだ」

「ああっ、は、早太郎、様ぁ」 

 みゆきの声が裏返った。

 マロから立ち上った白い煙が、はっきりと大きな犬の姿へと変わった。

「えっ? 何だ、何だぁ。ダックスフントじゃねえぞ」

 明らかに日本犬のようだった。

「ば、ばか! 当たり前じゃない。うちの像を忘れたの!」

 そう云われてみれば、確かに洋介が長年狛犬とばかり思い込んでいた犬の銅像そのままの姿がそこにあった。



 一瞬のことだったーー。



 煙を纏った早太郎が、首長オヤジめがけて切り裂くようにぶつかった。

 まばゆいばかりの閃光が、部屋全体を覆い尽くす。

次の瞬間、オヤジの身体は下のほうからどんどんと蒸発するように消えてゆく。


 早太郎もまたゆっくりと霧状となってマロの身体の中へと入っていった。


「な、何だ。もう退治したってのかよ?」

「う、うん。たぶん……。でも視て、あの人の顔……」

 みゆきに促されて、首長オヤジに目を向けるともう殆ど消えかかっており、首から上を残すくらいであった。

けれどもその顔は先ほどの憎悪に満ちた表情ではなかったのである。

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