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CASE1
唐突な休日
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12月23日
天気はおだやかな快晴、北風も鳴りを潜め、冬にしては温かい一日だ。
こんな日は、天候に左右される事の多い屋外での作業を生業とする人々にとって、寒空の下で働くよりも、ずっと効率的でずっとずっと働きやすい一日である。
言うに及ばず、それは、弦や優人といった屋根の上を仕事の主戦場とする職人においてもである。
まさに、仕事日和。
だが、仕事をすべき現場に、優人の姿は無かった。
「琴。俺、今日、18になったよ」
優人は、ベッドの上で寝ている少女に、優しく語り掛ける。
ベッドの縁に腰を下ろした優人、手のひらは少女の手をそっと包み込み、目はしっかりと少女の瞳を見つめて。
少女は、何も反応を示さなかった。
包まれている手から伸びる腕は、白く、そして、細い。
優人が瓦を扱うように力を込めると、あっさりと折れてしまいそうだ。
見つめる先の瞳にはなにが映っているのだろう。
見ているのか、わからない。
見えているのか、わからない。
少女は、時折その瞼を開き、不意に閉じてしまう。
それでも、少女、仲井 琴は生きている。
体に無数の管を纏い、生きている。
たとえ、その管の先に在る物が、人工物であったとしても。
心電計は定期的に電子音を鳴らし心臓が動いていること証明し、体温も血圧も数字として見て取れる。点滴袋はポタポタとその量を減らし、自動排泄機は、時折動いてはその役目を果たす。
ここは、病院の一室。
琴は、この病院でベッドの上で生きてきた。
2年と半年前から。
「聞いてくれよ、琴。親方も弦さんも、今朝いきなりさぁ、今日は休めって言うんだぜ。ははっ」 優人は、語り続ける。
朝、社宅で仕事に向かうべく準備を整えていると、珍しく親方が社宅に顔を見せた。
すると、「今日は休め」「せっかくだから、琴ちゃんとこに行け」等と命じられ、あまりの唐突さに驚き、弦に縋ってみると、「いいからいいから」「そうだね、誕生日だしゆっくり一緒に過ごす一日もいいじゃないか」と、よくわからない説得をされてしまった。
優人は、予定外の休みを与えられても持て余してしまい、洗濯や掃除、布団を干したりと、無為に時間を過ごし、昼食を済ませてから妹の元へ顔を見せた。
「急に休めって言われても、どうしようもなかったけどなっ、はははっ」
自分に有り余る時間を過ごす手段を見い出せなかった優人は、乾いた笑いだ。
「そうそう、今日はさ、外はすごく天気が良いいんだ。すっげぇ久しぶりに布団干したんだ、俺」
ただただ些細なことを語り掛け続ける優人。
いつからだろうか。
優人が絶対に口にすることがなくなった言葉たち。
「起きてくれよ」
「返事をしてくれよ」
「笑ってくれよ」
もう優人は、願わない。
いや、諦めてしまったわけではない。
いつか、妹の口から言葉が紡がれ、笑顔が戻る。
そんなの日が訪れることを信じ待っているのだ。
語り掛けると、しばらく押し黙る。
返事があるかもしれない。
そう思うと、どうしても次に語り掛けるまでに間をおいてしまう。
間もなく、その間隙は埋められた。
――コンコン――
静かな病室に、扉を軽く叩く乾いた音だけが響いた。
「失礼します」
顔見知りの看護師は、深々と頭を下げると入室してきた。
「いつもお世話になってるっす。いえ、なってます……え?」
優人は、立ち上がり、頭を軽く下げた。
この看護師は、いつもならニコニコと笑顔を咲かせ、すごいテンションで話しかけてくる女性であるのだが、普段とは違い余所余所しい雰囲気を纏っていた為、優人も普段の口調で応じようとしたが、ついつい丁寧な言葉に言い直してしまった。
だが、頭が上がると、目に飛び込んだ光景に困惑してしまった。
次々に女性看護師が入ってきたのだ。
「すいませんが、すこし下がってください」
誰かが口にしたこの言葉は、優人を入口の方に向かわせた。
――いったい、何が? 何が起こってる?
けっして短くはない病院生活の中で、今まで一度たりとてこういった場面は無かった。
次の瞬間、看護師たちの行動に目を見張った。
ベッドの周りで忙しなく動く看護師たちは、すべての機器や医療用具と妹との繋がりを切り離していくのだ。
「……ちょっと、な、何してるんすか?」
一番近くにいた看護師の肩に手をやり、無理やり顔を向けさせる。
しかし、その顔は、その眼は、作業する手元から離れない。
誰に、どれほど力を込めても作業は止まらない。
「マジで、何なんすか!」
声を荒げるが、誰一人として作業をやめようとはしない。
廊下へ出て誰かを、助けを呼ばないと、そう考え扉を引くが、微動だにしなかった。
目いっぱい力を込める。
それでも、その扉は開かない。
なおも、看護師たちは作業を続ける。
「……妹が、妹が、死んじまうっす!」
やがて、優人は支えを失ったかのように、ぺたりとその場に沈んでしまった。
「何してるんすか……やめてくれっす……ヤメロ――」
ついに大声を張り上げる。
だが、作業は止まらない。
そして、ついに看護師たちの手が止まった。
作業が終わったのだ。
すべてが取り外されるまで、それほど時間は要しなかったはずだが、優人にとっては異常に長く思えた。
そして、作業を終えた看護師が入口を開き、退室する。
「ちょっと待……」
後を追おう、事情を問いただそう。
優人は、立ち上がろうとしたが、それは叶わなかった。
力が入らないわけじゃない。
だが、もう言葉さえも発せなかった。
まるで、金縛りである。
そして、すぐに病室は二人だけの空間に戻った。
何が起こったのか理解できずに呆然としている優人。
「ごめんなっ。こんなやり方しかできなくて」
優人の耳に、聞き覚えのない声が届く。
――コンコン――
その声と同時に、再び響いた乾いた音。
慌てて声のした方を見ようとした目線は、すぐに入口へ移った。
スローモーションの映像を見るが如く、優人は扉が開くのをゆっくりに感じた。
そして、よく知る人物が入室し、優人と目が合う。
「優人君、心配しないで」
優しく微笑み、まるで子供をあやすかのように言い聞かせる弦であった。
天気はおだやかな快晴、北風も鳴りを潜め、冬にしては温かい一日だ。
こんな日は、天候に左右される事の多い屋外での作業を生業とする人々にとって、寒空の下で働くよりも、ずっと効率的でずっとずっと働きやすい一日である。
言うに及ばず、それは、弦や優人といった屋根の上を仕事の主戦場とする職人においてもである。
まさに、仕事日和。
だが、仕事をすべき現場に、優人の姿は無かった。
「琴。俺、今日、18になったよ」
優人は、ベッドの上で寝ている少女に、優しく語り掛ける。
ベッドの縁に腰を下ろした優人、手のひらは少女の手をそっと包み込み、目はしっかりと少女の瞳を見つめて。
少女は、何も反応を示さなかった。
包まれている手から伸びる腕は、白く、そして、細い。
優人が瓦を扱うように力を込めると、あっさりと折れてしまいそうだ。
見つめる先の瞳にはなにが映っているのだろう。
見ているのか、わからない。
見えているのか、わからない。
少女は、時折その瞼を開き、不意に閉じてしまう。
それでも、少女、仲井 琴は生きている。
体に無数の管を纏い、生きている。
たとえ、その管の先に在る物が、人工物であったとしても。
心電計は定期的に電子音を鳴らし心臓が動いていること証明し、体温も血圧も数字として見て取れる。点滴袋はポタポタとその量を減らし、自動排泄機は、時折動いてはその役目を果たす。
ここは、病院の一室。
琴は、この病院でベッドの上で生きてきた。
2年と半年前から。
「聞いてくれよ、琴。親方も弦さんも、今朝いきなりさぁ、今日は休めって言うんだぜ。ははっ」 優人は、語り続ける。
朝、社宅で仕事に向かうべく準備を整えていると、珍しく親方が社宅に顔を見せた。
すると、「今日は休め」「せっかくだから、琴ちゃんとこに行け」等と命じられ、あまりの唐突さに驚き、弦に縋ってみると、「いいからいいから」「そうだね、誕生日だしゆっくり一緒に過ごす一日もいいじゃないか」と、よくわからない説得をされてしまった。
優人は、予定外の休みを与えられても持て余してしまい、洗濯や掃除、布団を干したりと、無為に時間を過ごし、昼食を済ませてから妹の元へ顔を見せた。
「急に休めって言われても、どうしようもなかったけどなっ、はははっ」
自分に有り余る時間を過ごす手段を見い出せなかった優人は、乾いた笑いだ。
「そうそう、今日はさ、外はすごく天気が良いいんだ。すっげぇ久しぶりに布団干したんだ、俺」
ただただ些細なことを語り掛け続ける優人。
いつからだろうか。
優人が絶対に口にすることがなくなった言葉たち。
「起きてくれよ」
「返事をしてくれよ」
「笑ってくれよ」
もう優人は、願わない。
いや、諦めてしまったわけではない。
いつか、妹の口から言葉が紡がれ、笑顔が戻る。
そんなの日が訪れることを信じ待っているのだ。
語り掛けると、しばらく押し黙る。
返事があるかもしれない。
そう思うと、どうしても次に語り掛けるまでに間をおいてしまう。
間もなく、その間隙は埋められた。
――コンコン――
静かな病室に、扉を軽く叩く乾いた音だけが響いた。
「失礼します」
顔見知りの看護師は、深々と頭を下げると入室してきた。
「いつもお世話になってるっす。いえ、なってます……え?」
優人は、立ち上がり、頭を軽く下げた。
この看護師は、いつもならニコニコと笑顔を咲かせ、すごいテンションで話しかけてくる女性であるのだが、普段とは違い余所余所しい雰囲気を纏っていた為、優人も普段の口調で応じようとしたが、ついつい丁寧な言葉に言い直してしまった。
だが、頭が上がると、目に飛び込んだ光景に困惑してしまった。
次々に女性看護師が入ってきたのだ。
「すいませんが、すこし下がってください」
誰かが口にしたこの言葉は、優人を入口の方に向かわせた。
――いったい、何が? 何が起こってる?
けっして短くはない病院生活の中で、今まで一度たりとてこういった場面は無かった。
次の瞬間、看護師たちの行動に目を見張った。
ベッドの周りで忙しなく動く看護師たちは、すべての機器や医療用具と妹との繋がりを切り離していくのだ。
「……ちょっと、な、何してるんすか?」
一番近くにいた看護師の肩に手をやり、無理やり顔を向けさせる。
しかし、その顔は、その眼は、作業する手元から離れない。
誰に、どれほど力を込めても作業は止まらない。
「マジで、何なんすか!」
声を荒げるが、誰一人として作業をやめようとはしない。
廊下へ出て誰かを、助けを呼ばないと、そう考え扉を引くが、微動だにしなかった。
目いっぱい力を込める。
それでも、その扉は開かない。
なおも、看護師たちは作業を続ける。
「……妹が、妹が、死んじまうっす!」
やがて、優人は支えを失ったかのように、ぺたりとその場に沈んでしまった。
「何してるんすか……やめてくれっす……ヤメロ――」
ついに大声を張り上げる。
だが、作業は止まらない。
そして、ついに看護師たちの手が止まった。
作業が終わったのだ。
すべてが取り外されるまで、それほど時間は要しなかったはずだが、優人にとっては異常に長く思えた。
そして、作業を終えた看護師が入口を開き、退室する。
「ちょっと待……」
後を追おう、事情を問いただそう。
優人は、立ち上がろうとしたが、それは叶わなかった。
力が入らないわけじゃない。
だが、もう言葉さえも発せなかった。
まるで、金縛りである。
そして、すぐに病室は二人だけの空間に戻った。
何が起こったのか理解できずに呆然としている優人。
「ごめんなっ。こんなやり方しかできなくて」
優人の耳に、聞き覚えのない声が届く。
――コンコン――
その声と同時に、再び響いた乾いた音。
慌てて声のした方を見ようとした目線は、すぐに入口へ移った。
スローモーションの映像を見るが如く、優人は扉が開くのをゆっくりに感じた。
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