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4 夜の消失 

4-3.夜の消失

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「館長!」
二人の司書がソゴゥに気付き、建物から飛び出してくる。
レベル4の中でも、ベテランのセダムとクラッスラだ。
心細かったのか、まだこの地に着任してセアノサスからの引継ぎ期間を含めて三ヶ月と満たないはずなのに、三年ぶりに戦地から戻ってきた息子を迎える家族のように、強烈な抱擁による歓迎を受けた。
最終的には、持ち上げられてグルグルと振り回された。
やっと地面に下ろされた時には、かなり真面目に目が回っていた。

「とりあえず、建物の中へお入りください。中の空気は正常ですから」
ヴィントほど空気を操る魔法には長けていないが、これまでなんとか自分の周囲を魔法で防御して汚染物質を取り込まないようにしていた。
二人の司書に促され、小さな図書館へ入る。
手前に公共の図書館スペースがあり、奥に司書達の執務室と居住スペースがある。
また、別棟に水や食料、医療品、防寒具などが大量に格納されている。
これらは、司書の生活の分だけでなく、この地の人間に提供するために持ち込まれたものだが、いまだに受け取りに来た者はいないという。
たった今も、ソゴゥはその報告を二人の司書から受けていた。
この極東の任期は三年となるが、二年に短縮した方がいいかもしれない。
いくらエルフの寿命が長いとはいえ、こんなところに五年も一人でいたセアノサスには頭が下がるが、結果、彼のように妙な強迫観念を植え付けられてしまったのでは、やはり運営に問題があると言わざるを得ない。

「ここに女の子は来ていないか? セアノサスがよく来ていたと言っていた子なのだが」
「はい、その子ならセアノサスさんがいらっしゃるときには毎日来ていましたけど、セアノサスさんがイグドラムへ帰られたのを最後に、ここへは来ていないのです」
「我々は、あの子供が来るのを楽しみにしていたのです。今は図書館の中まで来られる人がいなくて、寂しい限りです」
クラッスラがしんみりと答える。
やはり、任期は一年交代にした方がいいかもしれない。
小さな図書館の書籍は全て共用語で書かれているが、来訪者が本を読めない場合、司書がその手助けをする。読み聞かせ、言葉の意味を教えたり、読み書き自体を教えることもある。
司書は人にものを教えるエキスパートであり、また、教えることが好きな者がほとんどだ。彼らはイグドラシルに仕える事を誇りとしているが、一人でも多くの人の役に立ちたいという奉仕の精神が強い。イグドラシルに司書として選ばれる者は、得てしてそういう傾向を持つ。

ふと視線を感じて図書館入口を振り返ると、一人の小さな青年が立っていた。
気配も音もなく、いつからそこにいたのかも分からない。
ソゴゥは言葉にならないほど驚いたが、何とか無表情、無反応で耐えきった。
赤銅色シャクドウイロの肌に、布を工夫して巻き付けただけの着物から、棒のように細い素足が大地を踏みしめている。

「もしかして、私を迎えに来てくださったのですか?」
ソゴゥは図書館の椅子から立ち上がり、青年のもとに向かう。
青年は頷いた。
「母のもとまで、ご案内いたします」
綺麗な言葉遣いだった。
ただ、明らかに栄養が足りておらず、声量は細い。
青年期にある者だと判断できたのは、彼のしっかりした目を見ての事だ。
「ありがとうございます」
ソゴゥはセダムとクラッスラに「行って来る」と告げ、小さな図書館を後にした。
青年はふとイグドラシルの若木を振り返り「木をありがとうございます」と一筋の涙を流した。

ソゴゥには「何故」が沢山ある。
そして、いま一番表層にあるのは、「何故救済を拒むのか」ということだ。
敵対していた戦争当事国への拒絶ならわかるが、それ以外のエルフや海洋人、有翼人や有鱗人、その他にもこの惑星には、多種多様な人類が存在する。
人間以外の国には、平和を好む種族が沢山おり、そういう国家は被災地や紛争地域への医療支援や人命救助を惜しむことなく手を差し伸べる。
だが、この亡国はその手を掴むことをよしとしない。

自分より頭一つ小さな人間の青年に続き、荒涼した赤い大地を歩く。
「あそこです」
図書館からそれほど遠くない岩を、青年が指す。
その赤い岩のところまで来ると岩の横に、明らかに人工物の、地下に続く真っ黒な穴が開いていた。
青年はしきりに足元に気を付けるように、こちらを気に掛ける。
彼が特別優しい人間なのか、それともこの国の人間はもともと優しい性質だったのか。

百年前の戦争の発端は、この国にある。
戦争を商売として、国庫を潤そうと考えた為政者と、傍観していた国民。
法律は書き換えられ、戦争は悪い事ではないという、それまでとは真逆の意識を植え付けられ、周囲に同調するように、戦争の機運が高められていった。
誰が悪かったのか誰にも分からない。
ここまで悲惨な状態を受け入れなくてはならないほど、彼らの罪は深いというのか。

暗がりを先に行く青年の足元を、魔法で照らす。
青年の足には、人間には本来そんな場所にはない器官がある。
戦時中の人体実験を受けた親から引き継いだものだろう。
今、この亡国にいる人間には全て、世代を経てもそうした傷を体に残している。
ありとあらゆる地獄を経て、彼らはひっそりと滅びの時を待っている。
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