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4 夜の消失 

4-7.夜の消失

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救う亡者を一人決める以前に、まずここで魔法なしで生きていけるのかが問題だ。
濡れた服の上着を脱いで、外套の上に置き、着替えがあるかクローゼットの方へ行ことしていると、部屋のドアがノックされた。
悪魔が戻って来たのかと、ドアを開けると、そこには一番離れた席にいた、軍服の老紳士が立っていた。

「少しお話がしたいのですが、中よろしいですかな?」
老紳士が本を手にしていることに気付き、警戒しつつも部屋の中へ招いた。
「これは」と部屋の様子を見て唖然アゼンとする様子に、ソゴゥは「僕がやったのではありませんよ」と言い訳する。
「先ほども思っていたのですが、そのままでは風邪を引かれてしまいますよ、先にシャワーを浴びてきてください。着替えは、ああ、こちらをどうぞ」
老紳士がクローゼットからバスローブを持ってきて、ソゴゥに手渡す。
「私はそちらで、待たせていただきます。どうぞ、ごゆっくり」
ソゴゥは部屋に誰かいる状態で、無防備にシャワーを浴びる気にはなれなかったが、寒さが限界に来ていたため、警戒しつつシャワー室に向かった。

「ちょっと待ってください」
ソゴゥを追い越して、老紳士はシャワー室の水栓と思しきハンドルを操作して、お湯の出具合を確認し、操作方法を説明して出ていった。
濡れた服を脱衣籠に放り、温かい湯に触れてやっと生きた心地がして一息ついた。
シャワー室から出ると、下着を入れていた脱衣籠が無くなっていた。
とりあえず、バスローブを羽織りタオルで髪を乾かしなら出ると、ホテルスタッフのような出で立ちの若い男女がソゴゥに気付き、腰を折ってお辞儀をする。

「わっ、ちょっ、服着てないんで」
老紳士が「替えの服が用意されておりませんでしたので、お預かりして明朝までに整えてお渡しいたします」と脱衣籠を持った女性のスタッフの方へ視線を向けた。
女性が一礼をして、部屋から退出する。

下着まで持っていかれた。
ソゴゥはシャワー室のドアから出てきて、老紳士が勧める椅子へと座る。
小さな丸いテーブルに一冊の本が置かれている。
その後ろでは、男性スタッフが倒れた大きなテーブルを直したり、傾いた絵を整えたり、ベッドメーキングをしている。

「これをソゴゥ様にお渡ししようと思いましてな」
「これは?」
「先ほどの悪魔の紹介では、オーグル以外の者がどのような者かお分かりにならなかったのではと思い、我々について記されている本をお持ちしました。我々自身が定義している罪についてです。オーグルは自身の名前を知らないことから、その罪の名、『食人鬼』として紹介されていましたが、ジキタリスなどは、こちらのページの『毒』の印がその手の甲にあります。私や、彼女のように常に手袋をしている者も、手袋の上に印があります。私の場合は、このページですね」
老紳士が開いたページにあるマークと、老紳士の白い手袋にあるマークが一致しているのを確認した。
「独裁者とありますね」
「はい、それが私が定義する罪の名前ですな。つまり、私はあの戦時中に『独裁者』として、私の自分勝手な思想に多くの人間を巻き込み、その命を奪った者。という事です」
ソゴゥは目の前の老紳士の目を真っ直ぐに見つめた。
本を掴む指に力が入り、本がキシむような音を発てた。
老紳士は、視覚出来るほどの怒りがソゴゥの体を巡るのを見て微笑んだ。
「貴方が、あの悪魔から何を頼まれたのか、だいたい察しております。おそらくは、我々罪を負った亡者のうちの一人を、救って見せようとしているのでしょう。そして、その判断を下すのに、客観的な視点を用いるために貴方が呼ばれたといったところでしょうな。ああ、答えなくて結構です。これは私の独り言と思っていただきたい。あの悪魔は、こうして亡者が貴方と接触することも想定して、それを踏まえて貴方に判断させようとしているのでしょうから、私は、私の恣意シイでこうして情報を提供させていただいたのです。どうか、疑ってください。私を含む全てを。その姿を、私は私が救われることは望んでいません。これは、フリではありませんよ。本心です。もし私を選んだのなら、貴方を呪ってしまうでしょうな。そして、それと同じくらい、選んでほしくない者がいるという事だけ、お伝えしたかったのですよ」
「貴方の事は、オーナーと紹介されました。オーナーと呼んで差し支えなければそうしますが?」
「それもまた、私の本当の名ではありませんがね」
老紳士は立ち上がり、綺麗に片付いた部屋を見回して頷き、カウンターに用意されていたポットから紅茶をティーカップに注いで、音を発てずにソゴゥの前に置いた。
「それでは、今日のところは、私はこれで失礼します」
老紳士は綺麗な所作で一礼して部屋を出ていった。
ソゴゥは恐る恐る紅茶に口を付ける。
温度、香り、風味が申し分ない美味しい紅茶だった。
ここへ来て、ホッとできることなどなかったが、シャワーといい、この紅茶と言い、綺麗になった部屋といい彼のおかげで快適さを感じることが出来たのには間違いなかった。
ソゴゥは本をメクり、物騒な罪の羅列ラレツを眺めていたところ、突然クローゼットの両開きのドアが内側から大きな音を発てて開いた。
ティーカップを取り落とし、ガシャンと音を発てる。
続けて、中から出てきた血まみれの軍服男と目が合い、口に含んでいた紅茶を盛大に噴き出した。
丁度目にしていたページと、男の手に浮き上がる印が一致していた。
虐殺ギャクサツ」と書かれている。

「おい、何でお前がここにいる」
「ここが、僕にアテがわれた客室だからです」
平常時より一オクターブ高い声で答える。
「客室? おかしいな、俺は隠し武器庫の扉を開けたつもりでいたが、また空間が歪んじまったのか」
男が、クローゼットに戻ろうとしているのを慌てて止めて、部屋のドアから退場いただくよう案内する。
「まだ俺の番じゃないから、今日のところは殺さないでやるよ。まあ、明日食われなきゃの話だがな」
嫌な捨て台詞と共に真っ赤な絨毯の敷かれた廊下を去っていく男の後姿を見送り、部屋へと戻ると、カギを掛けて、ドアの前に丸テーブルを移動させる。
クローゼットの前にも大きなテーブルを移動させて立てかけると、ヨロヨロとベッドに倒れ込んだ。
シャーッと音がして、飛びのくと、ソゴゥに下敷きにされた魔獣が背中を山なりにして威嚇イカクしてきた。

「お前、いつの間に」
ソゴゥは魔獣をポイっとベッドの下へ放ると、綺麗に張り替えられたシーツと柔らかい布団の中に潜り込んで、そのまま疲れて眠りに落ちた。
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