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3 真夜中の攻防

3-2. 真夜中の攻防

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一時間で照明が落ちる。
この場の空気が、成人男性三人が過ごすのに、どれだけ持つなかわからないが、やがて尽きるだろう。
また、中からボタンが押された場合、外からは二度と開かない仕組みとなっている。
イフェイオンは、この箱の中身を外に出さないために自分と二人の部下の命を犠牲にしたのだ。

「うう、イフェイオン班長・・・・・・」
イフェイオンは、部下のゴーグルの奥の混濁した瞳を見た。

すまない。
二人ともこの空間の外に出してやりたかったが、確実にこの空間を遮断するには、一瞬の躊躇いも許されず、こうするより他なかったのだ。
イフェイオンは足元の砂を手ですくってみる。
見た目は床材と同じ素材に見えるが、この強化金属が、ここまで細かな粒子となって削られるはずがない。
手袋を外して、粒子を指先で確かめる。
鉱物や金属の解析に長けた魔術を持つ者がいるが、イフェイオンも岩石や鉱物、金属などの状態や鑑定を得意としており、その際、素手で触れる必要があった。
これは、床材と同一の物だ。
つまり、何かの現象が、このイグドラム国で最も硬いとされる金属を削ったのだ。
イフェイオンは、出来ればこの時間が長く続かないことを願った。
先ほどこの空間を隔絶した際には、これを地上に出してはいけないという、ただその思いだけだったが、こうしてゆっくりと考える時間が出来ると、余計な事ばかり浮かんできてしまうのだ。
二人の部下に目を向けると、思いのほか側にいて驚いた。
意識は依然朦朧としているようだ。
その方が幸せだろう。
私は発狂しないでいられるだろうか。
部下の一人の腕が伸びてきて、イフェイオンはそれを手で払う。
「何だ?」
もう一人も捕まえようというのか手を伸ばしてくるため、イフェイオンは背後の壁に後退り、足元が突然何かにすくわれて、体勢を崩した。
見ると、砂が流砂のように渦を巻いて動いている。
砂は厚みを増し、あっという間に踝まで覆うほど積み重なって、それが意思を持った生き物の様にイフェイオンの周囲に重点的に集まって来る。
泥濘に足を突っ込んだように、この場での歩行が困難な状態に陥っていることに、焦燥を感じた。

イフェイオンは箱の中身について、三つの仮説を立てていた。
一つ目の仮説は高等治癒魔法の利かない病魔に罹患した者の死体。この場合、箱を開けた途端、この病魔が拡散し、災厄が人類に振りまかれるだろう。
二つ目の仮説は創世記の武器。伝説では、武器そのものに魔力や意思がある物が存在するという。漏れ出る魔力がこれほどまで大きいのであれば、荒唐無稽な説とも言い難いだろう。
三つ目の仮説は封じるより他にない存在。海底に箱が置かれていた状況から、海と相性の悪い何かを閉じ込めいたという説が成り立つ。
海と相性が悪く封じるよりほかにない存在には、魔族にいくつかそういう種がある。
これらのどれであっても、世に出してはならない。

イフェイオンは砂を纏わり付かせたまま、箱から離れた壁側へ後退する。
二人の部下は、そんなイフェイオンを捉えようと迫って来る。
魅了、催眠、混乱、混濁といった精神的な魔法攻撃を九割以上遮断する防御服を着ており、また、そうした魔法攻撃に耐性のない者は、この魔法安全対策課には適正なしとして所属することが出来ない。
つまり、精神攻撃耐性の強いエルフと、それを防ぐ防護服の技術をも凌駕する魔術が使われ、この二人と、外にいたウィステリアを操っているという事だ。
ここへ足を踏み入れたことのないウィステリアまでもが操られたのには、何かを媒介にして魔術が拡散されたのだろう。
もともと、適性を認められ課員となった実力のある部下達と違い、ウィステリアは政治的な根回しを得意としてのし上がったエルフだ。上に取り入り、同期を蹴落とし、魔法安全対策課の実務をこなす実力はないが、それらを管理するだけという事で、課長職の座にいるのだから、精神攻撃魔法には瞬殺だったのだろう。

あのデブめ。
イフェイオンは絡めとられた砂によって、足がピクリとも動かなくなり、二人の部下に捕まって箱の前に連れてこられた。
イフェイオンの両手が箱へと付けられ、その瞬間、砂が薄い刃のようにイフェイオンの手のひらを掠って、そこから血が滲みだした。
血が付着したところから、黒い箱の文様に赤い光が奔る。まるで血液が染み込んで移動するように、全体へと光が行き渡る。
たとえ何が飛び出してきても、この空間からは出られない。
イフェイオンは、緊張しながらも、この施設に絶対の自信を持っていた。
この箱から出てきたモノに殺されるか、窒息を待つか。この場においては、前者の方がずっといいように思える。
箱に対し、違和感を覚えた。
イフェイオンは、触れた金属の鑑定が出来る特殊能力を持つ。だがこの黒い箱は、金属や鉱物といったものではなく、生物に触れたように感じたのだ。
二人の部下からは、既に押さえつける力がなくなり、イフェイオンは箱から二人の部下ごと遠ざけて、赤く光る箱を観察する。
最期に面白いものが見られそうだ。
無意味な文様が規則正しく並べ替えられるように、五センチ四方のブロックごとに移動して位置を変え、その文様が四方と見えている上部で一致した形で固定された。

十の悪徳で表される存在を、木の枝が結ぶ邪悪の樹の象徴図。
その第三の「拒絶」の部分が強調されている。

イフェイオンは息を飲んだ。
それは、彼の想像を遥かに悪い方へと超えていたのだ。
封じるより他にないモノ。
邪悪の樹は、魔族の祖となった十の邪神の中でも、その強さが三番目とされている存在を示している。

十の邪神など御伽噺のようなものだ、存在すら虚構である可能性がある。
何者かが、意匠として刻んだだけだ。

目の前で、邪悪の樹を浮かび上がらせた箱は、その形状を一瞬で崩壊させ、黒い砂状となり床へと溜まった後、旋回しながら、部屋の中央で黒い砂の竜巻となった。
竜巻はルビーの粉を撒いたような、赤い光の粒が混ざり、キラキラと光りながら天井部分に達した。
回転の摩擦で、天上の強化金属を削り取ろうとしているのだろうか、というイフェイオンの予想は覆された。
天井の金属が赤い光の線を浮かび上がらせて、箱の時の再現のように五センチ四方のブロックごとに回転をし、結合していく。
穿つのではなく、最初からそういうふうに開閉する仕組みだったとでも言うように、次々と結合した金属に隙間ができ、それが広がって、一メートル四方の大きさ、三十センチの厚さの空間が形成される。また、奥の金属に赤い光が奔り、回転と結合を高速で繰り返して、どんどんと地上へと穴が進む。金属部分が尽きて、硬質な岩盤に達しても、同様に岩盤部分に赤い光が奔って、穴が形成されていく。

このままでは、あっという間に地上まで貫通してしまう。
イフェイオンは、何とか止めようとして、部屋の中央で渦巻いている黒い砂の集合状態を解こうと手を差し入れた。
その途端、砂は、口や鼻、耳などからイフェイオンの体に侵入を果たし、イフェイオンは意識を失った。
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