ひとりぼっちのラパン

沢本新

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5.偽者

17 サンドバッグ

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 登校中から、妙な雰囲気は感じていた。
 僕と同じ制服を着ている学生が、皆一様に僕の方をちらちら見ては、ひそひそ言葉を交し合っている。おかしいとは思ったが、その理由を確かめられるほどの信頼関係を築いている人間は、僕には数えるほどしかいなかった。
 突如街に現れた珍獣か何かのように観察されながら僕が考えた可能性は、浅川のことだった。
 前の日に動物園に現れた後輩の原田のように、僕と浅川が〈ラパン〉によって引き合わされたという事実を知っている人間はそこそこいるのかもしれない。何せ、あの原田という後輩などは、僕と浅川の『期日』まで知っていたぐらいだ。僕が、浅川との関係を承認しないまま消えてしまったことが、何らかの手段でもって校内に広まってしまったのかもしれない。

 ――偽者。

 原田から浴びせられた言葉を反芻する。
 確かに僕は偽者かもしれないが、昨日のゆくえの話が正しければ、偽者なのはきっと僕だけではない。
 〈ラパン〉によって引き合わされ、〈ラパン〉によって感情を操作された、幸せな恋人たち。
 それらは果たして本物と言えるだろうか。

 ――本当に自分だけの感情ってどこにあるんだろう。
 ――心って一体なんなんだろう。

 そんな、心ここにあらずの牧歌的な気分は教室に足を踏み入れた瞬間、綺麗さっぱり吹き飛んでしまった。

『沢村樹が白昼堂々、浮気相手とラブホでご休憩』

 そんな文字とともに、A3サイズに印刷された画像が、黒板に堂々と貼り出されていた。
 教室のざわめきも、その時は遠かった。
 足元が抜けて奈落の底に落ちていくような浮遊感があった。喉から飛び出しそうな鼓動が肋骨の中で所狭しと暴れていて、呼吸の方法がわからなくなった。

「あ……、あい」

 僕は咄嗟に、この教室の中における唯一の友人――相沢の姿を探した。僕が目を向けると、誰もが示し合わせているかのようにさっと目を逸らす。
 そしてそれは、相沢も例外ではなかった。
 気づいた瞬間、僕は廊下に飛び出した。

 なぜ、なぜ、なぜ――?

 そんな言葉をぐるぐると脳内に巡らせながら、下足箱のある一階を目指して走った。
 上履きはその場に置き去りにして、靴だけをなんとか掴み、転がるような勢いで下足室を飛び出した。一目散に走り、校内でも人目につきにくい場所を目指して走った。武道場の裏にある繁みの中の一角に飛び込んで、逃走犯のように辺りを見回す。周囲に誰の目もないのを確認し、僕はようやく大きく息を吐いた。

 なぜ、こんなことに――そう思う反面、およその見当はついていた。
 身体の震えを何とか抑え込み、スマホに保存された校内SNSのブックマークをタップする。
 そこには、さっき黒板に張り付けられていた画像が何度も繰り返しアップされていた。

『沢村樹という諸悪の根源』
『こんなことが許されていいのか』
『裏切られた浅川さんのために、団結して戦おう』

 そんなアジテーションじみた文言が、全校生徒が集うトーキングルームに繰り返し貼られている。見るのも憚られるようなコメントが、道端に落ちたお菓子に集る蟻のように連なっていた。
 恐慌に陥りながら、脳内にほんの少し残されていた冷静な部分が、この事態を分析し始めていた。

 おそらく、公園で倒れた僕をゆくえがラブホへと運んだ瞬間を、誰かが見ていたのだろう。
 校内同士で〈ラパン〉にカップリングされた男の方が、相手を差し置いて他の女と不適切な行為に及ぶ――このご時世、社会的に抹殺されかねない火力十分な炎上ネタであることは間違いがなかった。

 浮気や不倫に幾ばくかの許容の余地が残されていたのは最早遠い過去の話だ。そんな旧世代においてすら悪徳だったそれらの不貞行為は、〈ラパン〉の台頭によって、より救いようのない邪悪へとその社会的地位を変貌させていた。
 何せ、〈ラパン〉が作ったのは『運命の相手』と誰もが幸せにやっていける世の中だ。
 浮気をする必要もなく誰もが最良の相手と幸せになれるのに、どうしてそれを根底から壊す真似をするのか――そんな理屈でもって、浮気や不倫をした者は社会的に抹殺しても構わないという空気が醸成されていた。刑事罰の対象にしようという流れも一部で巻き起こっているくらいだ。
 こんなことを校内で拡散された人間がどうなるかは、火を見るよりも明らかだ。

「よう。探したよ沢村くん」

 うずくまってスマホを見ていた僕の頭上から、冷や水のような声がかかった。
 振り向くと、おそらく先輩と思しき男が四、五人、植え込みの上から僕を見下ろしていた。

「協力してほしいんだよ。こいつボクシングやりたいっていつも泣いてんだけど、かわいそうなことにお金がなくてさ。サンドバッグも買えねえんだ。助けると思って一つ、サンドバッグになってやってくれねーか? 泣く子も黙る悪者の沢村くんにしかできない、大切な役目なんだ」

 男の言葉に、彼らは弾けるようにげらげらと笑った。
 一人が素振りをすると、二人が僕の両脇を抱えて立たせる。感心してしまうほど見事な連携だった。

「じゃあ、」

 言い終わる前に、初めに僕に声をかけてきた男の膝が僕の鳩尾にめり込んだ。経験したこともないような衝撃が背中まで突き抜けていく。

「んだよ、ボクシングじゃねえのかよ」
「あれ? 言ってなかった? 俺が嗜んでるのキックボクシングだから」

 耳障りな笑い声が辺りに満ちる。
 倒れ込もうとする僕を、両脇の二人が強引に立たせると、拳や蹴りが何度も何度も飛来する。そのたびに僕は左右に弾けた。
 限度を超えた痛みは、意識を身体から徐々に遊離させていくようだった。
 身体から抜け出した僕の意識は、サンドバッグそのものになった身体の周りをふわふわと浮遊した。校舎からは、ひそひそ声や好奇の視線が無数に投げかけられた。それらに微量含まれている恍惚を、意識のどこかで感じていた。
 正義の味方が悪者を退治するのは、昔からあるエンターテインメントの王道だ。
 そんな光景をリアルタイムで、特等席から拝めるのだから、楽しくないはずないだろう。

「はいー! 打ち方やめー! お疲れ沢村くん! 明日からもサンドバッグよろしく頼むよ!」

 小一時間ほど練習に励んだ後、一方的に宣言した彼らは、意気揚々と引き上げていった。
 ぼろ雑巾のように打ち捨てられた僕は、しばらくそのまま転がっているしかなかった。身体中が悲鳴を上げていて、痛みのない箇所を見つける方が難しいくらいだ。
 身体が動くようになる前に僕は意識を失い、次に気がついた時にはもう既に太陽が西に傾いていた。

「相変わらず気持ち悪いわね」

 蔑むような声には、聞き覚えがあった。

「やっぱりあんたは偽者だったわね、沢村」

 昨日動物園で会った浅川の後輩――原田結衣が、汚物を見る目で僕を見下ろしていた。
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