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零章 第四部『加速と収束の戦場』
七十一話 「RD事変 其の七十 『信仰の破壊④ 折れぬ両腕』」
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「ええい、放せ!」
サンタナキアがオロクカカと激戦を繰り広げていたその頃、シルバーグランは自身を拘束していたドラグニア・バーンを振りほどく。持ち前の腕力で強引に脱出したのだ。
シルバーグランは、不恰好ながらも見事着地。それだけを見ても、彼のMG操縦技術が優れていることがわかる。
(そろそろ糸も限界。このあたりでいいか)
すでにオロクカカたちとは、だいぶ距離が離れている。ユニサンも頃合だと判断して、最後の糸を使いきって地上に降り立つ。
このあたりは都市の郊外に位置する場所であり、さきほどまでいたビル群とは違い、周囲には高いビルなどは存在しない。比較的広々とした場所であり、好きなだけ暴れられる場所だといえる。
「ずいぶんと運んでくれたな。これは屈辱だ!!」
不意をつかれたとはいえ簡単に拘束されたあげく、まんまと騎士団と引き離されてしまった。
プライドの高いアレクシートにとっては、これほどの屈辱はない。しかし、それだけアレクシートの実力を危惧した証拠でもある。そのためにオロクカカたちは罠を用意したのだ。
アレクシートを隔離するのは予定通り。
最初から彼を狙っていたのではない。流転する戦場の中で、誰がどう動くかを完璧に予想するのは不可能である。決まっていたのは、実力者が出てきた場合は分断すること。合流させないことである。
正直にいえば、ラナーでないことが幸いであった。彼の実力は上位バーンに匹敵する。もしラナーあるいはシャーロン級の武人が出てきていれば、オロクカカであっても簡単に対抗はできなかっただろう。
そのラナーと比べれば、アレクシートは弱い。されど、彼の持つ力は現状を打破する可能性を秘めたものであった。
(オロクカカが警戒する相手。本来ならば、俺は足元にも及ばないだろう)
ユニサンからすれば、アレクシートは高嶺の花である。生まれも扱いも、物的な豊かさもまったく別次元の存在。武人としての素養の差も歴然としている。
それを知りながら、この男は言う。
「お前には、ここで死んでもらう」
すでにユニサンは限界を悟っていた。この戦いが文字通りの最後の戦い。この肉体がもつ、残りわずかな時間を燃焼させて戦う、本当の意味で最後の相手なのだ。
それがロイゼンのナンバー2。
第二騎士団長のアレクシートである不思議。
「妙な敵意だな。お前は私を見ていない。だが、激しい炎だ」
アレクシートは、ユニサンの敵意を敏感に感じ取る。
ユニサンの視線はアレクシートを見ていない。それも当然。ユニサン自身はアレクシートに恨みはない。彼が属するシステム、その背後にある利己主義を憎んでいるのだ。
彼の視線はあくまで【富】に向けられている。
「富の塔に加担する者、すべてが敵だ」
「テロリストにありがちなタイプだな。一方的に決めつける」
アレクシートは、テロリストという人種が嫌いである。彼らは盲目的で、一度そうと決めたら意見を変えることはない。最後まで愚かな抵抗を続ける。
「ロイゼンの騎士、お前は今の世界に疑問を抱かないのか?」
「だから味方になれ、とでも言うつもりか? 馬鹿げたことを。そんなことは絶対にありえない。貴様たちは、闇雲に混乱を引き起こす害悪以外の何物でもない」
「それはお前が地獄を知らぬからだ」
「地獄を知ったからと言って、それに負けたのは貴様の弱さだ。自分の弱さを社会のせいにするな。反吐が出る」
対峙するユニサンからは、会議場で見た悪魔と同じ匂いがする。アレクシートが悪魔に感じた嫌悪感と同じものである。
傲慢さ。
アレクシートが感じたものは、その言葉が一番しっくりくる。
「貴様らテロリストは、世界のすべてが自分の物だと思っている。それが気に食わん」
「それもまたお前が無知だからだ」
「そういうところが気に入らない。いいか、我々は絶対にお前たちの思い通りにはさせん。悪は必ず滅びるからだ。くだらん害悪は私が駆除する」
「ははは。お前も俺と同じだ。既成観念に囚われし者よ」
悪魔側からすれば、カーリスという既成宗教こそ、偏見と凝り固まった精神構造の塊である。彼らは現在には住んでいない。過去にすべてを置いてきた者たちなのである。
が、銀の聖闘士はぶれない。
「言葉は不要。敵を倒すだけだ」
彼はアレクシートであって、サンタナキアではない。説得に応じることも、試みることも絶対にありえない。それが彼の強さである。
「俺もそのほうが気楽だ。遠慮なく、お前を殺させてもらう」
「ふんっ、それはこちらの台詞だ」
アレクシートは周囲を警戒。少なくとも見える範囲において他の敵はいないようである。
(索敵は苦手だ。伏兵がいてもわからんな)
アレクシートは波動円も使えるが、その範囲が非常に狭い。伸ばせてせいぜい数十メートルといったところである。生身ならば十分有効だが、MG戦闘においては到底使えるレベルではなかった。
周囲を覆う戦技結界は、非常に難しい技の一つである。おそらくアレクシートは、志郎が使った無限抱擁を永遠に使うことはできないだろう。技の相性そのものが悪いのだ。
アレクシートは、面で敵を倒すタイプの武人である。強力な一撃を前面に叩きつけ、爆発力で敵を圧倒することに長けている。そういった武人は、力を一方に集中することが得意なので、全面を覆う戦技結界が苦手な傾向にあった。
周囲にビルのような大きな建造物はないが、かなり日も落ちてきて薄暗い中である。全方位探知が不可能な現状では、敵が隠れようと思えば難しいことではない。
周囲はすべて敵。伏兵の可能性も否定できない。
たしかにピンチである。だがそれは、アレクシートの技に巻き込まれる味方もいないことを意味する。
(ならば、むしろ話は簡単だ。見つけた敵を全部倒せばいいだけのこと。迷うこともない。全力を出せる)
アレクシートが先陣を務めるのは、その攻撃が周囲に影響を与えるからだ。炎王強撃波のように、放つと前面に被害が出る技が多いので、味方がいると邪魔なのだ。
アレクシートは索敵を諦め、目の前の敵に集中することにする。そうした割り切りも彼の魅力であり、オロクカカが警戒したのもその性格である。
実際、サンタナキアは防御を最優先に考えた。それは正しいが、あの場合においての相性としては、アレクシートのほうが良いのである。多大な犠牲が出るが、サンタナキアと二人ならば、オロクカカを討ち取れる可能性もあったのだから。
彼らはまだ知らない。バーンを討ち取るという功績が、この世のいかなる名誉にも勝ることを。
「ロイゼン神聖王国、第二騎士団長の首、けっして安くはないぞ!! 身の程を思い知らせてくれる!!!」
シルバーグランから真っ赤な戦気が燃え上がる。戦気は装甲の表面を走り、銀色の機体が赤くなったように厚い。
彼も内心、怒り狂っていたのだ。
もちろん自分自身にである。
独断で騎士団を動かし、あまつさえ多くの部下を失った。彼らは優秀な騎士である。そのすべてはロイゼンの宝であり、カーリスを守る勇者たちなのだ。彼らを無駄死にさせてしまった。その想いがアレクシートを奮い立たせる。
「言い訳はしない。私が招いたことは、自ら責任を負う!!」
アレクシートの心が炎気となってグレイブを覆う。即座に戦闘準備完了である。その様子に、ユニサンは舌を巻いた。
(まったく動揺していない。恐るべき意思の強さだ)
普通の人間が失敗をすれば、少しは動揺したり後悔したりするものである。どんなに気丈な人間でも、わすかな気の乱れはある。
しかし、アレクシートにはそれがない。
失敗したことを正当化して誤魔化す気もなければ、逃げるつもりもまったくない。それどころか自己に活を入れて、ますます強い力を発揮していく。
完全に【英雄気質】。
小事にこだわらず、目の前のことに集中できる。これはまさに大将の器である。まだ若く、ラナーの陰に隠れてはいるが、正真正銘の将なのだ。
だからこそユニサンにはありがたい。
(最期に闘う相手だ。それでこそ価値がある)
ユニサンには、いまだに場違いに感じていた。
ここはどう考えても自分がいてよい場所ではない。アレクシートにしてもルシアの雪騎将にしても、どれもが一級品の武人たちである。名声も実力も、本来の自分ならば絶対に届かない相手。対峙することすら不可能な相手。
それが目の前にいるのだ。
悪魔に魂を売ったおかげで、自分もまた主役になれている。けっして目立ちたいわけではなかったが、辛酸を舐め続けた過去を思えば奇跡である。
「ならば、己がすべてを出し尽くすのみ!! いくぞ!!」
最初に沈黙を破ったのはドラグニア・バーン。シルバーグランの前に身を晒すように突進すると、拳を繰り出す。
ドラグニア・バーンは大型の機体で、シルバーグランの一回り以上大きい。それもドラゴンを模した半獣人のような様相。やや上部から繰り出される威圧感溢れる攻撃は、常人ならば恐怖の対象である。
「障害は叩き潰す!!」
その様子にもシルバーグランは怖気づかない。真正面に立ち塞がりドラグニア・バーンを見据えると、グレイブを一閃。巨大で重い青龍刀のようなグレイブが、恐るべき速度で振り回される。
激突。
両者の武器が正面から衝突し、原因に対する当然の結果が訪れる。
―――まず最初の結果。
ドラグニア・バーンの繰り出した拳が、グレイブの威力に圧されて弾かれる。ユニサンの右腕を激しい衝撃が襲った。
(なんという一撃だ。このドラグニア・バーンの拳を弾くか!)
現在のユニサンは強化された身体に加え、ドラグ・オブ・ザ・バーンの試作機でもあるドラグニア・バーンを使っている。ドラグニア・バーンのパワーは、そこらのオーバーギアを遥かに超える力を持っている。
それを弾いたのだ。
しかも最初に攻撃したのはユニサンのほう。あとから繰り出したにもかかわらず、シルバーグランのグレイブは悠々と間に合った。その振りの速さも桁違いである。
―――そしてもう一つの結果。
(ダメージを与えられなかった。全部吸収したのだ)
アレクシートも結果に驚く。
弾いたとはいえ、本来ならば拳を粉々に砕くほどの強撃である。それを受けてもドラグニア・バーンは無傷。彼の周囲をまとっている闘気のせいである。
闘争本能が具現化した闘気は、非常に分厚い性質を持っており、いかなる攻撃のダメージも吸収することができる。ドラグニア・バーンの装甲に加え、ユニサンの闘気があれば、アレクシートの攻撃にすら対応は可能だ。
「一撃で倒せないのならば、何度でも叩く!!」
シルバーグランは突撃。いくら強固な装甲と闘気とはいえ、強撃を続ければ破壊は可能である。怖れなく間合いを詰める。
「はっ!」
それに対して、ユニサンは闘気波動で迎撃。
ドラグニア・バーンのTJMが、闘気の威力を二倍に引き上げる。ナイト・オブ・ザ・バーンのものよりも出力は数段以上劣るが、天才タオが開発した化け物モーターである。
その威力は桁違い。
左手から発せられた闘気波動は、シルバーグランを暴虐な力の渦の中に陥れる。まるで人間が暴風に立ち向かうように、なかなか前に進めない。
しかし、それでも。
それでも一歩。二歩。三歩!
「うおおおおおおおお!!」
アレクシートの炎気が闘気波動に割り込んでいく。暴風に対して暴風で挑むかのごとき姿勢で立ち向かう。燃える、燃える、燃える。アレクシートの戦気が燃えていく。
「このようなもので止まれるか!!」
シルバーグランはグレイブの先端に戦気を溜めると、炎気によって割り込んだ隙間に一気に振り下ろす。ゼッカーのバイパーネッドを一撃で破壊した炎王強撃波である。
その威力も同じく絶大。
闘気に激突したグレイブは、まさに大爆発を起こす。その爆炎で両者が吹き飛ぶほどの衝撃であった。
(まさか、強引に突破するとは!)
ユニサンの闘気波動の威力は申し分なかった。そのまま圧力の中に閉じ込めれば、いくらシルバーナイトでも損傷を負っていたはずだ。
それを強引に切り開く。力づくで破壊する。
それにはユニサンも驚きである。同時に英断でもある。そのまま受けに回るよりも、攻撃をしたほうが相手は嫌なものである。待ち伏せを得意とするオロクカカが、なぜ彼を嫌ったのかがよくわかる。
猪突猛進は、場合によっては愚策にもなりえるが、それができるのならば立派な戦術となる。サッカーの試合でも、サイドに開くのは中央突破ができないからだ。もし突破できる力があれば、素直にそのほうが楽である。
アレクシートは、前面への攻撃には自信がある。相手が誰であれ、自分の戦い方を変えるつもりはなかった。だが、ロイゼンの若大将の無謀さは、それにとどまらない。
「まだまだまだ!!」
体勢を立て直したシルバーグランは、即座に突進。様子を見るとか間合いを広げるという発想は皆無。まったくない。最初から持たない。
アレクシートの本領は攻撃。
切り込みこそ彼の持ち味。
「斬り伏せる!」
シルバーグランは、グレイブを回転させながら振り回す。その戦い方は、まるで戦場で敵に囲まれている荒武者のようである。周囲一帯を強引にねじ伏せる剛の剣と化し、ドラグニア・バーンに襲いかかる。
しかもグレイブにまとった炎気は剣を熱し、触れるものすべてを焼き裂く刃となる。振り回した熱量だけで、周囲のアスファルトが溶解しつつある。
(いい戦気だ。まったく淀みがない)
アレクシートの戦気は、非常に淀みがなく綺麗である。それだけならば志郎にやや似ているが、その中にジン・アズマのような刺々しいものが含まれている。それは常に戦いの中に身を置く者に共通したものである。
サンタナキア同様、実戦経験自体はさほど多くはないが、彼も常に人生と戦っているのである。そうした者が放つ戦気は、いつだって心地よいものである。
ドラグニア・バーンは、強引にくる相手の動きを予測し、一つ一つを的確に防御していく。振り下ろしは力を受け流し、横薙ぎはしっかりとナックルを当てて防ぐ。一撃一撃は重いが、けっして対応できないものではなかった。
その攻防がしばらく続き、場には重い打撃音が何度も響き渡る。そのたびに地面が揺れるようである。
(この男、防御が上手い。サキアのようだ)
アレクシートも、思わず唸るほどの捌き。同じく防御の上手いサンタナキアを思い出す。
アレクシートとサンタナキアの模擬戦は、いつも膠着状態に陥る。アレクシートの剛撃に対して、サンタナキアは常に防御を優先させて対応していく。お互いの技量は似たり寄ったりなので、次第に体力が尽きて引き分けになる。
サンタナキアも攻撃力は高い。その気になれば相討ちくらいにはなるだろうに、模擬戦のせいか、常に防御優先なのがアレクシートには気に入らない。
が、そもそもそれが普通なのである。近代戦闘で重視されるのは防御である。いかに損害を出さないか、深刻なダメージを負わないか、生存第一なのは当たり前なのだ。
一方、アレクシートはもともと身体が丈夫なので、防御を疎かにしても致命傷を負うことは少ない。当然ながらサンタナキアも殺し合いなどはやらないので、相討ち狙いもしない。訓練が多くなる中で、アレクシートが攻撃特化したのは必然の流れである。
しかしながら、今この場においては話が違う。
命などいらないという男がいるのだ。目の前に。
打ち合いが二十回ほど続いた時である。シルバーグランの攻撃に対してドラグニア・バーンが飛び出した。誰が見ても危険な行為である。アレクシートも反射的に、いつもの調子で攻撃にいく。
ドラグニア・バーンは防御の姿勢を取らずにグレイブの直撃を受ける。一撃は重く、さすがのドラグニア・バーンとて、攻撃が入った頭部に亀裂が入る。アレクシートは一瞬勝ったと思った。いつもならば、一撃が入った相手は必ず倒れるからだ。
だが、その思い込みこそが最大の隙となる。
「肉はいくらでもやる。だが、骨はもらう!!」
ドラグニア・バーンは、ダメージを受けながらも止まらない。
獣の如き速度で懐に入り込むと、渾身の一撃をシルバーグランの胴、攻撃によって防御ががら空きとなった右腹部に、思いきり踏み込んで強烈な一撃を叩き込む!!
「―――っ!」
その瞬間のことは、アレクシートは覚えていない。
一瞬であるが意識を失ってしまったのだ。
ただし、意識を失ったのは、衝撃によって生身に影響を及ぼしたからであり、直接的な損傷ダメージの影響ではない。
問題はもっと深刻である。
ドラグニア・バーンが攻撃したのは、人間でいえば肝臓。ボクシングでリバーブローをもらったようなもの。では、ここには何があるのか。
パイロットから見てコックピットの右側には、ダイレクトフィードバックシステムの補助装置がある。ここはジュエルモーターから送られてくる情報を処理する場所でもある。
ユニサンはここを叩いた。
それが意味するものは。
「ぐううう―――がはっ」
意識を取り戻したアレクシートの視界が、白い斑点で埋め尽くされる。痛みよりも冷や汗が溢れて、激しい悪寒を感じる。その気持ち悪さは言葉では言い表せない。内臓を誰かに掴まれる気味の悪さと恐怖、といえば多少はわかるだろうか。
(なんだ…これは…。力が入らない…)
このような攻撃をアレクシートは受けたことがなかった。初めての経験に思わず手足が止まって硬直してしまう。
「ドラグニア、暴虐の爪を!!」
硬直したアレクシートを見逃すほどユニサンは甘くはない。ドラグニア・バーンの右手から爪が伸び、荒々しい凶器となる。それを今度はコックピットに叩き込む。
「この程度…で!!」
シルバーグランはグレイブを引き戻し、ギリギリのところで防御に成功。だが、伸びた爪はコックピットの装甲を抉る。
瞬間、アレクシートは腹に熱いものを感じた。ダメージ還元である。しかも、いつもより反応が過敏であった。フィードバックシステムに異常が発生しているのかもしれない。
感覚が過敏になることは、けっして良いことではない。それだけ痛みにも敏感になってしまうからだ。訓練すれば武人は痛みを消すこともできるが、MG搭乗中はこれが案外難しいのである。
ナイトシリーズの扱いが難しい点が、ここにある。ただでさえMG戦闘と生身の戦いは異なるうえに、ジュエル・モーターによって拡大された意識は過敏となるのだ。
たとえば、電車の中でカバンが少し触れているだけで、誰かに触られている気分になることがある。それが全身に広がるのだ。それに慣れないと、MGとの間に動きのギャップが生まれることになる。
これは実戦の多さによってカバーしないといけない。訓練だけでは、けっして身につけられない感覚なのである。ユニサン自身は、アーズ時代からMGに慣れており、この点でアレクシートより優位に立っていた。
(くっ、ダメージを回復しなければ!)
アレクシートは咄嗟に下がる。これは信条など関係なしに、身体がそれを要求したからである。さすがの彼も、現状のダメージでは従わねばならなかった。
「逃がしはしない!」
ドラグニア・バーンは追撃の手を緩めない。動きが鈍ったシルバーグランを容赦なく追い込む。
まずは右の拳で敵の防御を誘い、その隙に再び腹部に左拳を叩き込む。それを防御しにきたグレイブを見るや否や、今度は相手の左腹部を狙う。
だが、それも囮である。
相手が反射的に左腹部を防御しようと身を屈めた瞬間、ユニサンが狙ったのは突き出したシルバーグランの肘である。フェイントを交えて放った一撃は、重さこそ並であったが、確実にシルバーグランの肘を捉える。
「―――ぐっ!」
その痛みに思わずアレクシートも呻く。
無理もない。突き出した肘は無防備である。自分の肘のちょっと外れた部分を叩いてみればわかることだが、ここを強く叩かれると、痺れて肘が伸びなくなる。
そう、急所である。
人体にはいくつもの急所があり、人を模したMGにも幾多の急所が存在する。肘もその一つ。それは設計者も知っているので、MGの中には肘あてを装備しているものも多い。
だが、大型の得物を振り回すことを優先しているシルバーグランは、肘関節があまり強くない。サンタナキアのシルバーフォーシルとは別の意味で、機体の可動域を広げようとした結果である。
ユニサンはそこを狙ったのだ。
彼は、ただ受けていたのではない。相手の攻撃を観察していたのだ。初動はどこで、どうやって力が伝わって、どれくらいの攻撃になるのか。防ぎながら突破口を探していたのだ。
攻撃の質自体は、アレクシートは間違いなくジン・アズマに匹敵する強者である。されど、ジン・アズマにあってアレクシートにないものは、攻撃の強弱であろう。常に全力投球では、相手はいつかタイミングに慣れてしまうのだから。
「くらえ!!」
ドラグニア・バーンが炎龍掌を放つ。膨大な爆炎が噴き出し、シルバーグランを襲った。
(ふん、この程度の炎など効かぬ)
シルバーグランは、炎に対して絶対的な耐性を持っている。リビアルの自爆にも無傷だったほどである。いくら炎龍掌でも火気を使っている以上、シルバーグランに対しては無効である。
そんなことはユニサンも知っている。
ここで再び国際連盟側のハンデが浮き彫りになる。ラーバーン側は、事前に相手の情報の大半を取得している。どの艦隊が来るかも知っており、有名な騎士や魔人機のデータをすでに持っているからだ。
すべて対策済みなのだ。
状況によって多少変化するだけで、それらもほぼ想定の範囲内である。唯一の誤算であるハブシェンメッツによって一時的に停滞したが、そもそも万全の態勢で奇襲を仕掛けたラーバーン側が有利なのである。
シルバーグランが炎に強いことは知っている。
だからこそ、それが油断となる。
ドラグニア・バーンは、自己が作り出した炎の中に飛び込む。何気ない行動であるが、実はこうしたことをやる武人は少ない。
武人は、自分が放った技で傷つく。
この当たり前の原則があるからだ。自分が作ったとはいえ、生み出した物理現象は自分すら焼くことになる。ユニサン自身も、アズマとの戦いで自らの炎でダメージを負ったことが何よりの証である。
それでも飛び込むのは、勝算があるからである。
この時、アレクシートはまったく想定していなかった。ユニサンが飛び込んだこともそうであるし、ドラグニア・バーンもまた、炎に強い耐性があることを。
ドラグニア・バーンの属性は炎。シルバーグランと同じ属性である。同じ属性同士が戦う場合は、当然ながら【格】の差によって力関係が決まるが、今回の場合は両者ともに互角であろう。
試作機とはいえ、タオが造った超特機の一つであるドラグニア・バーンは、シルバーナイトシリーズと比べても遜色はない。設定が安全面を度外視しているぶんだけ、むしろ上回っているといってもいい。
ならば、勝負を決めるのは武人の差。
実力ではアレクシートのほうが上である。
だが、若い。
アレクシートは、まだ若かった。
いかなる素養を持っていても、彼はまだすべての潜在能力を発揮してはいない未成熟な個体。一方、ユニサンはアレクシートには劣るが、そのすべてを賢人の遺産を使って引き出している成体である。
爆炎に飛び込んだドラグニア・バーンは、一気に間合いを詰めてシルバーグランに肉薄する。
「なっ!」
アレクシートは、これにまったく対応できない。相手の情報を知らないことは恐ろしいことである。それ以上に、こちらの情報をすべて知られているのは、もっともっと恐ろしいことである。
ドラグニア・バーンは、左腕をガードの中にこじ入れ、ぐっと【間】を作った。
「俺のすべてを持っていけ!!」
「しまっ―――」
アレクシートが何をやろうとしても間に合わない。さきほどのリバーブローが効いていて、踏ん張りが利かないのだ。
そこに全力の虎破。
ドラグニア・バーンによって高められた、ユニサン最大の攻撃手段を叩き込む!!!
ドグシャッ
妙な陥没音が響いた瞬間、シルバーグランは吹き飛ばされる。その勢いは野球のホームランボールのごとく、高々と空に舞うほど。
五秒。
あの巨体が、宙を舞っていた時間である。
そして落下。
満足な受身を取ることもなく、シルバーグランは大地に叩きつけられた。何かの施設の金網を破壊しながら、ようやく止まる。それはボクシングでノックアウトされ、ロープに絡まって気絶している姿に似ている、実に無様なものであった。
屈辱であるが、これが現実である。
ユニサンは、その光景に歓喜していた―――わけではなかった。
(身体が…重い。もはや呼吸はできぬか)
すでに肺が動きを止めつつある。練気ができずに戦気の放出が不安定だ。さらに志郎たちとの戦いによって、心臓も一度潰されている。血液の循環も止まりつつあった。
生きていることが不思議なくらいの状態であるが、ザックル・ガーネット〈不変の憎しみ〉の力によって、かろうじて生き延びているのが現状である。ガガーランドの援助がなければ、すでに死に絶えているだろう。
(憎しみはない。やはり湧き上がってはこないか)
ザックル・ガーネットの力の源である憎しみは、アズマによって斬られた。すでに完全に断たれてしまったようで、周囲の憎しみを満足に吸収することができない。
こうなれば、残った力は魂の力。
人が持つ炎の力だけである。
それは怒り。
「怒りを燃やせ!! 俺にはまだ怒りがある!!」
自らの血を、肉を、魂を燃やし、戦気とする。
ユニサンの黒い般若の身体全体にヒビが広がると、そこから赤い蒸気が噴き出し、コックピットが赤く染まっていく。これはもうオーバーロード以上の、存在そのものを燃やした最後の抵抗である。
(これは…何だ?)
アレクシートは、虚ろな視線で空を見上げていた。
そこに見えたのは、ドラグニア・バーンから発せられた赤い霧が、まるで生きているかのように蠢いている姿。目の錯覚か、般若のような、おどろおどろしい形相をした人間の顔が見えた。
ごふっとアレクシートが、口から吐血。自らの状態を探ってみると、目も当てられないような惨状が広がっていた。追い討ちをかけるようにAIが治療を提案。
〈出力約二十五パーセントダウン。これ以上の戦闘続行は、人体に深刻な影響があります。止血剤とアルビオンの投与を提案します〉
モニターには、人体スキャンの結果が表示される。腹筋と小腸がずたずたに破壊され、常人ならば七転八倒の痛みを受けているか、とっくに気絶あるいは死亡しているレベルである。それ以外にも細かい損傷は多く、かなりの重傷である。
〈自動制御による撤退を提案します〉
この状況は、AI側が戦闘を避けることを提案するくらいに酷い。
通常、撤退の目安が三十パーセントの出力低下である。この段階にくれば、もう戦闘不能と考えてもよいだろう。ただ、これで済んでいるのはアレクシートの肉体が強いからである。
同じ剣士であったアズマがくらえば、腹がなくなったほどの一撃。その直撃を受けて、まだこの程度で済んでいることが驚異なのである。
(跳んでいなければ、死んでいたかもしれんな…)
直撃をもらう瞬間、最後の力を使って自ら跳んだ。それが最悪の事態を避けられた要因である。最後まで諦めなかった。その意思の強さこそが彼の強さでもある。
それでも戦闘が難しい状態であるのは事実。
それが通常の戦闘であれば。
これが単なる模擬戦であれば。
だがこれは、自身の存在意義をかけた闘いなのだ。別段、望んだわけではないが、いつだって物事は自分の意思とは関係なく進む。それにいちいち文句を言っていたら、とても人生などやっていられない。
アレクシートは、そんな惰弱な男子ではない!!
けっしてない!!
「ふざけるな…。ふざけるな!!! アルビオンなどもいらん!! 私に恥をかかせるな!! なにが聖騎士か! なにがカーリスの騎士か!! 這いつくばっているだけでは勝てんのだ!! 弱気を吐くような人間に、なにができるものかぁあああああああ!!」
「おおおおおおおお――――――!!」
アレクシートには、痛みなどはもうなかった。それ以上に感じているのは、なんと皮肉なことに、ユニサンと同じ怒りである。
自分自身に対する怒りがピークに達する!!
身体中の血が燃え上がり、急速に身体をめぐっていく。
燃えるように熱い、熱い、熱い!!!
怒りが彼を突き動かす!!
アレクシートの気質は炎。奇しくもユニサンと同じもの。
だから立ち上がる!!
戦うために! 勝つために!!
「私は理想のために戦うのだ!! ラナー卿とともに、カーリスに新たなる秩序を打ち立てる!! くだらぬ者たちに邪魔はさせぬ!!」
アレクシートが第二騎士団長の座に甘んじているのは、ラナーを崇敬しているからである。
ラナーは、現在のカーリス教の内部体制について不満を抱いている。エルファトファネス法王にではなく、その周囲に対してである。ラナーは改革派の急先鋒であり、アレクシートも同じ【改革女神派】に属する改革左派である。
アレクシートは、出自の低いラナーに変わって、貴族出身のカーリス騎士たちの支持を集める役を買って出ている。その甲斐もあってか、騎士団の六割はラナー側が掌握していた。
もし、もしもだ。仮にカーリスの反対勢力が邪魔をするのならば、武力をもってしてでも正すつもりでもいる。それだけの大きな動きが控えているのだ。
「お前たちは邪魔なのだ! このタイミングで出てくるなど、嫌味でしかない! 敗北は許されないのだぞ!! 我々の前には未来がある! それがどうして、こんなやつらのために犠牲になる必要がある!!」
「ふざけるな!!!」
アレクシートの信仰心が燃え立ち、意思の力で機体を持ち上げる。
「許さん!!! 貴様ら全員、地獄に叩き落してくれる!!!」
―――この時、アレクシートの中で何かが弾けた。
具体的にそれが何かはわからない。ユニサンの怒りに反応して、彼の中に眠っていた怒りが目覚めたのかもしれないし、もともとあった枷のようなものが外れたのかもしれない。
いや、もはや理由など、どうでもよい。
彼の脳裏にあるのは、目の前の敵を倒すことのみ。
ただそれだけに意識を集中させたのだ。サンタナキアは、オロクカカとの対話で真実を聞かされて動揺したが、今のアレクシートの耳にはいっさい入らないだろう。
なぜならば、この時の彼は―――
「うおおおおおおおお!!」
アレクシートの叫びとともに、シルバーグランが突進。激情に支配されたアレクシートは、ますます直線的な動きに拍車がかかり、一直線に突っ込んでくる。
(さすがだな。まだ動けるか)
さきほどの一撃は、ユニサンの全力のもの。直撃して動けるなど信じられないが、それでこそ大国ロイゼンの騎士団長である。やはり五大国家の騎士は、一味も二味も違う。
「ならば受けて立つのみ!!! まだ俺は死んでいない! 生きている限り、あがくぞぉおおおおお!」
ユニサンは向かってくるシルバーグランを確認すると、潰れた肺と心臓の制御を諦め、全身の筋肉だけで強引に血流を動かしていく。所詮応急処置であるが、これで今しばらくは戦える。肉体が動く限り、魂が存続を許される限り、ユニサンが止まることはないのだ。
ドラグニア・バーンは、突進を正面から受け止めない。体勢を入れ替えるように回避。半死半生の身とて、幾多の死線を乗り越えてきたユニサンには、経験という武器があった。
「ううううう、おおおおおお!!」
が、シルバーグランは急旋回。
大地を強く踏みしめ、地面を破壊しながら、力任せに方向を変えた。
その急激な転回に、足の筋肉が悲鳴を上げる。それに耐えきれず、いくつかの筋繊維が千切れたが、それすらもお構いなしに強引に体勢を持ち上げる。
そこからグレイブ一閃。
横薙ぎの一撃が襲う。
(死に体で放たれた一撃など)
ドラグニア・バーンは冷静に対応。シルバーグランの体勢は、後ろに重心がかかっている死んだ状態。あれでは強い一撃は打てない。
ドラグニア・バーンは、グレイブの刃先にしっかりと狙いをつけてナックルを叩き込む。ドラグニア・バーンの拳は、強撃でも耐えうる強度。今回も上手く弾くつもりであった。
ミシミシ。
そんな嫌な音が聴こえたのは、ナックルが刃先に当たった瞬間であった。右拳に激しい圧迫感が襲いかかり、脳髄に雷が走る。
(―――まずい)
このままでは拳が破壊されると直感したユニサンは、咄嗟に拳を引っ込める。
直後、グレイブがドラグニア・バーンの頭部の近くを通り過ぎる。ドラグニア・バーンも無理な体勢であったが、シルバーグランも無理やり放った一撃。それが幸いしてか回避には成功する。
しかし、すでに身体の機能が半分停止しているユニサンでさえ、思わず冷や汗を掻いた一撃である。
(この一撃は違う。もはや別人だ!)
ユニサンは、アレクシートが今までとは違うことに即座に気がついた。
ユニサンの顔を押し潰さんとばかりに押し寄せる力の奔流は、さきほどとは桁違いの勢いである。互角であった拳を打ち崩すほどに、今のシルバーグランは気迫に満ち溢れている。
「消えろ、消えろ、消えろ!!!」
シルバーグランは、力任せにグレイブを振り回す。
この光景もさきほどと同じだが、やはり威力が違う。グレイブに当たったものすべてが、一瞬で存在を消失させる威力。地面が砕け、破壊され、分解するほどの威力に、思わずドラグニア・バーンも下がるしかない。
なぜ突然、力が強くなったのか。
その理由をユニサンはよく知っていた。
なぜならば自分も一度体験しているから。
(オーバーロード〈血の沸騰〉か)
追い詰められたアレクシートは、無意識のうちにオーバーロードを引き起こしていた。だから突然、力が倍増したのである。
アレクシートも、血の沸騰の危険性は知っている。騎士団でも、本当に最悪の事態以外で使うことは禁忌とされている。一度使えば、確実に死んでしまうからである。
「熱い!! 燃えるようだ!! これが信仰の力か!! ラナー卿と同じ力なのか!?」
アレクシートの心に信仰心が湧き上がるたびに、血が燃えていく。血が燃えるたびに、想像を絶する力が引き出されていく。それは武人ならば誰もが求めるもの。絶対的な力。その陶酔。
「私の邪魔をする者は消えてしまえ!!」
シルバーグランがダッシュ。その速度もさらに上がっている。一気にドラグニア・バーンに接近してグレイブを振り回す。
「ちいい!! この速度はよけきれん!」
消耗しているユニサンでは回避ができない。最初と同じく拳で迎撃するが、激突のたびに激しい衝撃が拳に走っていく。
ガキン ガコン
ドラグニア・バーンの拳が凹んでいく音が聴こえる。ダメージ還元によって、ユニサンの拳にもヒビが入っていく。
(まずい。闘気が不安定だ。これでは防げぬ!)
肺が潰れて練気が不完全な状態では、戦気の上位版である闘気は安定しない。そもそも戦気は、武人に必須の攻防一体の武器。それが薄れてしまえば戦闘力全体が落ちてしまう。
その結果。
「うおおおおおお!!」
シルバーグランの一撃が、ついにドラグニア・バーンを捉える。なんとか両腕でガードするが、容赦なくガードごと吹っ飛ばす。その威力でドラグニア・バーンの両腕の装甲も割れていく。
(防御用のアームまで破壊するのか!? なんて威力だ!)
アームガードで受けたにもかかわらず、お構いなしに破壊していく。この力は、単なるオーバーロードだけとは思えない。
アレクシートが、単純に強いのだ。
武人として持っている素養が相当に高い。単純な才能値だけならば、上位バーンにすら匹敵する潜在能力を持っている。それが血の沸騰によって一時的に解放されたのである。
生まれ持っている天賦の膂力も数倍。
どんな不利な体勢からでも、上半身の力だけで強引に敵を倒せてしまう、生まれ持っての破壊力である。この戦い方をされてしまうと、いかにドラグニア・バーンであっても、もう手が付けられない。
「すごいぞ! 信仰心がそのまま力になるようだ!! 今、私は守護を得たのだ!! もはや何者にも負けぬ!!」
アレクシートから無尽蔵に戦気が溢れていく。
しかも強度が尋常ではない。強靭でしなやかで、燃えるように熱くて巨大。これが彼の持つ真の力だとすれば、それこそ末恐ろしい大器である。間違いなく稀代の英雄として名を残す器だろう。
しかし、このままでは彼は死ぬ。
アレクシートは、自分がオーバーロードをしていることに気がついていない。ただの信仰の高まりによる相乗作用だと思っている。
これが怖いのである。
自分が死に近づいていることを知らない。信仰がなせる業であると思ってしまう。信仰心が強い人間ほど、こうした傾向がある。これは女神の祝福なのだと。聖女の導きなのだと。
だが、それは偽りである。
ユニサンたちに言わせれば、それは―――
(これが【呪縛】の効果か)
ユニサンは、メラキからカーリスの暗部についてのレクチャーを受けていた。カーリスが行っている、非人道的な行いも知っている。だから口惜しい。
アレクシートのような偉大な才能溢れる男を、どうしてこのようにしてしまったのか。正しい教育、正しい知識を身につけさせれば、人々を導く存在にもなれるというのに。
しかし、こうなってはもう殺すしかない。もともと殺すつもりであるが、確実に殺しきるしか道はなくなった。
(かなり厳しい相手だ。やれるか?)
今のユニサンは、立っているだけでも全身に激痛が走っている状態である。肉体の痛みは鈍いが、魂が欠けていく強い痛みに襲われていた。自分が神法に違反しているという罪の代償である。
(怒りに囚われ、肉体を改造し、それでもなお破壊を続ける悪鬼。俺にはお似合いの姿であろう。だが…!!)
まだ戦える!!
戦わねばならない!!
彼の中に消えない痛みがある限り!!
母親と妻、子供を殺された恨みが消えない限り!!
不平等を押しつける【悪】を撃ち滅ぼすために!!
目の前にいる、既得権益のために人の道すら逸脱する外道どもを殺すには、ただにこやかな善人では駄目なのだ。鬼の力。悪鬼の力。悪魔の力が必要なのだ!!
怒り、怒り、怒り、怒り、怒り!!!
殴っても収まらず、謝られても許せず、奉仕されても足らず、相手が苦しんでも当然だと思うほどの、恐ろしい怒り!!
今、ユニサンを動かすのは怒りのみである!!
「貴様らを打ち倒してこそ未来がある!!」
ドラグニア・バーンは両手にありったけの戦気を溜めると、シルバーグランに接近戦を仕掛ける。
(ギリギリまで懐に入らねば倒せぬ)
現在の中近距離戦では、グレイブを操るシルバーグランに太刀打ちできない。このままずるずると後退させられて、最後に力尽きて死ぬだろう。
勝機があるとすれば【超接近戦】。
しかし、ここに至るまでが地獄であった。
「おおおおおおおおお!」
能力を解放したアレクシートは、腕力だけが伸びたのではない。感覚も戦気の質も、動体視力もすべてが上がっている。
ドラグニア・バーンが近づけば、グレイブで薙ぎ倒そうと振り回してくるが、そのすべての精度が上がっている。的確にドラグニア・バーンを捉えてくる。
その精密な攻撃を回避することは不可能である。そのうえ、一発でももらってしまえば致命傷なのだ。ならば最初と同じく、丁寧に潰していくしかない。
だが、威力が違う。
拳で迎撃するごとに、せっかく溜めた戦気が一瞬で吹き飛んでしまう。常時最大の力で臨まねば拳がもたない。消えた戦気を再びまとうたびに、ユニサンの命が削られていく。
無呼吸で戦気を練ることが、いかにつらいか。
武人は呼吸によって、多くのエネルギーを周囲から得ている。いわゆる神の粒子、生命素である。それがない状態は、燃料なしに火を維持するようなものである。わずかな種火を消さないように、必死で自らの肉と脂を削り取って燃やす行為に似ている。
もはやユニサンの身体は、血を燃やしても何も出ないほどに枯渇しているのだ。
(はぁはぁはぁ!! このような苦しさなど、何度も味わった!! これが最後ならば、むしろ喜びよ!!)
それでもユニサンは止まらない!!
歯を食いしばり、拳がひしゃげながらもグレイブを迎撃し、少しずつ近づいていく。いかに身体が強化されても心は人間のままである。彼を支えるのは、今まで流した悔し涙と、血と汗。
そして、悪魔が思い描く未来図。
「ああ、この先にある未来のために。いつか来るであろう、人の未来のために!!!」
「―――こんな俺でも礎になれるのだ!!!」
ドラグニア・バーンがグレイブを弾いた直後、決死の覚悟で飛び込む。だが、シルバーグランの返しが速い。あの重いグレイブを軽々と操る膂力はさすがである。
「いくらでもくれてやる!!」
ドラグニア・バーンはよけない。しかも腕を上げてノーガードで受ける。グレイブは左脇腹に当たって装甲を破壊し、そのままコックピットにまで抉り込む。
それでもユニサンは止まらない。
「食い込んでくれたのならば、なおよし!!」
黒い般若の身体が半分ほど千切れかかるが、耐えた。
耐えたのだ。
耐えたのならば、それでよし!!
ドラグニア・バーンは両腕を使って、抱き込むようにシルバーグランを締めつける。ベアハッグである。
「ぐっ!! 何を…!!」
シルバーグランの両腕ごと締めつけられているので、さすがのアレクシートであっても身動きが取れない。がっしりと締められている。
「悪あがきを!! 腕ごと引きちぎってやる!!」
「切れぬ!! この腕は切れぬ!!! 俺の腕は、虐げられた者たちの想いで出来ているのだ! お前には絶対に切れん! 絶対に切らせぬ!!!」
アレクシートは全身の力を注ぎ込むが、ユニサンの腕はぴくりとも動かない。オーバーロードで真の才能を引き出しているのに、この男の腕は動かない!!!
ユニサンの腕は、今までの人生の集大成である。生まれたときから貧困の中で虐げられ、人権すらない生活を送った。自分だけならばよい。だが、それらが愛する弱き者たちの涙を生み出すのならば、絶対に許してはならない!!
その想いが、その怒りが、その愛が、腕を守護する!
何度もがこうと、何度あがこうと、目の前の男は歯を食いしばって耐え続ける。皮がヒビ割れ、肉が裂け、骨が折れても動かない。それどころか、万力のように少しずつ締まっていく。ミシミシとシルバーグランが圧迫されていき、アレクシートの腕も軋んでいく。
―――そのままシルバーグランの腕をへし折る!!!
力を失った手からグレイブが落ちた。
「なんだ、お前は!! 何なのだ!?」
アレクシートは痛みを感じないほど、より強い感情に支配されていた。
恐怖。
どうやっても抜け出せないとわかってしまったのだ。それはまるで、海の中でサメに噛まれ、海中に引きずり込まれるような感覚。初めて見たもの、初めて感じた強烈な意思に【ビビッた】のである。
アレクシートは強靭な精神をしている。どんなに信仰を否定されようが気にせず、堂々と淡々と敵を排除できる強さがある。
だが、目の前の男の強さは、また別種のものであった。それはただの石ころだったのだろう。誰も価値を見つけないような、道端のつまらないコンクリートの破片かもしれない。
それを抱き続け、磨き続けた男の力を見よ!!
それが怒りであっても、その強さを見よ!!!
男はけっして放さない。
死んでも放さないと決めたのだ。
だから離れない!!!!
「うわあああああ!! 放せ!! 放せええええええ!!」
アレクシートは、ドラグニア・バーンの目が宿す光に恐怖する。
それは狂信というレベルを超えていた。誤まった信仰など、粉々にしてしまうほど強い意思に満ちていたのだ。目に宿すは炎。カーリスの狂信すら燃やし尽くす、圧倒的な怒りの炎!!
「放さん!!! 一緒に死ね!!」
ドラグニア・バーンの頭部である龍の首が独立して動き、強靭な牙がシルバーグランの背中に喰らいつく。
ドラグニアの拘束用の特殊武装である。このような状態でも、最後まで奥の手を取っておくしたたかさ。ユニサンの力、知恵、経験のすべてがここに宿っていた。
「貴様らは、何だ!!!」
「世界を焼く悪魔だと言っている!!!」
「悪魔、悪魔!? 金髪の悪魔などがぁああああああ!!」
「お前は死ぬのだ!! 俺を通して、彼の怒りと嘆きを知れ!!」
ドラグニア・バーンが炎で燃えていく。最後の叫びが闘気を再び燃え上がらせ、膨大な炎となって世界を焼いていく。
このまま炎は極限にまで高まり、シルバーグランを巻き込んで爆発するのだ。
それは文字通りの爆発。
ドラグニア・バーンの【自爆】である。
ドラグニア・バーンに搭載されている爆弾は普通のものではない。ザックル・ガーネット同様に膨大な負の力を蓄積した石、【ジン・ジ・ジャスパー〈連鎖する怒り〉】を核に使った特製である。
これはザックル・ガーネットと反応しないと発動しないので、普通に撃墜されただけでは爆弾にはならない。ユニサンが自らの意思で命を捨てる時、その瞬間に起動するように仕組まれている。
それは名が示す通り、ただの爆弾以上に恐るべきものである。怒りは連鎖し、世界に拡散していくものとなるだろう。
最初から死ぬつもりで乗り込んだユニサンにこそ、この石は相応しい。
「さあ、死ね!!」
「ぐおおおおお!! サキアぁあああああ!」
「ええい、放せ!」
サンタナキアがオロクカカと激戦を繰り広げていたその頃、シルバーグランは自身を拘束していたドラグニア・バーンを振りほどく。持ち前の腕力で強引に脱出したのだ。
シルバーグランは、不恰好ながらも見事着地。それだけを見ても、彼のMG操縦技術が優れていることがわかる。
(そろそろ糸も限界。このあたりでいいか)
すでにオロクカカたちとは、だいぶ距離が離れている。ユニサンも頃合だと判断して、最後の糸を使いきって地上に降り立つ。
このあたりは都市の郊外に位置する場所であり、さきほどまでいたビル群とは違い、周囲には高いビルなどは存在しない。比較的広々とした場所であり、好きなだけ暴れられる場所だといえる。
「ずいぶんと運んでくれたな。これは屈辱だ!!」
不意をつかれたとはいえ簡単に拘束されたあげく、まんまと騎士団と引き離されてしまった。
プライドの高いアレクシートにとっては、これほどの屈辱はない。しかし、それだけアレクシートの実力を危惧した証拠でもある。そのためにオロクカカたちは罠を用意したのだ。
アレクシートを隔離するのは予定通り。
最初から彼を狙っていたのではない。流転する戦場の中で、誰がどう動くかを完璧に予想するのは不可能である。決まっていたのは、実力者が出てきた場合は分断すること。合流させないことである。
正直にいえば、ラナーでないことが幸いであった。彼の実力は上位バーンに匹敵する。もしラナーあるいはシャーロン級の武人が出てきていれば、オロクカカであっても簡単に対抗はできなかっただろう。
そのラナーと比べれば、アレクシートは弱い。されど、彼の持つ力は現状を打破する可能性を秘めたものであった。
(オロクカカが警戒する相手。本来ならば、俺は足元にも及ばないだろう)
ユニサンからすれば、アレクシートは高嶺の花である。生まれも扱いも、物的な豊かさもまったく別次元の存在。武人としての素養の差も歴然としている。
それを知りながら、この男は言う。
「お前には、ここで死んでもらう」
すでにユニサンは限界を悟っていた。この戦いが文字通りの最後の戦い。この肉体がもつ、残りわずかな時間を燃焼させて戦う、本当の意味で最後の相手なのだ。
それがロイゼンのナンバー2。
第二騎士団長のアレクシートである不思議。
「妙な敵意だな。お前は私を見ていない。だが、激しい炎だ」
アレクシートは、ユニサンの敵意を敏感に感じ取る。
ユニサンの視線はアレクシートを見ていない。それも当然。ユニサン自身はアレクシートに恨みはない。彼が属するシステム、その背後にある利己主義を憎んでいるのだ。
彼の視線はあくまで【富】に向けられている。
「富の塔に加担する者、すべてが敵だ」
「テロリストにありがちなタイプだな。一方的に決めつける」
アレクシートは、テロリストという人種が嫌いである。彼らは盲目的で、一度そうと決めたら意見を変えることはない。最後まで愚かな抵抗を続ける。
「ロイゼンの騎士、お前は今の世界に疑問を抱かないのか?」
「だから味方になれ、とでも言うつもりか? 馬鹿げたことを。そんなことは絶対にありえない。貴様たちは、闇雲に混乱を引き起こす害悪以外の何物でもない」
「それはお前が地獄を知らぬからだ」
「地獄を知ったからと言って、それに負けたのは貴様の弱さだ。自分の弱さを社会のせいにするな。反吐が出る」
対峙するユニサンからは、会議場で見た悪魔と同じ匂いがする。アレクシートが悪魔に感じた嫌悪感と同じものである。
傲慢さ。
アレクシートが感じたものは、その言葉が一番しっくりくる。
「貴様らテロリストは、世界のすべてが自分の物だと思っている。それが気に食わん」
「それもまたお前が無知だからだ」
「そういうところが気に入らない。いいか、我々は絶対にお前たちの思い通りにはさせん。悪は必ず滅びるからだ。くだらん害悪は私が駆除する」
「ははは。お前も俺と同じだ。既成観念に囚われし者よ」
悪魔側からすれば、カーリスという既成宗教こそ、偏見と凝り固まった精神構造の塊である。彼らは現在には住んでいない。過去にすべてを置いてきた者たちなのである。
が、銀の聖闘士はぶれない。
「言葉は不要。敵を倒すだけだ」
彼はアレクシートであって、サンタナキアではない。説得に応じることも、試みることも絶対にありえない。それが彼の強さである。
「俺もそのほうが気楽だ。遠慮なく、お前を殺させてもらう」
「ふんっ、それはこちらの台詞だ」
アレクシートは周囲を警戒。少なくとも見える範囲において他の敵はいないようである。
(索敵は苦手だ。伏兵がいてもわからんな)
アレクシートは波動円も使えるが、その範囲が非常に狭い。伸ばせてせいぜい数十メートルといったところである。生身ならば十分有効だが、MG戦闘においては到底使えるレベルではなかった。
周囲を覆う戦技結界は、非常に難しい技の一つである。おそらくアレクシートは、志郎が使った無限抱擁を永遠に使うことはできないだろう。技の相性そのものが悪いのだ。
アレクシートは、面で敵を倒すタイプの武人である。強力な一撃を前面に叩きつけ、爆発力で敵を圧倒することに長けている。そういった武人は、力を一方に集中することが得意なので、全面を覆う戦技結界が苦手な傾向にあった。
周囲にビルのような大きな建造物はないが、かなり日も落ちてきて薄暗い中である。全方位探知が不可能な現状では、敵が隠れようと思えば難しいことではない。
周囲はすべて敵。伏兵の可能性も否定できない。
たしかにピンチである。だがそれは、アレクシートの技に巻き込まれる味方もいないことを意味する。
(ならば、むしろ話は簡単だ。見つけた敵を全部倒せばいいだけのこと。迷うこともない。全力を出せる)
アレクシートが先陣を務めるのは、その攻撃が周囲に影響を与えるからだ。炎王強撃波のように、放つと前面に被害が出る技が多いので、味方がいると邪魔なのだ。
アレクシートは索敵を諦め、目の前の敵に集中することにする。そうした割り切りも彼の魅力であり、オロクカカが警戒したのもその性格である。
実際、サンタナキアは防御を最優先に考えた。それは正しいが、あの場合においての相性としては、アレクシートのほうが良いのである。多大な犠牲が出るが、サンタナキアと二人ならば、オロクカカを討ち取れる可能性もあったのだから。
彼らはまだ知らない。バーンを討ち取るという功績が、この世のいかなる名誉にも勝ることを。
「ロイゼン神聖王国、第二騎士団長の首、けっして安くはないぞ!! 身の程を思い知らせてくれる!!!」
シルバーグランから真っ赤な戦気が燃え上がる。戦気は装甲の表面を走り、銀色の機体が赤くなったように厚い。
彼も内心、怒り狂っていたのだ。
もちろん自分自身にである。
独断で騎士団を動かし、あまつさえ多くの部下を失った。彼らは優秀な騎士である。そのすべてはロイゼンの宝であり、カーリスを守る勇者たちなのだ。彼らを無駄死にさせてしまった。その想いがアレクシートを奮い立たせる。
「言い訳はしない。私が招いたことは、自ら責任を負う!!」
アレクシートの心が炎気となってグレイブを覆う。即座に戦闘準備完了である。その様子に、ユニサンは舌を巻いた。
(まったく動揺していない。恐るべき意思の強さだ)
普通の人間が失敗をすれば、少しは動揺したり後悔したりするものである。どんなに気丈な人間でも、わすかな気の乱れはある。
しかし、アレクシートにはそれがない。
失敗したことを正当化して誤魔化す気もなければ、逃げるつもりもまったくない。それどころか自己に活を入れて、ますます強い力を発揮していく。
完全に【英雄気質】。
小事にこだわらず、目の前のことに集中できる。これはまさに大将の器である。まだ若く、ラナーの陰に隠れてはいるが、正真正銘の将なのだ。
だからこそユニサンにはありがたい。
(最期に闘う相手だ。それでこそ価値がある)
ユニサンには、いまだに場違いに感じていた。
ここはどう考えても自分がいてよい場所ではない。アレクシートにしてもルシアの雪騎将にしても、どれもが一級品の武人たちである。名声も実力も、本来の自分ならば絶対に届かない相手。対峙することすら不可能な相手。
それが目の前にいるのだ。
悪魔に魂を売ったおかげで、自分もまた主役になれている。けっして目立ちたいわけではなかったが、辛酸を舐め続けた過去を思えば奇跡である。
「ならば、己がすべてを出し尽くすのみ!! いくぞ!!」
最初に沈黙を破ったのはドラグニア・バーン。シルバーグランの前に身を晒すように突進すると、拳を繰り出す。
ドラグニア・バーンは大型の機体で、シルバーグランの一回り以上大きい。それもドラゴンを模した半獣人のような様相。やや上部から繰り出される威圧感溢れる攻撃は、常人ならば恐怖の対象である。
「障害は叩き潰す!!」
その様子にもシルバーグランは怖気づかない。真正面に立ち塞がりドラグニア・バーンを見据えると、グレイブを一閃。巨大で重い青龍刀のようなグレイブが、恐るべき速度で振り回される。
激突。
両者の武器が正面から衝突し、原因に対する当然の結果が訪れる。
―――まず最初の結果。
ドラグニア・バーンの繰り出した拳が、グレイブの威力に圧されて弾かれる。ユニサンの右腕を激しい衝撃が襲った。
(なんという一撃だ。このドラグニア・バーンの拳を弾くか!)
現在のユニサンは強化された身体に加え、ドラグ・オブ・ザ・バーンの試作機でもあるドラグニア・バーンを使っている。ドラグニア・バーンのパワーは、そこらのオーバーギアを遥かに超える力を持っている。
それを弾いたのだ。
しかも最初に攻撃したのはユニサンのほう。あとから繰り出したにもかかわらず、シルバーグランのグレイブは悠々と間に合った。その振りの速さも桁違いである。
―――そしてもう一つの結果。
(ダメージを与えられなかった。全部吸収したのだ)
アレクシートも結果に驚く。
弾いたとはいえ、本来ならば拳を粉々に砕くほどの強撃である。それを受けてもドラグニア・バーンは無傷。彼の周囲をまとっている闘気のせいである。
闘争本能が具現化した闘気は、非常に分厚い性質を持っており、いかなる攻撃のダメージも吸収することができる。ドラグニア・バーンの装甲に加え、ユニサンの闘気があれば、アレクシートの攻撃にすら対応は可能だ。
「一撃で倒せないのならば、何度でも叩く!!」
シルバーグランは突撃。いくら強固な装甲と闘気とはいえ、強撃を続ければ破壊は可能である。怖れなく間合いを詰める。
「はっ!」
それに対して、ユニサンは闘気波動で迎撃。
ドラグニア・バーンのTJMが、闘気の威力を二倍に引き上げる。ナイト・オブ・ザ・バーンのものよりも出力は数段以上劣るが、天才タオが開発した化け物モーターである。
その威力は桁違い。
左手から発せられた闘気波動は、シルバーグランを暴虐な力の渦の中に陥れる。まるで人間が暴風に立ち向かうように、なかなか前に進めない。
しかし、それでも。
それでも一歩。二歩。三歩!
「うおおおおおおおお!!」
アレクシートの炎気が闘気波動に割り込んでいく。暴風に対して暴風で挑むかのごとき姿勢で立ち向かう。燃える、燃える、燃える。アレクシートの戦気が燃えていく。
「このようなもので止まれるか!!」
シルバーグランはグレイブの先端に戦気を溜めると、炎気によって割り込んだ隙間に一気に振り下ろす。ゼッカーのバイパーネッドを一撃で破壊した炎王強撃波である。
その威力も同じく絶大。
闘気に激突したグレイブは、まさに大爆発を起こす。その爆炎で両者が吹き飛ぶほどの衝撃であった。
(まさか、強引に突破するとは!)
ユニサンの闘気波動の威力は申し分なかった。そのまま圧力の中に閉じ込めれば、いくらシルバーナイトでも損傷を負っていたはずだ。
それを強引に切り開く。力づくで破壊する。
それにはユニサンも驚きである。同時に英断でもある。そのまま受けに回るよりも、攻撃をしたほうが相手は嫌なものである。待ち伏せを得意とするオロクカカが、なぜ彼を嫌ったのかがよくわかる。
猪突猛進は、場合によっては愚策にもなりえるが、それができるのならば立派な戦術となる。サッカーの試合でも、サイドに開くのは中央突破ができないからだ。もし突破できる力があれば、素直にそのほうが楽である。
アレクシートは、前面への攻撃には自信がある。相手が誰であれ、自分の戦い方を変えるつもりはなかった。だが、ロイゼンの若大将の無謀さは、それにとどまらない。
「まだまだまだ!!」
体勢を立て直したシルバーグランは、即座に突進。様子を見るとか間合いを広げるという発想は皆無。まったくない。最初から持たない。
アレクシートの本領は攻撃。
切り込みこそ彼の持ち味。
「斬り伏せる!」
シルバーグランは、グレイブを回転させながら振り回す。その戦い方は、まるで戦場で敵に囲まれている荒武者のようである。周囲一帯を強引にねじ伏せる剛の剣と化し、ドラグニア・バーンに襲いかかる。
しかもグレイブにまとった炎気は剣を熱し、触れるものすべてを焼き裂く刃となる。振り回した熱量だけで、周囲のアスファルトが溶解しつつある。
(いい戦気だ。まったく淀みがない)
アレクシートの戦気は、非常に淀みがなく綺麗である。それだけならば志郎にやや似ているが、その中にジン・アズマのような刺々しいものが含まれている。それは常に戦いの中に身を置く者に共通したものである。
サンタナキア同様、実戦経験自体はさほど多くはないが、彼も常に人生と戦っているのである。そうした者が放つ戦気は、いつだって心地よいものである。
ドラグニア・バーンは、強引にくる相手の動きを予測し、一つ一つを的確に防御していく。振り下ろしは力を受け流し、横薙ぎはしっかりとナックルを当てて防ぐ。一撃一撃は重いが、けっして対応できないものではなかった。
その攻防がしばらく続き、場には重い打撃音が何度も響き渡る。そのたびに地面が揺れるようである。
(この男、防御が上手い。サキアのようだ)
アレクシートも、思わず唸るほどの捌き。同じく防御の上手いサンタナキアを思い出す。
アレクシートとサンタナキアの模擬戦は、いつも膠着状態に陥る。アレクシートの剛撃に対して、サンタナキアは常に防御を優先させて対応していく。お互いの技量は似たり寄ったりなので、次第に体力が尽きて引き分けになる。
サンタナキアも攻撃力は高い。その気になれば相討ちくらいにはなるだろうに、模擬戦のせいか、常に防御優先なのがアレクシートには気に入らない。
が、そもそもそれが普通なのである。近代戦闘で重視されるのは防御である。いかに損害を出さないか、深刻なダメージを負わないか、生存第一なのは当たり前なのだ。
一方、アレクシートはもともと身体が丈夫なので、防御を疎かにしても致命傷を負うことは少ない。当然ながらサンタナキアも殺し合いなどはやらないので、相討ち狙いもしない。訓練が多くなる中で、アレクシートが攻撃特化したのは必然の流れである。
しかしながら、今この場においては話が違う。
命などいらないという男がいるのだ。目の前に。
打ち合いが二十回ほど続いた時である。シルバーグランの攻撃に対してドラグニア・バーンが飛び出した。誰が見ても危険な行為である。アレクシートも反射的に、いつもの調子で攻撃にいく。
ドラグニア・バーンは防御の姿勢を取らずにグレイブの直撃を受ける。一撃は重く、さすがのドラグニア・バーンとて、攻撃が入った頭部に亀裂が入る。アレクシートは一瞬勝ったと思った。いつもならば、一撃が入った相手は必ず倒れるからだ。
だが、その思い込みこそが最大の隙となる。
「肉はいくらでもやる。だが、骨はもらう!!」
ドラグニア・バーンは、ダメージを受けながらも止まらない。
獣の如き速度で懐に入り込むと、渾身の一撃をシルバーグランの胴、攻撃によって防御ががら空きとなった右腹部に、思いきり踏み込んで強烈な一撃を叩き込む!!
「―――っ!」
その瞬間のことは、アレクシートは覚えていない。
一瞬であるが意識を失ってしまったのだ。
ただし、意識を失ったのは、衝撃によって生身に影響を及ぼしたからであり、直接的な損傷ダメージの影響ではない。
問題はもっと深刻である。
ドラグニア・バーンが攻撃したのは、人間でいえば肝臓。ボクシングでリバーブローをもらったようなもの。では、ここには何があるのか。
パイロットから見てコックピットの右側には、ダイレクトフィードバックシステムの補助装置がある。ここはジュエルモーターから送られてくる情報を処理する場所でもある。
ユニサンはここを叩いた。
それが意味するものは。
「ぐううう―――がはっ」
意識を取り戻したアレクシートの視界が、白い斑点で埋め尽くされる。痛みよりも冷や汗が溢れて、激しい悪寒を感じる。その気持ち悪さは言葉では言い表せない。内臓を誰かに掴まれる気味の悪さと恐怖、といえば多少はわかるだろうか。
(なんだ…これは…。力が入らない…)
このような攻撃をアレクシートは受けたことがなかった。初めての経験に思わず手足が止まって硬直してしまう。
「ドラグニア、暴虐の爪を!!」
硬直したアレクシートを見逃すほどユニサンは甘くはない。ドラグニア・バーンの右手から爪が伸び、荒々しい凶器となる。それを今度はコックピットに叩き込む。
「この程度…で!!」
シルバーグランはグレイブを引き戻し、ギリギリのところで防御に成功。だが、伸びた爪はコックピットの装甲を抉る。
瞬間、アレクシートは腹に熱いものを感じた。ダメージ還元である。しかも、いつもより反応が過敏であった。フィードバックシステムに異常が発生しているのかもしれない。
感覚が過敏になることは、けっして良いことではない。それだけ痛みにも敏感になってしまうからだ。訓練すれば武人は痛みを消すこともできるが、MG搭乗中はこれが案外難しいのである。
ナイトシリーズの扱いが難しい点が、ここにある。ただでさえMG戦闘と生身の戦いは異なるうえに、ジュエル・モーターによって拡大された意識は過敏となるのだ。
たとえば、電車の中でカバンが少し触れているだけで、誰かに触られている気分になることがある。それが全身に広がるのだ。それに慣れないと、MGとの間に動きのギャップが生まれることになる。
これは実戦の多さによってカバーしないといけない。訓練だけでは、けっして身につけられない感覚なのである。ユニサン自身は、アーズ時代からMGに慣れており、この点でアレクシートより優位に立っていた。
(くっ、ダメージを回復しなければ!)
アレクシートは咄嗟に下がる。これは信条など関係なしに、身体がそれを要求したからである。さすがの彼も、現状のダメージでは従わねばならなかった。
「逃がしはしない!」
ドラグニア・バーンは追撃の手を緩めない。動きが鈍ったシルバーグランを容赦なく追い込む。
まずは右の拳で敵の防御を誘い、その隙に再び腹部に左拳を叩き込む。それを防御しにきたグレイブを見るや否や、今度は相手の左腹部を狙う。
だが、それも囮である。
相手が反射的に左腹部を防御しようと身を屈めた瞬間、ユニサンが狙ったのは突き出したシルバーグランの肘である。フェイントを交えて放った一撃は、重さこそ並であったが、確実にシルバーグランの肘を捉える。
「―――ぐっ!」
その痛みに思わずアレクシートも呻く。
無理もない。突き出した肘は無防備である。自分の肘のちょっと外れた部分を叩いてみればわかることだが、ここを強く叩かれると、痺れて肘が伸びなくなる。
そう、急所である。
人体にはいくつもの急所があり、人を模したMGにも幾多の急所が存在する。肘もその一つ。それは設計者も知っているので、MGの中には肘あてを装備しているものも多い。
だが、大型の得物を振り回すことを優先しているシルバーグランは、肘関節があまり強くない。サンタナキアのシルバーフォーシルとは別の意味で、機体の可動域を広げようとした結果である。
ユニサンはそこを狙ったのだ。
彼は、ただ受けていたのではない。相手の攻撃を観察していたのだ。初動はどこで、どうやって力が伝わって、どれくらいの攻撃になるのか。防ぎながら突破口を探していたのだ。
攻撃の質自体は、アレクシートは間違いなくジン・アズマに匹敵する強者である。されど、ジン・アズマにあってアレクシートにないものは、攻撃の強弱であろう。常に全力投球では、相手はいつかタイミングに慣れてしまうのだから。
「くらえ!!」
ドラグニア・バーンが炎龍掌を放つ。膨大な爆炎が噴き出し、シルバーグランを襲った。
(ふん、この程度の炎など効かぬ)
シルバーグランは、炎に対して絶対的な耐性を持っている。リビアルの自爆にも無傷だったほどである。いくら炎龍掌でも火気を使っている以上、シルバーグランに対しては無効である。
そんなことはユニサンも知っている。
ここで再び国際連盟側のハンデが浮き彫りになる。ラーバーン側は、事前に相手の情報の大半を取得している。どの艦隊が来るかも知っており、有名な騎士や魔人機のデータをすでに持っているからだ。
すべて対策済みなのだ。
状況によって多少変化するだけで、それらもほぼ想定の範囲内である。唯一の誤算であるハブシェンメッツによって一時的に停滞したが、そもそも万全の態勢で奇襲を仕掛けたラーバーン側が有利なのである。
シルバーグランが炎に強いことは知っている。
だからこそ、それが油断となる。
ドラグニア・バーンは、自己が作り出した炎の中に飛び込む。何気ない行動であるが、実はこうしたことをやる武人は少ない。
武人は、自分が放った技で傷つく。
この当たり前の原則があるからだ。自分が作ったとはいえ、生み出した物理現象は自分すら焼くことになる。ユニサン自身も、アズマとの戦いで自らの炎でダメージを負ったことが何よりの証である。
それでも飛び込むのは、勝算があるからである。
この時、アレクシートはまったく想定していなかった。ユニサンが飛び込んだこともそうであるし、ドラグニア・バーンもまた、炎に強い耐性があることを。
ドラグニア・バーンの属性は炎。シルバーグランと同じ属性である。同じ属性同士が戦う場合は、当然ながら【格】の差によって力関係が決まるが、今回の場合は両者ともに互角であろう。
試作機とはいえ、タオが造った超特機の一つであるドラグニア・バーンは、シルバーナイトシリーズと比べても遜色はない。設定が安全面を度外視しているぶんだけ、むしろ上回っているといってもいい。
ならば、勝負を決めるのは武人の差。
実力ではアレクシートのほうが上である。
だが、若い。
アレクシートは、まだ若かった。
いかなる素養を持っていても、彼はまだすべての潜在能力を発揮してはいない未成熟な個体。一方、ユニサンはアレクシートには劣るが、そのすべてを賢人の遺産を使って引き出している成体である。
爆炎に飛び込んだドラグニア・バーンは、一気に間合いを詰めてシルバーグランに肉薄する。
「なっ!」
アレクシートは、これにまったく対応できない。相手の情報を知らないことは恐ろしいことである。それ以上に、こちらの情報をすべて知られているのは、もっともっと恐ろしいことである。
ドラグニア・バーンは、左腕をガードの中にこじ入れ、ぐっと【間】を作った。
「俺のすべてを持っていけ!!」
「しまっ―――」
アレクシートが何をやろうとしても間に合わない。さきほどのリバーブローが効いていて、踏ん張りが利かないのだ。
そこに全力の虎破。
ドラグニア・バーンによって高められた、ユニサン最大の攻撃手段を叩き込む!!!
ドグシャッ
妙な陥没音が響いた瞬間、シルバーグランは吹き飛ばされる。その勢いは野球のホームランボールのごとく、高々と空に舞うほど。
五秒。
あの巨体が、宙を舞っていた時間である。
そして落下。
満足な受身を取ることもなく、シルバーグランは大地に叩きつけられた。何かの施設の金網を破壊しながら、ようやく止まる。それはボクシングでノックアウトされ、ロープに絡まって気絶している姿に似ている、実に無様なものであった。
屈辱であるが、これが現実である。
ユニサンは、その光景に歓喜していた―――わけではなかった。
(身体が…重い。もはや呼吸はできぬか)
すでに肺が動きを止めつつある。練気ができずに戦気の放出が不安定だ。さらに志郎たちとの戦いによって、心臓も一度潰されている。血液の循環も止まりつつあった。
生きていることが不思議なくらいの状態であるが、ザックル・ガーネット〈不変の憎しみ〉の力によって、かろうじて生き延びているのが現状である。ガガーランドの援助がなければ、すでに死に絶えているだろう。
(憎しみはない。やはり湧き上がってはこないか)
ザックル・ガーネットの力の源である憎しみは、アズマによって斬られた。すでに完全に断たれてしまったようで、周囲の憎しみを満足に吸収することができない。
こうなれば、残った力は魂の力。
人が持つ炎の力だけである。
それは怒り。
「怒りを燃やせ!! 俺にはまだ怒りがある!!」
自らの血を、肉を、魂を燃やし、戦気とする。
ユニサンの黒い般若の身体全体にヒビが広がると、そこから赤い蒸気が噴き出し、コックピットが赤く染まっていく。これはもうオーバーロード以上の、存在そのものを燃やした最後の抵抗である。
(これは…何だ?)
アレクシートは、虚ろな視線で空を見上げていた。
そこに見えたのは、ドラグニア・バーンから発せられた赤い霧が、まるで生きているかのように蠢いている姿。目の錯覚か、般若のような、おどろおどろしい形相をした人間の顔が見えた。
ごふっとアレクシートが、口から吐血。自らの状態を探ってみると、目も当てられないような惨状が広がっていた。追い討ちをかけるようにAIが治療を提案。
〈出力約二十五パーセントダウン。これ以上の戦闘続行は、人体に深刻な影響があります。止血剤とアルビオンの投与を提案します〉
モニターには、人体スキャンの結果が表示される。腹筋と小腸がずたずたに破壊され、常人ならば七転八倒の痛みを受けているか、とっくに気絶あるいは死亡しているレベルである。それ以外にも細かい損傷は多く、かなりの重傷である。
〈自動制御による撤退を提案します〉
この状況は、AI側が戦闘を避けることを提案するくらいに酷い。
通常、撤退の目安が三十パーセントの出力低下である。この段階にくれば、もう戦闘不能と考えてもよいだろう。ただ、これで済んでいるのはアレクシートの肉体が強いからである。
同じ剣士であったアズマがくらえば、腹がなくなったほどの一撃。その直撃を受けて、まだこの程度で済んでいることが驚異なのである。
(跳んでいなければ、死んでいたかもしれんな…)
直撃をもらう瞬間、最後の力を使って自ら跳んだ。それが最悪の事態を避けられた要因である。最後まで諦めなかった。その意思の強さこそが彼の強さでもある。
それでも戦闘が難しい状態であるのは事実。
それが通常の戦闘であれば。
これが単なる模擬戦であれば。
だがこれは、自身の存在意義をかけた闘いなのだ。別段、望んだわけではないが、いつだって物事は自分の意思とは関係なく進む。それにいちいち文句を言っていたら、とても人生などやっていられない。
アレクシートは、そんな惰弱な男子ではない!!
けっしてない!!
「ふざけるな…。ふざけるな!!! アルビオンなどもいらん!! 私に恥をかかせるな!! なにが聖騎士か! なにがカーリスの騎士か!! 這いつくばっているだけでは勝てんのだ!! 弱気を吐くような人間に、なにができるものかぁあああああああ!!」
「おおおおおおおお――――――!!」
アレクシートには、痛みなどはもうなかった。それ以上に感じているのは、なんと皮肉なことに、ユニサンと同じ怒りである。
自分自身に対する怒りがピークに達する!!
身体中の血が燃え上がり、急速に身体をめぐっていく。
燃えるように熱い、熱い、熱い!!!
怒りが彼を突き動かす!!
アレクシートの気質は炎。奇しくもユニサンと同じもの。
だから立ち上がる!!
戦うために! 勝つために!!
「私は理想のために戦うのだ!! ラナー卿とともに、カーリスに新たなる秩序を打ち立てる!! くだらぬ者たちに邪魔はさせぬ!!」
アレクシートが第二騎士団長の座に甘んじているのは、ラナーを崇敬しているからである。
ラナーは、現在のカーリス教の内部体制について不満を抱いている。エルファトファネス法王にではなく、その周囲に対してである。ラナーは改革派の急先鋒であり、アレクシートも同じ【改革女神派】に属する改革左派である。
アレクシートは、出自の低いラナーに変わって、貴族出身のカーリス騎士たちの支持を集める役を買って出ている。その甲斐もあってか、騎士団の六割はラナー側が掌握していた。
もし、もしもだ。仮にカーリスの反対勢力が邪魔をするのならば、武力をもってしてでも正すつもりでもいる。それだけの大きな動きが控えているのだ。
「お前たちは邪魔なのだ! このタイミングで出てくるなど、嫌味でしかない! 敗北は許されないのだぞ!! 我々の前には未来がある! それがどうして、こんなやつらのために犠牲になる必要がある!!」
「ふざけるな!!!」
アレクシートの信仰心が燃え立ち、意思の力で機体を持ち上げる。
「許さん!!! 貴様ら全員、地獄に叩き落してくれる!!!」
―――この時、アレクシートの中で何かが弾けた。
具体的にそれが何かはわからない。ユニサンの怒りに反応して、彼の中に眠っていた怒りが目覚めたのかもしれないし、もともとあった枷のようなものが外れたのかもしれない。
いや、もはや理由など、どうでもよい。
彼の脳裏にあるのは、目の前の敵を倒すことのみ。
ただそれだけに意識を集中させたのだ。サンタナキアは、オロクカカとの対話で真実を聞かされて動揺したが、今のアレクシートの耳にはいっさい入らないだろう。
なぜならば、この時の彼は―――
「うおおおおおおおお!!」
アレクシートの叫びとともに、シルバーグランが突進。激情に支配されたアレクシートは、ますます直線的な動きに拍車がかかり、一直線に突っ込んでくる。
(さすがだな。まだ動けるか)
さきほどの一撃は、ユニサンの全力のもの。直撃して動けるなど信じられないが、それでこそ大国ロイゼンの騎士団長である。やはり五大国家の騎士は、一味も二味も違う。
「ならば受けて立つのみ!!! まだ俺は死んでいない! 生きている限り、あがくぞぉおおおおお!」
ユニサンは向かってくるシルバーグランを確認すると、潰れた肺と心臓の制御を諦め、全身の筋肉だけで強引に血流を動かしていく。所詮応急処置であるが、これで今しばらくは戦える。肉体が動く限り、魂が存続を許される限り、ユニサンが止まることはないのだ。
ドラグニア・バーンは、突進を正面から受け止めない。体勢を入れ替えるように回避。半死半生の身とて、幾多の死線を乗り越えてきたユニサンには、経験という武器があった。
「ううううう、おおおおおお!!」
が、シルバーグランは急旋回。
大地を強く踏みしめ、地面を破壊しながら、力任せに方向を変えた。
その急激な転回に、足の筋肉が悲鳴を上げる。それに耐えきれず、いくつかの筋繊維が千切れたが、それすらもお構いなしに強引に体勢を持ち上げる。
そこからグレイブ一閃。
横薙ぎの一撃が襲う。
(死に体で放たれた一撃など)
ドラグニア・バーンは冷静に対応。シルバーグランの体勢は、後ろに重心がかかっている死んだ状態。あれでは強い一撃は打てない。
ドラグニア・バーンは、グレイブの刃先にしっかりと狙いをつけてナックルを叩き込む。ドラグニア・バーンの拳は、強撃でも耐えうる強度。今回も上手く弾くつもりであった。
ミシミシ。
そんな嫌な音が聴こえたのは、ナックルが刃先に当たった瞬間であった。右拳に激しい圧迫感が襲いかかり、脳髄に雷が走る。
(―――まずい)
このままでは拳が破壊されると直感したユニサンは、咄嗟に拳を引っ込める。
直後、グレイブがドラグニア・バーンの頭部の近くを通り過ぎる。ドラグニア・バーンも無理な体勢であったが、シルバーグランも無理やり放った一撃。それが幸いしてか回避には成功する。
しかし、すでに身体の機能が半分停止しているユニサンでさえ、思わず冷や汗を掻いた一撃である。
(この一撃は違う。もはや別人だ!)
ユニサンは、アレクシートが今までとは違うことに即座に気がついた。
ユニサンの顔を押し潰さんとばかりに押し寄せる力の奔流は、さきほどとは桁違いの勢いである。互角であった拳を打ち崩すほどに、今のシルバーグランは気迫に満ち溢れている。
「消えろ、消えろ、消えろ!!!」
シルバーグランは、力任せにグレイブを振り回す。
この光景もさきほどと同じだが、やはり威力が違う。グレイブに当たったものすべてが、一瞬で存在を消失させる威力。地面が砕け、破壊され、分解するほどの威力に、思わずドラグニア・バーンも下がるしかない。
なぜ突然、力が強くなったのか。
その理由をユニサンはよく知っていた。
なぜならば自分も一度体験しているから。
(オーバーロード〈血の沸騰〉か)
追い詰められたアレクシートは、無意識のうちにオーバーロードを引き起こしていた。だから突然、力が倍増したのである。
アレクシートも、血の沸騰の危険性は知っている。騎士団でも、本当に最悪の事態以外で使うことは禁忌とされている。一度使えば、確実に死んでしまうからである。
「熱い!! 燃えるようだ!! これが信仰の力か!! ラナー卿と同じ力なのか!?」
アレクシートの心に信仰心が湧き上がるたびに、血が燃えていく。血が燃えるたびに、想像を絶する力が引き出されていく。それは武人ならば誰もが求めるもの。絶対的な力。その陶酔。
「私の邪魔をする者は消えてしまえ!!」
シルバーグランがダッシュ。その速度もさらに上がっている。一気にドラグニア・バーンに接近してグレイブを振り回す。
「ちいい!! この速度はよけきれん!」
消耗しているユニサンでは回避ができない。最初と同じく拳で迎撃するが、激突のたびに激しい衝撃が拳に走っていく。
ガキン ガコン
ドラグニア・バーンの拳が凹んでいく音が聴こえる。ダメージ還元によって、ユニサンの拳にもヒビが入っていく。
(まずい。闘気が不安定だ。これでは防げぬ!)
肺が潰れて練気が不完全な状態では、戦気の上位版である闘気は安定しない。そもそも戦気は、武人に必須の攻防一体の武器。それが薄れてしまえば戦闘力全体が落ちてしまう。
その結果。
「うおおおおおお!!」
シルバーグランの一撃が、ついにドラグニア・バーンを捉える。なんとか両腕でガードするが、容赦なくガードごと吹っ飛ばす。その威力でドラグニア・バーンの両腕の装甲も割れていく。
(防御用のアームまで破壊するのか!? なんて威力だ!)
アームガードで受けたにもかかわらず、お構いなしに破壊していく。この力は、単なるオーバーロードだけとは思えない。
アレクシートが、単純に強いのだ。
武人として持っている素養が相当に高い。単純な才能値だけならば、上位バーンにすら匹敵する潜在能力を持っている。それが血の沸騰によって一時的に解放されたのである。
生まれ持っている天賦の膂力も数倍。
どんな不利な体勢からでも、上半身の力だけで強引に敵を倒せてしまう、生まれ持っての破壊力である。この戦い方をされてしまうと、いかにドラグニア・バーンであっても、もう手が付けられない。
「すごいぞ! 信仰心がそのまま力になるようだ!! 今、私は守護を得たのだ!! もはや何者にも負けぬ!!」
アレクシートから無尽蔵に戦気が溢れていく。
しかも強度が尋常ではない。強靭でしなやかで、燃えるように熱くて巨大。これが彼の持つ真の力だとすれば、それこそ末恐ろしい大器である。間違いなく稀代の英雄として名を残す器だろう。
しかし、このままでは彼は死ぬ。
アレクシートは、自分がオーバーロードをしていることに気がついていない。ただの信仰の高まりによる相乗作用だと思っている。
これが怖いのである。
自分が死に近づいていることを知らない。信仰がなせる業であると思ってしまう。信仰心が強い人間ほど、こうした傾向がある。これは女神の祝福なのだと。聖女の導きなのだと。
だが、それは偽りである。
ユニサンたちに言わせれば、それは―――
(これが【呪縛】の効果か)
ユニサンは、メラキからカーリスの暗部についてのレクチャーを受けていた。カーリスが行っている、非人道的な行いも知っている。だから口惜しい。
アレクシートのような偉大な才能溢れる男を、どうしてこのようにしてしまったのか。正しい教育、正しい知識を身につけさせれば、人々を導く存在にもなれるというのに。
しかし、こうなってはもう殺すしかない。もともと殺すつもりであるが、確実に殺しきるしか道はなくなった。
(かなり厳しい相手だ。やれるか?)
今のユニサンは、立っているだけでも全身に激痛が走っている状態である。肉体の痛みは鈍いが、魂が欠けていく強い痛みに襲われていた。自分が神法に違反しているという罪の代償である。
(怒りに囚われ、肉体を改造し、それでもなお破壊を続ける悪鬼。俺にはお似合いの姿であろう。だが…!!)
まだ戦える!!
戦わねばならない!!
彼の中に消えない痛みがある限り!!
母親と妻、子供を殺された恨みが消えない限り!!
不平等を押しつける【悪】を撃ち滅ぼすために!!
目の前にいる、既得権益のために人の道すら逸脱する外道どもを殺すには、ただにこやかな善人では駄目なのだ。鬼の力。悪鬼の力。悪魔の力が必要なのだ!!
怒り、怒り、怒り、怒り、怒り!!!
殴っても収まらず、謝られても許せず、奉仕されても足らず、相手が苦しんでも当然だと思うほどの、恐ろしい怒り!!
今、ユニサンを動かすのは怒りのみである!!
「貴様らを打ち倒してこそ未来がある!!」
ドラグニア・バーンは両手にありったけの戦気を溜めると、シルバーグランに接近戦を仕掛ける。
(ギリギリまで懐に入らねば倒せぬ)
現在の中近距離戦では、グレイブを操るシルバーグランに太刀打ちできない。このままずるずると後退させられて、最後に力尽きて死ぬだろう。
勝機があるとすれば【超接近戦】。
しかし、ここに至るまでが地獄であった。
「おおおおおおおおお!」
能力を解放したアレクシートは、腕力だけが伸びたのではない。感覚も戦気の質も、動体視力もすべてが上がっている。
ドラグニア・バーンが近づけば、グレイブで薙ぎ倒そうと振り回してくるが、そのすべての精度が上がっている。的確にドラグニア・バーンを捉えてくる。
その精密な攻撃を回避することは不可能である。そのうえ、一発でももらってしまえば致命傷なのだ。ならば最初と同じく、丁寧に潰していくしかない。
だが、威力が違う。
拳で迎撃するごとに、せっかく溜めた戦気が一瞬で吹き飛んでしまう。常時最大の力で臨まねば拳がもたない。消えた戦気を再びまとうたびに、ユニサンの命が削られていく。
無呼吸で戦気を練ることが、いかにつらいか。
武人は呼吸によって、多くのエネルギーを周囲から得ている。いわゆる神の粒子、生命素である。それがない状態は、燃料なしに火を維持するようなものである。わずかな種火を消さないように、必死で自らの肉と脂を削り取って燃やす行為に似ている。
もはやユニサンの身体は、血を燃やしても何も出ないほどに枯渇しているのだ。
(はぁはぁはぁ!! このような苦しさなど、何度も味わった!! これが最後ならば、むしろ喜びよ!!)
それでもユニサンは止まらない!!
歯を食いしばり、拳がひしゃげながらもグレイブを迎撃し、少しずつ近づいていく。いかに身体が強化されても心は人間のままである。彼を支えるのは、今まで流した悔し涙と、血と汗。
そして、悪魔が思い描く未来図。
「ああ、この先にある未来のために。いつか来るであろう、人の未来のために!!!」
「―――こんな俺でも礎になれるのだ!!!」
ドラグニア・バーンがグレイブを弾いた直後、決死の覚悟で飛び込む。だが、シルバーグランの返しが速い。あの重いグレイブを軽々と操る膂力はさすがである。
「いくらでもくれてやる!!」
ドラグニア・バーンはよけない。しかも腕を上げてノーガードで受ける。グレイブは左脇腹に当たって装甲を破壊し、そのままコックピットにまで抉り込む。
それでもユニサンは止まらない。
「食い込んでくれたのならば、なおよし!!」
黒い般若の身体が半分ほど千切れかかるが、耐えた。
耐えたのだ。
耐えたのならば、それでよし!!
ドラグニア・バーンは両腕を使って、抱き込むようにシルバーグランを締めつける。ベアハッグである。
「ぐっ!! 何を…!!」
シルバーグランの両腕ごと締めつけられているので、さすがのアレクシートであっても身動きが取れない。がっしりと締められている。
「悪あがきを!! 腕ごと引きちぎってやる!!」
「切れぬ!! この腕は切れぬ!!! 俺の腕は、虐げられた者たちの想いで出来ているのだ! お前には絶対に切れん! 絶対に切らせぬ!!!」
アレクシートは全身の力を注ぎ込むが、ユニサンの腕はぴくりとも動かない。オーバーロードで真の才能を引き出しているのに、この男の腕は動かない!!!
ユニサンの腕は、今までの人生の集大成である。生まれたときから貧困の中で虐げられ、人権すらない生活を送った。自分だけならばよい。だが、それらが愛する弱き者たちの涙を生み出すのならば、絶対に許してはならない!!
その想いが、その怒りが、その愛が、腕を守護する!
何度もがこうと、何度あがこうと、目の前の男は歯を食いしばって耐え続ける。皮がヒビ割れ、肉が裂け、骨が折れても動かない。それどころか、万力のように少しずつ締まっていく。ミシミシとシルバーグランが圧迫されていき、アレクシートの腕も軋んでいく。
―――そのままシルバーグランの腕をへし折る!!!
力を失った手からグレイブが落ちた。
「なんだ、お前は!! 何なのだ!?」
アレクシートは痛みを感じないほど、より強い感情に支配されていた。
恐怖。
どうやっても抜け出せないとわかってしまったのだ。それはまるで、海の中でサメに噛まれ、海中に引きずり込まれるような感覚。初めて見たもの、初めて感じた強烈な意思に【ビビッた】のである。
アレクシートは強靭な精神をしている。どんなに信仰を否定されようが気にせず、堂々と淡々と敵を排除できる強さがある。
だが、目の前の男の強さは、また別種のものであった。それはただの石ころだったのだろう。誰も価値を見つけないような、道端のつまらないコンクリートの破片かもしれない。
それを抱き続け、磨き続けた男の力を見よ!!
それが怒りであっても、その強さを見よ!!!
男はけっして放さない。
死んでも放さないと決めたのだ。
だから離れない!!!!
「うわあああああ!! 放せ!! 放せええええええ!!」
アレクシートは、ドラグニア・バーンの目が宿す光に恐怖する。
それは狂信というレベルを超えていた。誤まった信仰など、粉々にしてしまうほど強い意思に満ちていたのだ。目に宿すは炎。カーリスの狂信すら燃やし尽くす、圧倒的な怒りの炎!!
「放さん!!! 一緒に死ね!!」
ドラグニア・バーンの頭部である龍の首が独立して動き、強靭な牙がシルバーグランの背中に喰らいつく。
ドラグニアの拘束用の特殊武装である。このような状態でも、最後まで奥の手を取っておくしたたかさ。ユニサンの力、知恵、経験のすべてがここに宿っていた。
「貴様らは、何だ!!!」
「世界を焼く悪魔だと言っている!!!」
「悪魔、悪魔!? 金髪の悪魔などがぁああああああ!!」
「お前は死ぬのだ!! 俺を通して、彼の怒りと嘆きを知れ!!」
ドラグニア・バーンが炎で燃えていく。最後の叫びが闘気を再び燃え上がらせ、膨大な炎となって世界を焼いていく。
このまま炎は極限にまで高まり、シルバーグランを巻き込んで爆発するのだ。
それは文字通りの爆発。
ドラグニア・バーンの【自爆】である。
ドラグニア・バーンに搭載されている爆弾は普通のものではない。ザックル・ガーネット同様に膨大な負の力を蓄積した石、【ジン・ジ・ジャスパー〈連鎖する怒り〉】を核に使った特製である。
これはザックル・ガーネットと反応しないと発動しないので、普通に撃墜されただけでは爆弾にはならない。ユニサンが自らの意思で命を捨てる時、その瞬間に起動するように仕組まれている。
それは名が示す通り、ただの爆弾以上に恐るべきものである。怒りは連鎖し、世界に拡散していくものとなるだろう。
最初から死ぬつもりで乗り込んだユニサンにこそ、この石は相応しい。
「さあ、死ね!!」
「ぐおおおおお!! サキアぁあああああ!」
応援ありがとうございます!
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