裸足の願い

蒼山 サキ

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 町から離れると更に長閑のどかな自然の風景が広がっていた。楠木は澄んだ空気を吸いながら歩き続けている。
 途中で児童養護施設ひかりの家に初めて車で来た時も通った道だと気付いた。施設までは地図アプリに頼らず向かう事にする。墓地に向かう山道を見失ってしまったら山の中を駆け巡らなければならない。なるべくバッテリーを消費しないよう節約する。
 町村役場から約1時間程歩くと施設が見えてきた。墓地はもう少し先に現れる山道を登った所にある。ゴールが見えてきた気がした。鉛のように重くなった足を懸命に動かす。
 施設を通り過ぎてから30分程歩くと右手側に山道が見えてきた。

「10メートル先、右方向。道なりを直進です。」

 スマートフォンからナビゲーターの声がする。案内された山道に入る。塗装のされていない砂利道が緩やかなカーブを描きながら上へと続いている。
 地図アプリに表示されている墓地までの距離はあと約3キロ。楠木は最後の力を振り絞った。
 墓地を目指しながら無心で山道を登っていく。暑さと疲労で目が霞んできた。足元がよろめき、つまずいて派手に転ぶ。
 痛む体を起こしてつまずいた地面を見る。片っ方だけの小さなサンダルが落ちていた。拾い上げて土を払う。薄茶色をした子供用のサンダル。光が履いていたものだった。
 楠木はサンダルが落ちていた場所からガードレールの下を覗き込む。落下してしまったのでは無いかと思ったが、何も落ちていなかった。気を取り直して山道を歩く。
 するともう片方のサンダルも落ちていた。その近くにはビニール傘も閉じられた状態で落ちている。
 光はこの山道を裸足で歩いたのか。石や硝子の欠片、所々にゴミも落ちている。裸足で歩くには危険だった。
 ビニール傘とサンダルを持った楠木は足元に気を付けながら再び墓地へと歩き始める。時刻はAM10時17分。到着するまであと2.5キロ。短いようで長い距離だった。
 AM11時24分。寺に到着した。地図アプリの経路案内が終了する。境内を掃き掃除していた住職は楠木を見ると慌てて駆け寄った。
 全身泥だらけ。転倒した際に破れたシャツには血が滲んでいる。楠木は事故にでも遭ったような姿をしていた。それに両手には子供用のサンダルとビニール傘を持っている。日常では絶対に見掛けない風貌だ。

「大丈夫ですか!?一体何があったんです!?とりあえずこっちに来てください!」

 住職は手当てをするからと言って社務所へ案内しようとする。楠木は話を遮り、光の写真をポケットから取り出した。ずっとポケットに入れていたから少し破れている。

「この女の子、知りませんか?名前は山岸光。この近くの児童養護施設に住んでた子です。1週間ぐらい前にここの墓地に来ているはずなんです。」

 早口で住職に事情を話した。住職は楠木の手から写真を受け取る。じっくり眺めた後、首を横に振った。

「この少女の事は知っています。ひかりの家の施設長、宮本さんとご一緒によく参拝に来られておられました。ですが、ここ最近は見掛けておりません。よければ境内をご覧になられますか?」

 住職に連れられ境内を捜査する。社務所、本堂、講堂の順に扉を開けたが光は何処にも居なかった。楠木は住職にサンダルとビニール傘を預けて墓地へ向かう。
 大小様々の墓石がずらりと整頓されながら立ち並んでいる。墓石の前には花や菓子、酒や煙草といったお供物が置かれていた。お盆明けの墓場の光景だ。
 楠木はふと疑問に思った。お供物が置かれているという事は、お盆の期間に此処に人が少なからず来ていた事になる。それなのになぜ光は見つかっていないのか。
 考えながら歩いているといつの間にか小さな丘の前にいた。その丘には無差別に建てられた墓石が並び、合間に地蔵が置いてある。墓石に名前は無く、苔が生えていた。墓石の隙間からは雑草が伸びている。

「これが佳音の言ってた無縁塚か。」

 無縁塚を一周したが光の姿は無かった。再び無縁塚の正面に戻った時だ。スマートフォンから音声が聞こえた。

「20メートル先、左折です。」

 地図アプリは寺に到着した時に閉じたはずだ。それなのに勝手に目的地を設定して案内を始めている。楠木は目的地の住所をタップしたが写真や名称が表示されない。表示されていたのは座標だけだった。
 残された手掛かりは何も無い。一か八か向かってみる。ナビゲーターの言う通りに歩き、左折する。その先に道は無かった。木々が生い茂っている。

「500メートル直進です。」

 完全に山の中に入ってしまった。木の合間を通り抜けながらなんとか進む。落ち葉を踏む音が耳に響く。目印が何も無い為、自分が真っ直ぐ進めているのかも分からなかった。ただ前だけを向いていた。

「その先8メートル下です。」

「下?下ってなんだ。そんな案内初めて聞いたぞ。」

 思わずナビゲーターに話しかけてしまった。

「下です。シたで、シ、シタ、タ、シタに…。」

 楠木の問い掛けにナビゲーターが壊れたように返答する。驚いて尻餅をつく。落としたスマートフォンからはまだナビゲーターの音声が流れていたが突然音が鳴り止んだ。恐る恐る画面を見るとバッテリーが無くなったマークが表示されている。電源が完全に切れてしまった。
 行くしかなかった。「下」と言うことはこの先に階段か何かがあるんだろうか。
 山の中を見渡しながら進むが見当たらない。8メートルは歩いたはずだ。立ち止まり足元の崖を覗く。今立っている場所から地面までの高さは5メートル程。降りれない事はない。剥き出しになった木の根を掴みながら慎重に滑り降りる。崖の下はぬかるんでいた。
 目を凝らすとうっすらと木造の小屋が見えた。木は腐敗して今にも倒壊しそうだ。その小屋の前で誰かが立っている。見覚えのある後ろ姿だ。今まで一緒に捜査をしてきた部下…。

「林!!」

 大声で叫んだ瞬間、林が倒れた。全力で走り林の体を揺する。
 出血もしていて顔色もかなり悪い。だが息をしている。奇跡だ。失踪していた林が生きていた。

 パリン。パリン。パリン。パリン。パリン。

 束の間の安堵が終わった。背後から山の中で聞くはずのない音がする。何度目だろうか。硝子の破片が楠木の足元に散らばっている。楠木の背中から感じる気配が、早く小屋に向かうよう命じている。
 ひんやりとした冷気を浴びながら歩く。土を踏む足の裏に硝子の破片が刺さった。顔を歪ませ、痛みに耐えながら進む。
 近づくにつれて強烈な異臭が漂う。祈願荘で嗅いだ死臭より遥かに強い。小屋に着く前から蝿が無数に飛んでいる。蝿達の羽を動かす音が耳元で轟く。楠木は払う事もせず入口に立った。

「光。」

 蠢く黒い闇の中で見つけた小さな体。腐敗が進み骨が剥き出しになっている。白かったTシャツは黒緑色に変色していた。骨の横に黒色のボディバッグが落ちている。
 電源が入らないスマートフォン。ボロボロになった里親登録申請書。サトルの身分証明書とクレジットカード、5円玉が入った財布。そして鍵が詰め込まれていた。
 骨に混じってピンク色をしたプラスチック製の欠片が見える。拾い集めると徐々に形が分かってきた。プラモデルのように形を組んでいく。
 ポケットから香呂駅で拾ったイルカのストラップを取り出して横に並べる。お揃いのストラップのように2人が寄り添い続ける事は無かった。
 小屋から出ると佳音が立っているのが見えた。虚な目には楠木ではなく骨になった娘が映っていた。その顔は今まで見た事が無いくらい口が裂け、笑っているように見えた。
 何故こいつは笑っているんだ。最愛の娘が死んだんだぞ。
 不気味に思いながら佳音の横を通り、林が倒れている場所まで向かう。林が着ているジャケットからスマートフォンを取り出す。軽くタップしたが画面は暗いままだ。震える手で電源ボタンを長押しする。

「頼む。ついてくれ…。」
 
 8月21日火曜日PM5時18分。長閑な町にサイレンが鳴り響いた。楠木を乗せた救急車が山道を降りていく。
 林のスマートフォンの電源が入り緊急通報をした後、警察がGPSを追跡して2人の元に辿り着いた。
 駆け付けた警察官は現場を見て絶句していた。あまりの衝撃に嘔吐している警察官もいた。事情聴取を行う前に2人は病院に搬送される事になった。
 搬送先の病院で楠木は重度の脱水症状と診断された。点滴を打ちながら足の裏の治療も始まる。粉々になった硝子の破片が刺さっていて、全てを抜き取る前に打っていた点滴が終わってしまった。
 林は搬送されてすぐに意識を取り戻した。医者の診断では林の方が症状が軽かった。体に異常は無く、血圧も安定していた。右側頭部から出血していたが命に別状は無い。
 サトルの家で見た捻り曲がった首。林のDNAが検出された血溜まり。今となっては佳音が見せた幻だったのかもしれない。
 楠木は「全回復するまで絶対安静」と医者に命じられて入院する事になった。先に退院した林が進捗状況を見舞いのついでに教えてくれる。

「山岸光の死亡解剖が終わりました。死因は恐らく熱中症。死亡推定時刻は8月13日から14日に掛けてとの事です。あの山の中じゃ防犯カメラどころか、目撃情報も一切ありませんでした。見つかるはずもありません。」

 8月14日は佳音の命日だ。光は佳音と同じ日に死んだ可能性があるのか。楠木は複雑な心境だった。

「進捗報告ありがとう。やっと、全部終わったんだな。」

「こちらこそ、本当にご迷惑お掛けしました。」

 失踪していた間の記憶が無いらしい。いつ怪我をしたのか。自分がどのようにしてサトルの家から小屋の前まで移動したのか。全部覚えていなかった。
 記憶が全く無かった林は退院後にカウンセリングを受けた。カウンセラーから正常と判断され捜査官として復帰した。

「無事で本当に良かったよ。」

「楠木さんと加川さんのおかげです。あ、そういえば!退院日決まったんですよね。明日でしたっけ?」

「明日だ。やっと家に帰れるよ。」

 足の裏以外回復している。医者から許可を得てすぐに帰宅する準備を終わらせた。雑談を済ませた後、楠木は爪先立ちで歩きながら林を病院の外まで見送った。

 翌日の朝。退院して家に帰宅した。荷物を片付けなければならない。入院時に着用していた衣類を洗おうとボストンバッグを開ける。

「こっちはネットに入れるか~。」

 リビングルームで衣類の選別していた時、足元に何か落ちた。手に持って眺める。水色のイルカのストラップだ。
 ポケットに入れたままだったのか?あの時、光の遺体の横に置いてきたはず…。
 全身が粟立つ。冷房の効いた部屋の中だというのに汗が出てきた。体が動かない。背後から感じる視線が近付いて来る。
 スマートフォンから着信音が鳴った。楠木は驚いてストラップをフローリングの床に落とす。電話は加川から掛かってきた。

「退院おめでとう。今時間あるか?」

「あ、ありがとう。いきなりどうしたんだ?」

 加川の話によると明日の昼間に光が納骨されるらしい。遺骨は佳音と同じ無縁塚に埋葬される事になったと話す。

「これでやっと終わったと思ってな。楠木には山岸光の行く末を報告しときたかったんだよ。」

 加川と林は納骨に立ち会うらしい。その誘いをしてきたのだ。出来ればもう神河町には行きたくない。だがこのストラップを手離すのに丁度いいかもしれない。楠木も参加する事にした。

 久々に訪れた神河町は相変わらず自然豊かで長閑な町だった。3人は車で墓地まで向かう。社務所の近くにある駐車場に車を停め、墓地に到着した。墓地の奥の無縁塚の雑草や苔が綺麗に刈り取られていた。
 納骨堂に向かい、光の遺骨を住職に渡す。住職が3人に一礼をした。

「故人様の遺骨はお母様の遺骨の横に、置いてほしいと宮本さんからご連絡がありました。ですので故人様は此方に納骨致します。」

 壁に取り付けられている棚に、綺麗で小さな骨壷が置かれた。その横には埃を被った緑色の骨壷が置いてある。楠木がぼんやり眺めていると、住職が軽くお辞儀をしながら鉄の扉を閉めた。
 3人は無縁塚に戻り手を合わせる。楠木は持ってきたイルカのストラップをお供えした。これで光が成仏してくれたら良いのだが。

「そういえば私最近、変な夢を見るんですよ。入院してるんですけど、その人は私じゃないんです。違う人の視点って言うんですかね?女の子がお見舞いに来てくれた後に死んじゃうんです。」

 佳音の過去だ。楠木は直感でそう思った。

「それに死ぬ間際に決まって言う台詞があるんです。」

「どんな台詞なの?」

 加川が林の話に興味深々の様子を見せている。楠木は黙って林が話し切るのを待った。

「待ってるね。」

 林の口から発せられた声は佳音のものだった。驚いた楠木は林の顔を両手で掴んだ。

「痛い痛い!何するんですか!?」

 いつもの林に戻っていた。加川が「セクハラ~。」と言いながらおどけている。怒る林と笑っている加川が随分遠くに居るように思えた。
 佳音は誰を待っていたんだ?光の幸せを望み、無縁塚に入らないように宮本にサトルを紹介して…。その時、嫌な考えが脳裏に浮かんだ。
 もし、佳音がサトルの異常性に気付いていたら?
 宮本の優しさを利用していたら?
 血の繋がっている娘に最期まで執着していたら?
 そして全ての歯車が運悪く噛み合ってしまったら?
 佳音は無縁塚で光が来るのを待つつもりだろう。そして光に早く来て欲しいから生前に準備をしておく。光が死んだ時にはその骨を無縁塚に納骨させる為に手を下すだろう。宮本とサトルは、光をあの世に葬る為の道具。楠木は光の骨を探す為の道具だったに過ぎなかったのだ。
 佳音の望み通りに光は無縁塚に埋葬された。これで2人は永遠に一緒だ。
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