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第十三章 シンデレラ

214.シンデレラ(その10)

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「待たせて悪かったわね」

 私はドレスを着直すと、メフィの待つ馬車に乗り込む。

「彼を一緒に連れていってもよかったのでは?」

 メフィにしては珍しく、そんなことを言ってくる。
 でも、その言葉は優しさからではなく、単に役者が増えるのを楽しんでいるだけなのだろう。
 だから、私がその言葉に迷うことはない。

「アーサーには役目があるんだから、連れて行くわけにはいかないでしょう。それに、お守りはもらったしね」

 私の手には、アーサー王子が作った銃がある。
 アーサー王子が言っていたように軽く、私でも使うことができそうだ。
 銀の銃弾には、吸血鬼を退治するような特別な効果は期待できないだろうけど、普通に銃弾としての効果は期待できる。

「銀に浄化の効果があるのは、あながち間違いではないですよ」

 私が考えていることが分かったのか、メフィがそんなことを語りかけてくる。

「銀イオンには、菌を取り除き、増殖を抑制する効果がありますからね」
「いおん?きん?」
「銀の小さな粒子が、目に見えない穢れを払うということですよ」
「ふーん」

 メフィの話は半分くらいしか理解できなかったけど、ようするに銀にはなんらかの力があるということだろう。

「なら、吸血鬼退治に使ってみようかしら」
「ただまあ、銃弾程度の銀では効果も微々たるものでしょうが」
「なら、言わないでよ」
「知識は大切ですよ」

 そんな役に立つのか役に立たないのか分からないような会話をしながら、私達は南に向かって進んでいった。

 *****

 国境付近まできただろうか。
 敵に出会わない道を進んできたからか、味方には一度も出会っていない。
 それは予想通りだから問題ない。
 だけど、遠くに敵の姿が見えるのは問題だ。

「メフィ・・・」
「できるだけ出会わない道を進んでいますよ。あそこに見える吸血鬼も、馬車ですり抜ければ追いつけないでしょう」

 私がじと目で見ると、メフィはさらりと反論してくる。
 確かに吸血鬼は徒歩だから、馬車なら逃げ切ることは可能だろう。
 メフィの言うことは間違っていない。
 私は改めてもう一度、遠くに見える吸血鬼を見る。

「・・・できるだけで会わない道を進んでいるのに、あそこに見えるってことね」
「そういうことです」

 つまり、防衛網の網目が広がっていて、吸血鬼の侵攻を防ぎ切れていないということだ。
 兵士の姿をした吸血鬼が現れ、戦力がそちらに集中した影響だろうか。
 それとも、たまたま巡回の間隔が長くなった影響だろうか。
 どちらにしても、あまりよい状況ではない。

「あそこに向かって。私が対処するわ」

 私はメフィに、吸血鬼がいる場所に向かうように指示する。

「一体や二体を駆除したところで、戦況に大した影響はありませんよ?」

 メフィの言っていることは正しい。
 放置するのは危険だけど、ここで見逃したとしても、すぐに味方の兵士が対処するだろう。
 それよりも、私が目的地に到着するのが遅れる方が影響が大きい。
 だけど、私は指示を撤回しない。

「リハーサルよ」
「そうですか。では、見学させてもらいましょう」

 数体の吸血鬼を前に、私は馬車から地面に降り立った。

 *****

 地面に倒れ込み、それでも前へ進もうとする吸血鬼達を、私は観察する。

「裂傷からの出血が少ないわね。これが致命傷を受けても長時間動き続ける理由か」

 私は全身から血を流し、それでできた血だまりを這いずる吸血鬼を見る。

「骨を砕いても無理やり手足を動かすから、動きを止めるなら腱を狙う方が効率的ね」

 私はあり得ない方向に曲がった手足で、それでもにじり寄って来ようとする吸血鬼を見る。

「毒は効果があるみたいだけど、効き始めるまでの時間が長いわね」

 私は毒を与えてからかなりの時間が経過して、ようやく痙攣を始めた吸血鬼を見る。

「代謝を下げることで、死にづらくしているんだろうけど、首を折っても死なないのか」

 私は身体をぴくりとも動かさない吸血鬼を見る。
 一見すると死んでいるようにも見えるけど、ぎょろりとこちらを向く瞳が、まだ生きていることを伝えてくる。
 死んでいる吸血鬼は一体だけだ。

「完全に殺すには、頭を吹き飛ばすしかないようね」

 その吸血鬼は首から上が無かった。
 もしかしたら心臓はまだ動いているかもしれないけど、思考をするための器官がないのだ。
 意志を持つ存在としては、終わっていると言っていいだろう。

「ありがとう」

 私はもう一度全ての吸血鬼を見回してから、彼らの上に油を撒き、火を落とす。

「おやすみなさい」

 漂ってくる肉の焼ける匂いを背に私は馬車に乗り込んだ。

 *****

 何度か吸血鬼と遭遇しながらも順調に進む。
 やがて見えてきたのは、バビロン王国の王都だ。
 普段なら街道を行き交う馬車で溢れているのだろうけど、今はそんな馬車はいない。
 王都に近づくのは私達の馬車だけだ。
 私はここへ来るのは初めてだけど、遠くから見た街並みは他の都市と大きく変わるものではない。
 しかし、異様な静けさが、今のこの場所が普通ではないことを教えてくれる。
 ここからでも視認できる王城は、

「魔王城っていったところかしらね」

 そんな感想が口から漏れる。
 それを聞いたメフィが、楽しそうな顔をする。

「ならば、待っているのは魔王というわけですか」

 魔王。
 おとぎ話の存在だけど、この状況をもたらした存在を的確に表現していると思う。

「魔王退治は英雄にでも任せたいんだけどね」
「あたながなればいいではありませんか」
「悪魔を連れた英雄なんて聞いたことがないわよ」
「そういえば、あなたは女神でしたね」
「女神じゃないけど、どちらにしても、そんな存在が悪魔なんて連れていないでしょう」
「どうでしょうな」

 メフィと軽口を叩き合っている間にも、馬車は王都に近づく。
 そして、やがて王都の外周にまで辿り着いた。

「馬車はここに置いていきましょうか」
「ここから目立つでしょうからな」

 馬車を置いて行くという私の提案に、メフィが賛同する。
 普段なら王都の中は多くの馬車が走っているから目立つようなことはない。
 けれど、今は一台も走っていないので、馬車が走っているというだけで目立ってしまう。

「さて、ここからは、どの道を行きますかな?」

 メフィが問いかけてくる。
 彼は基本的に私のために何かを提案するようなことはしない。
 ただ、願いを聞いて叶えるだけだ。
 私とメフィの関係は、仲間ではなく契約相手と呼ぶのがふさわしい。
 御者程度の願いサービスでやってくれるけど、本当の願いは対価を払わないと叶えてくれない。
 だから、ここは私が判断しなければならない。

「とりあえず、王都を見て回ってから考えましょうか」

 私はメフィと並んで王都の街並みを歩き始める。
 本来なら隠れなくちゃいけないことをするために来ているのだけど、道の真ん中を堂々と歩く。
 だけど、そんな私達を止める者はいない。

「ここは人間の・・・いえ、生き物が暮らせる場所じゃないわね」

 ここでは、ただ風の音だけが聴こえる。
 それ以外は何も聴こえない。
 人はもちろん、獣の鳴き声すら聴こえない。
 あえてたとえるなら、雪に埋もれた冬の森が近いだろうか。
 音が雪に吸い込まれ、生き物の気配を感じないところが似ている。
 けど、冬の森には息を潜めているだけで生き物は存在する。
 春になれば冬眠から覚めた獣が息を吹き返す。
 でも、ここは違う。

「こういう場所を地獄って呼ぶのかしら」

 ここは死んでいる。
 生き物の営みが感じられない。
 もしかしたら、隠れている無事な人間がいるのかも知れない。
 でも、同じことだ。
 その人間がいたとしても、ここでは暮らせないだろう。
 そんな気がする。

「地獄ですか。詩的な表現をしますね」
「そういえば、メフィの故郷だったわね」

 私の何気ない言葉に、メフィがきょとんとする。

「私の故郷を地獄と呼ぶのであれば、この都市は違いますね」

 そして、否定してくる。

「あれ?そうなの?」

 実際に地獄を見たことがあるわけではないけど、生き物が暮らせないような土地は地獄と呼ぶのにふさわしいのではないだろうか。
 そんなことを考える私に、メフィが説明する。

「ここを表現するなら、天国という言葉がふさわしいでしょう」
「ここが天国?」
「ここには苦しみが存在しません」

 ここはどう見ても楽園には見えない。
 けど、苦しみが存在しないというのは正しい。
 なにせ、それを感じる人間がいないのだから。

「苦しみ、もがきながら、高みへ昇ろうとする者達が足掻く世界。それが私の故郷です」

 苦しみに満ちた世界。
 それだけを聞くと、確かに地獄のように聞こえる。
 けど、私は違う感想を抱いた。

「それって、人間の世界よね?」
「正確には、かつて人間の世界だった世界、といったところでしょうか」

 人間の世界にだって、辛いことや苦しいことはある。
 努力するという行為だって、そうだ。
 努力している間は、辛く苦しい。
 だけど、それでも成し遂げたい目標があるから努力するのだ。

「発展しすぎた世界はやがて地獄となり、終焉まで辿り着けば天国となります」
「・・・ふーん」

 メフィの言葉は抽象的で理解できなかった。
 けど、一つだけ理解できたことがある。

「天国がそんなところだとしたら、行きたいとは思わないわね。まだ地獄の方がマシだわ」

 そちらの方が、まだ人間らしく生きられるような気がする。
 まあ、だからといって、好んで地獄へ行きたいとは思わないけど。

「ふふっ。そうですか」

 自分の故郷が褒められたとでも思ったのか、メフィが笑みをこぼす。
 それを見て、ふと思う。
 天国と地獄がメフィが言う通りのものだとしたら、メフィはいったいどこからやってきたのだろうか。
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