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姉はいないけど、姉さん、事件です。
朝、目が覚めたら知らない男が隣で寝ていました。
その時点では『あーやっちまったなぁ』くらいにしか思っていませんでした。
が!
が!
です。
よっこらせと体を起こした瞬間、背筋が凍り付きました。
2人です! 殿方が2人もおったのです。
床で一緒に眠っていた男の他にもう1人ベッドでスヤスヤ眠っている男がおったのです。
こ、これは……要するに3人で、ということでしょうか。
姉さん……大事件です!!

一体、何がどうなってこうなっているのか、さっぱり見当もつかなかった。2人との出会いを全く憶えていない。
飛び起きたら男物のTシャツ一枚しか身につけていない状態で、自分の服がどこにあるのかも分からない。
男が隣で寝ていて、自分の服も着ていないとなると、もう疑いようもない。
この2人とどうにかなってしまったことだけは確かなんだと思う。
一夜にしてどこまで落ちぶれるんだ、あたしは……。
あ゛ー!!
なんて、髪の毛をかき乱している場合ではない。
面倒なことになっても嫌だし、2人が眠っている間においとましよう。
昨日の夜、何があったのか気にならないと言えば嘘になるけど、でも、全貌を明らかにする勇気もない。
現実からもこの場からも逃げてしまえ!
それには、まず服を探さないと。音を立てないように気を付けながら部屋を捜索する。
ベッドぐらいしかない殺風景な部屋なのに、服が見つからない。
もしかして、殿方の下敷きに?
気は引けるけど、布団を捲って探すしかない。
そーっと布団を掴んでゆっくり持ち上げる。
おや?ないなぁ。
「……何すんだよ」
へっ? 突然の声に身が縮んだ。
「ん?ヤリたいのか?」
床で寝ていた男はムクッと起き上がると、あたしの上に覆い被さってきた。
「なっ!何よ、あんた!」
あたしの言葉なんか無視で、普通に迫ってきてる。
「ヒーッ!止めて!何するのよ!」
体全部で抵抗して、何とか男を突き飛ばした。
「なんだよ、ヒーッ!って。昨日はそっちから誘ってきたクセに」
そう言うと、男は小さく舌打ちをして立ち上がった。
あたしが誘ったなんて、そんなこと……「ギャーッ!」立ち上がった男を見て思わず声が出た。慌てて口を手で塞ぐ。フ、フル○ンじゃないかぁ!
「いい歳してかまととぶんなよ。叫んだわりにはがっつり見てんじゃん」
よほど自信があるのか(?)男は照れるでも隠すでもなく、堂々と仁王立ち。男の言葉に、あたしは慌てて目を逸らした。
「見たんじゃない、見えたの!」
そこははっきりしておきたい。
「ウソつけ。見たいんだろ?もっと間近で見せてやろうか?」
言いながら、男は本当に近づいてきた。
「ギャー!止めてよ!早くしまって、そんなモノ」
両手で顔を覆いながらも、指の隙間から凝視していた時だった。
ベッドで寝ていた男が起き上がった。うわあ、最悪……。まさか、2人がかりで、とかないよね? ね?
不安であたふたしそうになっていたら、男はあたしたちを一瞥した後、もう一度横になった。
えーっ!この状況で寝る?
「ほら、ちゃんと見せてやったんだからお礼しろよ」
戸惑う間もなく、フル○ン男が言う。
「は?お礼?無理やり見せたクセにお金でも取る気?」
見せるほど立派とも思えないのに、どこからそんな自信が?
「だからかまととぶんなって。お礼って言や分かるだろ?」
ニヤリと笑い、男は朝から言っちゃいけないような卑猥な行為を口にした。
「なんでそんなコトしなきゃいけないのよ!だいたい、友達が寝てる横でそんなコトさせるなんておかしいよ」
怒りと羞恥で頭から湯気が出そう。
「ああ。コイツ友達じゃねえから。なんつーか、一言で言うと兄貴?」
一言で言うとって何よ。回りくどい。
「は?お兄さん?じゃあ余計に気まずいでしょ」
この空間も、この人たちも謎だらけ。全く理解できない。あたしと一緒に寝ていた人たちは兄弟? 兄弟って変な意味じゃない方よね?
「俺は別に気まずくないけど。コイツは幽霊みたいなもんだし」
言いながら、男は兄が寝ているフロアベッドをゴンゴンと蹴った。どうでもいいけど、この男はさっきからとてつもなく感じが悪い。なんなんだ、この人を見下したような偉そうな態度は。
そりゃ、こんな風に見ず知らずの殿方たちの家で目を覚ましたあたしが言うことじゃないかもしれないけど、それにしても感じ悪すぎ。
「っていうか、あんたは俺に媚びといた方がいいんじゃねえの?」
「え、なんで?」
どうしてあたしがあんたに媚びなきゃいけないのよ。
「あんた、行くとこねえんだろ?」
「……!」
はっ!忘れてた!完全に忘れてた。
鬼の首を取ったようにいやらしく笑う男を見て、頗るイヤなことを思い出してしまった。

昨日は人生最悪の日だった。
中堅の建設会社の契約社員だったあたしは、今月いっぱいで期間満了になり、会社も業績が悪く契約の更新はできないというので、辞めることになっていた。
有休が残っていたため、先週末が最後の出社であと10日ほどは休み。思いがけず時間ができたので、去年結婚してなかなか会えなかった友達と久々に会ってランチを食べた。
「いい機会だから彼と結婚しちゃえば」なんて友達に言われ、いい気分で家に帰ったら、玄関に知らない女物の靴があって、中から飛び出してきたパンツ一丁の彼氏に大声で怒鳴られた。
「せやから、ヤクルトはいらんって言うたやろ!しつこいねん、あんた」
すっかり聞き慣れた関西弁だけど、こんな風に怒鳴られたことはなかったので、思わず怯む。
「え、あ、すみません……」
ぺこりと頭を下げ、『そっかぁ。ヤクルトはいらないのかぁ』なんて契約断られた営業マンみないな気分で歩き出したあたしは、数歩で足を止めた。
「んなワケねえだろーがっ!!」
湧き上がってきた怒りにまかせ、蹴破らん勢いで玄関を突破した。
「ちょっと!ふざけてんの?ヤクルトはいらんってどういう……わあぁぁ」
爆発寸前の暴走機関車みたいだったあたしは部屋に入るなり、急ブレーキを余儀なくされた。
「カッ、カオリちゃん!?」
ほぼ半裸の恰好でそこにいたのは、会社の後輩のカオリちゃんだった。
「ええ……なんで?」
なぜか半笑いで訊ねていた。人ってビックリし過ぎると笑ってしまうものらしい。
「実梨さん……ごめんなさい」
か細く、弱々しい声でカオリちゃんは謝ったけど、申し訳なさそうな態度すらあざとく感じた。ってか、乳デカすぎだし!
あまりに突然のことに気が動転して、気がついた時には部屋中のものを手当たり次第に投げつけ、それでも足りないあたしは冷蔵庫から取り出した飲み物や調味料を2人に向かってぶちまけていた。
「おい、止めろって!」
言いながら、隼士はずっとカオリちゃんを庇っていた。それがまた許せなくて、隼士の顔に向かってマヨネーズをかけてやった。
なんなの?これ。
2年近く同棲していた男との終わりが、ヤクルトとマヨネーズ? 笑う気にもなんない。
あまりに情けなくて、涙も出なかった。というか、驚き過ぎて頭の中がまだパニックだった。
何をしても、何を言っても怒りが収まらなくて、あたしはそのまま家を飛び出した。
さっきまで一緒にいた友達に電話して愚痴ろうかと思ったけど、そろそろ帰ってご飯しなきゃ♡って言ってたのを思い出して止めた。
思えば、電話帳に入っている友達は最近バタバタっとみんな結婚してしまい、時間を気にせず電話できる相手はいなくなっていた。
くそぉ! あたしだけ独りぼっちじゃん!
よく行く飲み屋を三軒ほど梯子した辺りから記憶は曖昧になっていった。
お酒が進むほど虚しくて、情けなくて、酔えば酔うほど辛くなった。
一体、どの段階でこの兄弟と出会ったのかは全く思い出せないけど、昨夜のあたしは酷く傷ついていたし、帰る場所がなかったのも確かだ。
夜を明かせるならどこでもいいとか思っちゃったんだろうなぁ。
ハーッ。サイアクじゃん。

「あんたがどうしてもって言うんなら、ここに置いてやってもいいけど」
ヤクルトとマヨネーズの渦に呑まれそうだったあたしは男の言葉にハッとした。
「へ? それ、どういう意味?」
「だからー。行くとこないならここに住まわしてやってもいいって言ってんじゃねえか」
ま、まさかそんな。いくら何でもそんな節操のないこと……。
「い、いいです。自分でなんとかしますから」
「ふーん。あっそ」
どうせ無理だとでも言わんばかりに、男は憎たらしい薄笑いを浮かべていた。こんな見ず知らずの、しかも性格悪そうな奴に頼りたくなんかない。
「まあ、せいぜい頑張れよ。ヤクルトさん」
カッチーン! 今のあたしにヤクルトさんとか無神経すぎ!
「お気遣いどうもっ!!」
絶対自力で這い上がってやる。フル○ン男の下でぐしゃぐしゃになっていた服に着替え、あたしは部屋を出た。
「どうもお邪魔しました!! えー!」
てっきりマンションだと思っていたのに部屋を出たら階段があった。
「下に親御さんいるの?」
さっきの勢いは失われ、あたしは振り返って恐る恐る確認した。
「こんな狭いとこにいるわけねえだろうが」
いちいち人をイラッとさせる奴。うちの実家より全然広いんですけど。実家は団地で一軒家でもないしね。こんな広い家に兄弟2人で住んでるなんて、どこのセレブよ。鼻で笑って外に出たあたしは、さらに度肝を抜かれた。
「な、何ここ?」
家の外に出ると、一面に緑の芝生が広がっていて、同じ敷地内に城みたいな家が建っていた。家の前には噴水まである。
シンデレラ城……とまではいかないけど間違いなくうちのアパ―ト一棟よりもデカく白い洋館。
「ああ。もしかしてビビってる? あっちが俺のウチ。ここはアイツ1人で住んでる離れ。まあ犬小屋みたいなもんかな」
プカーッと煙草を吹かし、男は得意気に言った。
い、犬小屋ですと!? この一軒家が? で、自分はあの城みたいな家に住んでると!?
「け、結婚して下さいっ!」
思わず口走っていた。
「フッ。バカ言うなよ。この俺と結婚できる女は選び抜かれたご令嬢だけに決まってんだろうが。あんたでは話になんない。ヤクルト売って出直しな」
くっ……! 嫌みな奴!
「冗談に決まってんでしょ! 誰があんたみたいな男と結婚するもんか」
怒りにまかせて歩いても歩いても、なかなか門まで辿り着けない。ってか、これって普通に正門? から出て行っていいの? 警報とか鳴らないよね? 記憶がなかったとはいえ、よくもこんな家に迷い込んだな、あたし。
滅多に見られるもんじゃないから、もう一度よく見て目に焼き付けておこう。
厚かましくスマホのカメラで撮影しようとした瞬間だった。
ビービーって車の防犯アラームみたいな音が鳴って、ビックリしてスマホが手から滑り落ちた。
ガードマンとか出て来て、警察に突き出されたらどうしよう……。まだ撮影してないからセーフ? 敷地内にいるからアウト?
震える手でスマホを拾い上げていたら、遠くから声が聞こえてきた。声のする方に目をやると、フル○ン男が腹を抱えて爆笑していた。最後の最後までイヤな奴!
フンッ! この租チ○が!! 防犯カメラに向かって中指を立て、あたしは門の外へと出た。
表札には『黒澤』と書かれてあった。こうして見ると、表札さえエラソーに見える。そういや、アイツの名前も知らないな、あたし。
彼氏の浮気現場を目撃してショックだったとはいえ、あんな嫌みな男と一夜を共にしたのかと思うと、二日酔いのせいじゃなく胸がムカついた。

まだまだ残暑が厳しい秋空の下を歩き出すと、途端に虚しさが込み上げてきた。
さっきまではあのフル○ン男に苛立っていたせいで忘れていたけど、1人になると現実が針のように心に突き刺さってきた。
このまま家に帰る……?
もし、まだカオリちゃんがいたら?
あんな浮気男、さっさと叩き出してやりたいけど、あのアパートは彼の名義で借りてるし。引っ越す時にかかった費用も、毎月の家賃もほぼ折半だったし、あたしにだって住む権利はあるはず。
もし夫婦だったら家も財産も半分にして慰謝料だってぶんどってやるのに、単なる彼女じゃきっとダメよね。
婚約していたワケでもないし……。
だいたい、彼氏が他の女とエッチしてた家で暮らせる?
しかも相手は後輩よ?
あのベッドで寝れる?
いや、無理だ。絶対無理。っていうか、浮気するならせめてホテルに行けよ! 仮にも彼女と同棲してる家に連れ込むなんて、非常識にもほどがある。
もしかして、連れ込んだのは昨日が初めてじゃなかったりして? ヤダ、最悪……。
今まで気がつかなかっただけで、あの部屋で、あのベッドで何度もエッチしてたのかもしれない。急に吐き気がして道端に蹲った。
どうして? なんで?
あたしが何をしたの?
何度も何度も「好きや」って言ってくれたのは嘘だったの?
「俺にはお前が必要や」って言ってくれてたじゃない。それなのに……どうして……。
好きだったのに……。
蹲っていると泣きそうだったので、頑張って立ち上がった。涙を堪えるようにガンガン歩き、アパートの前まで戻って来たものの、どうしても入る勇気がなかった。

あてもなく街を彷徨いながら、これから先のことに思いを巡らせた。
唯一の救いは、同じ会社だった隼士やカオリちゃんともう会わずに済むことだけど、仕事も家も彼氏も失ってこれからどうやって生きていけばいいんだろう。
落ち着くために入ったTULLY’Sで、ハニーミルクラテを一口飲んだ瞬間にふとイヤな言葉を思い出した。
『行くとこないならここに住まわしてやってもいいって言ってんじゃねえか』
くっ……。ダメだ、ダメだ。あんな得体の知れない男に頼るワケにはいかない。
自分で何とかするって、啖呵を切って出てきたのだ。今さら戻って、暫くの間ご厄介になりますなんて、死んでも言えない。
とりあえず、その夜はビジネスホテルに泊まり、翌朝、もう一度アパートに戻った。
この時間なら隼士はもうとっくに仕事に出ているから、家にはいないはず。今のうちに必要な荷物を持ち出しておかなければ。玄関のドアを開けようとすると、何度もあの光景が甦ってきて、あたしの勇気を揺るがした。
大丈夫。今は誰もいない。そう言い聞かせ、思い切ってドアを開けた。
自分の家なのに、不法侵入しているような気分。
住んでいた時と何も変わらないように見えるけど、そこにはもう自分の居場所はなくて。
怖くてベッドの方は見れなかったけど、どうやら部屋は片付けたらしい。あたしが暴れた痕跡はなかった。クローゼットから旅行用の大きなキャリーバッグを取り出し、着替えとか必要なものを急いで詰め込んだ。タンスの奥にしまっておいた通帳も取り出した。
生活を切り詰めながらコツコツ貯金したへそくりは10万円もなかった。
2人で貯金していた通帳の名義も彼のものなので、さすがに勝手には持ち出せない。
お金ぐらいもらっても罰は当たらないと思うけど、やっぱり盗むみたいで嫌だった。
自分の物だけを鞄に詰めながら、改めて部屋を見回す。
どんなに些細な物にも、そこには2人にしか分からないストーリーがある。2人で悩んだり揉めたりしながら決めたシーツやカーテン、お茶碗や歯ブラシまで――。
取るに足りないような小さなことでも、そこにはすべてあたしと彼がいた。2人で作り上げてきたものだった。
こんなにも脆く、呆気なく崩れ去るとは思ってもみなかった。
彼が一目惚れして買った黒いサイドボードの上にある、あたしが買ったガラスの写真立て。
そこには、初めてデートした時の写真が飾られている。
隼士もあたしも笑っていた。ただ、嬉しそうに。
今となっては虚しいだけの写真を、ビリビリに破いてばらまいた。ヒラヒラと写真が舞い落ちる中、あたしは部屋を後にした。
鍵を閉める時、涙がひとつ零れ落ちた。

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