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バンド部結成
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しとしとと降る春雨で、先週まで綺麗に咲き誇っていた桜が儚く散り行く中、俺はいつもと同じようにバイトに向かっていた。
いつもと変わらない通い道、いつもと変わらない内容のバイトだったが、今日は何をしていても気持ちが軽やかだった。
午前中のバイトを終え、帰宅して昼食を摂った後、いつもならすぐにパソコンに直行するところだが、今日はパソコンよりも先に、放課後に初お披露目となるエレキギターに向かい、新品で汚れなどありはしなかったが、ケースから取り出して丁寧に磨いた。
気が済むまで磨いた後は、学校が放課後になるまでの間、久し振りの登校で少し緊張している気持ちを落ち着かせるために、オンライン対戦ゲームや漫画を読んでリラックスした。
学校の最後の授業が終わる午後四時前、漫画とゲームですっかりリラックスした俺は、前日綺麗にしておいた久々の制服に袖を通し、ギターケースを背負って家を出た。
家から学校までは歩いて約十五分ほどで、掃除やホームルームもあって放課後まではまだ二十分ほどの余裕があるが、昂る気持ちを抑えきれず、早歩きで予定よりもだいぶ早く到着してしまった。
あまりにも到着が早く、どのクラスもまだホームルームが終わっていないようだったので、ひと足先に集合場所の第二音楽室へ向かって恵を待つことにした。
実習棟の三階にある第二音楽室へ入ると、壁に防音材の入ったしっかりした造りではあったが、教室の中を見渡してみると、中央で合わせられた四つの机と椅子、それと落書きや歌詞のメモのような物が書かれた黒板があるだけで、いかにも使われていない余り部屋といった感じの寂しい部屋だった。
取りあえず背負っていたギターケースを下ろし、中央に置かれた机に座って、黒板に書かれたメモや落書きをぼーっと眺めていると、ようやくホームルームの終わりを告げるチャイムが鳴った。
チャイムが鳴って数分が過ぎたころ、バタバタと慌しい音を立てながら、誰かが勢い良く廊下を走って来た。
「今日も一番乗りー……じゃない! えっと、君は?」
突然教室の扉が開いたかと思うと、無造作に癖のかかったショートカットヘアの、目鼻立ちの整った活発そうな女子生徒が飛び込んで来た。
「あ、どうも、原田恵に勧誘された――」
「君が噂の佐倉か! 私は二年二組の黒田菜月。どうぞよろしく!」
こちらがすべてを言い終える前に俺の正体を察し、笑顔で握手の手を差し伸べてきた。
「……あ、ああ、俺は二組の佐倉真人だ、よろしく」
「へぇー、私と同じクラスだったんだねぇ。あ、じゃああの謎に包まれた空席がそうか!」
「七不思議か何かになってるのか俺の席……」
よく人は見かけによらないと言うが、彼女はどうやら見たままの活発な性格らしい。
「あははっ、結構乗りいいじゃん。でもまあよく来てくれたよ、ギターできる奴なんてなかなか見つからなくてさぁ」
大小二つのバッグを下ろして向かいの席に座り、両手で頬杖を突きながら上機嫌に話しかけてくる。
「あいつからどう聞いてるかは知らねぇけど、俺もギターは素人だぞ?」
「なんだそうなのかぁ……ま、メグが大丈夫って言ってたしなんとかなるでしょ」
まるで他人事のようにそう言った彼女は、さきほど下ろした大きなバッグの中から、ギターよりも一回りほど大きな弦楽器を取り出した。
「私はこれ、ベース担当なんだ。まぁ同じ弦楽器だし、わからないことがあったら聞いてよね? ギターより弦少ないし、どんだけ役に立てるかはわかんないけど」
白い綺麗な本体に黒いプレートの付いたベースを掲げ、にっと笑って見せた。
「ああ、ありがとう」
少々お転婆そうだが、さすがは恵の友人なだけあって、根は真面目で優しいようだ。
「ねぇ、佐倉のギターも見せてよ」
エレキギターをケースから取り出し、ネットで知ったばかりのうんちくを傾けながら黒田に見せていると、二人の女子が話しながら廊下を歩いて来た。
「お待たせー、相変わらず早いねーなっちゃん。おっ、マー君もちゃんと来てくれたね!」
「お、お疲れ様ー……」
教室のドアを開けて入って来たのは恵と、緩くカールのかかったロングヘアの、気の弱そうな感じの女子生徒だった。
「さあ、みんな揃ったことだし自己紹介でもしよっか。私のことは知ってるだろうから、あとの二人とマー君でよろしく」
入ってくるなり荷物も置かず、立ったまま場を仕切り始めた恵に合わせて、その場で自己紹介が始まった。
「あはは、仕切っといて丸投げかよ。ま、そう言う私もさっき自己紹介したところだし、あとはアヤに任せるけど」
二人の視線が、恵の後ろに立っていた気の弱そうな女子生徒のほうに集中した。
「えっ、私? あの、私は、四組の山吹彩乃です。よ、よろしくね……」
「ああ、よろしく頼む」
かなり人見知りな性格なのか、挨拶を終えるとすぐに恵の後ろに隠れ、恥ずかしそうにもじもじしている。
「そんじゃああらためて、俺は佐倉真人だ。この前までギターなんて触ったこともなかった素人だけど、どうぞよろしく頼む」
ひと通り挨拶が終わったところで、ようやく恵と山吹も席に着いた。
「早速だけど、今日はどうしよっか……って始まって、いつも駄弁って終わっちゃうんだよねぇ……マー君何かいい考えない?」
隣に座った恵が、苦笑いを浮かべながら俺に話を振ってきた。
「どうしようかって言われても、それぞれの能力がどんなもんかを知らん以上俺はどうもできねぇし、てか、お互いをよくわかってないから今まで進めようがなかったんじゃねぇのか?」
「うーん確かに、私もいつもアンプにヘッドホン繋いで一人で音聴いてるし、私たちお互いのレベルをあんまよく知らないかもねぇ……メグが歌上手いのは私もアヤも知ってるけど」
黒田が少し難しい顔をして答える。
「それじゃあさ、これからみんなでカラオケ行こうよ! 楽器オッケーの場所なら、私だけじゃなくて、みんなの楽器も披露できるでしょ?」
「お、ナイスアイディアじゃん! カラオケなら音源もあるし、やり易いよね。アヤはちょっと大変かもだけど大丈夫?」
「うん平気、一回家に帰ってくるからみんなは先に行ってて」
みんな恵の意見に賛同し、アーケード街にある、楽器を持ち込めるカラオケ屋に行くことになった。
先にカラオケ屋に着き、三人で店前に置いてあるベンチで休憩していると、二十分くらい遅れて山吹が到着した。
「ふぅ……みんなお待たせー、遅くなってごめんね」
「大変だったねアヤちゃん、こっちこそ急な思い付きでごめんね」
「ううん、気にしないで、ここからうちまで近いから平気だよ」
少し息を切らしている山吹の肩には、縦横一メートルほどの黒い大きなバッグが提げられている。見るからに重そうだが、中にはいったい何が入っているのだろうか……。
全員揃ったところでカラオケ屋に入り、カウンターでステージルームを借りた俺たちは、通路に置いてあるドリンクバーで飲み物を取って部屋に向かった。
部屋に入って飲み物を数口飲んだ後、恵はテーブルにあったタブレットで曲を選び始め、ほかはそれぞれの楽器を準備し始めた。
入り口側の席で自分のギターをセットしつつ、さきほどの大きなバッグが気になり、ステージの上で準備を始めた山吹のほうを見ていると、中から出てきたのは、ジョイントが付いて折り畳まれている棒状の機材と、数枚の黒い皿のような機材だった。
山吹のおっとりしたイメージからは想像できないような素早い手付きで、てきぱきと組み立てられて行く様子に見入っていると、どことなく見覚えのある形の楽器が姿を現した。
「なぁ山吹、その楽器って……」
「へっ、私!? あ、えっとこれ? 電子ドラムって言うの……」
よほど作業に集中していたのか、ただでさえ気の弱い山吹は、俺の急な問いかけにあたふたして答えた。
「へぇ、山吹はドラム担当なのか。てか、よくそんな重そうなの持って来れたな」
「う、うん……」
緊張した様子の山吹と上手く会話を繋げられずにいると、俺の隣のステージ側の席で曲を選んでいた恵が突然立ち上がった。
「よし、みんなそろそろ準備はいいかな?」
「私はばっちりだよ。アヤはと佐倉は? チューニングちゃんとできた?」
俺の正面の席に座っている黒田が一番に返事をし、気を使って、素人ながら自分一人でチューニングしていた俺と、ステージで準備している山吹にも確認を取ってくれた。
「ああ、俺も大丈夫だ」
山吹もこくこくと頷いている。
「それじゃあ始めよっか」
トップバッターは恵ということになり、選んでいた曲を入れた恵は、山吹と入れ替わりでステージに上がった。
エレキギターとドラムのアップテンポの伴奏が流れ始めると、いつもにこにこしている幼い表情が、まるでスイッチが入ったかのように、きりっと別人のように切り替わった。
『この広い世界で君と巡り逢えた、これってもう奇跡でしょ? 透明な僕のキャンバス――』
幼少期以来初めて単独で聴いた恵の歌声は、いつも話しているときの明るく幼い感じとは違い大人びていて、澄んでいるのに力強さを感じさせる不思議な魅力をもっていた。
初めて聴いた知らない曲だったが、無意識のうちに聴き入ってしまい、サビに入るころには全身に鳥肌が立っていた。
「凄いでしょメグの歌」
「ああ、こりゃとんでもねぇな……」
にっと笑い自慢げに聞いてくる黒田に返した言葉は、お世辞なんかではない本音だった。
『――臆病なライン乗り越えて踏み出す一歩――』
ラストのサビを歌い終わった恵の表情は誇らしげで、実際に行ったことはないが、まるで本物のライブを観終わったかのような錯角さえも覚えた。
伴奏が終わり、席に戻って一息ついた恵は、またいつものような幼い表情に戻っていた。
「はふぅー、今日はマー君も見てたから一段と緊張したよー。ねぇ、どうだった私の歌?」
「ああ、正直驚いたぜ! お前こんなに上手かったんだなぁ!」
「えへへー、そんなに褒められると照れちゃうよ」
俺に歌の評価を聞いた恵は、嬉しそうに顔を赤らめながら喜んでいた。
「はーいそこいちゃつかない。じゃ、次は私が行くねー」
「ちょ、なっちゃん! 別にいちゃついてないからね!」
俺と恵に茶々を入れながら立ち上がった黒田が、どこか自身ありげな表情で、ベースを持ってステージに上がって行った。
ベースをステージ上にあるアンプに繋いだ黒田は、正面を向いてすっとベースを構えた。
「それじゃあいくよ! 私の魂込めたベース、ちゃんと聴いてね!」
まるでライブのような挨拶をしたかと思うと、弾き始めに弦の上で指をスライドさせるテクニックを決め、右の親指と人差し指、中指を器用に使って、リズミカルに弦を弾き始めた。
ベースと言えば、メインパートよりも低い音で目立たないイメージをもっていたが、黒田が今演奏しているベースは、まるで陽気なバンジョーでも弾いているかのように軽快かつパワフルで、今までの低い単音で目立たないというイメージが大きく覆された。
約二分くらい続いた演奏の最後に、ピッキングするほうの指で指板を叩くように演奏する、タッピングと言う高難易度な技を決めて黒田の演奏は終了した。
「あっりがとう! ふぅ、どうだった私のベースは?」
「凄いよなっちゃん! こんなにベース上手かったんだ!」
「なっちゃんの演奏、心が躍るみたいで楽しかった」
「にっしっしー、でしょでしょ? 佐倉はどうだった?」
恵と山吹が絶賛している側で、あまりのレベルの高さに呆気に取られて黙っていた俺に、にっとした笑顔の黒田が問いかけてくる。
「こんな凄いベース見たの初めてだ、お前マジですげぇな! どこかで習ってるのか?」
「いや、【ブラックスパイシーペッパーズ】って言う海外のバンドに憧れて、ネットとCD聴いて独学したんだ。いやーでも、みんなここまで絶賛してくれるなんてねぇ、今まで練習してきた甲斐があったよ」
心底嬉しそうにしている黒田の隣で、かなり緊張した面持ちの山吹が突然立ち上がった。
「ここ、今度は私の番! だよね……」
がちがちに強張った表情でステージに上った山吹は、ステージのセンターに立ててあるタッチパネル端末で曲を選び、ドラム専用の椅子に座ってスティックを構えた。
それから数秒後、エレキギターのキーンと言う歪んだ音が響き渡り、アップテンポの曲が流れ始めた。どうでもいい話だが、俺が過去にどはまりしていたアニメの主題歌だった。
オフボーカルで曲が流れる中、山吹は伴奏に合わせてドラムを叩いているようだったが、電源を入れずに演奏しているのか、電子ドラムのシリコン製の円盤を叩く音は、カラオケ音源のドラムの音に掻き消されて聴き取ることができない……。
確かに叩き方は様になっているが、まさかエアなのか……と思った矢先だった。
曲がソロパートに入った途端、さっきまでの自信のなさそうな表情がぱっと明るく変わり、スティックを指先でくるっと回したかと思うと、おっとり系の山吹からは想像できない素早いスティックさばきで、まるで踊っているかのように軽快で楽しいリズムを刻み始めた。
その演奏を聴いていてふと気付く。この曲にこんなソロパートはない。
この瞬間までまったく気付かなかったが、山吹はカラオケ音源のドラムパートをミュートにして、原曲とのずれがわからないほど完璧に、しかもアレンジまで加えて演奏していたのだ。
「すげぇ……」
その事実を知った俺は、無意識に本音が漏れるほどの衝撃を受けて感動していた。
曲がラストの伴奏に入ると、山吹はまた独自のアレンジを加え、ラストを格好良く飾った。
「ふう……私にできるのはこの程度かな、あはは……」
あれだけ見事な演奏をしておきながら、自信がなさそうに苦笑いを浮かべる山吹の姿を見た俺は、もどかしさのようなものに堪えきれず思わず立ち上がった。
「すげぇ……すげぇよ! あんな早くて難しい曲を完璧に演奏しながら、しかもあんなレベルの高いアレンジまで! 『この程度』なんてとんでもねぇぜ!」
衝動的に熱くなってしまい、ふと我に返ると、山吹は目に涙を浮かべてすすり泣いていた。
「えっ、おい山吹?」
「あー! 佐倉が泣かせた!」
「マー君! 女の子苛めちゃ駄目でしょ!」
「ちょ、え!? 俺の所為!?」
ふたりが野次を飛ばしてくると、泣いている山吹が声を振り絞って何かを言い出した。
「違う……違うの! 初めてで……初めて誰かに聴いてもらえて……そんな風に褒めてもらえて嬉しかったから……」
気に障るようなことを言ってしまったかと心配していたが、ようやく搾り出された山吹の言葉を聞いて安心した。むっとしていたふたりの表情も自然と戻っていた。
「ふふ、それわかるかも。私もふたりに初めて歌が上手いって言ってもらえたとき、すっごく嬉しかったもん。 なっちゃんもそうなんじゃない?」
「まあ、アヤほど感情豊かじゃないけど、私もさっき初めてみんなに披露した演奏を褒めてもらえて嬉しかったよ。いちいちリアクションのでかい誰さんが盛大に褒めてくれたからねー」
「うっ、俺は正直な感想言ったまでだ……」
にっと笑いながらこちらを見る黒田の言うとおり、今日の俺は、まだ知らない音楽の世界との数々の新鮮な出会いがあり、興奮でいちいちリアクションが大きくなっている。
「さあマー君、最後はマー君の番だよ」
「ああ……」
恵みに言われてステージに上がった俺は、自分でも信じられないくらい心臓がばくばくしていた。こんなに緊張したのは初めてだ。
みんなの視線が集まる中、アンプにギターを繋ぎステージのセンターに立った俺は、左指をぎこちなく指板に乗せ、右手で持ったピックを高く大げさに構えた。
ギターを構えたまま大きく深呼吸をした後、右手に高く構えたピックを勢い良く振り下ろし、ジャラーンと、覚えたてのEのコードを掻き鳴らした。
ギターの音が鳴り止んで数秒の沈黙の後、俺はステージに立ててあるマイクを手に取った。
「悪い、今の俺にできるのはこれだけだ」
そのひと言に、聴いていた三人はきょとんとした表情を浮かべている。
「それともうひとつ謝らせてくれ。俺は正直、みんなのことを勢いだけの素人集団だと思ってた。でも実際は全然違って、ひとりひとり見えないとこですっげぇ努力してて、とんでもねぇ技術もあって……マジで感動して今までの自分がちっぽけに思えた……。そしてあらためて思った。このメンバーで絶対ライブを成功させたいって」
とっさに始まった演説に、きょとんとしていたみんなの表情がぱっと明るくなった。
「だから、ほとんど何もできないど素人で、みんなの足引っ張って迷惑かけるかもしれないけど、この先どうか、こんな俺をよろしく頼む」
自分の思いを伝えた後、みんなに向けて深々とお辞儀をした。
「マー君……うん、こちらこそよろしくね!」
「ベースとはちょっと違うけど、コードと基本くらいなら教えたげるから安心しときなよ」
「よ、よろしくね佐倉君、私も何かお手伝いできたらいいけど……」
「……みんなありがとう」
ひとりひとりの力量を知り、言いたいことを言って親睦を深めたた後は、時間延長を確認する電話がかかってくるまでの約二時間、カラオケで順番に好きな曲を歌って楽しく過ごした。
時間いっぱい歌った後店を出ると、辺りはもう暗くなりきっていたので、真面目揃いの俺たちは、寄り道せずにそのまま家に帰ることにした。
「山吹、荷物持ってやろうか?」
「えっ、佐倉君も荷物あるしいいよ、もう家も近いから」
「近いなら遠慮するな、ほら」
「あ、ありがとう……」
俺も他人のことは言えないが、山吹はこういう場に慣れていないのか、カラオケやを出た時点でかなり疲れているようだったので、山吹の家がある住宅街までの間、重い電子ドラムの入ったバッグを持ってやった。
「アヤちゃんいいなー、マー君私の鞄も持って」
「やなこった、お前楽器ないから楽だろ」
「うぅー、マー君のけち」
膨れっ面の駄々っ子のような恵を見て、黒田と山吹がくすくすと笑う。
「しっかしまあ、佐倉の演説には参ったよ。あの場で美少女三人にまとめて告ってくるなんてねー」
「なっ!? どう捉えりゃそうなるんだよ!」
恵の次は黒田、黒田の次は恵と続く終わりなきぼけを俺がさばき、それを見た山吹がくすくすと笑うといった感じで、街灯の点いた住宅街をわいわいやって帰った。
次第に、山吹、黒田と順に途中で別れて行き、一番家の遠い俺と恵だけになった。
「…………はぁー、今日は楽しかったね。遊びに行ったわけじゃないんだけど」
歩き疲れてゆっくりとしたペースで家路を行く中、黒田と別れてから少しの間静かだった恵が、思い出したかのように呟く。
「ああ……だな」
俺も疲れていて気の利いた言葉を返せなかった。
「ありがとね」
「何が?」
「私の我がままに付き合ってくれて……」
「気にすんな、俺がやりたくてやってんだ。もうお前だけの我がままじゃねぇよ」
「ふふ、そっか……」
隣を歩いている恵の横顔をちらっと見てみると、暗がりではっきりとは見えなかったが、その笑顔はいつもより少し大人びているように見えた。ようやく目標への第一歩を踏み出せ、あらためて覚悟を決めたのだろう。
「これから頑張らないとな」
「うん!」
そんな会話をしていると、ようやく俺たちの家がある住宅街が見えてきた。
「ふぅ、やっと着いたー。それじゃあ、また明日ねー」
「おう、また明日な」
恵と別れて家に入ると父が帰宅しており、母と一緒に俺の帰りを待っていた。
「お、帰ったか真人。早く夕飯にしよう、父さん腹ぺこだ」
「ただいま、すぐ荷物置いてくる」
食卓に着いて夕食を食べ始めると、父と母は、俺が今日学校に行ったことや、バンド活動を始めたことなど、最近の出来事を次々と聞いてきた。
学校に行ったくらいで大げさだとも思ったが、両親のとっては一大イベントだったのだろう。
いつもどおり冷静に、素っ気ない態度で対応したが、内心ではいろいろと聞いてもらえることが嬉しかった。気付かぬうちに表情に出ていたのか、両親もそれを悟ったらしく、その日はいつも以上に賑やかな食卓となった。
いつもと変わらない通い道、いつもと変わらない内容のバイトだったが、今日は何をしていても気持ちが軽やかだった。
午前中のバイトを終え、帰宅して昼食を摂った後、いつもならすぐにパソコンに直行するところだが、今日はパソコンよりも先に、放課後に初お披露目となるエレキギターに向かい、新品で汚れなどありはしなかったが、ケースから取り出して丁寧に磨いた。
気が済むまで磨いた後は、学校が放課後になるまでの間、久し振りの登校で少し緊張している気持ちを落ち着かせるために、オンライン対戦ゲームや漫画を読んでリラックスした。
学校の最後の授業が終わる午後四時前、漫画とゲームですっかりリラックスした俺は、前日綺麗にしておいた久々の制服に袖を通し、ギターケースを背負って家を出た。
家から学校までは歩いて約十五分ほどで、掃除やホームルームもあって放課後まではまだ二十分ほどの余裕があるが、昂る気持ちを抑えきれず、早歩きで予定よりもだいぶ早く到着してしまった。
あまりにも到着が早く、どのクラスもまだホームルームが終わっていないようだったので、ひと足先に集合場所の第二音楽室へ向かって恵を待つことにした。
実習棟の三階にある第二音楽室へ入ると、壁に防音材の入ったしっかりした造りではあったが、教室の中を見渡してみると、中央で合わせられた四つの机と椅子、それと落書きや歌詞のメモのような物が書かれた黒板があるだけで、いかにも使われていない余り部屋といった感じの寂しい部屋だった。
取りあえず背負っていたギターケースを下ろし、中央に置かれた机に座って、黒板に書かれたメモや落書きをぼーっと眺めていると、ようやくホームルームの終わりを告げるチャイムが鳴った。
チャイムが鳴って数分が過ぎたころ、バタバタと慌しい音を立てながら、誰かが勢い良く廊下を走って来た。
「今日も一番乗りー……じゃない! えっと、君は?」
突然教室の扉が開いたかと思うと、無造作に癖のかかったショートカットヘアの、目鼻立ちの整った活発そうな女子生徒が飛び込んで来た。
「あ、どうも、原田恵に勧誘された――」
「君が噂の佐倉か! 私は二年二組の黒田菜月。どうぞよろしく!」
こちらがすべてを言い終える前に俺の正体を察し、笑顔で握手の手を差し伸べてきた。
「……あ、ああ、俺は二組の佐倉真人だ、よろしく」
「へぇー、私と同じクラスだったんだねぇ。あ、じゃああの謎に包まれた空席がそうか!」
「七不思議か何かになってるのか俺の席……」
よく人は見かけによらないと言うが、彼女はどうやら見たままの活発な性格らしい。
「あははっ、結構乗りいいじゃん。でもまあよく来てくれたよ、ギターできる奴なんてなかなか見つからなくてさぁ」
大小二つのバッグを下ろして向かいの席に座り、両手で頬杖を突きながら上機嫌に話しかけてくる。
「あいつからどう聞いてるかは知らねぇけど、俺もギターは素人だぞ?」
「なんだそうなのかぁ……ま、メグが大丈夫って言ってたしなんとかなるでしょ」
まるで他人事のようにそう言った彼女は、さきほど下ろした大きなバッグの中から、ギターよりも一回りほど大きな弦楽器を取り出した。
「私はこれ、ベース担当なんだ。まぁ同じ弦楽器だし、わからないことがあったら聞いてよね? ギターより弦少ないし、どんだけ役に立てるかはわかんないけど」
白い綺麗な本体に黒いプレートの付いたベースを掲げ、にっと笑って見せた。
「ああ、ありがとう」
少々お転婆そうだが、さすがは恵の友人なだけあって、根は真面目で優しいようだ。
「ねぇ、佐倉のギターも見せてよ」
エレキギターをケースから取り出し、ネットで知ったばかりのうんちくを傾けながら黒田に見せていると、二人の女子が話しながら廊下を歩いて来た。
「お待たせー、相変わらず早いねーなっちゃん。おっ、マー君もちゃんと来てくれたね!」
「お、お疲れ様ー……」
教室のドアを開けて入って来たのは恵と、緩くカールのかかったロングヘアの、気の弱そうな感じの女子生徒だった。
「さあ、みんな揃ったことだし自己紹介でもしよっか。私のことは知ってるだろうから、あとの二人とマー君でよろしく」
入ってくるなり荷物も置かず、立ったまま場を仕切り始めた恵に合わせて、その場で自己紹介が始まった。
「あはは、仕切っといて丸投げかよ。ま、そう言う私もさっき自己紹介したところだし、あとはアヤに任せるけど」
二人の視線が、恵の後ろに立っていた気の弱そうな女子生徒のほうに集中した。
「えっ、私? あの、私は、四組の山吹彩乃です。よ、よろしくね……」
「ああ、よろしく頼む」
かなり人見知りな性格なのか、挨拶を終えるとすぐに恵の後ろに隠れ、恥ずかしそうにもじもじしている。
「そんじゃああらためて、俺は佐倉真人だ。この前までギターなんて触ったこともなかった素人だけど、どうぞよろしく頼む」
ひと通り挨拶が終わったところで、ようやく恵と山吹も席に着いた。
「早速だけど、今日はどうしよっか……って始まって、いつも駄弁って終わっちゃうんだよねぇ……マー君何かいい考えない?」
隣に座った恵が、苦笑いを浮かべながら俺に話を振ってきた。
「どうしようかって言われても、それぞれの能力がどんなもんかを知らん以上俺はどうもできねぇし、てか、お互いをよくわかってないから今まで進めようがなかったんじゃねぇのか?」
「うーん確かに、私もいつもアンプにヘッドホン繋いで一人で音聴いてるし、私たちお互いのレベルをあんまよく知らないかもねぇ……メグが歌上手いのは私もアヤも知ってるけど」
黒田が少し難しい顔をして答える。
「それじゃあさ、これからみんなでカラオケ行こうよ! 楽器オッケーの場所なら、私だけじゃなくて、みんなの楽器も披露できるでしょ?」
「お、ナイスアイディアじゃん! カラオケなら音源もあるし、やり易いよね。アヤはちょっと大変かもだけど大丈夫?」
「うん平気、一回家に帰ってくるからみんなは先に行ってて」
みんな恵の意見に賛同し、アーケード街にある、楽器を持ち込めるカラオケ屋に行くことになった。
先にカラオケ屋に着き、三人で店前に置いてあるベンチで休憩していると、二十分くらい遅れて山吹が到着した。
「ふぅ……みんなお待たせー、遅くなってごめんね」
「大変だったねアヤちゃん、こっちこそ急な思い付きでごめんね」
「ううん、気にしないで、ここからうちまで近いから平気だよ」
少し息を切らしている山吹の肩には、縦横一メートルほどの黒い大きなバッグが提げられている。見るからに重そうだが、中にはいったい何が入っているのだろうか……。
全員揃ったところでカラオケ屋に入り、カウンターでステージルームを借りた俺たちは、通路に置いてあるドリンクバーで飲み物を取って部屋に向かった。
部屋に入って飲み物を数口飲んだ後、恵はテーブルにあったタブレットで曲を選び始め、ほかはそれぞれの楽器を準備し始めた。
入り口側の席で自分のギターをセットしつつ、さきほどの大きなバッグが気になり、ステージの上で準備を始めた山吹のほうを見ていると、中から出てきたのは、ジョイントが付いて折り畳まれている棒状の機材と、数枚の黒い皿のような機材だった。
山吹のおっとりしたイメージからは想像できないような素早い手付きで、てきぱきと組み立てられて行く様子に見入っていると、どことなく見覚えのある形の楽器が姿を現した。
「なぁ山吹、その楽器って……」
「へっ、私!? あ、えっとこれ? 電子ドラムって言うの……」
よほど作業に集中していたのか、ただでさえ気の弱い山吹は、俺の急な問いかけにあたふたして答えた。
「へぇ、山吹はドラム担当なのか。てか、よくそんな重そうなの持って来れたな」
「う、うん……」
緊張した様子の山吹と上手く会話を繋げられずにいると、俺の隣のステージ側の席で曲を選んでいた恵が突然立ち上がった。
「よし、みんなそろそろ準備はいいかな?」
「私はばっちりだよ。アヤはと佐倉は? チューニングちゃんとできた?」
俺の正面の席に座っている黒田が一番に返事をし、気を使って、素人ながら自分一人でチューニングしていた俺と、ステージで準備している山吹にも確認を取ってくれた。
「ああ、俺も大丈夫だ」
山吹もこくこくと頷いている。
「それじゃあ始めよっか」
トップバッターは恵ということになり、選んでいた曲を入れた恵は、山吹と入れ替わりでステージに上がった。
エレキギターとドラムのアップテンポの伴奏が流れ始めると、いつもにこにこしている幼い表情が、まるでスイッチが入ったかのように、きりっと別人のように切り替わった。
『この広い世界で君と巡り逢えた、これってもう奇跡でしょ? 透明な僕のキャンバス――』
幼少期以来初めて単独で聴いた恵の歌声は、いつも話しているときの明るく幼い感じとは違い大人びていて、澄んでいるのに力強さを感じさせる不思議な魅力をもっていた。
初めて聴いた知らない曲だったが、無意識のうちに聴き入ってしまい、サビに入るころには全身に鳥肌が立っていた。
「凄いでしょメグの歌」
「ああ、こりゃとんでもねぇな……」
にっと笑い自慢げに聞いてくる黒田に返した言葉は、お世辞なんかではない本音だった。
『――臆病なライン乗り越えて踏み出す一歩――』
ラストのサビを歌い終わった恵の表情は誇らしげで、実際に行ったことはないが、まるで本物のライブを観終わったかのような錯角さえも覚えた。
伴奏が終わり、席に戻って一息ついた恵は、またいつものような幼い表情に戻っていた。
「はふぅー、今日はマー君も見てたから一段と緊張したよー。ねぇ、どうだった私の歌?」
「ああ、正直驚いたぜ! お前こんなに上手かったんだなぁ!」
「えへへー、そんなに褒められると照れちゃうよ」
俺に歌の評価を聞いた恵は、嬉しそうに顔を赤らめながら喜んでいた。
「はーいそこいちゃつかない。じゃ、次は私が行くねー」
「ちょ、なっちゃん! 別にいちゃついてないからね!」
俺と恵に茶々を入れながら立ち上がった黒田が、どこか自身ありげな表情で、ベースを持ってステージに上がって行った。
ベースをステージ上にあるアンプに繋いだ黒田は、正面を向いてすっとベースを構えた。
「それじゃあいくよ! 私の魂込めたベース、ちゃんと聴いてね!」
まるでライブのような挨拶をしたかと思うと、弾き始めに弦の上で指をスライドさせるテクニックを決め、右の親指と人差し指、中指を器用に使って、リズミカルに弦を弾き始めた。
ベースと言えば、メインパートよりも低い音で目立たないイメージをもっていたが、黒田が今演奏しているベースは、まるで陽気なバンジョーでも弾いているかのように軽快かつパワフルで、今までの低い単音で目立たないというイメージが大きく覆された。
約二分くらい続いた演奏の最後に、ピッキングするほうの指で指板を叩くように演奏する、タッピングと言う高難易度な技を決めて黒田の演奏は終了した。
「あっりがとう! ふぅ、どうだった私のベースは?」
「凄いよなっちゃん! こんなにベース上手かったんだ!」
「なっちゃんの演奏、心が躍るみたいで楽しかった」
「にっしっしー、でしょでしょ? 佐倉はどうだった?」
恵と山吹が絶賛している側で、あまりのレベルの高さに呆気に取られて黙っていた俺に、にっとした笑顔の黒田が問いかけてくる。
「こんな凄いベース見たの初めてだ、お前マジですげぇな! どこかで習ってるのか?」
「いや、【ブラックスパイシーペッパーズ】って言う海外のバンドに憧れて、ネットとCD聴いて独学したんだ。いやーでも、みんなここまで絶賛してくれるなんてねぇ、今まで練習してきた甲斐があったよ」
心底嬉しそうにしている黒田の隣で、かなり緊張した面持ちの山吹が突然立ち上がった。
「ここ、今度は私の番! だよね……」
がちがちに強張った表情でステージに上った山吹は、ステージのセンターに立ててあるタッチパネル端末で曲を選び、ドラム専用の椅子に座ってスティックを構えた。
それから数秒後、エレキギターのキーンと言う歪んだ音が響き渡り、アップテンポの曲が流れ始めた。どうでもいい話だが、俺が過去にどはまりしていたアニメの主題歌だった。
オフボーカルで曲が流れる中、山吹は伴奏に合わせてドラムを叩いているようだったが、電源を入れずに演奏しているのか、電子ドラムのシリコン製の円盤を叩く音は、カラオケ音源のドラムの音に掻き消されて聴き取ることができない……。
確かに叩き方は様になっているが、まさかエアなのか……と思った矢先だった。
曲がソロパートに入った途端、さっきまでの自信のなさそうな表情がぱっと明るく変わり、スティックを指先でくるっと回したかと思うと、おっとり系の山吹からは想像できない素早いスティックさばきで、まるで踊っているかのように軽快で楽しいリズムを刻み始めた。
その演奏を聴いていてふと気付く。この曲にこんなソロパートはない。
この瞬間までまったく気付かなかったが、山吹はカラオケ音源のドラムパートをミュートにして、原曲とのずれがわからないほど完璧に、しかもアレンジまで加えて演奏していたのだ。
「すげぇ……」
その事実を知った俺は、無意識に本音が漏れるほどの衝撃を受けて感動していた。
曲がラストの伴奏に入ると、山吹はまた独自のアレンジを加え、ラストを格好良く飾った。
「ふう……私にできるのはこの程度かな、あはは……」
あれだけ見事な演奏をしておきながら、自信がなさそうに苦笑いを浮かべる山吹の姿を見た俺は、もどかしさのようなものに堪えきれず思わず立ち上がった。
「すげぇ……すげぇよ! あんな早くて難しい曲を完璧に演奏しながら、しかもあんなレベルの高いアレンジまで! 『この程度』なんてとんでもねぇぜ!」
衝動的に熱くなってしまい、ふと我に返ると、山吹は目に涙を浮かべてすすり泣いていた。
「えっ、おい山吹?」
「あー! 佐倉が泣かせた!」
「マー君! 女の子苛めちゃ駄目でしょ!」
「ちょ、え!? 俺の所為!?」
ふたりが野次を飛ばしてくると、泣いている山吹が声を振り絞って何かを言い出した。
「違う……違うの! 初めてで……初めて誰かに聴いてもらえて……そんな風に褒めてもらえて嬉しかったから……」
気に障るようなことを言ってしまったかと心配していたが、ようやく搾り出された山吹の言葉を聞いて安心した。むっとしていたふたりの表情も自然と戻っていた。
「ふふ、それわかるかも。私もふたりに初めて歌が上手いって言ってもらえたとき、すっごく嬉しかったもん。 なっちゃんもそうなんじゃない?」
「まあ、アヤほど感情豊かじゃないけど、私もさっき初めてみんなに披露した演奏を褒めてもらえて嬉しかったよ。いちいちリアクションのでかい誰さんが盛大に褒めてくれたからねー」
「うっ、俺は正直な感想言ったまでだ……」
にっと笑いながらこちらを見る黒田の言うとおり、今日の俺は、まだ知らない音楽の世界との数々の新鮮な出会いがあり、興奮でいちいちリアクションが大きくなっている。
「さあマー君、最後はマー君の番だよ」
「ああ……」
恵みに言われてステージに上がった俺は、自分でも信じられないくらい心臓がばくばくしていた。こんなに緊張したのは初めてだ。
みんなの視線が集まる中、アンプにギターを繋ぎステージのセンターに立った俺は、左指をぎこちなく指板に乗せ、右手で持ったピックを高く大げさに構えた。
ギターを構えたまま大きく深呼吸をした後、右手に高く構えたピックを勢い良く振り下ろし、ジャラーンと、覚えたてのEのコードを掻き鳴らした。
ギターの音が鳴り止んで数秒の沈黙の後、俺はステージに立ててあるマイクを手に取った。
「悪い、今の俺にできるのはこれだけだ」
そのひと言に、聴いていた三人はきょとんとした表情を浮かべている。
「それともうひとつ謝らせてくれ。俺は正直、みんなのことを勢いだけの素人集団だと思ってた。でも実際は全然違って、ひとりひとり見えないとこですっげぇ努力してて、とんでもねぇ技術もあって……マジで感動して今までの自分がちっぽけに思えた……。そしてあらためて思った。このメンバーで絶対ライブを成功させたいって」
とっさに始まった演説に、きょとんとしていたみんなの表情がぱっと明るくなった。
「だから、ほとんど何もできないど素人で、みんなの足引っ張って迷惑かけるかもしれないけど、この先どうか、こんな俺をよろしく頼む」
自分の思いを伝えた後、みんなに向けて深々とお辞儀をした。
「マー君……うん、こちらこそよろしくね!」
「ベースとはちょっと違うけど、コードと基本くらいなら教えたげるから安心しときなよ」
「よ、よろしくね佐倉君、私も何かお手伝いできたらいいけど……」
「……みんなありがとう」
ひとりひとりの力量を知り、言いたいことを言って親睦を深めたた後は、時間延長を確認する電話がかかってくるまでの約二時間、カラオケで順番に好きな曲を歌って楽しく過ごした。
時間いっぱい歌った後店を出ると、辺りはもう暗くなりきっていたので、真面目揃いの俺たちは、寄り道せずにそのまま家に帰ることにした。
「山吹、荷物持ってやろうか?」
「えっ、佐倉君も荷物あるしいいよ、もう家も近いから」
「近いなら遠慮するな、ほら」
「あ、ありがとう……」
俺も他人のことは言えないが、山吹はこういう場に慣れていないのか、カラオケやを出た時点でかなり疲れているようだったので、山吹の家がある住宅街までの間、重い電子ドラムの入ったバッグを持ってやった。
「アヤちゃんいいなー、マー君私の鞄も持って」
「やなこった、お前楽器ないから楽だろ」
「うぅー、マー君のけち」
膨れっ面の駄々っ子のような恵を見て、黒田と山吹がくすくすと笑う。
「しっかしまあ、佐倉の演説には参ったよ。あの場で美少女三人にまとめて告ってくるなんてねー」
「なっ!? どう捉えりゃそうなるんだよ!」
恵の次は黒田、黒田の次は恵と続く終わりなきぼけを俺がさばき、それを見た山吹がくすくすと笑うといった感じで、街灯の点いた住宅街をわいわいやって帰った。
次第に、山吹、黒田と順に途中で別れて行き、一番家の遠い俺と恵だけになった。
「…………はぁー、今日は楽しかったね。遊びに行ったわけじゃないんだけど」
歩き疲れてゆっくりとしたペースで家路を行く中、黒田と別れてから少しの間静かだった恵が、思い出したかのように呟く。
「ああ……だな」
俺も疲れていて気の利いた言葉を返せなかった。
「ありがとね」
「何が?」
「私の我がままに付き合ってくれて……」
「気にすんな、俺がやりたくてやってんだ。もうお前だけの我がままじゃねぇよ」
「ふふ、そっか……」
隣を歩いている恵の横顔をちらっと見てみると、暗がりではっきりとは見えなかったが、その笑顔はいつもより少し大人びているように見えた。ようやく目標への第一歩を踏み出せ、あらためて覚悟を決めたのだろう。
「これから頑張らないとな」
「うん!」
そんな会話をしていると、ようやく俺たちの家がある住宅街が見えてきた。
「ふぅ、やっと着いたー。それじゃあ、また明日ねー」
「おう、また明日な」
恵と別れて家に入ると父が帰宅しており、母と一緒に俺の帰りを待っていた。
「お、帰ったか真人。早く夕飯にしよう、父さん腹ぺこだ」
「ただいま、すぐ荷物置いてくる」
食卓に着いて夕食を食べ始めると、父と母は、俺が今日学校に行ったことや、バンド活動を始めたことなど、最近の出来事を次々と聞いてきた。
学校に行ったくらいで大げさだとも思ったが、両親のとっては一大イベントだったのだろう。
いつもどおり冷静に、素っ気ない態度で対応したが、内心ではいろいろと聞いてもらえることが嬉しかった。気付かぬうちに表情に出ていたのか、両親もそれを悟ったらしく、その日はいつも以上に賑やかな食卓となった。
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