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37 まん○

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 これはこれは。夜分にどなたですかな?

 ほう、道に迷われた。であれば、我が家にて一夜明かしていくのがよろしいでしょう。

 その代わりと言ってはなんですが、この暇な老人の趣味にお付き合いくだされ。

 おお、よろしいと? ありがたいことです。こんなところに住んでいると、人との会話が恋しくなりましてな。

 さあ、こちらへ。ここは、珍宝庫ちんぽうこといいましてな。蒐集した、古今東西の珍宝が眠っておりまする。

 では、今宵は珍宝の一つ、「満子まんしの兵法書」について、語るとしましょう。


◆ ◆ ◆


 「満子」は、名を「満褚まんちょ」と申します。「子」というのは、先生とか、そんな意味の敬称ですな。孫子ですとか、孔子ですとかおりますでしょう。

 満褚は、かの太公望・呂尚にも勝るとも劣らぬと言われた、殷代の名軍師でしてな。ときの王の寵愛を受けていたものです。なにぶん、記述が少ない故、女性説を唱える者もおります。実のところ、わたくしもその一人でありますが。やはり、浪漫がありましょう?

 話を戻しましょう。満褚の名声が上がっていくと、佞臣・金珠きんじゅが、「満褚に叛意あり」と、あの手この手で王に吹き込んだのでございます。

 疑心暗鬼に駆られた王は、満褚の斬首を決行。どくどくと流れ出る血を指さし、「満褚より流れる血は汚れている。すなわち汚満褚おまんちょである」と、あまりにもあまりな暴言を吐いたのでございます!

 おっと、失礼。私、満褚のこととなると、つい年甲斐もなく興奮しがちでしてな。

 それはさておき、満褚の死後、都に病が流行り、王と金珠も病死いたします。

 すわ、これは満褚の祟りぞと国中大騒ぎになり、満褚を「大殷神だいいんしん」という神に封ずることで、祟りを鎮めたそうです。

 しかし、今ではその信仰も廃れ、知るは我ら珍宝を愛する者の集い、「珍宝考ちんぽうこう」の仲間のみ。

 諸行無常とは、このことでありますなあ。

 ささ、夜も更けてきました。床の用意をいたしましょう。
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