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第十八話 クッキング・メシア

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「ところでルシフェル様、仰る通り全て粉にしてしまいましたが、パンを焼くには種パンがありませんが……」

 館の厨房で、テーブル上の小麦粉の入った袋を見ながら、ベルが怪訝な顔で訪ねてくる。

 手軽にパンを膨らませられるドライイーストは、元居た世界ではかなり最近の発明である。それまでは、すでに存在するパン生地の一部を、新たなパン生地に継ぎ足してパンを焼く方法を執っていたと、ネットのうんちくエッセイで読んだことがある。しかし、一ヶ月も廃墟だった所にパン生地が残っているはずもない。だが、俺には考えがあった。

「何、お前たちにちょっと変わった物を食べさせてやろうと思ってな。ユコ、湯を沸かして、魚をろしてアラを一度焼いた後、それで出汁を取ってくれ。身はそれはそれで使うから取っておくように」

 命じられるままにユコがてきぱきと動く。その間に、小麦粉に少量ずつ塩水を混ぜながら粉を捏ね団子にする。そして、それを清潔な布を敷いて床に置き手で伸ばし、ある程度平たくなったら、さらに布を被せて足で踏む。

「リリス、一緒にやるか?」

 不思議そうな顔で作業を見つめているので、一声誘うと彼女も一緒に生地を踏み出した。

 生地を巻いては踏み伸ばすという作業を幾度か繰り返し、円形状に伸ばし、丸めて一旦仕上げとなる。これを本当なら二時間は寝かせたいところだが、今回は十五分で行くことにする。ラドネスでは時計の技術はやや発達しているようで、すでに機械式の大きな置き時計がこの館の居間にも有る。

 出汁取りと、新たに大鍋での湯沸かしをユコに任せ、十五分ほど時間潰しのために居間でフォルからサタン、リリスと一緒にラドネス語を習う。この言語は日本語のように主語・目的語・動詞と言葉が並ぶタイプで、発音なども近い。単語も日本語そっくりの魔法語に似たものが多く、習得の難易度は低そうだ。

 勉学に勤しんでいるうちに、予定時間が経過したので厨房に戻り、調理に戻る。生地を布で覆って足で再び伸ばし、さらに粉を振り棒を転がして伸ばしていく。十分伸びたら畳んで細切りにする。あとは、大鍋で茹でるのみである。そう、俺はうどんを作っているのだ。

「ユコ、こっちはもういいから、十分じゅっぷん経ったら教えてくれ」

 彼と入れ替わり、出汁をす作業に移る。さすがユコ、丁寧にアクを取ってある。いい仕事だ。出汁を再び火にかけ、塩で味を調える。ふむ、こんなもんだろう。

 続いて火をもう一つ起こし、取っておいた魚の身に塩を振り網で焼く。

「ルシフェル様、十分じゅっぷん経ちました」

 ユコが厨房に戻ってくる。いいタイミングだ。うどんをざるに揚げて流水で冷やしながらぬめりを取り、出汁を注いだ器に移し、仕上げに焼き魚を載せる。うむ。にしんそばを元ネタに作ってみたが、割といい線いってるんじゃないだろうか。

「さあ、食堂に運ぼうか」

 ◆ ◆ ◆

 一同が食卓に着き、目を丸くしながらうどんを眺める。

「ルシフェル様、これは何ですか?」

「うどんというジュデッカの名物だ。本来は少し違う調味料を使うのだが、代用品で作ってみた。音を立てて啜るのがジュデッカの粋だぞ」

「ウドン……。スパータに似ていますが……」

 シトリーがおっかなびっくり口に含む。何ぶん箸文化ではないので、フォークでうどんをすするという妙な光景になっている。スパータというのは、ラドネスの麺料理だろうか。

「おいしい!! スパータよりコシがあって、新食感です!」

 テーレッテレーという効果音が流れそうな勢いで、シトリーが次々うどんをすする。皆もそれに続き、食堂はずるずるとうどんをすする音に包まれた。

「素晴らしいお手前です! さすがルシフェル様!」

 フォルも、いつもの「さすルシ」ノルマを達成する。かくして、ラドネスの料理史にうどんが刻まれた次第である。
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