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誓約紋

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「……話せない事なら、言わなくていい」

 エステルは前に、自分の質問に答えようとしたレオが停止したことを、忘れたわけではなかった。

 純粋にレオの事をもっと知りたい、と思う自分と、知らない方が今のまま幸せに過ごせるのではないか、という恐れ。そして、レオの能力が自分の助けになるかも、という打算的な気持ちもあって……。

 レオは指先で、エステルの胸の間に刻まれた、桃色の誓約紋に触れた。

 それは、レオが王都からコーレイン家に来た時に交わした誓約魔法で、エステルが王家から「至宝」の返却命令があった場合は直ちに従う、という誓いに強制力をもたせるためのものだった。

「王家への絶対の服従と、背任した場合は貴種の力の封印まで科されている」

 誓約紋の細かな魔道ルーン文字を辿るとレオは、不快気に眉を寄せた。

「騎士は元々、主君に命を捧げている。王家の至宝を貸し与えられたのだから、それくらいは……」



 宿屋のテーブルの上で腕輪に擬態しているヨルムンガルドは、浴室から洩れて来る主たちの会話を聞くともなく聞いていた。

 ――我が主は、あの者の従者ごっこライフを随分と楽しんでおられるようじゃ。しかしまさか、ずっとこのままで良いとは思っておられまいが……。



「ワイバーンを倒した方法なら、教えられるよ」

 風呂から上がり、乾いた布で身体を拭いた二人が部屋に戻って来た。

「本当に?」

 エステルは、レオがベッドの上に出して置いたチュニック・ズボンに着替え、ドキドキしながら次の言葉を待った。

「これを使った」

 レオは、テーブルの上の黒い腕輪をエステルに見せた。

「 魔道具マジック・アイテム?」

 エステルが受け取って見ると、黒蛇を模した腕輪には目の部分に赤い石が二つ嵌め込まれている。

重力球砲グラビトンを一回使用できる」

「重力魔法を?! それは物凄い希少な魔道具じゃないか……」

 思わず目を見開き、絶句するエステル。


 再びエステルから返された腕輪を、腕にはめるレオだったが……。

 不意を突かれたヨルムンガルドは、ビックリして擬態している尻尾の先がビーンと微かに震えてしまった。

 ――おふざけが過ぎますぞ! 万が一にでも王家の者どもに、存在を知られるわけには行きませんのに。


 その時、六の刻を知らせる鐘が鳴った。

「行こう、食事の時間だ」

 エステルたちはシェルトやヨハンと合流して、階下の食堂に降りて行った。

 食堂の中に入るとすでに人々でごった返していたが、村娘のウェイトレスが直ぐにやって来て、奥まったテーブルに案内した。

「本日は炙り猪肉と魚のフライの二種類になりますが、いかがなさいますか」

 シェルトたちは炙り肉を、エステルは魚にした。

「酒は何があるか?」

 シェルトが訊ねると「エールと葡萄酒があります」という返事が返って来る。

「葡萄酒と、つまみも頼む」

 村娘はおしぼりを置くと、厨房に注文を通し、葡萄酒とつまみのチーズを持って戻って来た。

「ありがとう」

 エステルが銅貨のチップを渡すと、娘は頬を染めてぺこりとお辞儀をした。

「料理もすぐにお持ちします」


 エステル達の案内されたテーブルは、上客用らしく入り口から離れたところで他の客から見えないよう、衝立が置かれていた。
 
 喧騒の中、皆で乾杯をして葡萄酒を飲み始める。
 シェルトとヨハンは、レオも葡萄酒を口にするのを見て、ギョッとした。

「なんかもう……黙っていれば、人形と分からないですよね……」

 ヨハンは、フードを被り手袋をして変装したレオを眺めて、しみじみと呟いた。

「そうだな。私もしゃべらなければ男だと思われているから、似た者同士だ」

「いや、エステルは男装の麗人といったところだ。一般的に、騎士は男だという先入観があるだけで」

「そうです、そうです!」

 シェルトがフォローすると、ヨハンも慌てて追従した。自分の言葉のせいで、コーレイン家の息女を不快にしてしまったのではと怖れて。

「自分達貴種は、魔力で肉体強化する術を鍛えていますからね。平民の冒険者のように、バカみたいに筋肉を付けたりしませんし。エステルさまはすらりと背が高くて、お美しいです」

「確かに、女にしては背が高いな……」

 エステルは、さっきのウェイトレスやアリアネを思い浮かべた。

「エステルの良さは、その辺の女どもにはないものがある。魔獣と戦って背中を任せられる女というのは、なかなか居ない」

「……確かに、そうだな!」

 シェルトの言葉に、エステルは吹き出し、声を上げて笑った。

 ヨハンも戸惑いながら、エステルが楽しそうにしているのを見て、一緒に笑い出す。

 ――こんな風にシェルトとまた仲間として、普通に笑い合ったりできるなんて。少し前までは考えられなかっのに。

 頼んだ料理もテーブルに並べられ、皆で和やかにしばし素朴で庶民的な味を楽しんだ。


 そこへ、宿屋の主人が警備隊長を連れて、エステルたちのテーブルにやって来た。

 街道の治安を守るための警備団が、宿駅マンシオーには駐在している。
 彼らは平民出の貴種や訓練された兵隊たち、冒険者などの雑多なメンバーで構成されていた。

「閣下、私は街道警備第八団隊隊長のトーマスであります!」

 三十代半ばの筋骨隆々とした男が、シェルトに向って最敬礼をした。
 
「俺達は近衛騎士で、コーレイン家のシェルト、こちらはエステルだ」

 シェルトは、エステルを見た。彼を呼んだのは、エステルだから。

「トーマス。我らは今日、コーレインからここに来る途中、シナリー山の渓谷の橋付近でワイバーンと戦闘になった」

 エステルの言葉に、トーマスが蒼白になった。

「例年より、シナリー山山頂に、繁殖期で集まったワイバーンの個体数が多い。明日、王都に着き次第、報告を上げるが、お前達も注意喚起して欲しい」

「分かりました」

 警備隊長が対策の為、急いで詰所に戻って行くのを見ながら、シェルトは「アリアネにも、知らせた方が良いな」と呟いた。

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