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血の契り
しおりを挟む「ソフィ! 今は僕を信じて言う通りにして。後でよく話し合おう。きっと君の悪いようにはしないから」
「でも……」
アロイスが貴族になってから、今まで一度も結婚の話なんてしたことがなかったのに――。
それでも、アロイスの有無を言わさせない表情に、口を噤む。
絹糸のような雨に、髪もドレスも湿っぽく濡れて行く。
柔らかな室内履きは、水たまりのある石畳の道でびしょ濡れになってしまった。
礼拝堂に着き、オーク材と鉄で補強された重厚な扉を開けると、ガランとした会堂内に真紅に金糸で刺繍された祭服を来たフレミー司教が私たちを待っていた。
「司教、時間がない。略式で頼む」
「分かりました。どうぞ、こちらへ」
祭壇の前に立つフレミー司教と相対するように、アロイスと私は並んだ。
アロイスは青の天鵞絨のジュストコートに同じ色のリボンのタイをし、袖口から白いレースが見えていた。そして細身のズボンにエナメルの靴。
貴族は蒸し暑さは平気なのか、カッチリとした服装で涼しい顔をしている。
それに比べ、私は濡れてまだらになった麻のドレスに、無造作に結った髪の後れ毛からは雨のしずくが落ちている。
こんな姿で、結婚の祭壇の前に立たなければならないなんて。
きっと私は、随分と情けない顔をしているに違いない。
祭壇の上には、杯とナイフが置かれ、その隣のテーブルには羊皮紙と羽ペンが用意されていた。
「今ここに、貴族と人間が種族を超えて婚姻を結ぼうとしている。
二人は冥界の女神ヘルの御名によって契約し、結婚する。
夫は妻を保護し養わなければならない。妻は夫に尽くし貞節を守らなければならない」
フレミー司教の重々しい声が三人しかいない礼拝堂に響いた。
魔道灯に照らされた祭壇だけが、薄暗い会堂の中に浮びあがっている。
「アロイス・ヴィ・ノワール、女神の御前にこれを誓いますか」
「はい、誓います」
アロイスは私の手を取りぎゅっと握った。
「ソフィ、女神の御前にこれを誓いますか」
「……はい、誓います」
フレミー司教がナイフを一閃し、私とアロイスの繋がれた手を傷つけた。
鋭利な刃物で素早く切りつけられ、最初は何が起こったのかもわからず、痛みは後から来た。
滴り落ちる二人の血を、司教が杯で受け止める。
アロイスの傷はすぐに塞がり、跡形もなく消えた。
司教から杯を渡されると、アロイスはそれを飲んでから私の手に押し付け「さあ、ソフィも」と囁いた。
震える手で杯を受け取る。まるで魅入られてしまったように、逆らうことなどできない。
初めて口にする、貴族……アロイスの血。抵抗がないと言えば嘘になる。
アロイスの炯々と光る真紅の瞳に促されるように、ごくりと飲み干す。
どろりとした血液が喉を通り過ぎると、ドクン、と心臓が鳴った。
キーンと耳鳴りがして、視界がぶれる。
祭壇の奥に設置されている大理石で出来た女神像の閉じられた瞼が開き、私と視線が合った。
悲鳴を堪え、口に手を当てる。
アロイスを見れば、私の傷付いた手を取り舐めていた。あり得ない速さで、今つけられたばかりの切傷が塞がっていく。
急に魔道灯の届かぬ暗がりがはっきりと見え始め、礼拝堂のステンドグラスの闇の向こうに降る雨、外の微かな物音が聞こえて来る。
――これが『貴族の血』の効果なの?
「これに署名してください」
司教は祭壇横のテーブルに移動するよう促した。
羊皮紙に書かれた婚姻誓約書に、まずアロイスが署名した。次に私が羽ペンを持つ。
何が書かれているのか目を通そうとするのに、字が躍るように動いて読み取ることが出来ない。
「ソフィ、急いで。奴らが来る前に」
示された場所、アロイスの署名の下に言われるまま自分の名前を記した。
「ここに冥界の女神ヘルによって、二人の結婚は成り立った。この神聖な誓いと血の契りにより、貴族、人間、何人たりとも、この二人を引き離してはならない」
フレミー司教が厳かに宣言した瞬間、礼拝堂の扉が開かれ、巡察官ユー・シュエンとギルメット、副官パトリスと配下の騎士たちが中に雪崩れ込んできた。
「――これは、これは。伯爵、ご結婚おめでとう、と言わなければなりませんね」
ユー・シュエンが、もったいぶった様子で手を叩いた。
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