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二章 学院生活・前半
68.深層への招待
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春が終わり、夏が始まってしばらく経った、ある日のこと。
私は、3階の講堂の奥へきていた。
重く閉ざされた黒檀の扉が、軋むように開いた。
「・・・来るのだ、アリア・ベルナード。お前には、特別な授業を施す必要がある」
そこにいたのは、暗紫のレオタードのような服を着込み、腰まで届く艶やかな紫色髪を流した、美しい女性教師──ヴィオレの組担任、メジェラ・ロイゼン先生だった。
その肌は透き通るように白く、黒い眼鏡越しの瞳には、計り知れない深みと冷徹さが混じっている。
私は反射的に背筋を伸ばした。
これまでに幾度となく、この人の授業・・・「邪悪な魔法への対処術の授業」を受けてきたが、正直好きにはなれない。
なんというか・・・この教師からは、“魔法”というものがただの技術ではなく、生きた毒のようなものに感じられる。
「サラの件について聞いた。・・・ずいぶんと頑張ったようだな」
「・・・はい」
この人は闇魔法使いだ。私やサラとは違い、精神魔法は得意な分野の一つであるはず。
現に授業でも、一時的に精神を支配する魔法をたびたび生徒に披露していた──やっていいことなのかは別として。
「夢には、心の奥底に眠る精神が形をとって現れる事がある。精神に邪悪な“影”が入り込むのは、珍しいことではない。特にも・・・お前のように異なる魂を持つ者にはな」
異なる魂、と聞いてなんかゾッとした。
もしかしてこの人、私が転生者だって気づいている・・・?
「先生は、どうしてそれを・・・?」
先生は私を見つめた。
「私が誰で、どこから来たか・・・話していなかったな。興味はあるかな?ベルナード」
ゆっくりとメジェラ先生が歩み寄る。その唇が、微かに嗤った。
「昔、世界がまだ邪神に支配されていた時代、彼の下で破壊を管理していた者たちがいた・・・今日、邪なる者と呼ばれている者たちだ。その大半は、『神魔戦役』にて敗れ、姿を消した」
神魔戦役、つまりかつて起きた邪神と、八人の大魔女との戦い。
その戦いにおいて、長く辛い戦いの果てに邪神を見事倒し、封印したのが、八人の大魔女の一人にして炎の使い手・・・私の母、セリエナ・ベルナードだ。
「だが・・・邪なる者は、滅びたわけではなかった。邪神が封印されようとも、彼に心酔する者たちは生き、その意思を継がんとしていた」
その時、私は以前から聞いていた噂を思い出した──メジェラ先生は、実は元邪なる者なのだと。
「・・・だが、そのような者も今はこうして、学院の教師となり、邪悪な魔法の対処術を教える者となっている。なんとも皮肉な話だ」
これまでに幾度となく、邪なる者のことは聞いていた。だが、いざ明確にそれだと名乗る人が目の前に現れると、なかなかの威圧を感じる。
かつては邪神のしもべとして、母とも戦った。そんな人が今、自分の前で教鞭をとっている──。
「ベルナード・・・お前は夢で呼ばれた。それも、精神の奥深くにある領域からな」
「どうして、それを──」
「教えてやろう。あの場所は、邪神の眷属となった者ですら踏み込めなかった領域。そこに触れられたお前は、すでに『こちら側』に足を踏み入れているのだ」
その言葉を聞いて、私は思わず息を呑んだ。
「・・・『こちら側』って、どういう意味ですか」
恐る恐る問い返すと、メジェラ先生はふっと微笑んだ。だがそれは、優しさの欠片もない、何かを見透かした者の笑みだった。
「お前は既に、夢を通じて“深層の界”へ足を踏み入れた。あれは単なる幻ではない。意志と意志、魂と魂が交錯する・・・この現実とは別の精神界」
「精神界・・・」
「サラ・ヴェルレインの“悪夢”もまた、そこに通じている。彼女の中に入り込んだ“影”──それを斃し、彼女を救いたいのなら・・・お前自身が、その深層へと降りなければならない」
メジェラ先生の声が、低く、しかしはっきりと私の意識を貫いた。
「──私は、それを教える。夢に入る術を」
紫の魔力が彼女の指先に灯り、空間に幾何学的な模様を描く。歪んだ円環が重なり、幾つもの螺旋を生むそれは、私の知るどの魔法とも違っていた。
生温かく、しかし不思議と怖くはなかった。
「これは『夢相の印環』。精神界への“門”を開く印だ。・・・本来は生徒に教えるものではないのだが、特別授業ということにしよう」
「・・・特別授業・・・?」
先生は眼鏡を指先で押し上げ、口元に妖艶な微笑を浮かべた。
「これは正式な授業として記録される。私とお前だけの、非公開の、極めて実践的な授業だ。安心するといい、学院の規則には・・・ぎりぎり抵触しない」
ギリギリって何よ、と思ったが、すぐにその言葉の意味がぼんやりと頭に沈んでいく。
「ただし、気をつけることが一つある」
「・・・?」
「“深層”は、お前の中の“本当の心”を剥き出しにする。偽りや建前は通じない。・・・お前の魂が、本当にサラを救いたいと願っているのか、それとも・・・」
メジェラ先生の瞳が、するどく私の奥を覗き込んだ。
「・・・彼女の影に、自分自身の“何か”を重ねているだけなのか。全て、明らかになる」
私の背に、ひやりとした冷気が走った。まるで、自分でもまだ気づいていない“何か”が、引きずり出されるような感覚。
「この術を使えば、サラの夢に入れるんですね・・・?」
「そうだ。だが、それは単に夢を見るということではない。心の最も深い場所──『核域』へ降りるということだ」
先生が描いた印環が、私の足元に映し出される。紫の魔法陣が、ゆっくりと脈動を始めた。
「一つ問おう・・・ベルナード。お前には、覚悟があるか? もし“影”に囚われれば、二度と戻れなくなるかもしれない。それでも──行くか?」
私は拳を握りしめた。
──サラを、見捨てたくない。
彼女の中の苦しみに、届きたい。
「・・・やります」
しばし沈黙ののち、メジェラ先生は静かにうなずいた。
「では・・・始めよう。私の導きに従い、印環を踏み、精神を静め、念じるのだ」
「・・・何と念じれば?」
「“サラに会いたい”──それだけでいい」
紫の光が高まり、音もなく世界が揺れる。
私は、ゆっくりと目を閉じた。
──サラと、彼女の夢を巡る一連の事件は、まだ終わっていない。
私は、3階の講堂の奥へきていた。
重く閉ざされた黒檀の扉が、軋むように開いた。
「・・・来るのだ、アリア・ベルナード。お前には、特別な授業を施す必要がある」
そこにいたのは、暗紫のレオタードのような服を着込み、腰まで届く艶やかな紫色髪を流した、美しい女性教師──ヴィオレの組担任、メジェラ・ロイゼン先生だった。
その肌は透き通るように白く、黒い眼鏡越しの瞳には、計り知れない深みと冷徹さが混じっている。
私は反射的に背筋を伸ばした。
これまでに幾度となく、この人の授業・・・「邪悪な魔法への対処術の授業」を受けてきたが、正直好きにはなれない。
なんというか・・・この教師からは、“魔法”というものがただの技術ではなく、生きた毒のようなものに感じられる。
「サラの件について聞いた。・・・ずいぶんと頑張ったようだな」
「・・・はい」
この人は闇魔法使いだ。私やサラとは違い、精神魔法は得意な分野の一つであるはず。
現に授業でも、一時的に精神を支配する魔法をたびたび生徒に披露していた──やっていいことなのかは別として。
「夢には、心の奥底に眠る精神が形をとって現れる事がある。精神に邪悪な“影”が入り込むのは、珍しいことではない。特にも・・・お前のように異なる魂を持つ者にはな」
異なる魂、と聞いてなんかゾッとした。
もしかしてこの人、私が転生者だって気づいている・・・?
「先生は、どうしてそれを・・・?」
先生は私を見つめた。
「私が誰で、どこから来たか・・・話していなかったな。興味はあるかな?ベルナード」
ゆっくりとメジェラ先生が歩み寄る。その唇が、微かに嗤った。
「昔、世界がまだ邪神に支配されていた時代、彼の下で破壊を管理していた者たちがいた・・・今日、邪なる者と呼ばれている者たちだ。その大半は、『神魔戦役』にて敗れ、姿を消した」
神魔戦役、つまりかつて起きた邪神と、八人の大魔女との戦い。
その戦いにおいて、長く辛い戦いの果てに邪神を見事倒し、封印したのが、八人の大魔女の一人にして炎の使い手・・・私の母、セリエナ・ベルナードだ。
「だが・・・邪なる者は、滅びたわけではなかった。邪神が封印されようとも、彼に心酔する者たちは生き、その意思を継がんとしていた」
その時、私は以前から聞いていた噂を思い出した──メジェラ先生は、実は元邪なる者なのだと。
「・・・だが、そのような者も今はこうして、学院の教師となり、邪悪な魔法の対処術を教える者となっている。なんとも皮肉な話だ」
これまでに幾度となく、邪なる者のことは聞いていた。だが、いざ明確にそれだと名乗る人が目の前に現れると、なかなかの威圧を感じる。
かつては邪神のしもべとして、母とも戦った。そんな人が今、自分の前で教鞭をとっている──。
「ベルナード・・・お前は夢で呼ばれた。それも、精神の奥深くにある領域からな」
「どうして、それを──」
「教えてやろう。あの場所は、邪神の眷属となった者ですら踏み込めなかった領域。そこに触れられたお前は、すでに『こちら側』に足を踏み入れているのだ」
その言葉を聞いて、私は思わず息を呑んだ。
「・・・『こちら側』って、どういう意味ですか」
恐る恐る問い返すと、メジェラ先生はふっと微笑んだ。だがそれは、優しさの欠片もない、何かを見透かした者の笑みだった。
「お前は既に、夢を通じて“深層の界”へ足を踏み入れた。あれは単なる幻ではない。意志と意志、魂と魂が交錯する・・・この現実とは別の精神界」
「精神界・・・」
「サラ・ヴェルレインの“悪夢”もまた、そこに通じている。彼女の中に入り込んだ“影”──それを斃し、彼女を救いたいのなら・・・お前自身が、その深層へと降りなければならない」
メジェラ先生の声が、低く、しかしはっきりと私の意識を貫いた。
「──私は、それを教える。夢に入る術を」
紫の魔力が彼女の指先に灯り、空間に幾何学的な模様を描く。歪んだ円環が重なり、幾つもの螺旋を生むそれは、私の知るどの魔法とも違っていた。
生温かく、しかし不思議と怖くはなかった。
「これは『夢相の印環』。精神界への“門”を開く印だ。・・・本来は生徒に教えるものではないのだが、特別授業ということにしよう」
「・・・特別授業・・・?」
先生は眼鏡を指先で押し上げ、口元に妖艶な微笑を浮かべた。
「これは正式な授業として記録される。私とお前だけの、非公開の、極めて実践的な授業だ。安心するといい、学院の規則には・・・ぎりぎり抵触しない」
ギリギリって何よ、と思ったが、すぐにその言葉の意味がぼんやりと頭に沈んでいく。
「ただし、気をつけることが一つある」
「・・・?」
「“深層”は、お前の中の“本当の心”を剥き出しにする。偽りや建前は通じない。・・・お前の魂が、本当にサラを救いたいと願っているのか、それとも・・・」
メジェラ先生の瞳が、するどく私の奥を覗き込んだ。
「・・・彼女の影に、自分自身の“何か”を重ねているだけなのか。全て、明らかになる」
私の背に、ひやりとした冷気が走った。まるで、自分でもまだ気づいていない“何か”が、引きずり出されるような感覚。
「この術を使えば、サラの夢に入れるんですね・・・?」
「そうだ。だが、それは単に夢を見るということではない。心の最も深い場所──『核域』へ降りるということだ」
先生が描いた印環が、私の足元に映し出される。紫の魔法陣が、ゆっくりと脈動を始めた。
「一つ問おう・・・ベルナード。お前には、覚悟があるか? もし“影”に囚われれば、二度と戻れなくなるかもしれない。それでも──行くか?」
私は拳を握りしめた。
──サラを、見捨てたくない。
彼女の中の苦しみに、届きたい。
「・・・やります」
しばし沈黙ののち、メジェラ先生は静かにうなずいた。
「では・・・始めよう。私の導きに従い、印環を踏み、精神を静め、念じるのだ」
「・・・何と念じれば?」
「“サラに会いたい”──それだけでいい」
紫の光が高まり、音もなく世界が揺れる。
私は、ゆっくりと目を閉じた。
──サラと、彼女の夢を巡る一連の事件は、まだ終わっていない。
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