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三章 学院生活・後半
149.染められた瞳
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午後の授業が終わっても、私はずっと落ち着かなかった。
クラリッサに連れられて行ったミュリエルは、結局その日のうちに戻ってこなかった。
「あの子は、今日は体調不良ということで早退した」
そう告げたのはレシウス先生だった・・・だが、どこか事務的な言い方だった。
そもそも、昨日の朝なぜクラリッサが来たとき一緒に来なかったのかは説明がないままだ。
私の胸の中には、重たい靄が残ったままだった。
──そして、翌日。
「・・・え?」
朝の登校時、私は思わず足を止めた。
通学路の少し先、学院の門の近くに、ミュリエルの姿があったのだ。
でも、それは“いつもの彼女”ではなかった。
綺麗に整えられていた長い髪はやや乱れ、制服のリボンも締め方がなんか雑だ。
何より、目が。
「・・・ミュリエル?」
私が声をかけると、彼女はゆっくりとこちらを向いた。
「・・・アリア・・・さん?」
その声音には、まるで水底に沈んだような重さがあった。
目の焦点が合っていない。口元は笑っているのに、目だけがまるで感情を失っていた。
私はそっと近づいた。
「昨日、大丈夫だった? 先生に連れて行かれて・・・それから・・・」
「ええ、問題なかったわ。クラリッサ先生は優しかった」
その“言葉”は、確かに彼女の口から出ていたけれど──まるで誰かに言わされているような、心を持たない声だった。
(・・・違う。これ、ミュリエルじゃない)
心の奥で、警鐘が鳴った。
「それにね──」
彼女は静かに微笑んだ。
「先生は教えてくれたの。“わたし”は間違っていたって。闇を恐れる必要なんてなかったって。わたしは、もう大丈夫──ちゃんと、目を覚ましたのよ」
「目を・・・?」
「うん。これからは、わたしも“導く側”になる。クラリッサ先生の魔法が、どれだけ素晴らしいか──もっと多くの生徒に伝えていかないと。ね?」
その笑みは、確かに優しかった。
けれどそこに、“ミュリエル”という少女の意志はなかった。
彼女は、何かに染まっている。
(クラリッサ・・・!)
ぞっとするような実感が、背骨を駆け上がった。
これは──いわば、洗脳に近い。
クラリッサは“視界干渉”の中で、ミュリエルの心の脆い部分に入り込み、別の人格を上書きしたに違いない。
彼女は、表向きは無事に見えるかもしれない。でも中身はもう、クラリッサの意思を代弁する存在に変えられている。
体は一切傷つけず、精神というか人格だけを書き換える・・・いかにも悪役という感じの所業だ。
さらに恐ろしいのは、彼女をこんなにした元凶であるクラリッサが普通の顔をしてこの学校にいるということ。
このままでは第二、第三の“ミュリエル”が出る。
そしてそれは、表向き“問題のない優等生”として、少しずつ学院を蝕んでいくのだろう。
そんなことはさせない。
絶対に、食い止めてみせる。
私は一人、静かな中庭のベンチに腰を下ろしていた。
胸の奥で、何かがくすぶっている。怒りでも恐怖でもない。
もっと根の深い、名のつかない感情。
(ミュリエルは、もう“元に戻らない”のかもしれない)
ふと、木陰から足音がした。
「・・・やっぱり、ここだったか」
顔を上げると、シルフィンの姿があった。
赤い短髪を揺らしながら、彼女は私の隣に腰を下ろす。
「ずっと浮かない顔してると思ったら、案の定ね。クラリッサ先生のこと?」
「・・・うん」
私は静かにうなずく。
シルフィンは黙って、私の表情を見つめていた。
そして、ぽつりと呟く。
「ミュリエル、変だった。まるで別人みたいだった」
「やっぱり、そう見えた?」
「ええ。“誰かの言葉”をなぞってるだけみたいな、そんな感じ。・・・本当に気持ち悪かった」
そこへ、ライドとマシュルが駆け寄ってきた。
「やっほー、アリア。シルフィンも・・・やっぱり集まってたか」
「おれたちも、話したいことがある」
マシュルが少し顔を曇らせながら言う。
「今朝、廊下で会った子が“夢で誰かに覗かれた気がする”って言ってたんだ。最初はただ、怖い夢を見たってだけかと思ったけど・・・」
「話の中で、“黒い鏡”とか“揺れる瞳”とか、視界に関するものがやたら出てくるんだ。これ・・・視界干渉の後遺症なんじゃないかって」
「つまり──クラリッサの魔法が、授業以外でも影響を及ぼしてる?」
私の言葉に、全員が顔を引き締めた。
「“共鳴”ってあるよね。直接魔法をかけた相手だけじゃなく、その周囲の相手にも同じ魔法がかかるってやつ。もしかして、それで周りの子にも・・・?」
「もしくは、無意識のうちに“鍵”を植え付けてるとか。夢や記憶の中に、彼女の“視界”に繋がる扉を」
そこで最後に姿を見せたのは、ノエルとティナだった。
「アリア、私たちも協力する」
ティナがまっすぐな瞳で言った。
「いくらなんでも、あんなのはおかしい。生徒を操るような行為なんて・・・まるで、前の学院長だわ」
「私もそう思う。あの女、怪しすぎる。みんなで、正体暴いてやろう」
「・・・ありがとう、みんな」
私の胸に、少しだけ熱が灯る。
母が言っていた。「あなたの炎は、誰かを傷つけるためではなく、誰かのために灯るもの」だと。
きっと、これはそのときだ。
誰かの心を守るために、私はこの炎を使わなきゃいけない。
「まずは情報を集めよう。クラリッサの授業を受けた生徒たち、あの“視界干渉”のあとに異変を起こした子たち。そして──クラリッサ自身の過去」
「過去、ね・・・」
マシュルが腕を組む。
「“神魔戦役”の頃、クラリッサはセリエナ様たち“八大魔女”と敵だったって話だ。何か残ってるかもしれないな、記録か痕跡か」
「それなら、学院の旧文書庫とか・・・?」
「もしくは、地下資料館。一般生徒は立ち入り禁止だけど、先生が魔導史の授業で入ることもあるし・・・あそこの管理員なら、鍵を持ってるかもな」
「・・・でも、頼みに行ったとして、と思う?」
「無理、だろうな」
そう言ってから、マシュルはなぜか明るい顔をした。
「だからな、ちょっと回りくどい方法で借りに行こう」
「・・・どういうこと?」
「水の魔法には、こういう時に役立つ魔法があるんだ・・・へへっ」
その表情は、まるで良からぬことを企む小悪党のようだった。
──私たちは、ただの学生かもしれない。
だけど、心を蝕む“影”に気づいた今、見過ごすわけにはいかない。
クラリッサの目的は何か。
彼女はなぜ、この学院に教師として戻ってきたのか。
そして、なぜ“私”を見ているのか。
(──全部、突き止める)
夜の闇が迫る中、私たちは静かに、けれど確かに歩き出した。
光の火種を、胸に抱きながら。
クラリッサに連れられて行ったミュリエルは、結局その日のうちに戻ってこなかった。
「あの子は、今日は体調不良ということで早退した」
そう告げたのはレシウス先生だった・・・だが、どこか事務的な言い方だった。
そもそも、昨日の朝なぜクラリッサが来たとき一緒に来なかったのかは説明がないままだ。
私の胸の中には、重たい靄が残ったままだった。
──そして、翌日。
「・・・え?」
朝の登校時、私は思わず足を止めた。
通学路の少し先、学院の門の近くに、ミュリエルの姿があったのだ。
でも、それは“いつもの彼女”ではなかった。
綺麗に整えられていた長い髪はやや乱れ、制服のリボンも締め方がなんか雑だ。
何より、目が。
「・・・ミュリエル?」
私が声をかけると、彼女はゆっくりとこちらを向いた。
「・・・アリア・・・さん?」
その声音には、まるで水底に沈んだような重さがあった。
目の焦点が合っていない。口元は笑っているのに、目だけがまるで感情を失っていた。
私はそっと近づいた。
「昨日、大丈夫だった? 先生に連れて行かれて・・・それから・・・」
「ええ、問題なかったわ。クラリッサ先生は優しかった」
その“言葉”は、確かに彼女の口から出ていたけれど──まるで誰かに言わされているような、心を持たない声だった。
(・・・違う。これ、ミュリエルじゃない)
心の奥で、警鐘が鳴った。
「それにね──」
彼女は静かに微笑んだ。
「先生は教えてくれたの。“わたし”は間違っていたって。闇を恐れる必要なんてなかったって。わたしは、もう大丈夫──ちゃんと、目を覚ましたのよ」
「目を・・・?」
「うん。これからは、わたしも“導く側”になる。クラリッサ先生の魔法が、どれだけ素晴らしいか──もっと多くの生徒に伝えていかないと。ね?」
その笑みは、確かに優しかった。
けれどそこに、“ミュリエル”という少女の意志はなかった。
彼女は、何かに染まっている。
(クラリッサ・・・!)
ぞっとするような実感が、背骨を駆け上がった。
これは──いわば、洗脳に近い。
クラリッサは“視界干渉”の中で、ミュリエルの心の脆い部分に入り込み、別の人格を上書きしたに違いない。
彼女は、表向きは無事に見えるかもしれない。でも中身はもう、クラリッサの意思を代弁する存在に変えられている。
体は一切傷つけず、精神というか人格だけを書き換える・・・いかにも悪役という感じの所業だ。
さらに恐ろしいのは、彼女をこんなにした元凶であるクラリッサが普通の顔をしてこの学校にいるということ。
このままでは第二、第三の“ミュリエル”が出る。
そしてそれは、表向き“問題のない優等生”として、少しずつ学院を蝕んでいくのだろう。
そんなことはさせない。
絶対に、食い止めてみせる。
私は一人、静かな中庭のベンチに腰を下ろしていた。
胸の奥で、何かがくすぶっている。怒りでも恐怖でもない。
もっと根の深い、名のつかない感情。
(ミュリエルは、もう“元に戻らない”のかもしれない)
ふと、木陰から足音がした。
「・・・やっぱり、ここだったか」
顔を上げると、シルフィンの姿があった。
赤い短髪を揺らしながら、彼女は私の隣に腰を下ろす。
「ずっと浮かない顔してると思ったら、案の定ね。クラリッサ先生のこと?」
「・・・うん」
私は静かにうなずく。
シルフィンは黙って、私の表情を見つめていた。
そして、ぽつりと呟く。
「ミュリエル、変だった。まるで別人みたいだった」
「やっぱり、そう見えた?」
「ええ。“誰かの言葉”をなぞってるだけみたいな、そんな感じ。・・・本当に気持ち悪かった」
そこへ、ライドとマシュルが駆け寄ってきた。
「やっほー、アリア。シルフィンも・・・やっぱり集まってたか」
「おれたちも、話したいことがある」
マシュルが少し顔を曇らせながら言う。
「今朝、廊下で会った子が“夢で誰かに覗かれた気がする”って言ってたんだ。最初はただ、怖い夢を見たってだけかと思ったけど・・・」
「話の中で、“黒い鏡”とか“揺れる瞳”とか、視界に関するものがやたら出てくるんだ。これ・・・視界干渉の後遺症なんじゃないかって」
「つまり──クラリッサの魔法が、授業以外でも影響を及ぼしてる?」
私の言葉に、全員が顔を引き締めた。
「“共鳴”ってあるよね。直接魔法をかけた相手だけじゃなく、その周囲の相手にも同じ魔法がかかるってやつ。もしかして、それで周りの子にも・・・?」
「もしくは、無意識のうちに“鍵”を植え付けてるとか。夢や記憶の中に、彼女の“視界”に繋がる扉を」
そこで最後に姿を見せたのは、ノエルとティナだった。
「アリア、私たちも協力する」
ティナがまっすぐな瞳で言った。
「いくらなんでも、あんなのはおかしい。生徒を操るような行為なんて・・・まるで、前の学院長だわ」
「私もそう思う。あの女、怪しすぎる。みんなで、正体暴いてやろう」
「・・・ありがとう、みんな」
私の胸に、少しだけ熱が灯る。
母が言っていた。「あなたの炎は、誰かを傷つけるためではなく、誰かのために灯るもの」だと。
きっと、これはそのときだ。
誰かの心を守るために、私はこの炎を使わなきゃいけない。
「まずは情報を集めよう。クラリッサの授業を受けた生徒たち、あの“視界干渉”のあとに異変を起こした子たち。そして──クラリッサ自身の過去」
「過去、ね・・・」
マシュルが腕を組む。
「“神魔戦役”の頃、クラリッサはセリエナ様たち“八大魔女”と敵だったって話だ。何か残ってるかもしれないな、記録か痕跡か」
「それなら、学院の旧文書庫とか・・・?」
「もしくは、地下資料館。一般生徒は立ち入り禁止だけど、先生が魔導史の授業で入ることもあるし・・・あそこの管理員なら、鍵を持ってるかもな」
「・・・でも、頼みに行ったとして、と思う?」
「無理、だろうな」
そう言ってから、マシュルはなぜか明るい顔をした。
「だからな、ちょっと回りくどい方法で借りに行こう」
「・・・どういうこと?」
「水の魔法には、こういう時に役立つ魔法があるんだ・・・へへっ」
その表情は、まるで良からぬことを企む小悪党のようだった。
──私たちは、ただの学生かもしれない。
だけど、心を蝕む“影”に気づいた今、見過ごすわけにはいかない。
クラリッサの目的は何か。
彼女はなぜ、この学院に教師として戻ってきたのか。
そして、なぜ“私”を見ているのか。
(──全部、突き止める)
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光の火種を、胸に抱きながら。
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