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第4話 消えた魔法使い
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ふわりと裾がはためいた。セピア色のワンピースの下でペチコートのフリルが泳ぐ。習ったばかりのダンスを披露したエリシアは、養父母の拍手にお辞儀を返した。
「上手よエリシア。妖精みたいだったわ」
「ああ、なんて愛らしいんだろう。僕らの娘は」
「えへへ」
三人並んでソファーに座り、温かい紅茶を一口。穏やかな談笑は自然体で、流れた歳月の証でもある。エリシアがイース家に来て三年経った。
この頃カレンの具合は全快に向かっている。少なくとも、身体の調子は良いようだ。定期的に魔法の薬を持って来るベルダートも、そろそろ投薬は不要だろうと言っていた。
エリシアも家庭学習が進み、今では行儀や裁縫、ダンスなどの習い事も増えた。このまま上流階級の子が集う高等学校に進学出来るかもしれないねと、ジュリアスに褒められる。
エリシアの役割を果たすには、相応の学歴がないといけないのだろう。予想はしていたと、エリシアは勉強も頑張っている。
「エリシア、明日はバラック卿が来る。きみの健康診断もあるから、お出迎えをよろしく頼むよ」
「はいお父様」
バラック卿、つまりベルダートだ。薬を出すついでのエリシアの問診は続いている。
心身に負担を強いられるのはエリシアも同じ。カレンのようになってはと、精神由来の不調がないか、ストレスを溜めていないか。ジュリアスは気にかけていた。
といってもエリシアは暮らしに満足しているし、ベルダートに魔法を見せて貰って楽しい一時を過ごすばかりだが。
「嬉しそうねエリシア。先生に恋しているようよ」
にこにこしてそんなことを言うカレンに苦笑し、エリシアはいいえと首を振った。
「ベルダート様のことは尊敬しているけど、そんな風には思いません。私はお父様とお母様が一番大好きで、大切なの」
「……私もよ、エリシア!」
カレンと抱き合って温もりを分け合う。母親の存在はエリシアにとってかけがえのないもの。同時に後ろ暗い翳り。
それでも、大好きなのだ。もうこの人達なしに明日が来るなんて思えない。
ひしと離れない母子に、ジュリアスが僕だってと笑顔で二人を両腕に抱く。端から見れば普通の親子、愛情に溢れた家族の姿だった。
***
翌日の午後、エリシアは最早お馴染みの黒尽くめを出迎えた。青い目が猫のように細まる。
「いらっしゃいませベルダート様」
「ご機嫌如何かなエリシア嬢」
「私は元気です。背も伸びているの」
「ああ、確かに大きくなったのだよ」
軽い会話を交わしながらカレンの元へ。ベッドでなく椅子にかけ、カレンはベルダートに挨拶した。いつもの問診と診察を経て、ベルダートは頷く。
「もう夫人に投薬は不要かと。後は気力が充実するまで、心穏やかにお過ごし下さい」
「まあ、ありがとうございます先生。確かにすっかり良くなりましたわ」
「ええ。毎日小一時間身体を動かし、日光を浴びる習慣を続けて頂ければ結構」
「分かりましたわ」
正直、ベルダートにも心の状態は完全に把握出来るものでない。カレンが今エリシアという空想に浸って生きているのか、偽のエリシアという現実と折り合いを付けているのか。明確には分からないまま。
ただカレンの身体にこれ以上出来る処置はない為、そのように診断した。エリシアも問診に訪れたベルダートと向かい合い、椅子にかける。
たった三年で見違える程健康体になった少女。すっかりお嬢様らしくなり、パッと見には孤児だったとは思えない。
自分が運命を捻じ曲げた少女に、ベルダートはにんまりと笑みを浮かべた。
「どうかね、ここでの暮らしは」
「毎日とっても幸せです。食べる物もお洋服にも困りません。夢のようです」
「うむ、変わらぬ答えであるな。何事もないならよし」
手袋をしたベルダートの掌に小さな瓶、可愛い砂糖菓子が現れる。自称凄くて悪い魔法使いの魔法は優しいとエリシアは思う。礼を言えば、ベルダートは尊大に頷いてみせた。
それから脈を計り、エリシアの下瞼を下げ、舌をいっぱいに出した喉の奥まで診て、ベルダートは問題なしと席を立つ。
「ありがとうございました」
「うむ、ではまた」
ベルダートを見送り玄関から戻って来たエリシアは、万年筆が落ちているのに気付く。黒蝶貝を用いた立派な品、ベルダートのだと急いで追いかけた。
「まだすぐそこにいるはず……」
案の定、門を出た少し先の辺りに馬車が見えた。
「……止まってる? 忘れ物に気付いたのかも」
これ幸いと小走りに向かう途中、ベルダートが馬車から降りて地べたに屈んだ。少女が馬車の傍に倒れている。事故だろうか。
驚くエリシアの視線の先で、ベルダートが少女の肩に手を伸ばし……鷲掴まれる。上体を起こした少女とベルダートは目映い輝きの中に。
それは恐らく、魔法陣と呼ぶべき図案が灯す光だった。
「貴様!」
ベルダートが驚愕の叫びを上げ、少女が何か呪文を唱えた。直視していられない輝きがパッと強まり、思わずエリシアはその場に屈んで身を守るように縮こまる。
次に目を開けた時、ベルダートの姿はもう影も形もなかった。
「……え?」
人が一人消えたのだ。自分の知り合いが忽然と消失するという、あまりにも現実味のない現象。エリシアが無思考で言葉を失ってしまうのも無理はない。
倒れていた少女はすっくと立ち上がり、よしっと両手を握りしめている。
「やった……本当に出来た! ここは確かに現実なんだもん。ストーリー開始前であれ、接触も行動も可能よね!」
エリシアより明るい金髪で、紅茶色の瞳。飴細工のように甘やかな愛らしさをした少女。
何かをやり遂げた満足感を湛え、彼女は興奮した様子で笑みを浮かべる。エリシアには意味の分からない言葉が聞こえて来た。
「これで死亡フラグはへし折れたはず。ベルダートは悪魔だから死なないけど、一先ず安心ね」
──悪魔。悪魔とは一体。
「私はイース家の養女にもなってない。ラスボス悪魔は退場させた。もしかしたら登場人物の誰とも会わずに生きていられる可能性だってある……うん、よし。完璧だわ。これはもう原作完全攻略に等しい……ヒロインなんてまっぴらよ!」
茫然自失のエリシアに気付かず、謎の少女は背を向けて走り去る。遠くからニーナと呼ぶ声に、はーいと少女は返事した。
エリシアはただただ混乱していて。ふらふらと馬車に近付き、震える声でベルダート様と呼びかけた。
当然返事はなく、見慣れた馭者も馬もいない。魔法が解けてしまったみたいに跡形もなくなっていた。
「何が起きたの……どうして、ベルダート様……」
もう何がなんだか分からないエリシアの足元で、小さな鼠がチョロチョロ走り抜けて行く。
遂には馬車の車体さえ、呆気なく感触が失せた。ごろりと転げたのは、丸っこい根茎のようなもの。野菜だろうか。
確かにそこにあったはずの、何もかもが失われてしまった。怖くて握りしめた胸元。エリシアに残された冷たいペンダントだけは、その形を保っていた。
ベルダート・バラック卿の消息不明は、一時の騒ぎとなったものの。手がかり一つ見付からぬまま、世間から忘れられて行く──……
「上手よエリシア。妖精みたいだったわ」
「ああ、なんて愛らしいんだろう。僕らの娘は」
「えへへ」
三人並んでソファーに座り、温かい紅茶を一口。穏やかな談笑は自然体で、流れた歳月の証でもある。エリシアがイース家に来て三年経った。
この頃カレンの具合は全快に向かっている。少なくとも、身体の調子は良いようだ。定期的に魔法の薬を持って来るベルダートも、そろそろ投薬は不要だろうと言っていた。
エリシアも家庭学習が進み、今では行儀や裁縫、ダンスなどの習い事も増えた。このまま上流階級の子が集う高等学校に進学出来るかもしれないねと、ジュリアスに褒められる。
エリシアの役割を果たすには、相応の学歴がないといけないのだろう。予想はしていたと、エリシアは勉強も頑張っている。
「エリシア、明日はバラック卿が来る。きみの健康診断もあるから、お出迎えをよろしく頼むよ」
「はいお父様」
バラック卿、つまりベルダートだ。薬を出すついでのエリシアの問診は続いている。
心身に負担を強いられるのはエリシアも同じ。カレンのようになってはと、精神由来の不調がないか、ストレスを溜めていないか。ジュリアスは気にかけていた。
といってもエリシアは暮らしに満足しているし、ベルダートに魔法を見せて貰って楽しい一時を過ごすばかりだが。
「嬉しそうねエリシア。先生に恋しているようよ」
にこにこしてそんなことを言うカレンに苦笑し、エリシアはいいえと首を振った。
「ベルダート様のことは尊敬しているけど、そんな風には思いません。私はお父様とお母様が一番大好きで、大切なの」
「……私もよ、エリシア!」
カレンと抱き合って温もりを分け合う。母親の存在はエリシアにとってかけがえのないもの。同時に後ろ暗い翳り。
それでも、大好きなのだ。もうこの人達なしに明日が来るなんて思えない。
ひしと離れない母子に、ジュリアスが僕だってと笑顔で二人を両腕に抱く。端から見れば普通の親子、愛情に溢れた家族の姿だった。
***
翌日の午後、エリシアは最早お馴染みの黒尽くめを出迎えた。青い目が猫のように細まる。
「いらっしゃいませベルダート様」
「ご機嫌如何かなエリシア嬢」
「私は元気です。背も伸びているの」
「ああ、確かに大きくなったのだよ」
軽い会話を交わしながらカレンの元へ。ベッドでなく椅子にかけ、カレンはベルダートに挨拶した。いつもの問診と診察を経て、ベルダートは頷く。
「もう夫人に投薬は不要かと。後は気力が充実するまで、心穏やかにお過ごし下さい」
「まあ、ありがとうございます先生。確かにすっかり良くなりましたわ」
「ええ。毎日小一時間身体を動かし、日光を浴びる習慣を続けて頂ければ結構」
「分かりましたわ」
正直、ベルダートにも心の状態は完全に把握出来るものでない。カレンが今エリシアという空想に浸って生きているのか、偽のエリシアという現実と折り合いを付けているのか。明確には分からないまま。
ただカレンの身体にこれ以上出来る処置はない為、そのように診断した。エリシアも問診に訪れたベルダートと向かい合い、椅子にかける。
たった三年で見違える程健康体になった少女。すっかりお嬢様らしくなり、パッと見には孤児だったとは思えない。
自分が運命を捻じ曲げた少女に、ベルダートはにんまりと笑みを浮かべた。
「どうかね、ここでの暮らしは」
「毎日とっても幸せです。食べる物もお洋服にも困りません。夢のようです」
「うむ、変わらぬ答えであるな。何事もないならよし」
手袋をしたベルダートの掌に小さな瓶、可愛い砂糖菓子が現れる。自称凄くて悪い魔法使いの魔法は優しいとエリシアは思う。礼を言えば、ベルダートは尊大に頷いてみせた。
それから脈を計り、エリシアの下瞼を下げ、舌をいっぱいに出した喉の奥まで診て、ベルダートは問題なしと席を立つ。
「ありがとうございました」
「うむ、ではまた」
ベルダートを見送り玄関から戻って来たエリシアは、万年筆が落ちているのに気付く。黒蝶貝を用いた立派な品、ベルダートのだと急いで追いかけた。
「まだすぐそこにいるはず……」
案の定、門を出た少し先の辺りに馬車が見えた。
「……止まってる? 忘れ物に気付いたのかも」
これ幸いと小走りに向かう途中、ベルダートが馬車から降りて地べたに屈んだ。少女が馬車の傍に倒れている。事故だろうか。
驚くエリシアの視線の先で、ベルダートが少女の肩に手を伸ばし……鷲掴まれる。上体を起こした少女とベルダートは目映い輝きの中に。
それは恐らく、魔法陣と呼ぶべき図案が灯す光だった。
「貴様!」
ベルダートが驚愕の叫びを上げ、少女が何か呪文を唱えた。直視していられない輝きがパッと強まり、思わずエリシアはその場に屈んで身を守るように縮こまる。
次に目を開けた時、ベルダートの姿はもう影も形もなかった。
「……え?」
人が一人消えたのだ。自分の知り合いが忽然と消失するという、あまりにも現実味のない現象。エリシアが無思考で言葉を失ってしまうのも無理はない。
倒れていた少女はすっくと立ち上がり、よしっと両手を握りしめている。
「やった……本当に出来た! ここは確かに現実なんだもん。ストーリー開始前であれ、接触も行動も可能よね!」
エリシアより明るい金髪で、紅茶色の瞳。飴細工のように甘やかな愛らしさをした少女。
何かをやり遂げた満足感を湛え、彼女は興奮した様子で笑みを浮かべる。エリシアには意味の分からない言葉が聞こえて来た。
「これで死亡フラグはへし折れたはず。ベルダートは悪魔だから死なないけど、一先ず安心ね」
──悪魔。悪魔とは一体。
「私はイース家の養女にもなってない。ラスボス悪魔は退場させた。もしかしたら登場人物の誰とも会わずに生きていられる可能性だってある……うん、よし。完璧だわ。これはもう原作完全攻略に等しい……ヒロインなんてまっぴらよ!」
茫然自失のエリシアに気付かず、謎の少女は背を向けて走り去る。遠くからニーナと呼ぶ声に、はーいと少女は返事した。
エリシアはただただ混乱していて。ふらふらと馬車に近付き、震える声でベルダート様と呼びかけた。
当然返事はなく、見慣れた馭者も馬もいない。魔法が解けてしまったみたいに跡形もなくなっていた。
「何が起きたの……どうして、ベルダート様……」
もう何がなんだか分からないエリシアの足元で、小さな鼠がチョロチョロ走り抜けて行く。
遂には馬車の車体さえ、呆気なく感触が失せた。ごろりと転げたのは、丸っこい根茎のようなもの。野菜だろうか。
確かにそこにあったはずの、何もかもが失われてしまった。怖くて握りしめた胸元。エリシアに残された冷たいペンダントだけは、その形を保っていた。
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