雪と聖火

波津井

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第7話 逃げ出した少女

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 ニーナは両腕いっぱいの荷物と共に帰宅した。幼き日に前世の記憶を書き留めた、古いノートを読み返す。

「校内であちこちに魔法陣の落書きがされる……本編の開始」

 最初は悪戯だと思われた。だが魔法陣の書かれた場所で怪我人が出た為に、誰かが呪いだと言い始めるのだ。
 次に憎い相手の身近に魔法陣を書けば、相手は呪われる──そんな噂が流れた。結果、鞄や席に魔法陣を書いた紙を忍ばせる行為が多発。

 犯人捜しに躍起になる者、不安から休学する者……恐怖と疑心暗鬼で風紀は乱れ、事態を重く見た生徒会や監督生が調査に乗り出すのだ。

 教会の紐付きであり、宗教色の強い学院内で、起きてはならない事態。もし異端者が出れば、同窓だっただけで社会から爪弾きにされかねない。

 信仰にまつわる瑕疵かしと不信は、下手な犯罪での失墜より致命的である。世界観……この世界の文明度ではそうなる。

 主人公も魔法陣の書かれた手紙を受け取ってしまい、身を守る為に情報を集め始める。そうして役付きや、校内でも目立つ男子生徒と接点が出来て行く。

「魔法陣に関しては、複数の生徒が呪いたい相手に向けて書いてしまうから、防ぎようがない……」

 怪我人の偶発と結び付き、蔓延した噂話。病欠も呪いの信憑性を増す材料にされた。中には悪意の事件も起き、突き飛ばされたり、所持品に直接魔法陣を書かれたり。

 それは後に裁判沙汰になる描写があった。噂や事故、偶然の域を明確に超えるまで、公的には何も出来ない証左でもある。

 作中では名もなきモブが演出と共に悲鳴を上げ、説明文一行で済まされてしまう描写。だが現実はそれっぽっちで終わらない。怪我をすれば痛いし、治るのに時間もかかる。落書きだって器物損壊だ。

「割れ窓理論のギスギスした学校とか、通いたくもないしね。上流階級は恨まれる心当たりに事欠かないから、多少自業自得とも思うけど」

 しかしいずれは本物の……悪魔を呼び出す魔法陣が行使されてしまう。生徒の中に、ほんの少しの才能を持ち合わせる者がいたのだ。作中のニーナのように、自覚なく魔法使いの片鱗を持った者が。

 その人物は名前がない、演出上のモブ。悪魔を呼び出してすぐ気絶し、悪魔は野放しになる。自分の敵になり得る魔法使いを早々に始末すべく、悪魔は暗躍し始めるのだ。

 悪魔は主人公に狙い定める。その為に終盤、主人公は絶対絶命の場面が増えて行く。

 作品の中ならお約束でも、ここは現実だ。確定した被害は起きる前に排除して当然。幼いニーナがベルダートを不意打ちで襲ったのは、将来の危険から身を守る為だった。

「校内では手が空いていれば女子に同行するよう、男子は協力を求められる。主人公は一緒に行動する男子と、仲を深めて行く流れね」

 恋愛物なので男子生徒はそれぞれ、美点も欠点もくっきり描かれる。だがやはり総じて恰好良くキャラ立てされていた。

「まあ御多分に漏れず二次元なら愛せても、リアルでは微塵も関わりたくないのが、この手のキャラの悲しき性よね」

 観賞用と割り切れる程度に、ニーナは彼らの人間性を現実的に捉えていた。

 勿論小説では最後に主人公と恋仲になる者がいたが、ニーナはその相手と今後も接点を持つ気はない。ストライクゾーンから微妙にずれているからだ。
 原作完結よりも早く終了したアニメでは、原作と異なるキャラが主人公と結ばれた。しかし何より……

「私にはエリシアちゃんがいればいいなぁ感!」

 ニーナは恋をせずとも、既に学院生活に満足している。毎日目の前に推しがいてキャッキャ出来るのだ。握手券も入場券も買ってないのに。日常が贅沢過ぎて怖い。

「エリシアちゃん……本当の名前は知らないし、アニメにも原作にも全く出て来ない人だけど。多分世界の修正力みたいなのが働いたせい、かな」

 亡きエリシア・イースの代役の代打、予備の予備。元はニーナと同じく孤児なのだろうか。原作由来でない人物という、酷く曖昧ながらもどうしても欠かせない、主人公を担う存在。

 もしこの世界に神様がいるなら、きっとそのままにはしないであろう特大の穴だ。埋まる方が自然か。
 ニーナがいようといまいと、イース夫妻が養子を迎える決断をするのは、何もおかしな話でない。

「主人公はいるべきでも、私である必要はないってことよね。どこかで辻褄合わせが起きるなら……やっぱり事件は起きるはず」

 ラスボスを退場させても変わらなかった流れだ。ニーナが目指すべきは、まず自分と友達の安全確保。
 今後被害者が増えると知っている。せめて万端に備えて、影響を軽微にするしかない。

 原作に登場したアイテムの知識は役に立つ。昔ベルダートを魔界へ追い返す為のアイテム作りも成功したのだから、この先も活躍するはず。

「薬各種、包帯よし。魔除けのお守りの素材、短杖の素材よし」

 そして自らも魔法陣を紙に書く。原作通りニーナには、本物の魔法使いの才能がある。悪魔を直接追い返せる帰還の魔法陣が使えるのだ。将来教会に所属すれば、エクソシストを名乗れよう。

「もしベルダートでない悪魔が呼び出されても、秒で追い返してやるっ」

 今後エリシアには危険が付き纏い、最悪命が危ぶまれる。自分はそこから逃げ出して、結果的に身代わりにしてしまった。だからこそ守りたい。目を瞑って唱える。

「……これは罪滅ぼし。自己満足。調子に乗っちゃ駄目」

 自分の人間性が不出来なのは、自分が一番分かっている。こんな奴がヒロインに似つかわしいはずがないとも。だから役割を放棄したのは今でも悔いてない、自分の命を優先して何が悪いとすら。

 それでも、何も知らず運命に翻弄される友達を放っていられる程薄情じゃない。エリシアに降りかかる全てが他人事ではない。

 教会を訪れた時と同じように祈る。
 ……いや、これは心に立てる誓い。

「絶対助ける」

 ニーナはただ友達が好きで、エリシアが大切だった。罪悪感と同じだけ使命感が募る。それを推しという概念や勢いで覆っているだけ。
 漠然とであれ明瞭であれ、不安に立ち向かうには勇気と勢いが必要なのだ。どうしても。

 ニーナがエリシアの危機に敏感なのは、何もストーリーに限った話ではない。元々臆病で、危機察知に神経を使っているから出来るのだ。前世を加味しても、ニーナの性分は怖がりである。

「……」

 出来るかな、怖いな、という弱気を無意識の底で押し殺す。多くを知る分ニーナは孤独だ。
 何も知らない者を頼ったり巻き込んだりするのは……と自ら首を絞めている。かつて単身でベルダートに挑んだのもそう。

 ニーナが何より恐れているのは、苦痛や怪我ではない。お前のせいだと責められること。孤児院に入る前、物心付くより昔から言われて来た。

 母親が死んだのはお前のせいだ──

 何度も何度も繰り返されて、すっかりこびり付いてしまった。どうせ全部私が悪い、そんな風に。

「……忘れろ、今は幸せなんだから。私は上手くやれた、ラスボスを退場させてる。自分の力だけでしたんだから、最大の責任は果たしたもの」

 主人公としてすべきことはしたと言える。後は脇役の位置から──
 そう望んでもいいはずだ。ニーナは自分に言い聞かせた。
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