木苺ガールズロッククラブ

まゆり

文字の大きさ
上 下
20 / 25
20

Twentieth Dose by 繭

しおりを挟む
 繭の脚は震えていた。
 六年の間ずっと、純花に再会する日を待ち望んでた。ただ会って、やっとママに今までいえなかったことを言えたということを純花に話したかった。でも、純花のところに行く目的はそれではなかった。一億円の行方と、石塚の死の真相を突き止めなければならない。
 純花が住んでいるマンションの鉄製の階段をのぼりながら、ポケットに手を入れた。かわいそうなユキはもういないし、かわいそうなママにはもう会わない。かわいそうな繭は捨てた。強くなるんだ。
 純花の住所は、意外なところから見つかった。
 ここへ来る前に、高村といっしょにネットカフェに行って、高村の知り合いの援交少女すべてにメールを送った。  高村は携帯メールが苦手ならしく、メールアドレスの半分程度は携帯ではなく、パソコンのフリーメールのアドレスブックに保存していたからだ。
 高村は純花を知っていた。三年ほど前に栗田に頼まれて純花を探したことがあったようだ。あの事件のあと、栗田は数年間血眼になって純花とプティ・フランボワーズの名簿を探していたのだ。そのころから高村は援交少女を強請ったり美人局させたりするのは得意だったようだ。何人かの純花の友達にまではたどりついたけれど、誰もが純花とは音信普通になっていた。純花は海外の大学に進学したらしいという情報をつかんだだけで、どこにいるのかはまったくわからなかった。
 高村の知り合いの少女たちから返信されてきたメールを片っ端から開けてみても、純花の居所を突き止めることはできなかった。
 純花のことは、よく知っているようで何も知らない。繭の悩みごとや、ママとのことは何でも聞いてくれて、どうしたらいいか真剣に考えてくれるのに、純花は、、ネットで可愛いハムスターの動画を見つけたとか、新しい服を買ったとかあたりさわりのないことしか言わない。服を買った店などがわかれば、どこに住んでいるのか見当をつけることもできるのに。些細なことでも何か手がかりがないかと、必死で考える。
 そうだ、ネットオークション。最近オークションにはまっていると言っていた。ということはオークションを運営している大手ポータルサイトにIDを登録してあるはずだ。
 繭は、大手ポータルサイトのID検索に、純花のメールアドレスの一部のpureflower0717を入力してみた。pureflower0717というIDはちゃんと存在していて、上手い具合にヒットした。ネットオークションで、買った商品や、取引の評価ページに飛ぶ。つい数日前に有名ブランドのコピー商品のバッグを何個か購入している。IDを登録するときには、たしか住所を記入しなければならないはずだった。ためしに繭が使っているママのIDでログインして、登録情報の画面を開くと、繭の住所が表示された。ということは、パスワードさえ破れば、住所にたどり着けるということだ。sumika0717と入れてみたけど、さすがにダメだった。パスワードに使うものといえば、彼氏の名前とか。IDの形式に従って、naokiに生年月日四桁。ナオキの生年月日なんてわからない。でも一年には三百六十五日しかない。0101から始めて0201でログインに成功した。川上ちひろという本名と、高円寺の住所が表示された。
 繭がパスワード破りをしている間に、栗田が高村の携帯に電話をかけてきた。豊洲の倉庫に深夜十二時に名簿と一億円を持ってくればさつきは解放するということだった。それから、役に立たない弁護士の首は切ったとも。
 ネットカフェを出て、高村の車で高円寺に行った。純花にはひとりで会いたかったので、高村は車の中で待たせておいた。震える脚で階段を上がりきると、繭は玄関のブザーを押した。ドアのロックが解除され、ドアが静かに開いた。 
「繭ちゃん? どうしてここがわかったの?」
 六年ぶりに会った純花は、ちっとも変わっていなかった。髪の色や服装は落ち着いた雰囲気になっていたけれど、不思議に人を惹きつける好奇心にあふれた瞳は、あのころと同じだ。
「どうしても会って話がしたくて……」
 純花がドアのチェーンを外す。
「繭ちゃん、大きくなったわね。すごく大人っぽくなった。しばらくメールに返信できなくてごめんなさい。ちょっと大きな仕事が入ってて、それが片付くまで静かに集中していたかったの」
 大きな仕事。おそらく石塚のことなのだろう。
「あのね、石塚が死んだ。りり子といっしょにいるときに」
 核心から話をはじめることにした。
「死んだ?」
「殺したわけじゃないの。お風呂場で死んじゃったのよ」
「急に石塚と連絡が取れなくなったから変だとは思ってたの。いい薬をもらったって大喜びしてたのよ。いい歳していい加減にしろとは思ったんだけど」
「薬って?」
「なんちゃってバイアグラみたいな、怪しい通販で売ってるようなやつ。100mgの錠剤だからすごい効くはずって子供みたいに喜んでた」
 ママが言ったとおりだった。
「やっぱりそうだったんだ。でも普通気がつかないかな、副作用があるって」
「心臓が悪いとけっこう危ないって知ってたけど黙ってた。自己責任でしょそういうのは」
 まったく悪びれる様子もなく、純花が言う。
「バイアグラとは違うからって、言いくるめられたんじゃないかな。それで調子に乗ってりり子ちゃんに引っかかったわけね。まあ、そんなもので確実に死ぬわけじゃないから、死ななかったら殺し屋を送るつもりだったんでしょ、吉村のときみたいに。それで?」
 吉村が事故ではなく殺されたことも、知っているようだった。
「石塚の死体は知り合いに頼んで冷凍倉庫に隠した。石塚の携帯に吉村からのメールが入ってたの。で、石塚に成りすまして一億せしめようってことになって」
「あはははは、繭ちゃんたち、なかなかやるわね」
「一億円は純花が持ってったの?」
「そうよ。計画を立てて、石塚と吉村をそそのかしたのもあたし。でも六年前のことがあるから絶対に表に出ないように注意してたの。一緒に手形を割り引いて、お金は明日香港に持っていく予定だったの。石塚の口座に入れるはずだったんだけど、連絡が途絶えた。」
 相変わらず悪運が強いというか、純花には危機を察知する嗅覚があるのだ。
「純花、私たちを助けて。サキの妹が誘拐されて、一億円と名簿を要求されたの」
 純花はこめかみに手をあてて、目を閉じた。純花が考え込むときの癖だ。
「ねえ、繭ちゃん、あたしがなぜ、エスエフティ・プロモーションを強請る計画を立てたかわかる?」
 純花が、繭の顔をじっと見つめながら言った。
「計画を立てたのは純花だったの?」
 ショックだった。今まで純花の計画に翻弄されていただけだったのだ。
「そうよ。石塚がモバイル・フェイスの第三者割当て増資に加担することを知って、そそのかしたのはあたし。吉村がオンラインカジノで栗田にカモられたったことを知って、石塚にあてがった。ちょっとメールアドレスを調べてパスワード破りをしただけなんだけど、類は友を呼ぶっていうか、あんなに仲良しになるとは思ってなかった。ナオキもあたしも馬鹿だったけど、ふたりとも後ろ暗いところがあって、栗田に利用されてたのよ。ただ何者かに密告されて、あの組織の連中はトカゲの尻尾を切るみたいにナオキを殺して事件を闇に葬った。あたしはいつか復讐してやろうと思って、名簿を持って逃げた。悪いけど、繭ちゃんたちが追いかけてたのは、あたしの一億円だったの。運が悪かったわね」
「お願い純花、サキの妹を助けると思って。純花しか頼る人がいないの」
「無理だわ。ずっと前から計画していたことなの」
 あまりに情けなくて、ため息がでそうになる。三人で何でもできると思っていたのに、結局純花の掌の上を走り回っていただけだったのだ。でも、どうにかして純花が石塚と吉村をそそのかして栗田からせしめた一億円を手に入れなければ、サキの妹を助けることはできない。
 必死で考えた。誰かに相談する? 高村は車の中にいる。呼びだして純花を脅す。そんな手荒な真似はしたくなかった。純花は今度こそ消されるだろう。
 脅す。
 いやな言葉だけど、人には、ちょっと触れただけで動かすことができる力点みたいなものがある。得意になっているところ、それが弱いところだ。純花は頭がいい。この計画が成功したということに、得意になっている。石塚が死んだということにも、悲しんだりショックを受けたりはせず、むしろ浮かれて得意になっている。石塚のことはまったく知らないので、悲しくはないけれど、死体を目の当たりにして、心に重い石を飲みこんでしまった。
 純花は、石塚の死について喋りすぎてはいないか?
 純花は、石塚がなぜ死んだのか、知っている。ニトロ系の薬と同時に服用すると危険だということを知っていて、止めなかった。そこだ。でもそれだけでは、純花を脅す材料としては弱すぎる。石塚の死体はまだ冷凍倉庫にあるのだろうか。そうだとしたら解剖すれば死因ははっきりする。りり子によると、錠剤の殻が石塚のポケットに入っていたらしい。そうだ、石塚の台詞をでっち上げる。純花からもらった薬だといってりり子の目の前で服用したということにすれば、純花を追い込むことができる。六年間ずっと好きだった純花を脅すのはひどく気が重かったけれど、残された方法はこれしかない。
「石塚の死体は、隠してあるだけで、埋めたり燃やしたりはしていないの。だから、警察に届けて司法解剖すれば、死因ははっきりする。純花は、危険な副作用のことを知っていて服用を止めなかったんでしょ。石塚はりり子の目の前で薬を服用しているの。すべてが明るみに出て、りり子が、薬のことを純花から石塚に渡されたものだって証言したらどうなるかしら。栗田は薬の入手経路をどんな手を使っても隠そうとするだろうし。脅しているつもりはないんだけど、純花しか頼る人がいないの。お願い」
「脅してるじゃないのよ、繭ちゃん。いつからそんなヤクザみたいな真似をするようになったの? あたしは毒薬マニアのくせになんにもできない可愛い繭ちゃんが好きなのに。名簿が記録されたCDがコピーされてたのはうっかりしてたけど。とにかく悩みがある人って大好きなの。それを抜け抜けと他人に相談するわかりやすい人も。だって、相談するだけで、わたしが何を言っても解決策を次々と否定していって、思考がネガティブにループしてて観察しているだけで面白いんだもの」
 ずっと純花に甘えていた。そんなふうに面白がられていたことには、気がつかなかった。なんにもできない繭ちゃん。純花の言うとおりだった。
「純花、私は本気よ」
「しようがないわね。あたしもつかまりたくはないし。ただ、現金はここにはないのよ。さすがに一億円、というか正確に言うと割り引いたときの手数料を引いた九千二百万の現金はかさばるから、バイトを雇って香港まで運ばせることにしたの。最近日本のネットオークションって向こうでもすごく人気があって、レアなアイテムは香港から入札が入るんだよね。で、関税対策ってことにして、本物だったらすごくレアなコピー商品といっしょに一千万円ずつ分割して宅配便で送っちゃった」
 純花はどこからか、九枚の宅配便の伝票を出してきて繭に渡した。
「ここから先は繭ちゃんひとりでなんとかしてね。一応バイトはキャンセルって電話だけはかけておくから」
「ありがとう純花」
「繭ちゃんが思ったより強くなっててちょっと嬉しかった」
「ママと話をしたの。ママが私にしていることも、私がママにしていることもすべて。もう帰るところがない」
「そう、うちに置いてあげてもいいわ」
「大丈夫。ひとりで何とかする」
「そう言うと思った」
 繭は純花に別れを告げた。マンションの前で時計を見ると、時刻は九時十二分だった。街灯の下でうずくまるように停まっている黒のセダンのドアを開ける。
「これから一億円、というか、九千二百万を回収しに行かなくちゃ」
「金は見つかったのか?」
「うん、宅配便であちこちに散らばってるけど」
 純花がバイトを雇って国外に運び出すために一億円を分散させて、宅配便で送ったことを高村に説明した。純花から渡された伝票の住所をチェックした。純花が指定した香港行きの便は羽田発のようで、九個の荷物のうち、五個は羽田空港が宛先になっている。残りの五個は都内のあちらこちらに散らばっている。高円寺から一番近いのは、西荻窪のようだ。
 純花を探すことに夢中になっていて、サキにまったく連絡を取っていなかったことを思い出したので、電話をかけてみた。携帯の電源が切られているようで、電話が繋がらない。充電し忘れていたのだろうか。上野のウィークリーマンションの電話番号を探して、かけてみた。誰も出ない。サキはどこに行ってしまったのだろう。山根の居所を突き止めにいったのか? りり子はサキの居場所を知っているだろうか? りり子は携帯を取り上げられているかもしれないと思いながらも電話をかけてみたら、りり子はすぐに応答した。
「りり子、どうしてる?」
「家にいる」
 そんなことはわかっている。
「ところで、サキがどこに行ったか知らない?」
「さあ、知らない。何の連絡もないし」
 りり子にも連絡はいっていないようだ。
「何かわかったら連絡して」
「そうする」
 りり子は素っ気なくそう言うと、電話を切った。それから、サキが心配なあまりりり子がどうしているのか突っ込んで聞かなかったことを強烈に後悔した。かといって、いったい何を話せばよかったのか、わからなかった。車の窓から空を見る。空の端は都市が発する人工的な光に照らされて、いつも濁ったように明るい。月も星も見えなかった。
「ねえ、りり子怒ってた?」
「今電話したんじゃないのか、繭ちゃん」
 高村が意外そうに言い、車を減速させた。信号が黄色に変わったのだ。
「そうなんだけど、りり子が何を考えているのか、どうしているのか、何も聞けなかった」
「お前らあんなに仲良しなのに、何で聞けないんだよ?」
「だって、りり子は私たちのことが嫌になって家に帰ったのよ。私はあまりにもママに頼りすぎだし、サキは妹のことしか考えてなかったし」
 フロントガラスに水滴が落ち、ワイパーにかき消される。雨が降り出したのだ。
「りり子ちゃんは、お父さまに頼みごとをするために帰ったんじゃないのか? で、交渉は上手く行かなかった」
「まあそれもあるんだろうけど」
 アスファルトは瞬く間に濡れて、信号の赤い光を増幅する。
「淋しがってたぞ」
「嘘でしょ」
 りり子は、いつも淋しいのに、絶対に淋しがったりはしない。完全に相手を振り回せる位置にいないと、感情というものを見せないのだ。拒絶されるのが怖いのだろう。
「嘘だ。八つ当たりされた」
 八つ当たりのひとつでもしてくれればよかったのに、と思う。あたりが緑色の光に包まれ、車が動き出す。もう一度サキに電話をかけてみたけれど、電源が切られているというメッセージしか流れてこなかった。
「本当に世話の焼ける娘たちだな。金を回収し終わったら、りり子ちゃんを誘拐しに行こう」
「誘拐してどうすんのよ。行くところがない」
「馬鹿だなあ、行き先が決まっている家出は家出とは言わないだろう。そんなことはあとから考えるもんだ。繭ちゃん、この辺で右折か?」
 慌てて周辺の地図を携帯の画面に出した。
しおりを挟む

処理中です...