木苺ガールズロッククラブ

まゆり

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Twenty-first Affair by りり子

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 お父さまが家に帰ってきたのは十時ごろだった。帰ってくるなり、りり子の部屋に来てりり子の頬を張った。
「何ということをしてくれたんだ、百合子。私も勝田先生も大きなクライアントをなくした」
 何も言い返せなかった。交渉は失敗したのだ。
「でも、約束は約束だ」
 黙ってひりひりと痛む頬に手を当てて、頷いた。
「百合子は何も考えなくていい」
 お父さまは、冷たく言い放つとりり子の部屋を出て行った。それからりり子の部屋のドアの前で、釘を打つ音がした。音が止んでからドアを開けようとすると、ドアは外からロックされていた。まさか、そんなことまでされるとは思わなかった。本気でりり子を家に閉じ込めようとしているのだ。
 サキの行方がわからなくなっているのが心配だった。でも、心配したところで何もできないので、繭には何も言えなかった。その上、お父さまが勝田に頼んだ交渉も裏目に出た。
 携帯が鳴った。高村からだった。
「りり子ちゃん、元気か?」
「元気に監禁されてるわ。これから墨を擦って来年度の目標を毛筆で書くところ『他人の親切に甘えない』って」 
「こっちは大変だ。家出娘回収キャンペーン中で忙しい」
「それはご苦労さま」
「ひとりは無事保護したが、あとのひとりは豊洲で捕まったらしいし、もうひとりは自宅軟禁中だ」
「繭もいっしょなの? サキはどうしてるの? 連絡が取れないのはどうしてなの?」
「質問はひとつずつにしてくれないか? 脳味噌の処理能力を超えちまう」
「繭ちゃんは、ママとケンカして家を出ることにしたらしい。俺が家出の仕方を一から教えてやったところだ。次の質問はなんだ?」
「サキは?」
「ああ、栗田から連絡があった。妹を逃がして捕まったようだ。携帯の電源は切られているんだろう」
 サキならやると思った。迷惑ばかりかけて、結局何の力にもなれなかった。
「で、純花は見つかったの?」
「見つかった」
「一億円は?」
「八十パーセントほど回収した」
「よかった。で、何の用なの?」
 サキのことだけが心配だ。
「だから、家出娘回収キャンペーン中なんだって。今ならもれなく……」
「ハムスターオタクの毒殺娘つき」
 繭の声だった。
「ねえ、りり子、ママにはやっと言いたかったことが言えたの。三人でいるのは楽しかったけど、一番大切なことが見えなくなってたってことがひとりになってよくわかった」
「一番大切なことって?」
「結局人は助け合えないってこと。当たり前のことだけど」
 家の外で、車が通る音がした。携帯からもまったく同じ音が聞こえてシンクロする。
「繭、今どこにいるの?」
「りり子の家の前」
 窓の外を見た。白々とした街灯の光の下に、黒のセダンが停まっている。運転席の窓が開き、いつもと同じ黒のハーフコートを着た高村が座っていた。繭は助手席に座っているのだろう。姿は見えなかった。
「あたしは、もうこの部屋からは出られない。外からロックされてるの」
「窓があるじゃない」
 窓があると言われても、りり子の部屋にベランダはなく、窓は腰から上の位置についた小さなものしかないし、外には伝って降りられる排水パイプのようなものもない。家の周りにショックを和らげるような植え込みもなく、二階から飛び降りたら間違いなく怪我をする。
 とりあえず窓を開けてみた。地上までは約三メートルといったところだろうか。ベッドの下に、母が買い物に出かけたときにりり子の手足を縛ったロープが落ちていた。それぞれ約一メートルずつ。繋げて窓のクレセント錠のところに引っかけて、ロープを伝って降りればなんとかなるかもしれない。
「ロープを伝えば脱出できそう。でも長さが足りない。家の裏のあたりにフェンスが破れたところがあるから、そこから入って窓の下に来て」
 繭と高村が車を降り、りり子の家のフェンスに近づいてくる。りり子は手早く身支度をして、ロープを繋いだ。クレセント錠に結び付けて、ロープを窓の外に垂らす。高村が現れるのを待って窓枠に上り、ロープをしっかりつかんで窓枠から降りた。少しずつ下降し、高村に負ぶさる。物音でばれると思ってどきどきしたけれど、母はテレビを見ているのか、気づかれた様子はなかった。狭い裏庭を歩いているときに靴を履いていないのに気づいたけれど、玄関に取りに戻るわけにはいかない。フェンスの隙間のところに繭が立っていた。離れていたのはたったの半日なのに、ひどく懐かしい気がした。通りに出て、家の正面に来たときに玄関が開いた。
 出てきたのは母だった。走って逃げた。濡れたアスファルトは冷たく、細かい凹凸が足の裏に痛い。母は追ってこなかった。うつろな表情でただ、立っていた。
「誘拐成功」
「やったあ!」
「ファック・オフ!」
 高村が車を発進させる。後部座席で繭に抱きつかれながら、りり子は、遠ざかる家に向かって中指を立てた。
「サキはどこにいるの?」
 車が加速する。
「豊洲のどこか」
 信号に引っかかり、高村が車を停止させる。
「ねえ、これかけようよ」
 りり子はバッグの中からPPPのCDを取り出した。
「それは、やめてくれ。気が散って運転できなくなる」
 高村は本気でうろたえている。
「復活する予定だったバンドってもしかして……」
「そうだよ、繭ちゃん」
「嘘でしょ。信じられない。ここにファンクラブ会長がいるよ」
「別にファンじゃないってば。でもなんでまた歌わないの? ろくでもない家出少女を回収してる場合じゃないでしょ」
 ファンクラブ会長、と繭に言われてなんだか照れた。
「趣味なんだからしようがない。昔から家出娘にはどういうわけかもてるんだ」
 フロントガラスに差し込む光の色が変わる。
「繭ちゃん、次の行き先は?」
 高村が繭にきいた。
「次は松涛」
「次の行き先って?」
「純花が現金を送ったところ。バイトを雇って分割して香港に運ぶつもりだったらしいの」
「どうやって返してもらったの?」
「脅したの。あの薬は純花からもらったものだって、りり子が言えば、純花には殺人の嫌疑がかかるでしょ。純花も副作用が危ないって知ってて何も言わなかったんだから」
 繭は純花のことが好きだったんじゃないのか?
「あんなに会いたがっていたのに、脅したって……」
「もういいんだ。純花はひとりじゃ何にもできないぐずぐず迷っているだけの人が好きなの。そういう人たちの相談に乗ってあげて、心の中で笑いものにすることが」
 何と言っていいかわからなかった。純花のことはなぜだかあまり好きになれなかった。上手く立ち回りすぎな気がしていたからだ。
「ねえ、木山パレスに寄って行っていい? あそこに靴が置いてあるから」
「最後の一千万円を回収して、それから名簿を取りに上野にも行かなくっちゃならないから、ちょっと時間がないかも」
「すぐ近くなんだから、繭ちゃんをそこで下ろして、木山パレスに行ってから拾ってやるよ。あそこにPPPの二枚目のアルバムになるはずだったテープが置いてある。スタジオで録音したマスターテープからコピーしたやつだ。メジャーレーベルから出るはずだったけど、栗田を殴ってダメになった」
「ちょっと、そんなのどこにあったのよ」
「CDラックの奥にカセットテープが積んである」
 カセットテープがあるのは知っていた。レーベルには何も書いてなかったので、空テープだと思っていたし、扱いがいまいちわからなかったのだ。
 繭が目指すアパートは木山パレスから二キロも離れていないところだった。繭をそこで下ろして高村とふたりで木山パレスへ向かった。
 りり子の鍵でドアを開けると、中は二日前に出て行ったときのままで、玄関先にも苛性ソーダや、パイプ用洗剤が散乱していた。黒のストラップシューズが置いてあったので、それを履いていくことにする。
 高村はブーツをはいたまま居間に上がり、CDラックをコタツの上に移動させ、テープを探し始めた。ここには戻ってくるような気がしなかったので、りり子は気に入っていた何枚かのCDをバッグの中に入れた。
「ねえ、本当にもう歌わないの?」
 高村はまだカセットテープの山をコタツの上に積み上げながら目当てのものを物色している。
「わからないな。時代も音楽も社会も、全部変わっちまってるしな。それに、復活たって、なつかしのバンドって一瞬だけ注目されても先がないだろう」
「いきなりそういうの狙わないで、小さいところででも、自主制作でもいいから」
「いろいろと金がかかるんだ、そういうのって。地方巡業するようになるとろくなバイトもできないし」
 やっと目当てのテープが見つかったらしく、高村が積み上げたテープを戻し始める。
「ねえ、栗田に復帰をもちかけられたって言うけど、それまで二十年近くいったい何してたの?」
「ろくでもねーことだよ。バイトしたり、援交女仕切ったり、家出娘を騙して風俗に売ったり、下っ端のヤクザに頼まれて、中身がなんだかわからねえ荷物運んだり、そういうこと」
「そういうろくでもないことばっかりしながら、誰かがおいしい話を持ってくるのを待ってたってわけ?」
「くそ、お前みたいなガキに何がわかるんだ」
 高村に肩をつかまれた。怒らせてしまったようだ。
「もう勝手にしろ。倉庫の場所は教えてやるから、タクシーでも拾って勝手に行け」
「わかった。手を放して」 
 解放された。
「繭ちゃんがいるところまでは送ってやるよ」
 怒っているのかと思ったら、高村は今までに見たことないような暗い顔をしている。
「あたしが体売って貢いでやるよ。どうせ行くところもないし」
「馬鹿、りり子ちゃんまで栗田みたいなことを言うな。そういうのはもう飽きた」
 相手にされてない。りり子を家から強奪しておいて、高村自身のことにはりり子を立ち入らせようとしないのだ。悔しさで胸が苦しくなって、無理矢理こっちを向かせたくなって、高村に抱きついた。卑劣な手だと思った。でもそのくらいしか考えられなかった。今までそんなふうにしか生きてこなかった。強く抱きしめ返された。髪を撫でられる。
「気持ちだけはありがたく受け取っておく」
 抱かれていると、言葉は高村の胸のあたりから、りり子の体に直接響く。
「ねえ、本当に……」
 唇が塞がれる。ひどい飢えを感じて、舌を絡ませる。何が欲しいのかはわかっていても、どういうふうに欲しいのかわからなくて、ますます飢えた。高村とは何度も寝ているので、いまさらそんなものが欲しいわけではなかった。そんなことを考えながらも、執拗に動く舌に、感じさせられて混乱した。どういうふうに欲しいのか、なんて、後から考えればいいことだとあきらめて飢えと欲望に身を任せようとしたときに、高村が唇を放し、腕を緩めた。
「さて、そろそろ行くか」
 繭を迎えに行って、それから名簿を取りに上野に戻らなければならない。
「うん。あのね……」
 何を言おうとしているのか、わからなかったけど、思っていることもほんの一部でもいいから、伝えたいと思った。
「だから、貢ぐとかそういうのは、いいって」
「違うの。ちゃんと歌って。それから、上手く言えないけど、あたしのことを見てて。頼ったりしないしひとりでちゃんと解決するから」
 本当はそばにいて欲しいと思った。でも言うのはやめた。
「見ててやるよ。断崖絶壁から落ちないように」
 高村は、りり子を軽く抱きしめると、すぐに体を離して、玄関のドアを開けた。物陰から誰かが飛び出してきて、体を押さえつけられた。正面に色黒なホスト崩れみたいな男。もうひとりはりり子の後ろに回りこんでいるので、顔が見えない。頬に冷たいものが当てられる。恐る恐る目だけを動かして、ナイフを持った男の顔を盗み見た。いまどきありえない化石みたいなパンチパーマと、ひしゃげた鼻が目に入る。
「ちくしょう、りり子を離せ」
「高村、お前よお、女の居所は知らねえとか、ばっくれといて、こんなところに連れ込んでんじゃねえかよ。俺たちも仲間に入れてくれよ」
 ナイフを首筋に押し付けられる。
「とにかく、中でゆっくり話でもしようじゃないか」
 りり子と高村は、男たちに促されて、部屋の中に戻った。
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