愛の献身

白崎ぼたん

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蛍の光~死んでしまった僕たちへ~

〈2〉...「ほんまは、ほんとに、嬉しかった」

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 ケイが父親を殺したのは十五の夏だった。
 暑い夏の日で、湯の中にいるみたいな温い夜だった。

「ほうちゃん」

 包丁を握りしめたまま、ケイは呆然と立ち尽くしていた。足元には、ケイの父親と妹が倒れていた。床には血が飛び散っていて、すでに生臭かった。ケイの手も包丁も、真っ赤だった。
 ケイは俺を見ると、包丁を取り落とした。がっくりと膝をついて震えだす。真夏なのにその体は、ぞっとするほど冷たかった。

「おれ……」
「大丈夫や。お前はなんも悪ない」

 俺は、いいしれない寒気と吐き気をこらえながら、必死にケイを励ました。
 実際に正当な報復だった。ケイの父はケイの妹を殺したのだから。ずっと妹を守ってきたケイは激高して、我を忘れた。ケイは妹の敵を討っただけなのだ。
 そう思うのに、心の何処かの芯が、ズレていて、俺は自分の励ましを空虚に感じていた。今までの熱量を失ってしまっていた。
 戻れない道へ、ケイは走ってしまったのだ。そのことを、ケイに悟らせてはいけない。彼岸にいるケイに、此岸の俺が指摘することは、余りに残酷だったから。

 ケイは捕まった。
 長年の虐待による情状酌量は認められたが、殺人の罪は重かった。今まで何もしなかったくせに、どうしようもないことが起こってから動く世間に、俺は寒気がした。
 どうしてもっと早く来てくれなかった。早くに来てくれていたなら、こんなことにはならなかったのに。
 俺はケイに手紙を書いた。「待っている」と何度も告げた。ケイからの返事は無かったが、ケイはきっと俺を頼みにするだろう。そう信じて、手紙を書き続けた。
 だって、妹さえ失ったケイは、罪まで背負って、これから何に希望を持って生きていけばいい。
 俺は、ケイの希望になりたかった。 ケイが道を“踏み外した”ことはこのとき既に恐ろしかった。けれども、その気持ちに、はっきりと嘘はなかった。



 そのケイが出てきた。刑務所から刑期を終えて。

「ほうちゃん、会いたかった」

 蝉の音が消えた。




 ケイは出てきたその足で、俺のところにやってきたらしい。行くあてがないと言うので、俺のアパートに呼ぶしかなかった。

「おじゃまします」

 部屋の中は熱気を吸って蒸さっていた。俺はすぐにエアコンを操作する。ケイは、どこか落ち着かなげにきょろきょろと部屋を見渡していた。

「なんや」
「ううん。よんでくれてありがとう」

 当たり前やろ、と軽口に言おうとして飲み込んだ。どうにも嘘くさかった。
 客用のコップに麦茶を入れて出す。俺はリュックに入ったままのペットボトルを煽った。温くなったコーヒーは喉に張り付いて、ゾッとするほど不味かった。俺は、何気ない風を装って尋ねた。

「どないしてん」
「何が?」
「俺のとこ来たやんか。何かあったんか」
「何もないけど」

 ケイがきょとんと目を丸くする。俺は背に汗が滲んだ。どうにか笑って、軽い調子でやり過ごす。

「それならええんや」
「ありがとう。……あんな」
「うん」
「おれ、ほうちゃんに会いたかってん」

 ケイが、俯いて歯切れ悪く告げる。恥ずかしいときの、ケイの癖だ。色々あっただろうに、ちっとも変わっていない。

「ずっとお手紙、くれたやろ」
「ああ……」
「返事でけんで、ずっと後悔しとってん」
「そんなことか。ええわさ」
「ほんまは、ほんとに、嬉しかった」

 俺は、その話を終わらせたかった。もう二、三年書いていない。昔の善行に感謝されるのはきまりが悪かった。俺は「そうか」と、ペットボトルを捨てに立ち上がった。

「まあ最近は書けてへんで、悪かったな」
「いそがしいねんろ。当たり前や」

 ケイは、一緒に立ち上がってついてきた。気まずくて、吐きそうだった。
ケイが、そっと俺の腕に触れる。俺は、石になるよう、意識を全集中させた。ばれてはいけない。

「ありがとう。ちゃんと帰ってきた」

 ケイは、もたれかかるように、俺に抱きついた。生理的にわきあがった感情に、肌は殺せても頬は隠せない。強張った頬が、エアコンの風に煽られて冷える。

「そうか。よかったわ」
「おれ、行きたいとこあんねん。明日、付き合うてくれへんかな?」

 笑うことは出来なかった。震える声を、留められたかさえ、わからなかった。けれども、俺はケイの言葉に頷いた。
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