愛の献身

白崎ぼたん

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花踏み舞い

〈3〉..二羽の鳥が、太陽を中心点に弧を描き飛ぶ。

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 転機が訪れたのは、サユグが十六、トウハが十八の年を迎えた頃であった。

「リウエと申します」

 辺境よりひとりの少年がやってきた。彼は龍の子であり、雷神帝となるサユグのための巫であった。ながいスユルの歴史においても、巫がおりたは三度目であった。これにて、サユグの地位は盤石のものとなった。
 リウエは、姿形は平凡な少年であるが、瞳がよかった。その瞳を見ているだけで心を凪がせる不思議な魅力がある。サユグの雷神の力も、彼のもとでなら安定するであろう。トウハは、深く安堵した。

「お前は、あれをどう思うか」

 サユグは、背を向けてトウハに尋ねた。寝具を抱きしめている姿は幼い頃となんら変わりなく、愛らしかった。トウハは「ようございます」と答えようとして、ふと思案し尋ね返した。

「殿下はお嫌いですか」
「お前はどうかと言っている」
「私は、よいと思います。殿下のお心が安らぐならば」

 サユグは答えなかった。トウハは、仕方のない子を見るように、お湯を取りに行った。この様子では湯浴みをせぬであろうが、主は不潔を嫌った。サユグに引き留められるかと思ったが、この日は引き留められなかった。
 そのときより、サユグはリウエと行動を共にするようになった。

「サユグ様、学問はおれ嫌いです」
「馬鹿な。お前は一生字も書けずに生きていく身分から、学びの機会を得たのだぞ」
「わかってはいますけど」

 サユグは日中ちゃんと起きるようになり、暇があればリウエに勉学を手ほどきしてやっていた。ずっと武を怖れ、室にこもりがちだった主にとって、慰めと言えば学問しかなかったのである。その見識の深さは学者泣かせであり、また人に教えたこともなかったので、リウエが泣き言を漏らすのは至極当然である。
 やはり、龍の子がいると精神が安定するようだ。サユグは夜に眠れるようになったし、そのぶん食欲は以前より増した。顔色は明るくなり、頬も紅くなってきた。
 トウハはそのことに深く安堵した。そのために、リウエには感謝の念を抱かずにいられなかった。言い合う二人をほほえましく思い、静かに茶を差し入れ、たまにリウエに助け船をだしてやった。

「いつからお前はリウエに仕えた! 出て行け!」

 サユグに追い出され、トウハは廊下を歩いていた。「出て行け」と言われて出て行ってしかられぬことも、珍しいことであった。そのことに一抹の寂しさを覚えなくもなかったが、これが大人になるということなのだろう。
 歴史では、皇帝が龍の子を后に迎えたと言う。もしや――もしかしなくとも、二人は、まことにつがいとなるかも知れぬ。

「そうなったら、私はどうすればよいか」

 知らず漏れたつぶやきに、トウハ自身が驚いた。どうするもない、ただ変わらず、お仕えするのみではないか。だのに何故、このように心許ないのであろう。当然と言えば当然だが……自分は宦官だ。主の興味が離れれば、お払い箱となる運命である。宦官は、スユルの世に宦官としてしか、生きては行けない。また違う主にお仕えするしかない。しかし、この考えはとても打算的である気がした。

「知らぬ間に、私は殿下に甘えていたのかもしれぬ」

 殿下の快復を誰より望んでいたはずが……自らの安寧のため、彼にはああでいてほしかったと思っていたのだろう。そうすれば、サユグは自分を決して離さないであろうから。サユグにもしものことがあったらば、後を追う覚悟であった。あのときも今も、決して変わらぬ思いだ。
 しかし。

「捨てられるは恐ろしいか」

 トウハは自嘲した。哀れだった。浅ましい打算でしか動けない自分が。深い傷を負った殿下に、ずっと心を添わせてきたはずだったのに。
 男に生まれたならば、大きな役目を自分も果たしてみたかった。その重責に苦しむサユグとリウエを知っていながら――それでも空に憧れずにはいられない。トウハはたまらず、回廊から飛び出し、庭へかけた。お仕えして初めての無法であった。空を見上げる。二羽の鳥が、太陽を中心点に弧を描き飛ぶ。トウハは手を伸ばした。私もそこへ行きたい。
 私にも男として、人生があったはずであった。天を衝くとはいえずとも、出世をし、官服を着て、下に置かれぬ生活をして――そして、子を成し、一族をもり立てる――。
 羽をもがれ、飛ぶことのできない命。花のように地に生えたならば、まだ納得できたであろうか。それとも花もまた、空に焦がれ天にのびるのであろうか。トウハは悲しかった。出世したかった。そうでなくとも、生きた証を残したかった。宦官は一代限り、養子さえ許されず、よしんば許されたとて、子供にみじめな思いをさせる。
 この世を変えることができたなら。それは、一つ方法がある。何度も何度も官吏たちにそしられた言葉だ――お前は女のようにしているだけで、なにも頭をひねらずとも世を動かせる狐だと。
 そうであればよかった。しかし、その誹りは、トウハの矜持をいっそう固く強固なものにした。そのような変え方はごめんだ。その変え方しか、自分にはないとわかっていても。
 ただの人として生きていきたい。そのために、自分はサユグの慈悲にすがらねばならない。そんなものは男ではない。だが、それはつまらない意地で、なにも変えたくないがための駄々に思えるほど、自分には道がない。

「アルグ殿下もこのようなお気持ちだったか」

 トウハは、自嘲した。そう言えば、アルグが謀反を起こし、サユグを拐かしたのも、同じく十八の頃であったか――。

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