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第八十五話 ひとりじゃない
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オージの言葉は静かだったが、悲しげな冷えた色をしていた。伏せられたまつ毛が、震える。
「ユーヤがあんまり、ヘタばかり打つから。ユーヤの地位を守るには、中条の地位を下げないと、まずいと思ったんだ」
「そんな……」
「俺が勝手にしたことだ。ユーヤは関係ない」
「なんでそこまで……」
マオが耐えきれないように、声をあげる。切実な声だった。オージは、今度は「関係ない」とは言わなかった。オージは悲し気に自嘲した。
「なんでだろうな。そうしなきゃいけないと思ってた。思い込んでたんだ。俺にはユーヤしかいなかったから」
「フジタカ……」
悲しい、疲れきった声だった。いつも温度感のない、オージの声が、さざ波のように、不安定に揺れていた。それは周りをひどく、悲しい気持ちにさせた。オージは、うつむく。
「間違ってた。何もかも」
「オージ」
「殴って悪かった。ユーヤ」
「オージ……!」
がばりと体を起こし、ユーヤはオージに飛びつく。しかし、オージは手で制して、それを止めた。ユーヤは「ふぇ……?」と目を瞬かせる。
「勘違いするな。お前を庇ったんじゃない」
「え……」
「もうこれきりにしたかった。捨てたいんだ。お前も阿部も、お前たちに関わった自分も、全部」
オージはうなだれた。表情は動かなかったが、何も感じていないのではなく、表情さえ浮かばない――そんな顔だった。
「情けない、本当に」
オージは顔を上げ、ユーヤを見た。
「俺は、お前のこと、大嫌いだった」
オージの声は、柔らかく、冷たさもなかった。だからこそ、身に染みるような、響きを持っていた。固まる周囲やユーヤをよそに、オージは続ける。
「家族に恵まれてて、甘ったれで、いつも憎らしかった。でも、お前だけが、俺とずっとつるんでくれた。だから、嫌いだなんて、思いたくなかった」
ユーヤの目から、ぽとぽとと涙が落ちる。表情も一切、抜け落ちていた。オージはいっそ穏やかに、言葉をつづける。
「俺も同じ穴の狢だ。俺は、俺のためにお前といただけだ」
「オー、ジ」
「お前を好きだって思いたかった」
オージは、ユーヤを突き放した。とん、と軽く押されたユーヤは、後ろにたたらを踏んだ。オージは、隼人に向き直り、近づいてきた。
「中条」
「藤貴くん」
「……本当に、すまなかった」
そう言って、まっすぐに頭を下げた。その姿は、あの日の保健室での、オージに重なって――隼人は、何故か涙がこぼれた。とてつもなく、胸がつまった。
「嫌いだなんて、嘘だよ」
隼人は目を伏せる。オージは、怪訝そうに顔を上げる。隼人は涙をぬぐうと、もう一度、オージに向き直った。オージは、迷子のような顔をしていた。隼人は笑う。
「藤貴くんは、一ノ瀬くんのこと、大切に思ってたよ」
「……俺は、」
「嫌いな人のために、あんな風に一生懸命になったりしない。俺はそう思うよ」
自分でも、何が言いたいのか、わからない。ただ、どうしようもなく、悲しいと思った――このまま、オージが自分の気持ちに答えをつけてしまうのは。
自分の感じたことは、大切だと思う。それでも、自分の外からじゃないと、見えないものもある。そう、思うから。
龍堂が、そっと隼人の肩を抱いた。隼人は、鼻をすすると、「うん」とうなずいた。
「もういいよ。謝ってくれたから」
「中条……」
「うん。もういい」
隼人はニコッと笑う。オージは、顔をくしゃりとゆがめた。怯えた、少年らしい顔。
ケンがやってきて、オージの肩を叩く。マオとヒロイさんも続いた。それぞれ、腕をたたく。
「まあ、気長にやれよ」
「……支倉」
「構えすぎ。親友なんて、すぐにできるもんじゃないって」
「そーそー。好きだけで付き合えるもんじゃないしさ」
そう言って笑う。ケン、マオ、ヒロイさんは、オージのことを、友達として、「許した」のだと思った。友達に、「ひとりぼっち」のように言われるなんて、さみしい。オージもきっとそれがわかったのだ。「悪かった」と、小さくつぶやいた。三人は、鷹揚に、笑って応えた――。
隼人は、彼らの様子を見て――それから辺りを見渡した。
あたりから、どこからともなく、拍手が起きる。「がんばれよ」なんて、声まであがった。
それには、オージも戸惑った顔をし、ケンたちは「さむっ」と苦笑した。
「全部、そういうことなんだね」
なごやかなさざめきを、破る声。マリヤさんだった。あたりは、しんと静まり返る。ヒロイさんが「阿部」と声を上げた。マリヤさんは、ヒロイさんを睨む。
「私は嘘、ついてなかったでしょ。……皆、信じてくれなかったけど」
「それは、」
「オージ君が悪いのに、励まされて……結局、成績とか、友達なんでしょ」
マリヤさんは、悔し気に泣いた。あたりに気まずい空気が流れる。
「阿部さん」
隼人の口から、思わず言葉がこぼれた。マリヤさんは、きっと隼人を睨んだ。
「嘘つき。絶対、許さない。そんな生き方……罰があたるから」
そう言って、マリヤさんは、背を向けた。ひとり、教室に帰っていく。
その背を、教師や幾人かの生徒が、追いかけた。
「阿部さん」
「大丈夫、わかってるよ」
気づかわし気に声をかけた。マリヤさんは、彼女たちの輪に入って、泣いていた。
隼人の胸に、苦い悲しみが心にやってくる。それを静かにかみしめる。今、隣に、龍堂の気配を感じる。マリヤさんの言うとおり、心強かった。自分は、ひとりじゃない。
顔を上げる。そして、ユーヤを見た。
ユーヤは、呆然とひとり、泣いていた。その姿を見て――隼人は決心する。
隼人は、龍堂を見上げ、「龍堂くん、ごめん」と言った。そして、ひとり。
ユーヤのもとへ歩み出した――。
「ユーヤがあんまり、ヘタばかり打つから。ユーヤの地位を守るには、中条の地位を下げないと、まずいと思ったんだ」
「そんな……」
「俺が勝手にしたことだ。ユーヤは関係ない」
「なんでそこまで……」
マオが耐えきれないように、声をあげる。切実な声だった。オージは、今度は「関係ない」とは言わなかった。オージは悲し気に自嘲した。
「なんでだろうな。そうしなきゃいけないと思ってた。思い込んでたんだ。俺にはユーヤしかいなかったから」
「フジタカ……」
悲しい、疲れきった声だった。いつも温度感のない、オージの声が、さざ波のように、不安定に揺れていた。それは周りをひどく、悲しい気持ちにさせた。オージは、うつむく。
「間違ってた。何もかも」
「オージ」
「殴って悪かった。ユーヤ」
「オージ……!」
がばりと体を起こし、ユーヤはオージに飛びつく。しかし、オージは手で制して、それを止めた。ユーヤは「ふぇ……?」と目を瞬かせる。
「勘違いするな。お前を庇ったんじゃない」
「え……」
「もうこれきりにしたかった。捨てたいんだ。お前も阿部も、お前たちに関わった自分も、全部」
オージはうなだれた。表情は動かなかったが、何も感じていないのではなく、表情さえ浮かばない――そんな顔だった。
「情けない、本当に」
オージは顔を上げ、ユーヤを見た。
「俺は、お前のこと、大嫌いだった」
オージの声は、柔らかく、冷たさもなかった。だからこそ、身に染みるような、響きを持っていた。固まる周囲やユーヤをよそに、オージは続ける。
「家族に恵まれてて、甘ったれで、いつも憎らしかった。でも、お前だけが、俺とずっとつるんでくれた。だから、嫌いだなんて、思いたくなかった」
ユーヤの目から、ぽとぽとと涙が落ちる。表情も一切、抜け落ちていた。オージはいっそ穏やかに、言葉をつづける。
「俺も同じ穴の狢だ。俺は、俺のためにお前といただけだ」
「オー、ジ」
「お前を好きだって思いたかった」
オージは、ユーヤを突き放した。とん、と軽く押されたユーヤは、後ろにたたらを踏んだ。オージは、隼人に向き直り、近づいてきた。
「中条」
「藤貴くん」
「……本当に、すまなかった」
そう言って、まっすぐに頭を下げた。その姿は、あの日の保健室での、オージに重なって――隼人は、何故か涙がこぼれた。とてつもなく、胸がつまった。
「嫌いだなんて、嘘だよ」
隼人は目を伏せる。オージは、怪訝そうに顔を上げる。隼人は涙をぬぐうと、もう一度、オージに向き直った。オージは、迷子のような顔をしていた。隼人は笑う。
「藤貴くんは、一ノ瀬くんのこと、大切に思ってたよ」
「……俺は、」
「嫌いな人のために、あんな風に一生懸命になったりしない。俺はそう思うよ」
自分でも、何が言いたいのか、わからない。ただ、どうしようもなく、悲しいと思った――このまま、オージが自分の気持ちに答えをつけてしまうのは。
自分の感じたことは、大切だと思う。それでも、自分の外からじゃないと、見えないものもある。そう、思うから。
龍堂が、そっと隼人の肩を抱いた。隼人は、鼻をすすると、「うん」とうなずいた。
「もういいよ。謝ってくれたから」
「中条……」
「うん。もういい」
隼人はニコッと笑う。オージは、顔をくしゃりとゆがめた。怯えた、少年らしい顔。
ケンがやってきて、オージの肩を叩く。マオとヒロイさんも続いた。それぞれ、腕をたたく。
「まあ、気長にやれよ」
「……支倉」
「構えすぎ。親友なんて、すぐにできるもんじゃないって」
「そーそー。好きだけで付き合えるもんじゃないしさ」
そう言って笑う。ケン、マオ、ヒロイさんは、オージのことを、友達として、「許した」のだと思った。友達に、「ひとりぼっち」のように言われるなんて、さみしい。オージもきっとそれがわかったのだ。「悪かった」と、小さくつぶやいた。三人は、鷹揚に、笑って応えた――。
隼人は、彼らの様子を見て――それから辺りを見渡した。
あたりから、どこからともなく、拍手が起きる。「がんばれよ」なんて、声まであがった。
それには、オージも戸惑った顔をし、ケンたちは「さむっ」と苦笑した。
「全部、そういうことなんだね」
なごやかなさざめきを、破る声。マリヤさんだった。あたりは、しんと静まり返る。ヒロイさんが「阿部」と声を上げた。マリヤさんは、ヒロイさんを睨む。
「私は嘘、ついてなかったでしょ。……皆、信じてくれなかったけど」
「それは、」
「オージ君が悪いのに、励まされて……結局、成績とか、友達なんでしょ」
マリヤさんは、悔し気に泣いた。あたりに気まずい空気が流れる。
「阿部さん」
隼人の口から、思わず言葉がこぼれた。マリヤさんは、きっと隼人を睨んだ。
「嘘つき。絶対、許さない。そんな生き方……罰があたるから」
そう言って、マリヤさんは、背を向けた。ひとり、教室に帰っていく。
その背を、教師や幾人かの生徒が、追いかけた。
「阿部さん」
「大丈夫、わかってるよ」
気づかわし気に声をかけた。マリヤさんは、彼女たちの輪に入って、泣いていた。
隼人の胸に、苦い悲しみが心にやってくる。それを静かにかみしめる。今、隣に、龍堂の気配を感じる。マリヤさんの言うとおり、心強かった。自分は、ひとりじゃない。
顔を上げる。そして、ユーヤを見た。
ユーヤは、呆然とひとり、泣いていた。その姿を見て――隼人は決心する。
隼人は、龍堂を見上げ、「龍堂くん、ごめん」と言った。そして、ひとり。
ユーヤのもとへ歩み出した――。
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