催眠アプリで、ずっと好きだった高嶺の花の彼女を落としたいから、まずは何とも思っていない幼馴染の少女を練習台にします。

透衣絵ゐ

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アプリ(4)

 扉に左手を掛けて、教室に足を踏み入れた彼女が足を止めた。
 思わず漏れた僕の声が耳に入ったのか、首が動き、僕へと視線が動く。

「あ、……長内くん。……まだいたんだ」
「う……うん」

 彼女は柔らかな微笑みを浮かべた。誰にでもするみたいに。

 色付き出した秋の夕日が教室に乱反射して、彼女の栗色の髪を柔らかく染める。

 彼女はまた歩きだした。
 教室真ん中あたりの自分の席へ辿り着くと、しゃがんで机の引き出しを覗き込む。
 少し上げて短くしていたスカートから膝小僧が見えていた。
 その奥は見えないのだけれど。

「……ど……どうしたの?」

 自然体な彼女と違って、完全に金縛り状態な自分が情けない。
 教室でボッチを決め込んでいる間に、僕のコミュニケーション能力はどこかに消え去ってしまったらしい。

 絶対者Xとの昨夜の会話は例外である。

「……え? あ、うん――ちょっと忘れ物……かな?」

 僕が話しかけるのが珍しかったのか、一瞬戸惑った表情を浮かべてから、彼女は少し焦ったような苦笑い浮かべた。

「い……一緒に探そうか?」
「え? ……いいよいいよ。大したものじゃないし。――悪いし」
「――そっか」

 やんわりと拒絶されてしまった。
 実質的には完全な拒絶だ。言外の空気がそれを醸し出している。
 僕はそんなに嫌われているのだろうか?
 それとも探しているものが見られたくないものなのだろうか?

 なんだかんだ言って、前者なら凹むな。自業自得だとはいえ。

 僕は彼女と結ばれることを願っている。
 それは必ず達成される目標だ。そう心に誓った。

 絶対者XにX-BOOKを与えられたのはきっかけだ。
 その力はまだわからない。友美で今夜試す。

 ただその結果がどうであれ、僕は彼女を手に入れたいと思っている。
 高嶺の花の彼女を求めることが僕にとって分不相応だと分かっていても。

 だから少しずつでも、これまで途絶していたコミュニケーションを――関係性を取り戻していかないといけない。
 そんな思いで、声を掛けたのだ。思い切って。
 でもそれは拒否されてしまった。凹まなかったといえば嘘になるだろう。

「――おかしいナァ……」

 小さな声でつぶやきながら彼女はガサゴソと引き出しを漁る。
 手伝いは拒絶されたものの、気になって遠目に覗き込む。
 彼女と目があった。 
 生足の膝小僧をくっつけながらしゃがむ彼女の目が言っていた。
 あまり見ないで欲しい、と。
 流石に僕は視線を逸した。

 教室を突然去るのも露骨すぎるかと思い、手元でスマホを弄る。
 昨夜から何度となく立ち上げたX-BOOKのアプリを起動する。

 画面上には3つのフレー厶。
 ここに催眠を掛けたい相手の写真を読み込むのだ。
 カメラアプリを起動すると、それを一瞬、綾瀬みはるへと向けた。
 画面の中に少女が映る。

 もし今、このシャッターを切れば、彼女は僕のものになるのだろうか?
 でも盗撮めいたことをして彼女に嫌われるだけの結末になったりしないだろうか?

 そもそもまだ催眠アプリ――X-BOOKの性能は分かっていないのだ。
 それが本当なのか、嘘なのかさえも。
 僕はスマホを下ろした。――今日はやめておこう。

 その時、小さい声が発された。

「――あった」

 彼女は引き出しの中から何かを掴んで取り出した。
 そして僕に気づかれないようにか、スルリとそれを自分の鞄へと滑り込ませた。

 でもその小さな喜びの声に気づき視線を動かした僕の目には、机の中から、鞄の中へと移動するその細長い箱の姿がたしかに見えた。
 それが何か気づいて、僕は思わず視線を戻す。
 何事も無かったように、スマホを触る。
 視界の端で、立ち上がって綾瀬さんが、僕に視線を遣り「見られていない」ことを確認している様子が感じて取れた。

「じゃあ、長内くん、また明日ね」
「――あ、うん。また」

 意識して明るく振る舞うような声に、僕は左手を上げて返す。
 そして彼女は、入ってきたのと同じ教室前方の扉から出ていった。

 秋の教室は、また僕ひとりの空間になった。
 特に何か話したわけでもないのに、喉の渇きを覚える。

 脳内は僕と彼女の未来を美しくイメージしていたはずなのに。
 気づけばそれは別のイメージに上書きされていた。
 幾人もの間男に囲まれて肌を露出し、辱めを受ける綾瀬みはるの姿に。

 さっき彼女が机から取り出したのは、多分――コンドームのケースだ。
 綾瀬みはるはもう処女ではないのかもしれない。

 *

 6時を過ぎて家に帰る。
 両親は不在。いつものことだ。

 帰りに近所のコンビニに立ち寄って夕食を買ってきた。
 レジカウンターに入っていたのは昨夜と同じ女性だった。
 胸元の名札を確認する。
 「さくらもり」と、あった。
 交通系ICカードで支払いを済ませる。
 特別な言葉は交わさなかったけれど、数秒だけ瞳を見つめると、どうしたのかと、彼女は首を傾げた。
 何か言おうかと思ったけれど、気の利いた言葉が出てこずに、僕はコンビニを後にした。

 どういう漢字なんだろうな。
 普通に「桜森」かな? 「桜杜」とかもありえるかな? ――下の名前はなんていうんだろう? ――名前がわかればフルネームがわかる。

 家で食事を済ませる。
 それから8時になるのを待って、僕は七宮家のインターフォンを押した。
 七宮友美の家は本当に僕の家の隣に立っている。
 典型的な幼馴染設定の漫画みたいな状況だ。現実は小説より奇なり。

「――はい~。あ、康介くん? ちょっと待ってね。今出るから」

 僕の返事も待たずにインターフォンが切られる。
 家の中からドタバタとした音が聞こえてきて、玄関が外開きに開いた。

「いらっしゃい。なんだか久しぶりね。さ、さ、さ、上がって上がって」
「――あ、お邪魔します」

 顔をだしたのは友美のお母さん――七宮花乃ななみやかのだ。
 高2の娘がいるとは思えないくらい若くて綺麗な女性だ。
 友美と一緒でスポーツをずっとやっているからか、体も引き締まっているし、溌剌としている。
 昔から若くて綺麗なお母さんの代表って感じだった。

 最近は自分自身が大人に近づいてきたこともあり、また性欲も一人前に持つようになり、余計に彼女の美しさを感じるようになった。
 とはいえ、幼馴染の母親だ。何かがあるわけでは決してないが。あり得ない。

「ともちゃんはもうご飯食べて自分の部屋にいるわよ~。直接上がってくれていいわよ」
「あっ、はい」

 玄関で靴を脱ぎ、階段に足を掛ける。

「そういえば康介くん、今夜は晩御飯どうしたの? ……まさか、またコンビニ弁当?」
「……はい。両親とも今日も遅いので」

 この人には嘘をつけないな、と思いながら返す。
 花乃さんは盛大に溜め息をついた。

「康介くん、コンビニ弁当ばっかり食べてちゃ駄目よ? 毎日晩御飯食べにいらっしゃいって言っても遠慮するでしょうけど、今日みたいに友美のところに夜遊びに来るとか言うときは遠慮なく晩御飯も食べていってね。おばさん、康介くんのこと心配してるんだから」
「――はい。ありがとうございます。……次は、きっと」
「うん。次は、きっとね」

 そう言うと花乃さんは、暖簾を払い、キッチンへと戻っていった。

 二階に上がり、いつもの部屋をノックする。

「友美~、いるか~」
「――どうぞ~」

 扉を開く。
 久しぶりの幼馴染の部屋。

 勉強机の椅子に座り、彼女がくるりとこちらを向く。
 まだ制服姿の彼女。
 片脚を椅子の座面に乗せて、膝を抱えるようにしたポーズで彼女はいた。
 白いブラウスに青いネクタイ。
 二つほどボタンは外されて、少し緩められた首元。
 部活で汗をかいた後だと、よく分かった。

 最近随分と大人びてきた僕の幼馴染――七宮友美が僕を待っていた。
 今から催眠アプリ――X-BOOKの練習台にされるとも知らずに。

「おっす」
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