衆議院選挙の直前に父が倒れて後援会の会長代行をやることになったら、いけすかない二世候補に振り回されまくっている件

透衣絵ゐ

文字の大きさ
15 / 15

第15話 離さないで ★

しおりを挟む
 蛍光灯がジジ、と小さく鳴っている。壁時計が八時を指していた。スタッフが使っていたデスクの上に、飲みかけの缶コーヒーが二本残っている。ホワイトボードには明日のスケジュールが赤と青のマーカーで埋め尽くされている。全部、さっき私が書いたやつだ。

 事務所の中は暖房が切れかけていて、少しひんやりしている。窓の外は真っ暗。のぼり旗が風に揺れる音だけが、ガラス越しに聞こえてくる。

 明日の選挙戦最終日に向けた打ち合わせ——のはずだった。資料を広げたまま、颯真が動かない。地図の上に置いた手が、かすかに震えている。

「……なんで、戻ってきた」

 さっきとは違う声だった。スタッフたちの前では、「勝手にしろ」と強がっていた。指先がほんの一瞬触れたことを除けば、いつもの颯真だった。

 でも今は——二人きりになった途端、声が震えている。蛍光灯の光の下で、この人の顔がよく見える。疲れが刻まれた目元。無精髭がうっすら浮いた顎。ネクタイは緩めたまま。ずっと張り詰めていたんだ。私がいない間も。

「言ったじゃないですか。自分で選んだって」

「……あの夜のこと」

 心臓が跳ねた。車の中でのことだ。颯真の目が、私の顔を見ていない。視線がデスクの上の地図に落ちたまま、動かない。

「あのあと——お前を傷つけたくないと思った。あんなことをしておいて、突き放して……最低だと思っただろう」

「思いました」

「……だろうな」

 颯真が——初めて、本当に弱い顔を見せた。目を伏せて、拳を握りしめている。あのツンの鎧が、一枚ずつ剥がれていくみたいだった。コンサル出身の切れ者の顔でも、二世候補の強がりの顔でもない。ただの——追い詰められた、三十歳の男の顔。

「怖かったんだ。お前に触れたら、もう手放せなくなると——」

 颯真の声がかすれた。言葉を絞り出すように、一語ずつ、喉から引きずり出している。

「選挙に集中しなきゃいけないのに、お前のことばかり考えてる自分が怖かった。触れたら、もう止められない。だから——遠ざけるしかないと思った」

 ……ああ。この人、ずっとそうやって生きてきたんだ。大事なものほど遠ざける。壊すのが怖いから。失うのが怖いから。だからツンの壁を立てて、誰も中に入れない。

 私は、颯真の握りしめた拳に、自分の手を重ねた。

 ごつごつした、大きな拳。力が入りすぎて、白くなっている。爪が掌に食い込んでいる。この手が、何百回も握手して腫れた手だ。私がオリーブクリームを差し入れた手だ。あの車の中で、私に触れてくれた手だ。

「もう手放さなくていいです」

 颯真の目が見開かれた。

 一瞬の間。蛍光灯のジジという音。壁時計の秒針が、カチ、と一つ刻む。

 ——そして、堰が切れたように抱きしめられた。

 強い腕。前の車の中とは違う。あのときは衝動だった。勢いだった。何も言えないまま、身体だけが先走った。

 今は——全身で「離したくない」と言っている。腕の力が、痛いくらい強い。シャツ越しに颯真の心臓の音が伝わってくる。速い。すごく速い。

「……逃げないって言ったでしょう」

 颯真の背中に手を回した。広い背中。震えている。ワイシャツの背中が、汗で少し湿っていた。この人もずっと緊張していたんだ。「勝手にしろ」なんて言いながら。

「逃げない。もう逃げない」

 キスされた。深い、深いキス。言葉にできなかった感情が、全部流れ込んでくる。唇が触れて、重なって、颯真の舌が私の唇をなぞって——頭がくらりと揺れた。

 あの車の中のときとは、違う。
 あのときは、お互い何も言えなくて、身体だけが先走った。
 でも今は——気持ちが、ちゃんとある。「好き」って言葉にはまだしていない。でも、唇が伝えている。腕が伝えている。震える指先が伝えている。

 事務所の奥、仮眠用のソファに導かれた。颯真が私の手を引いて、狭い通路を歩く。棚に並んだファイルや、脱ぎかけのジャケットがハンガーに揺れている。生活感のある事務所の匂い——コーヒーとコピー用紙とマーカーの匂い。その中を、手を繋いで歩いていく。

 颯真が私をソファに横たえた。古い革のソファで、座面がへたっている。毛布がかけてあった。仮眠用。何人ものスタッフが選挙期間中に仮眠を取った場所。

「ここでいいのか」

「……事務所って、ちょっとどうかと思いますけど」

「嫌なら——」

「嫌じゃないって言ってるんです」

 ツンのくせに、いちいち確認するところが、ほんとに——好き。

 服が脱がされていく。颯真の手が、前より明らかに丁寧だった。ブラウスのボタンを一つ外すたびに、指先がその下の肌に触れて——そのたびに、確認するように私の顔を見る。私の身体の反応を確かめるように、ゆっくり、愛おしむように触れてくる。

「……前は、急ぎすぎた。すまなかった」

「謝らないでください、余計に恥ずかしいから……っ」

 ブラウスが開かれる。スカートのファスナーが下ろされる。下着だけの身体を、颯真の目がまっすぐに見つめている。

 前の車内では暗くて、お互いの顔がほとんど見えなかった。ダッシュボードのオレンジの光だけが頼りだった。
 今は——蛍光灯の白い光の中で、全部見えている。恥ずかしい。事務所の蛍光灯って、色気のかけらもない。でも、目を逸らしたくない。

 颯真の指が、花芯に触れた。

「あ……っ」

 前よりずっと丁寧で、ずっと——甘い。指の腹で花びらをそっとなぞって、敏感な場所を探すように、ゆっくり、ゆっくり。この人、不器用なのに、こういうところだけ器用なのは何なの。

(……ほんと、ずるい……っ)

「……っ、颯真、さん……」

「颯真でいい、って言っただろう」

「……颯真……」

 名前を呼ぶと、颯真の耳が赤くなった。ツンデレは裸でも健在みたい。

 指がゆっくり秘所に入ってくる。確かめるように、奥を探るように。ぬかるんだ音が恥ずかしくて、顔を覆おうとしたら、手を掴まれた。

「顔、隠すな」

「だって……恥ずかしい……」

「見たいんだ。……お前の顔」

 ずるい。そんなこと言われたら隠せない。

 颯真のシャツのボタンを、私も外した。一つずつ。指が震えて、なかなかうまくいかない。颯真が黙って待っている。現れた胸板は広くて、引き締まっていて、あの冷たい態度からは想像できないくらい温かい。手のひらを当てると、肌の下で心臓がどくどくと脈打っているのがわかった。

(……この人も、緊張してる。こんなに鳴ってる)

 繋がる瞬間。颯真の首に腕を回した。

「……離さないで」

「離さない」

 今度は、ちゃんと目を見て。
 前は暗い車の中で、お互いの顔が見えなかった。今は——颯真の表情が全部見える。

 苦しそうで、でも優しい顔。眉間に皺を寄せて、でも目は私だけを見ている。
 ゆっくりと熱が沈んでいく。身体の奥を拓かれていく感覚に、背中が弓なりに反った。

 ああ。この人、こういう顔するんだ。
 こんな顔、BL漫画のどこにも載ってなかった。フィクションのどこにも。

 ゆっくり動き始める。胎奥を満たす熱が揺すられるたびに、身体の奥から声が漏れた。

「あ……っ、ん……っ」

「……痛くないか」

「痛くない……気持ち、いい……っ」

 深く繋がったまま——目から涙が溢れた。

「……泣くな」

「泣いてない……っ」

「泣いてるだろ」

「これは……嬉しいの……っ」

 颯真が一瞬動きを止めて——額を私の額にくっつけた。汗ばんだ額と額。吐息が混ざる。近い。世界でいちばん近い。

「……俺も」

 また動き出す。さっきより深く、強く。胎奥を突き上げられるたびに甘い痺れが脳まで駆け上って——全身が、溶かされていく。

「颯真……っ、颯真……!」

 ——視界が弾けた。身体の芯から震えが走って、指先まで痺れるような快楽に呑み込まれた。颯真が低く啼いて、奥に熱いものがぶちまけられる。

 ◇

 ソファの上。颯真のジャケットにくるまって、横たわっている。
 古い革のソファは二人で寝るには狭すぎて、身体がくっつかないと落ちそうになる。——だから密着してるんです。必要に迫られて。そういうことにしておいてください。

 颯真が私の髪を撫でていた。不器用に。毛先を指に絡めたり、梳いたり。太い指が髪に引っかかるたびに、「……すまん」と小さく謝る。不器用か。

 窓の外から、遠くの踏切の音が聞こえてくる。カンカンカンカン。終電近い時間だ。事務所の暖房はとっくに切れていて、颯真の体温だけが温かい。

「……明日、最終日だ」

「うん」

「……勝つぞ」

「勝ちましょう」

 颯真の胸に顔を押しつけた。心臓の音が聞こえる。規則正しい、力強い鼓動。さっきまであんなに速かったのに、もう落ち着いている。

 逃げなくてよかった。
 戻ってきてよかった。
 推しCPが教えてくれたんだ。「ここで引いたら終わり」だって。あかねが翻訳してくれたんだ。「自分の話でしょ」って。

 この温もりは——フィクションじゃ、絶対に手に入らなかったもの。ページの上では、こんなに温かくならないもの。

 でも——フィクションがなかったら、ここにたどり着けなかった。推しCPが教えてくれた「追いかけろ」がなかったら、私はまだジャージのままソファに座っていた。

 二次元と三次元。フィクションと現実。どっちか一つじゃない。両方あって、私なんだ。



***
【今日の選挙うんちく:選挙事務所のソファ】

選挙期間中の事務所には、たいてい仮眠用のソファやマットが置かれている。終盤になればなるほどスタッフの帰宅時間は遅くなり、泊まり込みも珍しくない。古い革のソファ、へたった座布団、毛布一枚。それが選挙事務所の「寝室」だ。——ただし、そこで候補者と後援会長代行が二人きりで朝を迎えたという話は、さすがに聞いたことがない。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

処理中です...