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本編
25 過去と夢の終わり 前編 ※
しおりを挟む前半に主人公達以外のR18表現が入ります。
――――――――――
酷く頭がぼんやりとする。
まるで酒に飲まれたときのようだ。
血と酒の匂いがする。
どちらも嫌いなのに、いつだって平気なふりをしなきゃいけない。
*****
「いらっしゃらないの?」
ブルネットの美女が、寝台の上から流し目を寄越す。
歳はいくつくらいだろう。私とそう違わないように見える。けれど彼女の焦げ茶の瞳は、ずっと大人びて感じる。
華美な装飾を施された家具とランプの灯りが作り出す陰影。
甘すぎる香水に鼻がむずむずする。重いと感じるけれど、この部屋の雰囲気にはぴったりなのかもしれない。
「そのうちお邪魔するよ。まずはじっくり美しい君を眺めさせてくれ」
椅子に深く腰掛けながら、琥珀の酒を彼女に向けて掲げた。
彼女と共に寝台に上がった男の顔は、影になって見えない。
扇情的な身体のラインを際立たせていた衣装を男に解かれながら、女はくすくすと笑う。
彼女に片側の頬をあげて笑みを作って見せてから、意識をアルコールに集中した。
酒なんて、本当は好きではないのに。
それを言うなら、この場所だって。
昨今の貴族の例に漏れず、私は王都の大学に籍を置いている。
友人達は皆生粋の貴族の子息。
彼らの毎日は賭け事と女と馬、そして酒の話ばかりだ。
その繰り返し。
どれも馴染めなくて、出来ることなら耳を塞ぎ全て断ってしまいたいとさえ考える。
付き合うのには苦痛を感じるほど。
けれど、これも伝手を培うための社交の一部。先の人生でずっと続く道程。途中で放り出しては、次期伯爵として歩むには支障が出るに決まっている。
父はもう長くはない。
数年のうちに、正式に伯爵位を継ぐことになるだろう。
お母さまの縋る跡取りは私しか居ないのだ。
お母さまが社交界で誇れるような、完璧な伯爵にならなければ。
仮初めの友人たちに連れられて出掛ければ、何回かに一度は断り切れず娼婦を買う羽目になる。
完璧になるため娼館に通うなんて。
矛盾と穢れに浸かり、中からじわじわと腐っていきそうだ。
寝台の上では、既にブルネットの彼女が大いに乱れていた。
相手をするのは伯爵家に代々仕える従者の青年。
私の手足。
娼館でもどこにでも、私は彼を連れ歩く。
珍しくはない。裕福な貴族が従者を連れているのは、当たり前のことだから。
それこそ、寝室の中にだって。
乳兄弟でもある彼は、私と秘密を共有する者。
琥珀の酒に沈んだ気分をいささか明け渡し、ふらりと立ち上がって寝台に近づく。足下がふわふわとする。
酒なんて好きじゃないけれど、酔いでもしないとやってられない。
酔うのは、いつだってこの儀式を乗り切るときの常套手段。
「ああっ……そう、素敵。んんっ……」
無言を貫く従者と違って、女は嬌声を抑えない。それも仕事のうちなのだろう。
身体同士を打ち付ける肉の音。
粘着質で淫猥な水音。
独特の匂い。
若い男の腰使いに、女も演技だけではなく気分が盛り上がってきたようだった。
二人が揺らす寝台に腰掛ける。
寝台の中をかろうじて照らしていたランプの光。それが私の影で遮られ、寝台はいっそう暗く淫靡な世界へと近づく。
酒に浸した右の人差し指で女の唇をなぞり、彼女が開いた口の中に滑り込ませる。指に絡みつく舌は、熱くて不思議な感触がする。
「ああ。君はなんて奔放で美しいのだろう。ねえ……気持ちいい?」
前半は彼女に。後半は従者に。
芝居がかった台詞は、私であるために必要なもの。いつの間にかそれが日常になってしまった。
身体から汗を滴らせ、険しい表情でこちらを見る従者と目を合わせる。
彼は情事の最中、喋ってくれない。
元からお喋りな性質ではないけれど、何も言ってくれないのは仕事だと割り切っているからだろうか。
それにしてはギラギラと欲望を抑えない目を向けてくる。
首を傾げて従者に微笑む。
彼の顔が苦痛だか快楽にだか歪んだ。
「あっだめえ! そんな奥ぅ……んうっ」
女は私と従者の間に流れた奇妙な空気を知ってか知らずか、指を吐き出し訴える。
「私のことを拒むなんて、いけない人だね」
屈んで、女に吐息がかかるほどに顔を近づける。
焦げ茶の瞳を覗き込むと、その中で凍った目をした私が笑っていた。
もう一度、彼女の口内に指を含ませる。
今度は左の人差し指と中指。
そうしてもう片方、右手の指は彼らの身体の間に滑り込ませた。
左指で口の中を男の動きと同じように犯し、右指では女の感じる花芯を容赦なく押しつぶす。
「ううっうーー!!」
「くっ……」
男と女は同時に果てた。
二人の様子をじっと観察して、営みに割り込む己の滑稽さを嗤う。
上りつめる際に、女に噛まれた指が痛い。
けれどそれこそが狙い。
「ああ、血が滲んでいる。私の血は甘かったかな?」
快楽でぼんやりと忘我の境地をさ迷っていた女が途端に正気づき、顔を青ざめさせた。
「そ……そんなつもりじゃっ」
「大丈夫。館の主人には何も言わないよ。けれど今夜はこれで止めておこうか」
にっこり微笑み、女の髪を撫でてやればそれでおしまい。
私が女を抱かずとも、怪しまれずに館を後に出来るし、相手も滅多なことは口にしない。せいぜい他者との絡みを見るのが好きな、若年寄の変態とでも思うくらいだろう。その程度の嗜好、王都にはごまんと居るさ。勃たなくなったご老体に特に多いらしいが。
秘密に辿り着かれるよりは、ずっといい。
事の終わった寝台を見下す。
一番の矛盾と穢れはこの私。
そんな事わかっている。
また血と酒の匂いがする。
お母さまが泣いている。
ガーシュが馬車の事故に巻き込まれたから。
いいえ、違う、あれはフローレンス。
馬車に轢かれたのはフローレンスじゃなければいけない。
だってお母さまは一番の気に入りのドレスを着せて、あの子を棺に入れた。
髪を花で飾って。短いことがわからないように。
しっかりと目を閉じさせて。緑の瞳が見えてしまわないように。
ガーシュとフローレンス。
そっくりだった双子の私たち。
父には多くの愛人と数人の非嫡出子がいる。
けれどお母さまの子供は私たち二人だけ。
だから彼女は、私たちを人形のように飾り立てた。お母さまのための人形。
完璧な伯爵夫人でいるための人形。
だけど――本当に必要だったのは片方の人形だけ。
幼い子供の瞳の色なんて、あいまいに忘れ去られるもの。
だからここにいる私は、ガーシュ・アイロニー。
それなのに。
どうして隠れてドレスに袖を通すたび、心が浮き立つのだろう。
化粧を施し鏡をじっと覗き込む瞬間、偽っているはずなのに、解き放たれたと思うのだろう。
フェザーを演じて作った仮初めの友人知人と語らうひとときに、こんなにも満足を感じるのだろう。
お母さまは年々酒量が増えている。
「早く私のような高貴な令嬢を娶りなさい」と微笑む。
「フローレンスのような美しい伴侶を得て、私を安心させて」と繰り返す。
大丈夫。きっと何もかも上手くいく。
あの金の髪と緑の瞳の天使を手に入れれば。
彼女がフローレンスになってくれるから。
初めてレティレナ姫を見たとき、これは運命だと確信した。
高貴すぎる血と辺境地の環境に守られた、世間知らずの深窓の令嬢。無垢で気高く、本物の人形のように背筋を伸ばした姿。
王都の淑女と同じように仮面を付けながら、けれど緑の瞳の奥は輝きを失っていない。お母さまが望む理想の伴侶。
それなのに、瞳の輝きは人形のように冷たくはないなんて。
彼女を得たなら、私はきっとこの人生を耐えられる。
お母さま、そのくらいの我が侭は許してくださるでしょう?
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