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「LGBT」とは私のことではない。
6.「LGB」と「T」を一緒にするな!
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日本では、「ゲイ=女」というイメージはあまりなかった。少なくとも、女装した男性を「性別を間違えている」と言うほどの文化的土壌などなかったはずだ。
当然、性同一性障碍と同性愛者も区別されてきた。
ところが、「LGBT」という言葉を訳も分からず輸入した結果、混乱が始まる。
いつのことか、「LGBTが就職で受ける困難」という記事がツイッターで流れてきた。同性が好きなだけで何が困るのだろうと思い、読んだ。すると、「履歴書の性別欄が苦痛」とか「性自認に合った服装で面接を受けられない」とかと書かれていた。
同性愛者や両性愛者は関係のない記事だったのだ。
というより、同性愛者や両性愛者が就職で困ることなどあるだろうか?
実はない。
そもそもの話、就職試験でカミングアウトするわけがない。性的指向と仕事は無関係だ。同性愛者も異性愛者も就職では何も変わらない。
しかし越境性差は違う。女装や男装をして面接を受けることは厳しい。ましてや移行途中の人は、履歴書に記述された性別と外見が異なる。
性別違和者に対する社会の理解は必要だ。しかし「LGBT」という言葉を遣うと、「どのような人が」抱えている問題なのか分かりづらくなる。
同じような例では「LGBTトイレ」の話があった。
「LGBTトイレ」や「だれでもトイレ」を設置する施設が増えている。要するに多目的トイレだ。ドアや表札には、「LGBT」という文字や、男性と女性の中間の図・虹色の模様などが描かれている。
これは越境性差に配慮したトイレだ。戸籍上の性別と、性自認・外見などが異なった場合、女子トイレや男子トイレをそのまま使うことは難しい。
しかし、同性゠両性愛者からは不評だ――トイレで困ることなど彼らにはないのだから。「LGBT」という性別はない。それなのに、なぜ「LGBT」という言葉や虹模様が使われているのか。ゲイの中には、「ハッテン専用のトイレを作ってくれたのか?」と冷やかす者もいた。
越境性差からも、「LGBTと書かれたトイレを使うとトランスだとバレる」という批判が上っている。
混同はトイレばかりではない。
昨年の十一月十六日には次の報道もあった。
『性差気にせず「いい湯だな」 銭湯の「高い壁」一つの乗り越え方 尼崎でLGBTら向けイベント、実現へ』
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202111/0014846430.shtml
「公衆浴場の利用を諦めることが多いLGBTら性的少数者も、性差を気にせず、ゆっくり銭湯を楽しみたい-。そんな願いをかなえるイベントが今月、兵庫県尼崎市内で実現する。『力になりたい』と手を差し伸べたのは、かつて当事者の利用を断ったこともあった同市の銭湯だった。」
つまりは、「LGBTへの配慮」と称する混浴イベントを銭湯が行ったのだ――もちろん、レズビアンやゲイやバイセクシュアルが銭湯で困ることなど何一つないのだが。
加えて言えば、性自認と性別が一致しない人ばかりが越境性差ではない。先に述べた通り、女装をしただけでも越境性差となる。性自認と性別が一致していたとしても――あるいは異性愛者であったとしても――性表現さえ特殊なら越境性差だ。
二〇一八年、「心が女になった男性」のドキュメンタリーを日本テレビが流した。
この男は結婚して既に三十二年が経っている。ところが、音楽活動をきっかけに女装を始めたという。やがて、髪を金色に染め、派手な化粧を施し、ミニスカートを履き、「ローズ」と名乗って日常生活を送るようになった。
当然、妻の困惑は大きい。ドキュメンタリー中でも、「理解してあげたいんだけれど――理解はできないですね」「どうしてあんな風になっちゃったかなと思う」と告白している。
しかし、「私の中には女の心がある」とか「トランスジェンダー」とかと夫は言い続けた。挙句、LGBTについて学校で講演するようになる。
ドキュメンタリーの最後を締める言葉はこうだ。
「共に歩むことを選んだ二人。性別を超えた夫婦の愛がそこにはありました。」
ちなみに、このドキュメンタリーを三分でまとめた動画はここで見ることができる。
https://twitter.com/thesocial24/status/1207521418172235778
見てもらったら分かる通り、始終、妻は途方に暮れている。困惑し、疲れ果てた顔しかしていない。「性別を超えた夫婦の愛」があるようには見えない。
動画には批判が殺到した。
「夫婦の愛というか、漂うのは奥様の逃げ場のない諦め感ですかね。」
「奥さんが可哀そう。」
「いや、家事しろよ。女になりたいんだろ?」
「飯は奥さんが作ってるんだね。」
「大切な服の洗濯は奥さん任せなんだ。そうだよね、男性文化で生きてきたのに、いきなり女の苦労が見えるわけがないよね。」
指摘されている通り、女性の服を着て「女の心」と言っているくせに、それ以外の社会性差を受け入れる気が「ローズ」にはないらしい。
派手な化粧をして和服を着た「ローズ」と、普段着の妻が映っているシーンもある。これに対し、「まるで姫と従者みたい」とコメントする者もいた。
ゲイからも苦言が呈されている。
「地元の学校でLGBTについて語るなんて、男性同性愛者当事者としてほんと、迷惑。この人が語れるのは『女装する男の気持ち』だけしかない。奥さんの終始戸惑ったような、諦めたような沈んだ顔もいたたたまれなくなる。」
https://twitter.com/kenkenbacky/status/1446598605704368129
当然、性同一性障碍と同性愛者も区別されてきた。
ところが、「LGBT」という言葉を訳も分からず輸入した結果、混乱が始まる。
いつのことか、「LGBTが就職で受ける困難」という記事がツイッターで流れてきた。同性が好きなだけで何が困るのだろうと思い、読んだ。すると、「履歴書の性別欄が苦痛」とか「性自認に合った服装で面接を受けられない」とかと書かれていた。
同性愛者や両性愛者は関係のない記事だったのだ。
というより、同性愛者や両性愛者が就職で困ることなどあるだろうか?
実はない。
そもそもの話、就職試験でカミングアウトするわけがない。性的指向と仕事は無関係だ。同性愛者も異性愛者も就職では何も変わらない。
しかし越境性差は違う。女装や男装をして面接を受けることは厳しい。ましてや移行途中の人は、履歴書に記述された性別と外見が異なる。
性別違和者に対する社会の理解は必要だ。しかし「LGBT」という言葉を遣うと、「どのような人が」抱えている問題なのか分かりづらくなる。
同じような例では「LGBTトイレ」の話があった。
「LGBTトイレ」や「だれでもトイレ」を設置する施設が増えている。要するに多目的トイレだ。ドアや表札には、「LGBT」という文字や、男性と女性の中間の図・虹色の模様などが描かれている。
これは越境性差に配慮したトイレだ。戸籍上の性別と、性自認・外見などが異なった場合、女子トイレや男子トイレをそのまま使うことは難しい。
しかし、同性゠両性愛者からは不評だ――トイレで困ることなど彼らにはないのだから。「LGBT」という性別はない。それなのに、なぜ「LGBT」という言葉や虹模様が使われているのか。ゲイの中には、「ハッテン専用のトイレを作ってくれたのか?」と冷やかす者もいた。
越境性差からも、「LGBTと書かれたトイレを使うとトランスだとバレる」という批判が上っている。
混同はトイレばかりではない。
昨年の十一月十六日には次の報道もあった。
『性差気にせず「いい湯だな」 銭湯の「高い壁」一つの乗り越え方 尼崎でLGBTら向けイベント、実現へ』
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202111/0014846430.shtml
「公衆浴場の利用を諦めることが多いLGBTら性的少数者も、性差を気にせず、ゆっくり銭湯を楽しみたい-。そんな願いをかなえるイベントが今月、兵庫県尼崎市内で実現する。『力になりたい』と手を差し伸べたのは、かつて当事者の利用を断ったこともあった同市の銭湯だった。」
つまりは、「LGBTへの配慮」と称する混浴イベントを銭湯が行ったのだ――もちろん、レズビアンやゲイやバイセクシュアルが銭湯で困ることなど何一つないのだが。
加えて言えば、性自認と性別が一致しない人ばかりが越境性差ではない。先に述べた通り、女装をしただけでも越境性差となる。性自認と性別が一致していたとしても――あるいは異性愛者であったとしても――性表現さえ特殊なら越境性差だ。
二〇一八年、「心が女になった男性」のドキュメンタリーを日本テレビが流した。
この男は結婚して既に三十二年が経っている。ところが、音楽活動をきっかけに女装を始めたという。やがて、髪を金色に染め、派手な化粧を施し、ミニスカートを履き、「ローズ」と名乗って日常生活を送るようになった。
当然、妻の困惑は大きい。ドキュメンタリー中でも、「理解してあげたいんだけれど――理解はできないですね」「どうしてあんな風になっちゃったかなと思う」と告白している。
しかし、「私の中には女の心がある」とか「トランスジェンダー」とかと夫は言い続けた。挙句、LGBTについて学校で講演するようになる。
ドキュメンタリーの最後を締める言葉はこうだ。
「共に歩むことを選んだ二人。性別を超えた夫婦の愛がそこにはありました。」
ちなみに、このドキュメンタリーを三分でまとめた動画はここで見ることができる。
https://twitter.com/thesocial24/status/1207521418172235778
見てもらったら分かる通り、始終、妻は途方に暮れている。困惑し、疲れ果てた顔しかしていない。「性別を超えた夫婦の愛」があるようには見えない。
動画には批判が殺到した。
「夫婦の愛というか、漂うのは奥様の逃げ場のない諦め感ですかね。」
「奥さんが可哀そう。」
「いや、家事しろよ。女になりたいんだろ?」
「飯は奥さんが作ってるんだね。」
「大切な服の洗濯は奥さん任せなんだ。そうだよね、男性文化で生きてきたのに、いきなり女の苦労が見えるわけがないよね。」
指摘されている通り、女性の服を着て「女の心」と言っているくせに、それ以外の社会性差を受け入れる気が「ローズ」にはないらしい。
派手な化粧をして和服を着た「ローズ」と、普段着の妻が映っているシーンもある。これに対し、「まるで姫と従者みたい」とコメントする者もいた。
ゲイからも苦言が呈されている。
「地元の学校でLGBTについて語るなんて、男性同性愛者当事者としてほんと、迷惑。この人が語れるのは『女装する男の気持ち』だけしかない。奥さんの終始戸惑ったような、諦めたような沈んだ顔もいたたたまれなくなる。」
https://twitter.com/kenkenbacky/status/1446598605704368129
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