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女装男が女湯に入っても合法になる日
14.トランスの形は男女だけではない。
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越境性差というのは、男から女になったり、女から男になったりするばかりではない。Xジェンダーやノンバイナリー、さらには、「クィア」や「クエスチョニング」、「第三の性」「ジェンダーレス」もある。
カタカナ語が多すぎて混乱してしまう。だが、一応は意味を確認したい。
「Xジェンダー」は和製英語だ。これは「性自認」の区分であり、主に次の人をいう。
・両性自認――性自認が男女双方に属する者。
・中性自認――性自認が男女の中間に属する者。
・無性自認――性別がないと自認する者。
・流動性自認――時間によって性自認が変わる者。
特に問題となるのは流動性自認だ。例えば、朝は女性を自認していたのに、夜には男性を自認すると主張する者もいる。ツイッターには、「今は男? 女?」と訊かれて、「うーん、女かな?」と答えていた者もいた。
最初に述べた通り、越境性差には医学的根拠が必要ない。なので、流動性自認に医学的根拠はない。
「Xジェンダー」と似た言葉に「ノンバイナリー」がある。こちらは、「性自認」と「性表現」が男にも女にも当てはまらない者だ。つまり、男だか女だか分からない格好をしていて、自分自身も分かっていない人をいう。
「クィア」「第三の性」は、ノンバイナリーの条件に加えて「性的指向」が男女の枠に当てはまらない者をいう。両性自認で両性愛者の私がこれである。
「クエスチョニング」は性自認が不明な人。「ジェンダーレス」は男女の枠にとらわれない性表現をする人である。
言うまでもなく、「性自認」も「性表現」も性別ではない。ところが、LGBT活動家も、彼らに騙された人も、これを「性別」だと主張する。「性別は二つだけじゃない」とか「性はグラデーション」とかいう言葉を聞いたことのある人もいるかもしれない。
「ノンバイナリー」を自称する人は世界中で爆発的に増えている。
昨年の七月には、宇多田ヒカルが「ノンバイナリー」だとカミングアウトした。どう見ても女性にしか見えないのに、「男でも女でもありません」と言われても、どう反応したらいいのか分からないが。
今年の一月には、北京オリンピックのアメリカ代表に決まったフィギュアスケート選手が「ノンバイナリー」とカミングアウトした。やはり「だから何」という感じだ。まさかとは思うが、スポーツ競技にまでノンバイナリー枠を作るというのか。
身体を変えたいわけでもない・異性装をしているわけでもない・性的指向が他人と異なるかどうかも明かしていない人が「男でも女でもありません」と言っても「あ、そう」としか思えない。
だが、「LGBT先進国」では、この「ノンバイナリー」まで「性別」として尊重され始めている。
さすがに、法律上の性別を「ノンバイナリー」に出来たという話はまだ聞かない。
しかし、「ノンバイナリー」だとカミングアウトした人は "he" とも "she" とも呼んではいけないという―― "they" と呼ばなければならない。しかも、誰がノンバイナリーかなど外見からでは分からない。なので、SNSのプロフィールやメールの差出人には、自分が呼ばれたい代名詞を書かなければならなくなった―― "she/her" とか "he, him, his" とかと。
こんなもの「他認される」性でいいではないか。
時として、私は「彼女」「貴女」と呼ばれるときがある。それはそれで嬉しい。一方、「彼」と呼ばれても、まあ、どうとも思わない。好きなように呼んでくれたらいい――どうせ何が変わるわけでなし。
二〇二一年の十月、アメリカ国務省は「ノンバイナリー」のパスポートを発行した。今までは「男」か「女」しかなかったのが、「その他」を可能としたのだ。
五月には、アメリカ・デューク大学のジョン゠スタッドン教授が、アメリカ心理学会の電子メールディスカッションから外される。スタッドン教授は、このディスカッションの中で「性別が二つしかないというのは誤り? 根拠は何ですか? Z染色体はあるのですか?」と発言したのだ。それに対して苦情が寄せられたためだという。
十一月には、アメリカ・ニューハンプシャー州の学校で、「性別は二つしかない」と発言した生徒が部活動停止の憂き目に遭った。
なお、ここで挙げた例は、辛うじて性別の範疇に留まる事例だ。ところが、世の中には性別以外のものまでトランスしている人がいる。
ステフォンクニー゠ウォルシュトは、トロント市に住む五十二歳のカナダ人男性である。だが、四十六歳のときに越境性差の「女の子」であることに気づく。結果、妻と子供からは「出て行け」と言われて別離、二度の自殺未遂と路上生活を経験した。
しかし、やがて理解のある老夫婦の元に引き取られ、「八歳の女児」として暮らし始める。おしゃぶりを咥え、老夫婦の孫娘と人形遊びをして過ごす日々。ところが孫娘が「私がお姉ちゃんになりたいから」と言ってきたため、一年前から「六歳」となってしまった。
六歳児を自認したことについて、ステフォンクニーはインタビューで正直に答えている。曰く、ただの「トランス女性」では、結婚したことも子供ができたことも否定できないからだという。
また、二〇二二年の五月十一日の「しんぶん赤旗」には、早乙女香織という「トランス女性」党員のインタビュー記事が載っていた。
「胸のあたりまで伸ばした金髪にカラフルな色で編んだネックレス。澄んだ目で楽しそうに話す姿が印象的な、早乙女香織(さおとめ・かおり)さん(40代)=川崎市=。」
「早乙女さんの中には、幼い頃からもう一人、17歳の女性がいます。父親から頻繁に『男は男らしくハキハキ話せ』などと言われて育ちました。反論したくても言えないとき、その女性が出てきて父親に反論してくれました。」
カタカナ語が多すぎて混乱してしまう。だが、一応は意味を確認したい。
「Xジェンダー」は和製英語だ。これは「性自認」の区分であり、主に次の人をいう。
・両性自認――性自認が男女双方に属する者。
・中性自認――性自認が男女の中間に属する者。
・無性自認――性別がないと自認する者。
・流動性自認――時間によって性自認が変わる者。
特に問題となるのは流動性自認だ。例えば、朝は女性を自認していたのに、夜には男性を自認すると主張する者もいる。ツイッターには、「今は男? 女?」と訊かれて、「うーん、女かな?」と答えていた者もいた。
最初に述べた通り、越境性差には医学的根拠が必要ない。なので、流動性自認に医学的根拠はない。
「Xジェンダー」と似た言葉に「ノンバイナリー」がある。こちらは、「性自認」と「性表現」が男にも女にも当てはまらない者だ。つまり、男だか女だか分からない格好をしていて、自分自身も分かっていない人をいう。
「クィア」「第三の性」は、ノンバイナリーの条件に加えて「性的指向」が男女の枠に当てはまらない者をいう。両性自認で両性愛者の私がこれである。
「クエスチョニング」は性自認が不明な人。「ジェンダーレス」は男女の枠にとらわれない性表現をする人である。
言うまでもなく、「性自認」も「性表現」も性別ではない。ところが、LGBT活動家も、彼らに騙された人も、これを「性別」だと主張する。「性別は二つだけじゃない」とか「性はグラデーション」とかいう言葉を聞いたことのある人もいるかもしれない。
「ノンバイナリー」を自称する人は世界中で爆発的に増えている。
昨年の七月には、宇多田ヒカルが「ノンバイナリー」だとカミングアウトした。どう見ても女性にしか見えないのに、「男でも女でもありません」と言われても、どう反応したらいいのか分からないが。
今年の一月には、北京オリンピックのアメリカ代表に決まったフィギュアスケート選手が「ノンバイナリー」とカミングアウトした。やはり「だから何」という感じだ。まさかとは思うが、スポーツ競技にまでノンバイナリー枠を作るというのか。
身体を変えたいわけでもない・異性装をしているわけでもない・性的指向が他人と異なるかどうかも明かしていない人が「男でも女でもありません」と言っても「あ、そう」としか思えない。
だが、「LGBT先進国」では、この「ノンバイナリー」まで「性別」として尊重され始めている。
さすがに、法律上の性別を「ノンバイナリー」に出来たという話はまだ聞かない。
しかし、「ノンバイナリー」だとカミングアウトした人は "he" とも "she" とも呼んではいけないという―― "they" と呼ばなければならない。しかも、誰がノンバイナリーかなど外見からでは分からない。なので、SNSのプロフィールやメールの差出人には、自分が呼ばれたい代名詞を書かなければならなくなった―― "she/her" とか "he, him, his" とかと。
こんなもの「他認される」性でいいではないか。
時として、私は「彼女」「貴女」と呼ばれるときがある。それはそれで嬉しい。一方、「彼」と呼ばれても、まあ、どうとも思わない。好きなように呼んでくれたらいい――どうせ何が変わるわけでなし。
二〇二一年の十月、アメリカ国務省は「ノンバイナリー」のパスポートを発行した。今までは「男」か「女」しかなかったのが、「その他」を可能としたのだ。
五月には、アメリカ・デューク大学のジョン゠スタッドン教授が、アメリカ心理学会の電子メールディスカッションから外される。スタッドン教授は、このディスカッションの中で「性別が二つしかないというのは誤り? 根拠は何ですか? Z染色体はあるのですか?」と発言したのだ。それに対して苦情が寄せられたためだという。
十一月には、アメリカ・ニューハンプシャー州の学校で、「性別は二つしかない」と発言した生徒が部活動停止の憂き目に遭った。
なお、ここで挙げた例は、辛うじて性別の範疇に留まる事例だ。ところが、世の中には性別以外のものまでトランスしている人がいる。
ステフォンクニー゠ウォルシュトは、トロント市に住む五十二歳のカナダ人男性である。だが、四十六歳のときに越境性差の「女の子」であることに気づく。結果、妻と子供からは「出て行け」と言われて別離、二度の自殺未遂と路上生活を経験した。
しかし、やがて理解のある老夫婦の元に引き取られ、「八歳の女児」として暮らし始める。おしゃぶりを咥え、老夫婦の孫娘と人形遊びをして過ごす日々。ところが孫娘が「私がお姉ちゃんになりたいから」と言ってきたため、一年前から「六歳」となってしまった。
六歳児を自認したことについて、ステフォンクニーはインタビューで正直に答えている。曰く、ただの「トランス女性」では、結婚したことも子供ができたことも否定できないからだという。
また、二〇二二年の五月十一日の「しんぶん赤旗」には、早乙女香織という「トランス女性」党員のインタビュー記事が載っていた。
「胸のあたりまで伸ばした金髪にカラフルな色で編んだネックレス。澄んだ目で楽しそうに話す姿が印象的な、早乙女香織(さおとめ・かおり)さん(40代)=川崎市=。」
「早乙女さんの中には、幼い頃からもう一人、17歳の女性がいます。父親から頻繁に『男は男らしくハキハキ話せ』などと言われて育ちました。反論したくても言えないとき、その女性が出てきて父親に反論してくれました。」
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