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女装男が女湯に入っても合法になる日

5.「性別」の概念が混乱した人たち。

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性同一性障碍と越境性差トランスジェンダーは違う。

越境性差トランスジェンダーとは、「私の心は女です」と言えば越境性差トランスジェンダーになるという程度のものだ。

日本の法律は、性同一性障碍を治療した者に性別変更を許している。しかし、越境性差トランスジェンダーが自称する性も法的に認めろとLGBT活動家や野党は主張する。

日本共産党は、「性自認のありようは『病理モデル』から『人権モデル』へと進んできた」とホームページで書いていた。そして、性同一性障碍の当事者のための制度は「人権上、大きな問題がある」と批判し、「病理モデル」から「人権モデル」へ変更する必要があると主張する。

『性的マイノリティーの人たちの人権と生活向上のために』日本共産党
https://www.jcp.or.jp/web_policy/2021/10/2021s-bunya-012.html

性別が自認によって決まるとは、どういうことか。

ショーン゠フェイ『トランスジェンダー問題 議論は正義のために』にはこうある。

「私自身の知り合いの範囲でも、例外なく女性に対してだけ魅力を感じると自認し、なおかつ、ペニスのある女性とデートする男性がいることを私は知っている。外陰部のあるレズビアンで、ペニスのある女性と関係を結んでいる人もいる。外陰部のある男性と関係を結んでいるゲイ男性もいる。そして(当然のことだが)ペニスのある女性で、外陰部のある男性と関係している人もいる。」

かの国では、性器の形は性別とは関係ない。当然の帰結として、「ペニスのある女性」と付き合う「レズビアン」や、「外陰部のある男性」と付き合う「ゲイ」も存在する。

当然、そんな社会をいきなり日本で実現させることは難しい。

だからこそ、ホルモン剤の力を借りて「高度な男装」や「高度な女装」を成功させた人々をLGBT活動家は表に立たせる。

二〇二一年、「手術オペなしでも『俺』になりたい」と題した裁判が起きた。

裁判を起こしたのは、一九七四年生まれの「鈴木げん」という女性だ。男性を自認しているものの、子宮も卵巣もあるため戸籍上の性別は変えられない。

手術をしない理由について、「する必要を感じないからだ」と鈴木は言っている。

裁判の支援サイトにはこうある。

「性自認に沿って男性として生きるために、ホルモン療法と胸オペは自ら選択したげんさんですが、生殖腺の手術は望んでいません。なぜなら生殖腺の手術をしたとしても、身体の形や見た目が変わるわけでもなく、男性としてのアイデンティティが変わるわけでもなく、げんさんにとって何の変化もないからです。」
https://www.call4.jp/info.php?type=items&id=I0000075

鈴木の画像を見ると、確かに男性に見える。

だが、制度の変更は社会全体に影響を与える。

ホルモン治療を受けても、望み通りの外見に変化するとは限らない。加えて、MtF(男→女)よりもFtM(女→男)のほうがホルモンの影響を受け易く、外見が変わり易い。

幼稚園のとき習わなかっただろうか――「おちんちんがあるのが男で、ないのが女」だと。子宮も卵巣もあるのに、「男性のアイデンティティは変わりない」と鈴木はなぜ言えるのだろう。

ちなみに第一回の法廷で、すね毛を見せて「男性であること」を鈴木は訴えたという。

『「私は男性」すね毛見せ裁判官に直接訴え 性別変更求める申し立て』朝日新聞
https://www.asahi.com/articles/ASQBH7GBBQBGUTPB009.html

鈴木は「自分は男性として生まれるはずだった」と思っているのではなく、「男性として見られたい」だけではないだろうか。

しかし、似たような勘違いをしている人は多い。

高校生新聞オンラインには、次の記事が載っていた。

『自分の性別が分からない「クエスチョニング」の高校生が求める「自由と平等」』
https://www.koukouseishinbun.jp/articles/-/6882

記事に取り上げられているのは、「性的不明者クェスチョニング」と称する高校一年生だ(恐らく女子なのだろう)。基本的にズボンを履いて登校し、一人称は「僕」――たまに「うち」「私」を遣うという。

「自分の性別が分からない」という状態への説明は、それで全てだ。

LGBT活動家たちは、メディアで、インターネットで、教育現場で、様々な場所で工作活動を行なっている。そのような情報に触れ、既存の性役割ジェンダーロールに適応できない子供たちが騙されてしまう例は多い。

日本財団が主催する『SOCIAL LOCKS! SCHOOL OF LOCK!』というサイトにも次の記事が載っていた。

『自分は性別が分かりません』
https://www.tfm.co.jp/lock/social/report/20220704/

記事に取り上げられているのは中学三年生の女性だ。

曰く、女であることが嫌いで、スカートも嫌いなのだという。しかし、性転換したいとは思っておらず、男になりたいとも思っていない。好きなものは、男性の服装と仮面ライダーだそうだ。

「最近は『体が女性なのに心が男性、体が男性なのに心が女性』などのジェンダーは、少しずつ受け入れられつつあるのかな思います。一方で、自分みたいに『自分は男でもないし女でもない』『わからない』という人がいるということを知ってほしいです。」

この相談に対して、相談員は「LGBTQのQ(性的不明者クェスチョニング)」だと答えていた。

私もXジェンダーである。しかし、それは性自認の問題であり、客観的に見れば性別は明白だ。

また、東京大学の教授であり、フェミニストである清水晶子は、ツイッター上で次のように述べた。

「女性が生物学的事実を述べることは差別ではないとのツイートを目にして、それはその通りなのだけれども、例えば『女性にペニスはない』は(『女性』が社会的カテゴリーである以上)生物学的事実を述べているわけではないし、ウィメンズマーチでわざわざそれを言う意図や効果は問われるのでは。」
http://www.womaniswoman.whoa.jp/wiki/?plugin=attach&refer=発言録&openfile=「女性にはペニスはない」は生物学的事実ではない.jpg

――「女性にペニスはない」は生物学的事実ではない?

それより問題は、「女性は生物学的カテゴリーではなく、社会的カテゴリー」と述べたところだろう。

しかし、「性別は自分で選べる」という思想は、実はフェミニズムから発生したものなのだ。

一部のフェミニストたちは、男女の性差を否定しようとしてきた。男女に根本的な差異が何もないのであれば、男女差別も、男女によるいかなる区別も必要なく、真の意味の「平等」が実現するからだ。

フランスの哲学者・シモーヌ゠ド゠ボーヴォワールは、「人は女に生まれるのではない、女になる」と発言した。

また、アメリカの哲学者・ジュディス゠バトラーは、「性別とは社会的構築物である」と発言した。すなわち、性別を決めるものは、性器でも、染色体でも、解剖学でもない――「男」「女」という言葉だという。そうなれば、「女」を表す言葉で男性を女性にすることもできるのだ。

ツイッターで虹衛兵と議論すると、バトラーに影響されたらしき人々とよく出会う。

例えば、「女性であるか否かは、女性と認識できるか否かだ」だの、「世の中には陰茎のない男性もいる」だの「お前の言う『身体男性』って何だ? ヴァギナの有無が基準なのか、ペニスの有無が基準なのか、それ以外の基準があるのか」だの「両性具有の中にはペニスがある女性もいるのだからペニスの有無が男女を決めるのではない」だのと言ってくる。

当然、陰茎がない男性と「トランス男性」を同列に語るのは暴論だ。事故などで男性器を失った男性は、欠けたその部位を取り戻したいと思うはずである。それと同じように、手術を受けたFtM(女→男)は生まれるはずだった身体を取り戻したのだ。

――身体とは関係ない「性別」や「性自認」とは何なのだろう?

これは、文化的・社会的な性差ジェンダーに照らし合わせて自分をどう解釈するかという問題だ。

女はスカートを履くとか、男の一人称は「俺」とかいう固定観念は、人間が作ったものに過ぎない。LGBT活動家が言う「心の性」とは、スカートが好きなら女とか、「俺」という一人称を遣っているなら男とかというものなのである。
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