76 / 133
第六章 光り輝く犬が降る。
第十二話 君子の貞によろし。
しおりを挟む
翌日、五月二十五日の十五時のことである。
厨房の冷蔵庫から一冴はプリンを取り出した。
牛乳瓶を半分ほど短くしたような硝子の容器が四つ――その中に、薄茶色のプリンが固まっている。チョコレートの成分が浮いたため、上部は焦げ茶色だ。
ためしにゆらしてみる。
ぷるぷるしているが、どろどろしていない。
「で――できたっ!」
三度目にして、ようやく固まらせることができた。
もう、失敗作のプリンを無理に食べることもない。
梨恵が口を開く。
「ヨシ! じゃあ、最後の盛りつけいかぁか!」
「うん!」
ホイップクリームを軽く載せ、半分に切ったいちごをそえる。ミントもそえると、いちごの葉のように見えた。削ったチョコレートを散らす。さらに蓋で密封し、色紙とリボンでラッピングした。
これならば蘭も喜んでくれるはずだ。
完成したプリンを冷蔵庫へとしまう。
入れ替わりに、プリンを固まらせている間に作ったチョコレートバーを取り出した。乾燥いちご・くるみなどを、チョコレートやホヮイトチョコレートで固めた物だ。万が一、チョコレートプリンが失敗した場合はこれを渡そうと思っていた。
セロファンの袋とリボンでチョコレートバーをラッピングする。
そして、ちらりと食堂の端に目をやった。
一時間ほど前から、窓辺の席には彩芽が坐っている。先日と同じように珈琲を飲みながら新聞を読んでいた。時には筮竹を取り出し、卦を立てた。
三角巾とエプロンをしまう。
チョコレートバーを手にし、梨恵と共に厨房を離れた。
彩芽へ近づき、一冴は声をかける。
「高島先輩。」
彩芽は顔を上げた。
「あの――私、一年の上原いちごと申します。」
「うちはルームメイトの伯伯伎梨恵です。」
彩芽は首をかしげ、何、と言う。
「いえ――その、高島先輩、占いをされるんですよね? それで、よろしければ一つ占って頂きたいことがあるのですけれども。」
彩芽は溜息をつく。
「そんなふうによく頼みごとをされるわ。けど、そうそう簡単には受けつけてないの。女の子って占いが好きだから――あれを占えとかこれを占えとか、鬱陶しくてたまらないわ。」
「その――差し出がましいようですが――」
チョコレートバーを一冴はさしだす。
「珈琲のお供になればと思い、作ってみました。」
チョコレートバーを受け取り、まじまじと彩芽は眺める。
そして、前の席を視線で示した。
「坐りなさい。」
一冴と梨恵は着席する。
「それで――何を占ってほしいの?」
「いえ――あの――私の、好きな人のことなんですけど。」
「恋がかなうかどうか――どういうこと?」
「はい。」
ふぅん――と言い、彩芽は筒から筮竹を取り出す。
「それじゃ――占ってみましょうか。」
蓋を立て、一本の筮竹を立てる。そして筮竹をさばき始めた。さばくごとに、漢字を紙に書いてゆく。それを六回くりかえした。
坤艮坤震坎震
☰☷ 天地否
☰☲ 天火同人
彩芽は少し考える。
「天地否が天火同人に変わったわ。」
「テンチヒ――?」
「このシマシマ模様は、貴女の運勢を示すバーコードのようなもの。右が天地否、左が天火同人。とぎれていない線は陽。とぎれている線は陰。陽は極まれば陰となり、陰も極まれば陽となる。一番下の線と下から三番目の線は極まったから変わったの。」
そして、天地否の卦を彩芽は指し示した。
「まず、天地否の上の三本(☰)は天を表し、下の三本(☷)は地を表す。天と地が分かれて交わらない――否定の意味ね。卦辞に曰く、『否はこれ人に匪ず。君子の貞に不利』。つまり、どれだけ頑張っても上手くいかない。」
一冴は身体をこわばらせる。
「けど――不安になることはないわ。」
そして、天地否の最も下の線を彩芽は示す。
「この線は『爻』というの。まず、最初に変わった爻――ここにはこうある。『茅を抜くに茹たり。その彙を以ってす。亨る』。簡単に言えば――連なった根っこによって茅が一斉に抜けるように、仲間と協力すれば困難を乗り切ることができる。」
続いて、下から三番目の爻を指し示す。
「続いて、三爻にはこうある。『羞を包しむ』。つまり、恥ずかしい秘密を隠しているということ。もしも貴女にとって上手くいかないことがあるとすれば、それは仲間に隠し事をしているためね。」
胸の中に何かが奔った。
恥ずかしい隠し事があるという点では、完全に当たっている。
そして――と言い、隣の卦を彩芽は指さす。
「天火同人。上の三つの爻(☰)は天。下の三つの爻(☲)は火――『日』という漢字と似ているように、太陽も意味する。天地否と違い、仲間同士でお互いになじみあっている卦ね。『同人』は『仲間』という意味。」
「仲間――ですか?」
そう――と、彩芽はうなづく。
「卦辞に曰く、『同人、野においてす。亨る。大川を渉るに利し。君子の貞に利し。』広々とした野原のように、隠し事なく仲間と共に協力すれば、大きな川も渡ることができる。」
一冴は少し考える。
天地否の卦が示す通り、蘭との関係は上手くいっていない。だが――自分のこの隠し事を周囲に打ち明ければ、上手くいくというのであろうか。
「初爻にはこうある。『同人、門においてす。咎无し』。つまり、心の門を今こそ大きく広げるときということ。――それ自体に悪いことはない。」
それ自体には――と彩芽は復唱する。
「ただ――三爻に曰く、『戎を莽に伏す。その高陵に升る。三歳興さず』。兵士を草むらに隠し、高い処から敵を観察するように――そして三年のあいだ静かにするように――慎重に行動しなさいと。身のほど知らずの野心は必ず失敗する。」
「つまりは――どうすれば?」
「相手のことは慎重に偵察するくらいで。今は無理でも、仲間が助けてくれるわ。けれども、あくまでも高望みは駄目よ。きっと――貴女にとって相手はとても難しい人だから。」
厨房の冷蔵庫から一冴はプリンを取り出した。
牛乳瓶を半分ほど短くしたような硝子の容器が四つ――その中に、薄茶色のプリンが固まっている。チョコレートの成分が浮いたため、上部は焦げ茶色だ。
ためしにゆらしてみる。
ぷるぷるしているが、どろどろしていない。
「で――できたっ!」
三度目にして、ようやく固まらせることができた。
もう、失敗作のプリンを無理に食べることもない。
梨恵が口を開く。
「ヨシ! じゃあ、最後の盛りつけいかぁか!」
「うん!」
ホイップクリームを軽く載せ、半分に切ったいちごをそえる。ミントもそえると、いちごの葉のように見えた。削ったチョコレートを散らす。さらに蓋で密封し、色紙とリボンでラッピングした。
これならば蘭も喜んでくれるはずだ。
完成したプリンを冷蔵庫へとしまう。
入れ替わりに、プリンを固まらせている間に作ったチョコレートバーを取り出した。乾燥いちご・くるみなどを、チョコレートやホヮイトチョコレートで固めた物だ。万が一、チョコレートプリンが失敗した場合はこれを渡そうと思っていた。
セロファンの袋とリボンでチョコレートバーをラッピングする。
そして、ちらりと食堂の端に目をやった。
一時間ほど前から、窓辺の席には彩芽が坐っている。先日と同じように珈琲を飲みながら新聞を読んでいた。時には筮竹を取り出し、卦を立てた。
三角巾とエプロンをしまう。
チョコレートバーを手にし、梨恵と共に厨房を離れた。
彩芽へ近づき、一冴は声をかける。
「高島先輩。」
彩芽は顔を上げた。
「あの――私、一年の上原いちごと申します。」
「うちはルームメイトの伯伯伎梨恵です。」
彩芽は首をかしげ、何、と言う。
「いえ――その、高島先輩、占いをされるんですよね? それで、よろしければ一つ占って頂きたいことがあるのですけれども。」
彩芽は溜息をつく。
「そんなふうによく頼みごとをされるわ。けど、そうそう簡単には受けつけてないの。女の子って占いが好きだから――あれを占えとかこれを占えとか、鬱陶しくてたまらないわ。」
「その――差し出がましいようですが――」
チョコレートバーを一冴はさしだす。
「珈琲のお供になればと思い、作ってみました。」
チョコレートバーを受け取り、まじまじと彩芽は眺める。
そして、前の席を視線で示した。
「坐りなさい。」
一冴と梨恵は着席する。
「それで――何を占ってほしいの?」
「いえ――あの――私の、好きな人のことなんですけど。」
「恋がかなうかどうか――どういうこと?」
「はい。」
ふぅん――と言い、彩芽は筒から筮竹を取り出す。
「それじゃ――占ってみましょうか。」
蓋を立て、一本の筮竹を立てる。そして筮竹をさばき始めた。さばくごとに、漢字を紙に書いてゆく。それを六回くりかえした。
坤艮坤震坎震
☰☷ 天地否
☰☲ 天火同人
彩芽は少し考える。
「天地否が天火同人に変わったわ。」
「テンチヒ――?」
「このシマシマ模様は、貴女の運勢を示すバーコードのようなもの。右が天地否、左が天火同人。とぎれていない線は陽。とぎれている線は陰。陽は極まれば陰となり、陰も極まれば陽となる。一番下の線と下から三番目の線は極まったから変わったの。」
そして、天地否の卦を彩芽は指し示した。
「まず、天地否の上の三本(☰)は天を表し、下の三本(☷)は地を表す。天と地が分かれて交わらない――否定の意味ね。卦辞に曰く、『否はこれ人に匪ず。君子の貞に不利』。つまり、どれだけ頑張っても上手くいかない。」
一冴は身体をこわばらせる。
「けど――不安になることはないわ。」
そして、天地否の最も下の線を彩芽は示す。
「この線は『爻』というの。まず、最初に変わった爻――ここにはこうある。『茅を抜くに茹たり。その彙を以ってす。亨る』。簡単に言えば――連なった根っこによって茅が一斉に抜けるように、仲間と協力すれば困難を乗り切ることができる。」
続いて、下から三番目の爻を指し示す。
「続いて、三爻にはこうある。『羞を包しむ』。つまり、恥ずかしい秘密を隠しているということ。もしも貴女にとって上手くいかないことがあるとすれば、それは仲間に隠し事をしているためね。」
胸の中に何かが奔った。
恥ずかしい隠し事があるという点では、完全に当たっている。
そして――と言い、隣の卦を彩芽は指さす。
「天火同人。上の三つの爻(☰)は天。下の三つの爻(☲)は火――『日』という漢字と似ているように、太陽も意味する。天地否と違い、仲間同士でお互いになじみあっている卦ね。『同人』は『仲間』という意味。」
「仲間――ですか?」
そう――と、彩芽はうなづく。
「卦辞に曰く、『同人、野においてす。亨る。大川を渉るに利し。君子の貞に利し。』広々とした野原のように、隠し事なく仲間と共に協力すれば、大きな川も渡ることができる。」
一冴は少し考える。
天地否の卦が示す通り、蘭との関係は上手くいっていない。だが――自分のこの隠し事を周囲に打ち明ければ、上手くいくというのであろうか。
「初爻にはこうある。『同人、門においてす。咎无し』。つまり、心の門を今こそ大きく広げるときということ。――それ自体に悪いことはない。」
それ自体には――と彩芽は復唱する。
「ただ――三爻に曰く、『戎を莽に伏す。その高陵に升る。三歳興さず』。兵士を草むらに隠し、高い処から敵を観察するように――そして三年のあいだ静かにするように――慎重に行動しなさいと。身のほど知らずの野心は必ず失敗する。」
「つまりは――どうすれば?」
「相手のことは慎重に偵察するくらいで。今は無理でも、仲間が助けてくれるわ。けれども、あくまでも高望みは駄目よ。きっと――貴女にとって相手はとても難しい人だから。」
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話
桜井正宗
青春
――結婚しています!
それは二人だけの秘密。
高校二年の遙と遥は結婚した。
近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。
キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。
ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる