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第九章 恋に先立つ失恋
第十一話 性別X
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(作者註:スマートフォンでご覧の方は、この回はタテ書き・文字サイズ「小」でご覧ください。パソコンからご覧の方も文字サイズ「中」か「小」でお願いします。)
その日の晩、一冴は眠れなかった。
寮を出てゆくという蘭の言葉が胸に刺さっている。
蘭にとって、ストーカーか何かのように一冴は思えたのだろうか。もしそうなら、蘭の居場所は自分が奪ったことになる。
眠れないまま数時間が経った。
一冴は上半身を起こす。
ほのかな月光が窓からさし込んでいた。
自分の手へと目をやる――男の身体へと。
この手や腕にしろ、毎晩剃らなければ、女子にしてはやや濃い毛が生えてくる。髭はまだ薄いと言えど、剃らなければ男子だと判ってしまう。
それだけではない――男子として生まれた以上、毎晩、こっそりと部屋から抜け出してしていたことも仕方なかった。空腹や睡魔に抗えないのと同様、その欲求からも抗えられない。男という生き物はこんなにも汚い。
男がいることがどれだけ恐ろしいか――という言葉が蘇った。その通りだ。気持ち悪いし怖いに違いない。蘭に愛されるばかりか、自分はここにいてはいけないのだ。
梨恵が目を覚ましたのはそのときだ。
ベッドから顔を上げて、声をかける。
「いちごちゃん、寝られんの?」
「――うん。」
「うちも。」
梨恵は上半身を起こす。
「やっぱり、鈴宮先輩のこと気にかかっとるん?」
「――うん。」
枕元のスマートフォンへと梨恵は目をやる。
「理事長先生は今ごろ寝とるかな?」
「たぶん。」
途端に、今まで言い表せなかった感情がやってきた。
一冴はうつむき、顔に両手をやる。
「俺が出ていけばよかったんだ――やっぱり。」
梨恵は首をかしげる。
「何で?」
「だって――ここにいちゃいけないの本来は俺じゃん。俺さえいなけりゃ、蘭先輩と菊花との関係も無茶苦茶にならなかったし――」
梨恵ちゃんにも――と言いかけ、抵抗を覚えた。
「伯伯伎さんにも迷惑をかけることなかった。」
「伯伯伎さん――って。」
批難するような声色に、一冴は少し後悔する。
「だって、俺、男だもん。」
目頭に熱いものを感じた。
泣きたくなかったため、仰向けになる。名実ともに、自分は今「男」なのだ。いくら女の格好をしていても、涙を見せたくないという意地はある。
梨恵ちゃん――などとは呼べないのだ、この声で。
「うち、いちごちゃんのことはずっと女の子だと思っとっただけど。」
その名前が胸に刺さった。いまだ「女あつかい」をされている。そちらのほうが本当はうれしいのだ。けれども、いたたまれない感情が今はある。
一冴は寝返りを打ち、顔をそむけた。
「男だよ――。本当は、こんな処にいちゃいけないんだ――女子寮に男がいたら、何するか分からない。気持ち悪いって思うの当たり前だよ。」
梨恵は、挑発するように問う。
「襲うの? うちのこと?」
男性らしい衝動が来ることを恐れ、一冴は身をちぢめる。
「襲わない。」
「なら――ええが。」
梨恵の言葉は温かい。
だが、慰められれば慰められるほど、今は抗いたくなる。
「けれど――蘭先輩はよくないよ。俺は――」
そこまで言い、妙な違和感を一冴は抱く。
この一人称は相応しくないような――そんな気がしたのだ。
「女じゃないじゃん――こんな身体。」
梨恵は首をかしげる。
「心は――女の子とかじゃないの?」
何と答えるべきか、一冴は迷った。
正直、「心が女性」という状態が分からない。そんなことは考えたこともなかった。だが、心が女性ではないということは、男性ということではないだろうか。
「心は――分からないけど」
「そう。」
梨恵は目を伏せる。
「けど――心に性別はないかもね。」
その言葉は一冴の胸に響いた。
形がない心に性別はあるのだろうか。
自分を男だと思えない自分は何だ。
小さい頃からそうだったではないか。
自分の中には昔から何かがあった。
男としての自分も確かにあるけど。
男であることが半ば違和感だった。
女子としての自分は本当に偽物か。
ほら、ようやく気づき始めてきた。
心の奥から声が聞こえてきている。
まるで鏡に写る自分の姿のように。
鏡に写った姿は光が作る虚像、
同時に自分でもあるのだ。
偽物の女である自分。
そう言えるのか。
私は。俺は。
俺は。私は。
ずっといたのだ。
身体という器の中に、
半ば男性でもありながら、
本来あるべき物を欠いたまま。
いちごも一冴も偽りのない自分だ。
けれど、生まれる性は一つなのだ。
だから、男にしか生まれなかった。
それでも、自分は昔からいたのだ。
だからずっと無意識に求めていた。
形のない二つ目の性に与える姿を。
そして、鏡の中に自分を見つけた。
生まれていたかもしれない性別を。
一方「俺」もまた確かにここにいた。
自分の心は男でも女でもなかったか。
その日の晩、一冴は眠れなかった。
寮を出てゆくという蘭の言葉が胸に刺さっている。
蘭にとって、ストーカーか何かのように一冴は思えたのだろうか。もしそうなら、蘭の居場所は自分が奪ったことになる。
眠れないまま数時間が経った。
一冴は上半身を起こす。
ほのかな月光が窓からさし込んでいた。
自分の手へと目をやる――男の身体へと。
この手や腕にしろ、毎晩剃らなければ、女子にしてはやや濃い毛が生えてくる。髭はまだ薄いと言えど、剃らなければ男子だと判ってしまう。
それだけではない――男子として生まれた以上、毎晩、こっそりと部屋から抜け出してしていたことも仕方なかった。空腹や睡魔に抗えないのと同様、その欲求からも抗えられない。男という生き物はこんなにも汚い。
男がいることがどれだけ恐ろしいか――という言葉が蘇った。その通りだ。気持ち悪いし怖いに違いない。蘭に愛されるばかりか、自分はここにいてはいけないのだ。
梨恵が目を覚ましたのはそのときだ。
ベッドから顔を上げて、声をかける。
「いちごちゃん、寝られんの?」
「――うん。」
「うちも。」
梨恵は上半身を起こす。
「やっぱり、鈴宮先輩のこと気にかかっとるん?」
「――うん。」
枕元のスマートフォンへと梨恵は目をやる。
「理事長先生は今ごろ寝とるかな?」
「たぶん。」
途端に、今まで言い表せなかった感情がやってきた。
一冴はうつむき、顔に両手をやる。
「俺が出ていけばよかったんだ――やっぱり。」
梨恵は首をかしげる。
「何で?」
「だって――ここにいちゃいけないの本来は俺じゃん。俺さえいなけりゃ、蘭先輩と菊花との関係も無茶苦茶にならなかったし――」
梨恵ちゃんにも――と言いかけ、抵抗を覚えた。
「伯伯伎さんにも迷惑をかけることなかった。」
「伯伯伎さん――って。」
批難するような声色に、一冴は少し後悔する。
「だって、俺、男だもん。」
目頭に熱いものを感じた。
泣きたくなかったため、仰向けになる。名実ともに、自分は今「男」なのだ。いくら女の格好をしていても、涙を見せたくないという意地はある。
梨恵ちゃん――などとは呼べないのだ、この声で。
「うち、いちごちゃんのことはずっと女の子だと思っとっただけど。」
その名前が胸に刺さった。いまだ「女あつかい」をされている。そちらのほうが本当はうれしいのだ。けれども、いたたまれない感情が今はある。
一冴は寝返りを打ち、顔をそむけた。
「男だよ――。本当は、こんな処にいちゃいけないんだ――女子寮に男がいたら、何するか分からない。気持ち悪いって思うの当たり前だよ。」
梨恵は、挑発するように問う。
「襲うの? うちのこと?」
男性らしい衝動が来ることを恐れ、一冴は身をちぢめる。
「襲わない。」
「なら――ええが。」
梨恵の言葉は温かい。
だが、慰められれば慰められるほど、今は抗いたくなる。
「けれど――蘭先輩はよくないよ。俺は――」
そこまで言い、妙な違和感を一冴は抱く。
この一人称は相応しくないような――そんな気がしたのだ。
「女じゃないじゃん――こんな身体。」
梨恵は首をかしげる。
「心は――女の子とかじゃないの?」
何と答えるべきか、一冴は迷った。
正直、「心が女性」という状態が分からない。そんなことは考えたこともなかった。だが、心が女性ではないということは、男性ということではないだろうか。
「心は――分からないけど」
「そう。」
梨恵は目を伏せる。
「けど――心に性別はないかもね。」
その言葉は一冴の胸に響いた。
形がない心に性別はあるのだろうか。
自分を男だと思えない自分は何だ。
小さい頃からそうだったではないか。
自分の中には昔から何かがあった。
男としての自分も確かにあるけど。
男であることが半ば違和感だった。
女子としての自分は本当に偽物か。
ほら、ようやく気づき始めてきた。
心の奥から声が聞こえてきている。
まるで鏡に写る自分の姿のように。
鏡に写った姿は光が作る虚像、
同時に自分でもあるのだ。
偽物の女である自分。
そう言えるのか。
私は。俺は。
俺は。私は。
ずっといたのだ。
身体という器の中に、
半ば男性でもありながら、
本来あるべき物を欠いたまま。
いちごも一冴も偽りのない自分だ。
けれど、生まれる性は一つなのだ。
だから、男にしか生まれなかった。
それでも、自分は昔からいたのだ。
だからずっと無意識に求めていた。
形のない二つ目の性に与える姿を。
そして、鏡の中に自分を見つけた。
生まれていたかもしれない性別を。
一方「俺」もまた確かにここにいた。
自分の心は男でも女でもなかったか。
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