蜥蜴と狒々は宇宙を舞う

中富虹輔

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第一話

第一話 蜥蜴の騎手と狒々との邂逅

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 ──空気が重いな。
 ラウルは空を見上げた。はるか上空には、スペースコロニーの中央骨格が、ぼんやりと霞んで見えている。
 高性能なフィルターによって浄化されているはずの空気が、重かったり軽かったりするはずもない。
 気分の問題にすぎないことは、ラウル自身も十分承知していた。
 恒星アートルーを中心とするアートルー星系。その第二惑星エメラスは人類の居住に適した土地こそ少なかったものの、豊富な資源が埋蔵されていた。さらに周辺の小惑星からも大量の鉱物資源が発見され、人々はエメラスの衛星軌道に多数のスペースコロニーを建造し、その人口の大地を拠点として、日々の生活を営むようになった。
 そのスペースコロニーの一つ、ノーマコロニーに、ラウルは出張していた。
 ミッションは、コロニー内の大学と、とある民間企業が共同開発した新型エンジンの性能テスト。大きな困難が予想されるわけでもない、むしろ「退屈であくびが出てしまう」類いのものだろう。
 それでも空気を重く感じるのは……。
 ──ザンダールドス、か。
 出発前に耳にした情報が原因だった。
 惑星ザンダールドス。大きな楕円軌道を描き、二十年に一度惑星エメラスに近づくその星が、接近期に入ったというのである。
 ザンダールドスの接近、それはすなわち宇宙狒々の襲来を意味する。前回のザンダールドス接近の際には十歳にもなっていなかったラウルには、それは遠い出来事のようにしか思えなかったことを覚えている。
 どこぞの宇宙ステーションが破壊された。あるいは迎撃に向かった宇宙軍が甚大な被害を出しながらも撃退に成功した、といったニュースが流れていたのは記憶にあるが、当時はあくまでも他人事でしかなかった。
 ──そういえば。
 ラウルは、二十年前の宇宙狒々の襲来にまつわる、一つのニュースを思い出した。
 ハーシュラムの奇跡。
 ザンダールドス接近期の末期に、ハーシュラム宙域で民間の宇宙船が宇宙狒々に襲われたが、奇跡的に赤ん坊だけが助かった、という事件だった。
「子供だけは助けたい」と機転を利かせた両親の英断や、その赤ん坊の運の強さなどが連日のように報道されていたので、ラウルの記憶に残っていたのだろう。
 あれから二十年がたったが、人類はいまだにザンダールドスの宇宙狒々に対抗する、有効な手だてを持ってはいない。
 この二十年で戦闘用宇宙船の性能は上がっているはずだが、それで本当に宇宙狒々に対して有利になれたのかは、実際に戦ってみるまではわからないだろう。
 ──できることなら、面倒ごとは避けたいところだがな。
 そういうわけにはいかないだろう、ということは、ラウル自身もわかっていた。
 ──まあ、例の新型エンジンとやらにも、期待しておくかね。
 実験に使われるエンジンは、宇宙船の増設用モジュールとして建造されており、今まさにそのモジュールの接続作業が行われているところだった。
 メカニック作業に関しては、宇宙船のパイロットであるラウルに出る幕はない。結果的に彼は、暇をもてあまして外をぶらついている、という次第だった。
 そろそろ戻って様子でも見に行ってみようか、と思ったところで、整備工場の方から、作業用のツナギに身を包んだ若い女がこちらにやってくるのが見えた。名前の方は失念してしまったが、まだ大学生ながら、今回の新型エンジンの基礎設計を担当した、といっていたはずだ。彼女を紹介された時に、二十歳そこそこなのに大したものだ、と感心した覚えがある。
「ラウルさん」
 ほどなくして、若い女性エンジニアが彼の元にやってきた。背が高く、細身ですらりとした体型。すらりとしすぎていて、バストのあたりの肉付きがもう少し良ければな、というのがラウルの正直な感想だった。
 絶世の美女、というわけではないが、短く切りそろえた黒髪が、ほどよく整った目鼻立ちによく似合っている。これできちんと化粧をして、それなりの格好をして愛想よく町を歩けば、彼女を振り向く男は結構な数になるだろう。
 しかし、目の前に立っているのは、化粧っけのない、野暮ったい作業用のつなぎを着た、生真面目そうなエンジニアだった。
「そろそろ、モジュールの接続作業が終わります。テストの準備もありますので、一度機体の方に戻っていただきたいのですが」
 大学生エンジニアは、生真面目そうな表情そのままの、ひどく事務的な口調でいった。
「ああ、わかった。俺もそろそろそっちに行こうと思っていたところだ。ええと……」
「タニーです。タニー・ミーム」
「ああ、そうだったな。で、エンジンの調子は?」
「燃焼試験は問題なく終わりました。今日は接続後の動作試験を一通り行って、明日、実際に飛ばして、稼働データを取りたいと思っています」
「了解だ。立ち話もなんだし、そろそろ行こう」
 タニーが「はい」とうなずくのを確認して、ラウルは整備工場の方へ向かって歩き出した。
 ただ黙って歩いているのも気詰まりだったので、ラウルは半歩後ろをついてくるタニーを振り返った。
「あのエンジンは、君が設計したんだったな? スペックだけ見せてもらったが、大したものじゃないか。最新の軍用機よりも二割くらい出力が大きい」
「ありがとうございます」
 タニーは言葉少なに応えた。
「でも、あのエンジンの基礎部分を設計したのは父なんです。私は、父の基礎設計データを元にして形にしただけなので」
「それだって十分大したことだと思うぜ。まだ大学生なんだろう? それだけできれば上等だ。親父さんも、鼻が高いだろうな」
 わずかに、何かをためらうかのように、タニーは口ごもった。
「まあ、そうですね」
 返事が返ってくるまでのわずかな時間に何か引っかかる物を感じたが、ラウルはあえてそれ以上は踏み込まなかった。
「そういえば、テスト飛行には君も同乗するっていっていたよな。やっぱり、自分で設計したものだから、自分で乗り心地を確認したいとか、そういうことなのか?」
「はい。まあ、そんなところです」
 こちらも、なにやら歯切れの悪い返事。「自分で設計したものの感触を、自分自身の肌で確かめたい」と思うのは不自然なことではない。加えて彼女はまだ若い。自分が設計したものに、若いが故の過剰な自信や期待が満ちていてもおかしくないと思うのだが、先ほどの返事からは、若さや勢いといったものがあまり感じられない。
 いろいろと事情もあるのだろうと、ひとまず自分を納得させることにして、ラウルは話題を変えてみることにした。
「きみは宇宙船の免許は?」
「持っていないんです。ずっと、機械工学のことばかり勉強していたので。そのうちに免許を取りたいと思ってはいるんですけど」
 宇宙船のエンジン開発にかかりきりになっていれば、他のことをしていられる余裕もないだろう。一つのことにばかりかまけて他に目を向けないのももったいないな、とは思ったが、知り合ったばかりの他人にああだこうだというほどのものでもない。
 と。
「そうえいば、ラウルさんの宇宙船、機首に絵が描かれていますけど、あれは……?」
「おれの専用機だ、っていう目印だよ」
 ラウルが務めている会社では、整備の効率化のため同型の宇宙船が配備されている。しかしパイロットによってクセや好みも異なるため、機体はパイロットに合わせて調整されている。その中でもラウルの乗る機体は特にクセが強いため、彼の専用機であると一目でわかるように、機首に大きく絵……剣と盾を持ち、鎧兜に身を包んだ、人間とトカゲのあいの子のような戦士……が描かれていた。
「おまじないとかではないんですね」
「たまにゲンを担いで『幸運の女神』なんかを描くやつもいるけどな。おれのは実利目的だよ」
 ラウルは陽気に応えた。
「じゃあ、あの絵に由来とかは……」
「由来ならあるぜ。おれが子供の頃に遊んだゲームにすげえ手強い敵がいてな。それがあの絵のもとになってる」
「だから宇宙船の名前も『リザードマン』なんですね」
 思い当たるものがあるようで、タニーは苦笑いを浮かべながらうなずいた。
「そういうこった……なんだ?」
 異常な振動を感じたのは、タニーに対してうなずいたのと同時だった。
 地面が、小刻みにがたがたと揺れている。
 タニーもすぐにその振動に気付いたようだった。ラウルとともに足を止め、何が起きているのかを確かめるかのように、周囲を見回している。
 一定速度で回転を続けているスペースコロニーで、このような振動が発生するなどということは普通はあり得ない。嫌な予感がして、ラウルはタニーに目を向けた。
「タニー、エンジンモジュールの燃焼試験は終わったっていってたな?」
「え? あ、はい。エンジンそのものはなんの問題も……」
「急ごう。テストなしでも構わないから、いつでも飛べるようにしておいた方がいい」
「え? あの、それって……」
「この振動は異常だ。惑星の陸上でもあるまいし、地震なんて起きるはずもないんだからな。コロニーの機能に何か異常があったか、別の要因でコロニーが揺れてるか。いずれにしてもコロニーになにかトラブルが起きている可能性が高い」
 そうしている間も、地面の震動は続いていた。揺れは時折強くなったり弱くなったりするが、いつまでたってもおさまる気配がない。
「急ぐぞ」
 ラウルは駆けだした。

 宇宙船の整備場も、謎の振動で色めき立っていた。絶え間のない振動の中でも、ラウルの宇宙船リザードマンは新型のエンジンモジュールが接続された状態で静かにたたずんでいる。
「ラウルさん、なにが起きているんですか? この振動は一体……」
 ラウルの姿を認めた学生が駆け寄ってきた。
「おれもわからん」
 ラウルが短く応えた瞬間、ひときわ大きな揺れが彼らを襲った。立っていることもできないほどの激しい揺れに、固定されていなかった工具や小さな部品が周囲に散乱する。ラウルもまた、したたかに腰を打ち付けていた。
「なんなんだ、一体」
 腰をさすりながら立ち上がったラウルは、先ほどの大きな揺れを最後に、地面の揺れが徐々に緩やかになりつつあることに気付いた。とにかく情報が欲しい。何か情報を得る手段は、と考え、すぐに目の前にある愛機に思い至った。緊急の事態が起きているのなら、無線通信で何かやりとりがされているかもしれない。
 ぐずぐずしている暇はない。ラウルは愛機の搭乗口に向かって駆けだした。工具や整備機器が散乱している床をものともせずに走り抜け、ドアが開いたままになっている搭乗口へと飛び込む。なじんだ通路を駆け抜けてコックピットへ入ると、補助エンジンを起動して通信機のスイッチを入れた。
『……番機反応消失! 目標は依然健在! 住宅ブロックを抜けて工業ブロックへ飛行中! 繰り返す。目標は依然健在! 住宅ブロックを抜けて工業ブロックへ飛行中!』
 飛び込んできたのは緊急事態以外の何ものでもない、といった様子の音声だった。
 ラウルたちのいる宇宙船整備場は、先ほどの通信にあった工業ブロックにある。どう考えても事態は切迫している。ラウルは船外スピーカーのスイッチを入れた。
「聞こえるか! よくはわからんが、何かがこっちに向かって接近しているらしい。おれは発進して確認と対処に向かうから、全員待避して、近くの緊急用シェルターに避難するんだ!」
「惑星ザンダールドス接近」の報がラウルの頭をよぎる。
 ──畜生、嫌な予感しかしねえ。
 今回のミッションはエンジンモジュールのテストということだったので、機体の武装は最小限になっている。彼の「嫌な予感」が現実のものであれば、その程度の武装ではどうにもならないことはわかりきっていた。
 それでも、今この場をなんとかできそうなのは自分と愛機だけなのだ。どうにもならないとしても、どうにかするしかない。
 操縦席に座り、メインエンジンを点火する。ヘッドアップディスプレイに、機体の各部動作が正常であることを告げる表示が次々と流れていく。
 ──テスト用のエンジンモジュールは……。
 先ほど、タニーは「燃焼試験は問題なかった」といっていた。モジュールを接続して実機テストを行うような段階まで来ているのだ。大きな問題があるとも考えられない。本来はメインエンジンとしての使用が想定されている物ではあるが、それほどの出力があれば補助動力として使用しても、機体の運動性の向上は期待できるだろう。
 決断して、エンジンモジュールの起動をするための操作パネルを呼び出した時だった。
 コックピット後方のドアが開いた。
「ラウルさん、エンジンモジュールを起動してください」
 若い女の声がラウルの耳に届く。振り返ると、作業着を着た黒髪の大学生エンジニアが、荒い息をついてこちらを見ている。
「タニーか。ここからはパイロットの出番だ。君は待避シェルターに……」
「カグツチは、私がいないと起動しないんです」
 せっぱ詰まった様子で、タニーはラウルの言葉を遮った。
「カグツチ?」
「モジュールに搭載されているエンジンです。あれは、私が近くにいないと起動しないんです」
 生体認証のようなシステムがエンジンに組み込まれているということか。エンジンにそのようなシステムを組み込むなど聞いたこともなかったが、タニーの様子を見る限り、その言葉に偽りはないのだろう。
「わかった。君はそっちの席に座れ」
 ラウルは操縦席の左横にあるシートを指さした。タニーがそちらへ向かうのを確認して、改めてエンジンモジュールの起動操作を開始する。
『ラウルさん、作業員の待避完了しました。発進ゲート開きます』
 通信機から声が届く。
「了解。エンジン起動次第、発進する」
 ヘッドアップディスプレイにエンジンモジュールの起動を知らせる表示が点灯した。モジュールから送られてくるデータを見る限り、動作は正常に行われているようだ。さすがに使ったことのないエンジンをぶっつけ本番で使うのは少々躊躇われるが、今は目の前に表示されているデータを信用するしかない。
「よし、タニー。発進するぞ」
 声をかけ、ラウルは操縦桿を握った。
「ラウルさん、カグツチの出力は十パーセントくらいに絞って、少し様子を見てください」
 タニーがあわてた様子で口を開いた。やはり彼女もいきなりエンジンモジュールを全開で使うことに不安を感じているのだろう。だからといって、そんな低出力から始めていられるほど、余裕がある状況ではなかった。
 開きっぱなしにしている通信回線からは、不利な状況を伝える会話が絶え間なく飛び込んできている。
「時間がない。出し惜しみをしている場合じゃない!」
 威勢よく啖呵は切ったものの、アドバイスには従って、エンジンモジュールの出力を三十パーセントまで絞り込む。
「行くぞ!」
 声をかけ、今度こそ機体を発進させた。発進シークエンスがどうのといっていられる状況でもない。飛行速度にまで持って行くため、スロットルを一気に開く。
 次の瞬間に訪れた加速は、ラウルの予想を遙かに上回る爆発的なものだった。滅多に経験することのないような加重がかかり、身体がシートに押さえつけられる。
 猛烈な勢いで、外の景色が後方へとすっ飛んでいく中、悲鳴を漏らしながらも機体のコントロールを失わなかったのは奇跡に近かった。あわやのところでコロニーの外壁にぶつかりそうになったが、機体を急旋回させて最悪の事態を回避する。
「なんなんだ、このでたらめな性能は!」
 出力が大きすぎて機体の制御もままならない。ラウルは大あわてでエンジンモジュールの出力を十パーセントまで落としたが、それでも油断していると機体の制御を失いそうになってしまう。
 ──スペックは従来型の二割増しじゃなかったのか?
 エンジン出力十パーセントの状態でも、体感で三割……いや四割は出力が大きい気がする。これでエンジン性能を全開まで使ったら一体どんなことになってしまうのか。
「おいタニー、こいつはどういう……」
 訓練を受けていない一般の人間が、先ほどの加速の衝撃に耐えられるはずもない。横の補助席に座っているタニーは、気を失っているのかぐったりとしていた。
 ──仕方がない。
 詳しい説明を聞くのは後にするとして、とりあえず今は状況の確認と対処だ。経緯はどうであれ、非常識なまでに高性能なエンジンが機体に搭載されたというのは事実である。これならば、たとえ最悪の事態だったとしてもなんとか切り抜けることができるかもしれない。
 そう思って操縦桿を握り直した直後。
 ラウルは背中がぞわぞわとするような、ざらざらとした嫌な気配を感じ取っていた。
 ──なんだ、この感じ?
 機体の制御に手一杯で、それに気づくのが遅れたのは、痛恨の極みだった。
 ラウルの視界の片隅。先ほどまでラウルの愛機リザードマンが格納されていた整備工場の真上に、それがいた。
 宇宙狒々。
 その名の通り、遠目に見た姿は、巨大な猿といった様相。平均的な体長は十メートル前後。ヒトに近い身体と四肢を備えているが、足よりも腕の方が発達しており、その外見の通り、腕力は強い。
 サイズの違いを除けば、身体が毛ではなく、硬質な皮膚で覆われているのがもっとも猿と違う点だろう。一応は生物の範疇には入るのだろうが、この生物は宇宙空間を生身の肉体で自由自在に移動できるなど、人類の知識には当てはまらない生態をもっている。
 その性質は凶暴で残忍。硬質な皮膚は人類が発明してきた武器でも貫くのが困難で、数体の宇宙狒々を撃退するのに、最新鋭の戦闘機が一個中隊は必要になる、ともいわれている。
 ラウルの眼前にいる個体も、典型的な宇宙狒々の姿をしていた。しかし、典型的な宇宙狒々とは異なる点が三つ、眼前の個体にはあった。
 一つは、そのサイズ。大半の宇宙狒々の体長は十メートル前後。ラウルの乗っている宇宙船が二十メートルにやや欠ける程度なので、およそその半分程度の大きさであるとされている。
 だが、目の前にいる宇宙狒々の体長は、目測でおよそ八十メートル。数百匹に一匹程度存在するとされる、大型種と呼ばれている個体だった。
 二つ目は体色。ほとんどの宇宙狒々は、黒や濃紺、限りなく黒に近い茶色といった地味な色をしているのに対し、この個体は白……厳密には白に近い灰色……だった。
 そして三つ目。本来ならば宇宙狒々は数十~数百匹の集団で活動するはずだが、この個体は単独で行動していた。宇宙狒々に単独行動する個体がいるというのはほとんど事例がないはずだった。
 その異例ずくめの宇宙狒々は、明らかに先ほどラウル機が発進した整備工場を標的にしていた。
 工場にいた学生たちの避難は間に合っただろうか。ラウルは祈るような気持ちで、機体を宇宙狒々へと向かわせるべく旋回させる。
 ──間に合ってくれよ。
 いくら機体の能力が高くても、物理法則を覆すことはできない。機体の向きを変え、姿勢を制御し、加速させる。自分でもこれ以上はないほどに完璧な機体制動ができたものの、それでも整備工場の真上にいる宇宙狒々を攻撃するには数秒の時間を要する。
 敵には、その数秒で十分だった。
 宇宙狒々の周辺ではコロニー防衛隊の戦闘機が飛び回っているものの、民間施設が間近にあるためか、攻撃しあぐねているようにも見える。……もっとも、八十メートルの巨体を誇る宇宙狒々相手に、防衛隊の戦闘機の火力がどの程度通用するかははなはだ疑問ではあったが。
 そのようなこちらの事情を知ってか知らずか、宇宙狒々はその巨体を整備工場めがけて踊らせた。加速をつけて整備工場に突進すると、工場の建物はわずか一撃でミニチュア模型のように粉砕される。
「いやあっ!?」
 ラウルの左手から、唐突に悲鳴が聞こえた。機体の制御で手いっぱいだったために気づかなかったが、いつの間にかタニーが目を覚ましていたのだ。
「狼狽えるな! 避難が間に合っているかも知れない!」
 タニーを怒鳴りつけて、ラウルは機体を宇宙狒々へと突っ込ませた。開きっぱなしになっている通信回線のハンズフリーマイクのスイッチを入れ、
「こちらシャープエッジ宇宙サービスのラウル・ニューランド、機体名リザードマンだ。これより援護を開始する」
 まくしたて、眼前に迫った宇宙狒々の鼻先をかすめるように機体を右に旋回させる。機体の急な動きに、隣の席でタニーが悲鳴を上げたが、今は頓着していられない。
 ラウルの挑発に応じるかのように、宇宙狒々がこちらを追ってくる。敵の注意がこちらに向いた隙を突いて、防衛隊の戦闘機が一機、宇宙狒々の背中にビーム砲による攻撃を加えた。攻撃は宇宙狒々の頑丈な皮膚に阻まれ、有効な打撃を与えた形跡はなかったが、ラウルを追おうとしていた宇宙狒々は出鼻をくじかれた格好になる。
 宇宙狒々は首をもたげて背中の方へ目を向けたが、打撃を与えた防衛隊の戦闘機は、すでに宇宙狒々からは十分な距離を取っていた。
 そしてその隙に、ラウルは機体を旋回させて宇宙狒々を正面にとらえる。
『こちらコロニー防衛隊。援護に感謝する』
 通信回線から声が届いた。一拍の間を置いて、からかうような口調で、
『女連れなんて、ずいぶん余裕じゃないか』
「特別なお客様だぜ。迂闊なことをいったら、蜂の巣にされちまうぞ」
 ラウルは軽口を返した。
「それから、『援護する』といっておいてなんだが、こっちはほとんど丸腰だ。火力はあんまり期待しないでくれよ」
『了解した。民間人の被害をこれ以上広げたくない。コロニーから奴を引っ張り出したい。協力を頼む』
「了解だ」
 応えはしたものの、何をどうすれば、この宇宙狒々をコロニーから宇宙へ引きずり出すことができるのだろう。
 宇宙狒々は挑発されればすぐに反応するとは聞いてはいるが、これほど大きな個体だ。先ほどの戦闘機からの攻撃もほとんど効いた様子がない。
 ──おまけにこっちは、丸腰同然だからな。
「新型エンジンのテスト」に、物々しい武装で赴くわけにはいかなかったとはいえ、戦闘用モジュールを接続していないことが悔やまれる。こちらの武器はでたらめなほどに出力の高いエンジンだが、それを利用してカトンボよろしく相手の周囲を飛び回れば、こちらに注意を引きつけることくらいはできるだろうか。
 ラウルはひとまず、敵の周囲を遠巻きに何周かして、様子を観察してみた。
 ラウルの操る宇宙船の数倍の体躯をもつのに、動作は驚くほどに機敏。
 周囲を飛び交う戦闘機に負けない速度で宙を舞い、腕や尾を敏捷に振り回して、戦闘機を攻撃する。ごつごつとした皮膚は見た目以上に頑丈で、こちらの戦闘機の攻撃が、相手に有効な打撃を与えている様子は見られない。
 ──このままじゃじり貧だ。
 敵をコロニーから引きずり出す、どころの話ではない。戦闘機はいずれ燃料切れを起こすだろうし、パイロットの体力も、いつまで持つかもわからない。
 ──どうする。何か手はないか……。
 考えている間にも、戦闘機が一機、振り回された尻尾の直撃を受けて墜落していった。
 カグツチ、といったか。接続されているエンジンモジュールの出力があれば、眼前の敵から逃げることは可能だろう。何らかの手段で相手を挑発することができれば、宇宙空間におびき出すこともできるのではないか。
 しかし、サイズに差がありすぎて、周囲を飛び回っても効果があるようには思えなかった。あとは手痛い目にあわせてやる、くらいしか思いつかないが、いかんせん現状の装備では火力不足は否めない。
 試みに機体に標準装備されている小型のビーム砲で攻撃を加えてみたものの、宇宙狒々にはまるで通じた様子がない。
「畜生。ビームの出力が足りねえ」
 毒づいた直後。
「あの、ラウルさん」
 横からおずおずとした声がかかった。
「どうした?」
「ビームの出力って、供給するエネルギーを増やせば上げられますか?」
「スペック的にはな。倍ぐらいの出力は出る仕様にはなってるが、そんなことをしたら他に回すエネルギーが足りなくなって、墜落しちまう」
「なら、カグツチを使ってください」
「カグツチを?」
「はい。出力に余裕はあるので、エネルギー回路をバイパスできれば、カグツチで発生したエネルギーを他に供給することもできるはずです」
 ──その手があったか!
 出力を絞らなければ、まともに扱うことも難しいほどの推進力を生み出せるエンジンだ。そこから発生するエネルギーを少しくらい武装に回したところで、能力が低下するとも思えない。
「カグツチの方にはそういう機能はあるのか?」
「はい。こちらからコマンドを送れば、エネルギーを外部に出力できるようになっています」
「なら、カグツチの設定は頼んでいいか? 俺はエネルギー回路をつなぐ」
「この宇宙船のモジュールは第八世代型でしたよね? 一通りの設定はできますから、ラウルさんは操縦に専念してください」
 いいながら、タニーは眼前に並ぶ操作パネルを手慣れた手つきで操作し始めた。
「頼もしいな。頼んだぞ。モジュール関連の設定はA系統、エネルギー回路はC系統からアクセスできる」
「大丈夫です。どちらも見つけました」
 タニーの手が操作パネルの上を滑るように動くのを横目に見て、ラウルは自分の役割に専念することにした。
 宇宙狒々の周辺を飛んで注意を引き、防衛隊の攻撃をサポートする。ただ、防衛隊の戦闘機による攻撃も、宇宙狒々には有効な打撃を与えているようには見えない。
 ──コロニーの中だからな。あんまり攻撃力の高い武器も使えないだろうし。
 宇宙狒々の尻尾の一撃を躱して間合いをあける。機体を反転させて宇宙狒々に向き直ったのと同時に、タニーの声が届いた。
「ラウルさん、設定終わりました」
「よっしゃ、待ってたぜ!」
 武装系統へのエネルギー供給が十分に行われていることを確認し、ラウルはビーム砲の出力を最大にした。
 宇宙狒々に向けてまっすぐにつっこみ、すれ違いざまに最大出力の一撃をたたき込む。
「どうだ、少しは効いたか?」
 ラウルは後方モニターを確認したが、
「だめです。効いていません」
 先に後方を確認していたタニーが無情な報告をする。
 ──やっぱり、この装備じゃ厳しいか。
 戦闘用モジュールに搭載されている高出力の武装ならばいざ知らず、標準装備の小型ビーム砲では太刀打ちできそうにない。
 小さく舌打ちしたあとで、ラウルはふと思いついた。
「タニー、カグツチからのエネルギー供給を、もう少し増やすことはできないか?」
「それは……可能ですけど」
 タニーが不安そうな目をこちらに向けるのが、ちらりと視界に入る。
「これ以上供給量を増やしたら、逆に供給過剰でオーバーヒートしてしまいませんか?」
「一分、いや三十秒でいい。そのくらいの過負荷ならなら耐えられる設計になっている」
 もちろんはったりだったが、ラウルの断定的な口調に、タニーは押し負ける格好になった。
「わかりました。エネルギー供給量をニ十秒、二十パーセント増やします」
「三十秒、四十パーセントいってくれ」
「無茶ですよ! 回路が持ちません!」
「無茶でもなんでも、今はそれしかやりようがないんだ! 今ここであの宇宙狒々をどうにかしないと、コロニーが丸ごとやられちまうぞ!」
 ラウルの一喝に、タニーは口を閉じた。わずかな間沈黙した後、
「わかりました」
 タニーは重苦しい口調で応えた。
「さっきと同じ要領で、すれ違いざまに攻撃をする。俺が指示したら、エネルギー供給を増やしてくれ」
「はい」
「よし、行くぞ」
 ラウルは再び機首を宇宙狒々に向けた。
 ビーム砲の出力は最大にしたまま、自動連射も最大に設定する。最高出力での自動連射など、普通に考えればあり得ないような設定だったが、エネルギーの供給に関しては、今は心配する必要はない。
 懸念材料は二つ。タニーのいうとおり、エネルギー供給系の回路が過剰なエネルギー量によってオーバーヒートしてしまう可能性。そしてビーム砲自体が、最高出力の自動連射の負荷に耐えることができるのか、ということ。
 ──まあ、五発や十発くらいならいけるだろう。
 希望的観測に過ぎなかったが、いずれにせよこれが現状取り得ることのできる最善手である。
 ──失敗したら、その時はその時だ。
 宇宙狒々の尻尾側にあった自機を回頭し、宇宙狒々を背中側から頭の先へと飛ばす。そのまままっすぐに進んで十分に距離を取ったところで百八十度反転。白い宇宙狒々と、真正面から対峙する格好になる。
 ──いくぜ。
 ヘッドアップディスプレイに表示される照準マーカーを宇宙狒々の頭部に合わせ、宇宙狒々めがけて一直線に機体を飛ばした。両者の距離は瞬く間に縮まっていく。
 ラウルは冷静に、攻撃のタイミングを見計らっていた。最大出力とはいえ、お世辞にも強力とはいえないビーム砲である。十分に引きつけなければ効果は見込めないだろう。
「タニー、準備はいいか」
「はい、いつでも大丈夫です」
 タニーの返事を確認し、ラウルは口を開いた。
「三、二、一、いまだ!」
 ラウルのかけ声に反応して、タニーが操作パネルに指を走らせる。数瞬遅れて、武装系統に過剰なエネルギーが供給されていることを警告する表示が、機体の状態を表示しているモニターに現れる。
 ──んなことは最初からわかっててやってるんだよ!
 ラウルは警告を無視して、ビーム砲のトリガーに指をかけた。
 これ以上近づけば衝突する……あるいは宇宙狒々の一撃をもらいかねないほどの位置で、トリガーを引く。
 最高出力のビーム弾が間断なく射出された。想定されていない無茶な使用に真っ先に悲鳴を上げたのはビームのジェネレーターだった。ジェネレーターの温度が急上昇し、五秒と持たずに警報音が鳴り響く。さらに数秒で、ジェネレーターの損傷を防ぐため、ビーム弾の発射が強制的に終了してしまった。
「タニー、エネルギーの供給を減らしてくれ!」
 ラウルの指示に、タニーは即座に反応した。エネルギーの過剰供給の警告灯は即座に消えたが、ビーム砲のジェネレーター温度は危険領域を超えたままになっている。このまま温度が下がらなければ、現在の唯一の武装であるビーム砲が使えなくなってしまうかもしれない。
 しかし、それだけの危険を冒した甲斐はあった。
 ビーム弾の何発かは、宇宙狒々の頭部右側、ちょうど目の付近を直撃していた。さしもの宇宙狒々でも、高出力の弾を何発も受けるのはそれなりに苦痛だったようで、宇宙狒々は悲鳴じみた叫びを上げる。
 ラウルは機体を左に向けて宇宙狒々との衝突を避け、敵の様子を観察した。
 思っていたよりも傷が浅い。もう少し深手を与えることができると思っていたが、認識が甘かったようだった。
 ──シミュレーションの通りにはいかないか。
 右目の下あたりに、はっきりとわかる傷ができてはいるが、致命傷にはほど遠い。
 ──専用の装備があれば……。
 機体に装備されたビーム砲ではなく、カグツチエンジンの出力を百パーセント引き出すことのできる武装があれば、あるいはこの宇宙狒々に致命傷を与えることができたのかも知れない。しかし、現状で判明した事実は、「今の装備では、この宇宙狒々に対抗する手段はない」という無慈悲なものでしかなかった。
 だが、ひとまずラウルの目論見は成功した。傷を負わされた宇宙狒々は、不気味な咆哮を上げると一直線にラウルの宇宙船をめがけて飛びかかってきたのだ。
 宇宙狒々の動きは素早く、通常の装備だったら瞬く間に追いつかれ、八つ裂きにされていただろう。だが、今は普通では考えられないような性能を持ったカグツチエンジンが装備されている。迫る宇宙狒々をすんでの所で躱すと、ラウルはコロニーの宇宙港へリザードマンの機首を向けた。
「防衛隊、聞こえているな? 目標を宇宙へ誘導する! 宇宙港をいつでも出られるようにしておいてくれ!」
 早口でまくし立てて、エンジンの出力を上げる。
「タニー、このままあいつと宇宙まで追いかけっこだ。ちっと揺れるが、我慢してくれ」
 タニーに声をかけ、操縦桿を握り直す。
 ──さあ、ちゃんとついてこいよ。
 宇宙狒々がこちらを追ってきているのを確認しながら、追いつかれないよう、しかし追跡をあきらめてしまわないよう、注意深く宇宙船の速度を調整する。もてあましてしまうほどの出力を持ったエンジンをコントロールしつつ、宇宙狒々との距離を測り、時々やってくる攻撃を躱しながら相手を誘導するのはひどく難儀な作業だった。
 いつどんなミスが起きてもおかしくない状況で、しかしミスをすることは許されない。宇宙狒々の攻撃をぎりぎりのところで避ける度、タニーの悲鳴が上がっていたが、こちらも必死でそれどころではない。
 額に浮かぶ脂汗を拭う間もないままに、操縦桿を握りしめて機体をコントロールする。ほどなくして宇宙港が見えてきた。同時に、解放したままの通信機からせっぱ詰まった様子の音声が届く。
『宇宙港管理局よりリザードマン。八番ポートを開放する。そのまま直進して貨物用ドックに進入されたし。ドック進入後は、誘導灯に従って移動されたし。繰り返す……』
「了解!」
 ラウルは指示に従って機体を直進させ、大きく口を開けた宇宙港の入り口へと機体を突っ込ませた。
 誘導灯に導かれるままに通路を駆け抜ける。ほどなくして、ラウルの目の前に漆黒の広大な空間へとつながるゲートが現れた。
 後ろから宇宙狒々がついてきていることを確認し、ゲートをくぐってコロニーの外へ飛び出していく。コロニーとの距離を十分に取ったところで右に旋回し、ラウルはこちらを追って宇宙へと飛び出してきた敵の姿を視認した。
「さあ、こっからどうする?」
 ラウルは自分にいい聞かせるかのようにつぶやいた。こちらの火力では相手を撃退することは困難だ。だからといって、不毛な追いかけっこを続けたからといって、相手が根負けしてどこかに行ってくれるという保証もない。
 とりあえず、警報の出ていたビーム砲の状態を確認する。無茶な使用で強制的に稼働を中止させられていたジェネレーターは、ようやく再稼働を始めていた。ひとまず自動連射をオフにして、大きく息をつく。
 宇宙狒々がこちらを追ってきているのを確認して、機体を反転させ、最高出力のビーム砲を一発撃ち込む。ビーム弾は敵に直撃したものの、やはり一発程度ではそれほど効果があるようには見えない。宇宙狒々が腕を振り回して反撃してくるのを躱して、ラウルは宇宙狒々との距離を取った。
 火力が圧倒的に不足しているのは確かだが、運動性能はこちらの方に分はありそうだ。
 ──と、すれば、だ。
 このまま相手を挑発しながらコロニーから離れていき、コロニーから十分に離れたところで加速して、相手を振り切って撤退する。
 ベストとはいえないが、それが一番確実な方法のように思われた。
 ──あとは……。
 ラウルは、左の補助席で蒼白な顔をしているタニーにちらりと目を向けた。
 何らかの理由で自分が失敗してしまえば、まだ若い、前途有望なエンジニアを巻き添えにしてしまうことになる。無論、ラウル自身は失敗する気などはなからないが、万が一、ということもあり得る。
 ──そうならねえように、気を引き締めねえとな。
 ラウルは大きく息をついた。
「大丈夫か?」
「はい、なんとか」
「ちっと長丁場になるかも知れない。悪いが、もうしばらく我慢してくれ」
 最悪の事態については、あえて触れずにおいておく。
「大丈夫です。これでも、少しは体力には自信がありますから」
「上等だ……うおっと!」
 宇宙狒々の攻撃をぎりぎりのところで躱し、スペースコロニーから離れるように機体の軌道を変更する。
 ──さあ、ついてきてくれよ。
 サブモニターに映し出される機体のバックカメラの映像には、狙い通りにこちらを追ってくる宇宙狒々の姿が見える。
 ラウルはそのサブモニターの隅、宇宙狒々の後方に映るコロニーの端……ラウルが先ほど宇宙に飛翔した宇宙港……から、いくつかの光点が飛び出してくるのをめざとく見つけていた。
 ──なんだ?
 考える間もなく、開きっぱなしになっていた通信用回線から音声が届く。
『こちらノーマコロニー防衛隊。シャープエッジ宇宙サービス、ラウル・ニューランド、リザードマン応答願う』
「こちらラウル、リザードマン。感度良好だ」
 一気に距離を詰めてきた宇宙狒々の攻撃を躱しながら、ラウルは軽い口調で応えた。
『今、切り札を準備している。こちらも援護する。あと十五分だけ持ちこたえてくれ』
 ──切り札?
 そんな都合のいいものが存在するのか。一抹の不安を覚えながらも、ラウルは本職の軍人である防衛隊の言葉を信用することにした。
「了解。あと十五分だな?」
 機体を旋回させて宇宙狒々の二撃目も躱すと、自機に数倍する巨体の腹部を狙い撃つべく、機首を下方へと向ける。
 ラウルの意図を察してか、宇宙狒々はすぐさま体の向きを変え、こちらへと一気に接近してきた。しかし、運動性能はこちらの方が勝っている。機体をひねって加速をすると、狙い通り、ラウルの眼前に宇宙狒々の腹部がさらけ出された。
 地上を歩く生物とは違い、宇宙狒々の腹部が特別弱いというデータがあるわけではない。それでも多少は残っている可能性に賭けて、ラウルは眼前に迫る巨体にビーム砲の一撃を叩き込んだ。
 ビーム弾は宇宙狒々の腹部を直撃したものの、やはり決定的なダメージを与えるほどではない。頭ではわかっていたとはいえ、こちらの攻撃がこうまで通用しないと、さすがに少々心も折れてくる。
 敵との間合いを取るために機体を旋回させ、速度を上げる。宇宙狒々との距離が離れるのとほぼ同時に、コロニーの宇宙港から飛び出してきた光点……コロニー防衛隊の戦闘機……が、戦闘宙域へと到着した。距離が離れたラウルの機体と入れ替わるように、宇宙狒々の周囲を忙しなく飛び交い、牽制になるかならないかもわからない、効果を上げることのない攻撃を繰り返す。ラウルも宇宙狒々への牽制を繰り返す防衛隊の部隊に合流するため、機体を反転させた。
 そうしている間にも、防衛隊の戦闘機が一機、宇宙狒々に無謀な突撃を敢行して返り討ちにあった。
「馬鹿野郎が」
 ラウルは毒づいた。「切り札」とやらがあるのなら、わざわざ撃墜されるような無茶な突撃をする必要もあるまい。「時間を稼げ」といわれたのなら、指示されたとおりに時間を稼いでいればいいのだ。一か八かの突撃をするのは、切り札を切って、その効果を確かめてからでも遅くはない。
 練度の低いパイロットだったのか、あるいはただの無鉄砲だったのか。ラウルにはどちらとも判断がつかなかったが、どうやら他の戦闘機を操縦しているパイロットたちは、それほど未熟でも無謀でもないようだった。きれいなフォーメーションを組んで、巧みに宇宙狒々に接近したり離れたりを繰り返している。
 防衛隊のフォーメーションを乱さぬように注意しながら、ラウルもまた宇宙狒々の周辺を挑発するように飛び回った。
 攻撃の通用しない相手を退治する、あるいは追い払うというのは絶望的な成功率ではあるが、攻撃を耐えろ……それもわずか十五分でいい。その上援護してくれる味方もいる……となれば、話は変わってくる。気楽にできるかといえば決してそんなことはなかったが、それでも神経のすり減り方が全く違うのは事実だった。
 宇宙狒々の様子を確認して、攻撃をもらわないように気を配りながら、周辺を飛び回って相手を挑発する。タニーも多少は慣れてきたのか、少々のことでは悲鳴を上げることはなくなってきていた。
 こちらの攻撃が全く通用しないのは少し癪ではあったが、贅沢をいっている暇などない。
 わずか十五分。とはいえ強大な敵が相手では、決して短い時間ではない。防衛隊の戦闘機もさらに数機が落とされ、ラウル自身も背筋が冷える思いをしたのも一度や二度ではなかった。
 それでも、時間は確実に過ぎていった。
 約束の十五分をいくらか超過して、さらに防衛隊の戦闘機が一機、宇宙狒々の振り回す腕に粉砕された直後。
「待たせたな。『切り札』出港する」
 通信回線からひどくもったいぶった声が届いた。
 ──待たせすぎだ。
 ラウルが内心毒づくと、
「ラウルさん、あれを」
 タニーが視界の片隅を指さした。彼女が指さした方……コロニーの宇宙港……に目を向けたラウルは我が目を疑った。
「おいおい、戦艦まで持ち出しやがったよ」
 あきれ半分、驚き半分でつぶやく。
 それはまさに「切り札」だった。おそらくは辺境コロニーの防衛隊が保有する最強の戦力なのだろう。戦艦は一世代前の旧式で、しかも小型の部類ではあったが、それでも宇宙狒々のさらに数倍のサイズである。
 旧式とはいえ、しずしずと宇宙港から姿を現す戦艦の偉容は、圧倒的な存在感を誇っている。
 ほどなくして、宇宙狒々も戦艦の巨体に気づいたようだった。戦艦が自分に害をなす存在であるということを知っているのか、防衛隊の戦闘機には目もくれず、戦艦に向かって一気に距離を詰める。
「させるかよ!」
 ラウルは叫んでいた。機体を加速させ、宇宙狒々の進行方向に回り込み、顔面にビーム砲の一撃をお見舞いする。目立った効果はないものの、敵はこちらを無視できない存在として認識したようだった。戦艦の前にこちらを片付けてやろう、とばかりに腕を振り回してくる。
 その攻撃をきわどいところで躱し、さらに一撃。
 宇宙狒々の攻撃範囲から離脱しながら、ラウルはコロニーの宇宙港へ目を向けた。戦艦は港を離れ、徐々にコロニーから遠ざかっていく。その船体に搭載されている主砲の砲塔が、一斉に宇宙狒々に向けられた。
『主砲の一斉射を行う。味方は射線上から待避を!』
 船艦からの通信が入る。ほとんど間をおかずに、戦艦の主砲が一斉に火を噴いた。ラウルの宇宙船に搭載されているものとは比べものにならないほど太いエネルギー弾が、宇宙狒々めがけて放たれる。
 敵もすぐにそれと気づいて回避運動を行ったが、躱しきれずに数発のビーム弾が宇宙狒々に直撃する。さしもの宇宙狒々も、それまでの攻撃に数倍する威力のビーム弾の直撃をもらって無傷ではいられなかった。致命傷にこそならなかったものの、その巨体がきりもみしながら吹き飛ばされる。そこに追い打ちをかけるように、さらに数発の主砲の攻撃が命中する。
 これほどの攻撃をもらってもなお致命傷に至らないというのは驚異的ではあったが、さすがにこれ以上は不利と判断したのだろう。宇宙狒々はこちらをにらみつけるかのように一瞥すると、巨体を翻し、背中を向けて遠ざかっていった。
 その背中を見送りながら。
「私たち、勝ったんですか?」
 タニーが不安げにつぶやく。
「ああ。大金星だ」
 ラウルはにっと笑って応えた。
 宇宙狒々を倒せなかった以上「完全な勝利」ということはできないだろうが、敵を撤退にまで追い込むことができたのだ。十分に「勝利」といってもいい戦果だろう。
 それでもまだ油断はできまいと、固唾をのんで宇宙狒々の動向を見ていたが、ついに白い宇宙狒々はラウルたちの視界から消え去った。

 念のために偵察隊が周辺の宙域の調査に向かう、といった会話が防衛隊の間で交わされているのを聞きながら、ラウルは大学の整備工場のことを思い出していた。
「シャープエッジ宇宙サービスのラウルだ。悪いが勝利の女神さんのお友達の安否確認に向かわなきゃならん。先に抜けさせてもらうぜ」
 タニーがはっとしたようにこちらを見る。
『了解した。協力に感謝する。一般用の宇宙港はまだ混乱しているから、特別に軍用の港の使用を許可する。港には連絡しておくから、八十番ポートへ向かってくれ。それから、コロニー内では救護隊が活動を開始しているそうだ。必要なら、救護隊に声をかけてくれ』
「了解」
 ラウルは応えると、コロニーへと機首を向けた。
「状況は良くはないかもしれんが、希望は捨てるなよ」
 宇宙港への自動操縦を設定して、タニーへと目を向ける。まだ若いエンジニアの卵は、じっとこちらを見つめていた。
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