蜥蜴と狒々は宇宙を舞う

中富虹輔

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第二話

第二話 奇跡とともに託されたもの

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 宇宙狒々を撃退してひとまずの危機が去ったとはいえ、コロニーの緊急事態は継続中だった。
 隣に座るラウルの操縦で、宇宙船リザードマンは混乱している一般用の宇宙港を通り過ぎ、教えてもらった軍用の宇宙港からコロニーに入っていく。港には連絡が届いており、二人が乗った宇宙船はすんなりとコロニー内に入ることを許可された。
 コロニーの「空」を飛んで、大学の宇宙船整備工場へと向かう。
「ひでえな、こりゃ」
 宇宙狒々と追いかけっこをしていたときは周囲に目を向けている余裕がなかったが、事態が多少なりとも落ち着けば、周りを見る余裕もできる。住宅ブロックを見下ろしてつぶやいたラウルの声を聞き、タニーもまた操縦席の窓から見える景色に目を向けた。
 被害は甚大だった。
 家々は破壊され、撃墜された防衛隊の戦闘機があちこちで煙を上げている。そこここで火災も発生しており、人的な被害もかなりの数に上るだろう。
 ただ、不幸中の幸いというべきか、被害は比較的限定された範囲……端的にいってしまえば宇宙狒々が通った道筋……にとどまっている。多少の蛇行はしつつも真っ直ぐに進んでくれたおかげで、町中が無差別に破壊されるという、最悪の事態だけは回避できたようだった。
 その進行ルートに、タニーたちのいた宇宙船整備工場があったのは、不幸な偶然としかいいようがなかったが。
 ほどなくして、二人の乗った宇宙船は破壊された整備工場の敷地に着陸した。
 整備工場には救助隊が到着していたが、がれきを撤去できるような重機の姿は見られない。
「先に行きな。ゼミの仲間が心配だろ?」
「ありがとうございます」
 ラウルに促され、タニーは急いで席を立った。コックピットを出て通路を駆け足で進む。機外への出入り口が開いていなかったが、ラウルが操作してくれたのだろう、すぐにドアが開き、乗降用のタラップが降りた。
 がれきの山に向かって駆けていくタニーの姿は、すぐに救助隊員の目にとまったようだった。
 隊員の一人がタニーの元へとやってきて、「これ以上は危険だから近づかない方がいい」と制止された。
「私、ここのゼミ生なんです。ゼミのみんながどうなっているか、わかりませんか?」
 タニーの言葉に、隊員は言葉を詰まらせ、目をそらした。
「ちょっと待ってください」
 隊員はそう告げるとタニーに背を向け、無線で誰かと会話を始めた。
 そうしている間に、後ろからラウルがやってくる気配があった。
「どうだって?」
「わかりません」
 応えると、救助隊員が通信を終えてこちらに向き直った。
「残念ながら、今のところ生存者は確認されていません。がれき内に生命反応も確認されていないので、建物の中に人がいたのなら……」
 救助隊員は言葉尻を濁した。
「避難シェルターはどうだ? ぎりぎり間に合っているかもしれないぞ」
 後ろからかけられた言葉にはっとして、ラウルを振り返る。タニーはつなぎのポケットに携帯電話が入っていることを思い出し、電話を取り出した。
 あの場にいたゼミ生たちを片端から呼び出してみたが、電話は不通になっているか、呼び出し音が鳴っても、それに応えて電話に出る者はいなかった。
 ──そんな、まさか。
 祈るような気持ちで何度も電話をかけ直してみたが、誰からも返事が返ってこない。
 もうだめか、と諦めかけたとき、不意に呼び出し音が止まった。『もしもし』と聞こえてきた声に、タニーは息せききって「もしもし?」と応える。
『この電話の持ち主のお知り合いの方ですか?』
 しかし、電話の向こうから聞こえてきたのは知らない男の声だった。
 絶望的な思いがのしかかってくるのを感じながら、タニーは「はい」と短く応えた。
『そうですか。私はコロニー救助隊の者ですが、この電話の持ち主の方は、先ほどの宇宙狒々の襲撃に巻き込まれて……』
 最後まで話を聞くことができなかった。手から電話が滑り落ちる。
 全身から力が抜け、タニーは力なくその場にへたり込んだ。

 その後、なにがどうなったのかははっきりとは覚えていない。
 取り落としてしまった電話はラウルが代わりに出てくれた。その後発見された遺体の身元確認に立ちあい、あの場にいたゼミ生全員と、ゼミの講師の死亡を確認したことだけは、はっきりと覚えている。
 その後はラウルに付き添われ、彼に促されるままに歩き、「少し休んだ方がいい」と、宇宙船リザードマンの個室を貸してもらうことになったが、どこをどう歩いたのか、記憶が全くなかった。
 決して広くはない、殺風景な個室。窓はなく、外の様子をうかがうことはできない。部屋の隅に収納式の小さな机とイスが備えられていて、タニーはそのイスに座っていた。部屋の逆側の壁は同様に収納式の簡易ベッドになっているという説明は、聞いた記憶がある。そのあとで「少し横になるか?」と尋ねられたような気もするが、その記憶が正しいかどうかは判然としなかった。
 タニーの記憶にはなかったが、机の上にはコーヒーカップが置かれており、カップの中にはコーヒーが注がれていた。
 ──のど、かわいたな。
 生理的欲求と目の前にあるコーヒーを結びつけるのに、ひどく時間がかかった。
 ──ああ。そうか。
 ようやくコーヒーを飲めばいいのだ、ということに気づき、カップを手にとる。
 口に含んだコーヒーはブラックで、苦味が強かった。入れられてから時間がたっているのか、生ぬるい……どころかほとんど水のような温度になってしまっている。
 ──ミルクと砂糖は……。
 コーヒーカップのすぐそばに、個包装されたミルクと砂糖を見つけた。どうしてこれが目に入らなかったんだろう、と思いながら、タニーはミルクと砂糖をカップに注いだ。
 生ぬるいのはどうしようもなかったけれども、コーヒーの苦味はマイルドになっている。タニーはコーヒーを半分ほどまで飲んで、カップを机に置いた。
 ──これから、どうすればいいんだろう。
 学校のこと。生活のこと。そしてカグツチのこと。
 今まで普通に目の前にあったもののほとんどが、この数時間で破壊されてしまった。
 ──私も、みんなと一緒にあそこにいれば楽だったのかな。
 もう一つため息をついて、コーヒーを口に運ぶ。
 コーヒーカップを置くのと同時に部屋のドアがノックされた。
「ラウルだ。入っていいか?」
 はい、どうぞ、と応えると、ドアが開いた。
「少しは落ち着いたか?」
「はい。ありがとうございます」
 部屋に入ってきたラウルは、小脇に何かを抱えていた。
「遺体の近くにあったそうだ。うまい具合にがれきの隙間に嵌まっていたから、損傷もほとんどないらしい」
 ラウルが、小脇に抱えていたものを机に置いた。
 犬の姿を模した、ペットロボット。元々は市販品だったものだが、ゼミの皆がよってたかって好き放題に改造したため、外見はともかく中身はまるで別物になってしまっている。
 銀色のボディは薄汚れてしまっているが、確かに目立った損傷はない。バッテリーが切れてしまったのか、電源が切られているのか。普段は周囲をちょろちょろと駆け回っているペットロボットは、机の上で静かにたたずんでいる。
 ──お前は無事だったんだね。
 知り合いのことごとくが宇宙狒々の犠牲になった中、たとえロボットでも、「生き残り」がいたことに、タニーは小さな安堵を覚えた。
「今、何時くらいですか?」
「午後七時をちょっと過ぎたところだな。町はまだ混乱しているし、ちょっと手狭で不便だけど、きみがよければ今日はここに泊まっていくといい」
「すみません、ありがとうございます」
 アパートに帰ろうと思えば帰れる時間ではあったが、今は何をするのもおっくうで、ラウルの申し出はありがたかった。
「じゃあ、そろそろ夕食にしたいんだが、食欲はあるか?」
 正直、食欲はなかった。しかしラウルの好意を無碍にするのもどうかと考え、タニーは「ありがとうございます、いただきます」と応えた。
「わかった。支度をするから少し待っててくれ。準備ができたら迎えにくる」
「はい」とうなずくと、ラウルは部屋を出ていった。
 静まり返った室内で、タニーは小さくため息をついた。ふと思いついて、ペットロボットのスイッチを入れてみる。
 ロボットのバッテリーは残っていた。目が緑色に光り、自己診断を示す緑の点滅になる。
 ほどなくして、ロボットに内蔵されたスピーカーから女性の合成音声が聞こえてくる。
「自己診断終了しました。身体が若干傷ついていますが、活動には問題ありません。少しおなかが空きました」
 ──動いた。
 少し興奮気味に、タニーはペットロボットを見つめた。ロボットはきょろきょろと周囲を見回し、最後にタニーに目を向けた。
「ここはどこですか、タニー」
 人物認識機能やセンサー、人工知能にも問題はなさそうだ。
「あなたは、なにが起きたのか覚えてる、ファーナ?」
 ロボットは小さく首を横に振った。
「午後三時くらいに休眠を命じられたので、それ以降のことはわかりません」
 ゼミの誰かがファーナを持ち出すために、一旦電源を切ったのだろう。タニーがラウルの宇宙船に飛び乗って以降のことが少しでもわかるかと思ったが、それは叶わなかった。
 ──しかたない、か。
 ため息をつくと、部屋のドアがノックされた。
「ラウルだ。食事の支度ができたぜ」
「はい、すぐ行きます」
 タニーは応えて立ち上がった。ふと、ファーナが空腹を訴えていたことを思い出す。この宇宙船に充電用の設備はあるのか、ラウルが設備の使用を許可してくれるのか。不安材料はあったが、訊くだけ訊いてみてもいいだろう。
「ファーナ、おいで」
 タニーの言葉に、ペットロボットは机の上からひらりと身を踊らせ、きれいに着地を決めた。
 ファーナを伴って部屋を出る。
 通路で待っていたラウルは、すぐにファーナに気づいたようだった。
「動いたんだな、それ」
「はい。ファーナといいます。それで、申し訳ないんですけど、この子のバッテリーが少ないみたいなので、充電用の設備があれば、使わせてもらいたいんですけど」
「充電するのはかまわないけど、そいつに充電できる充電器は、たぶん積んでないぜ」
「ええと、J規格の家庭用電源コンセントはありますか? 充電ケーブルは内蔵してあるので、コンセントがあれば充電はできると思います」
「J規格? なら、変換アダプターをかませばいけるな。アダプターはあるはずだから、あとで探しておくよ」
「ありがとうございます」
「じゃあ、食事にしよう。こっちだ」
 ラウルに促され、タニーはファーナを伴って食堂へと向かった。
 食堂といっても、先ほどまでタニーがいた個室より若干広い部屋に、簡易的なキッチンが併設されているだけの部屋でしかなかった。部屋の中央にはテーブルとイスが二脚。テーブルもイスも宇宙空間での利用が想定されているようで、床に固定されていた。
 ラウルは「座って待っていてくれ」と告げるとキッチンへと入っていった。いわれたとおりにイスに腰掛け、ファーナが足元で伏せの姿勢をとるのを確認する。
 ラウルはすぐに、プラスチックのトレーを二つ持って出てきた。
 しょせん……といってしまうのは少々失礼ではあったが……宇宙船の簡易キッチンでの料理だ。特別な期待をしていたわけではなかったので、タニーは目の前に置かれたトレーに、目を見張った。
 パンとスープ、そしてハンバーグに野菜サラダ。思っていたよりもきちんとした「料理」だ。
「自分でいうのもなんだが、うまそうだろ?」
 いいながら、ラウルはタニーに向かい合うように腰掛けた。
「はい。宇宙船の備蓄食料って、もっとこう……そっけないものかと思っていました」
 食事を取りながら話を聞いてみると、ごく最近になって食料の保存技術に革命が起きたらしい。そのおかげで、この船のような小型の宇宙船でも、それなりにまともな食材を、十分な量だけ備蓄できるようになったのだという。
「そうなんですか」
「ああ。味も悪くないだろ?」
 はい、おいしいです、とうなずいて、残ったスープを飲み干す。
 ラウルがいてくれて助かった。こうして他愛もない言葉を交わしているだけでも、ずいぶんと気が紛れる。そんなタニーの心情に気づいているのか、ラウルも会話がとぎれないように、色々な話しをしてくれた。
 そして食事を終えると、ラウルは「コーヒーでも飲むかい?」と尋ねてきた。
「はい。お願いします」
 ラウルは空になったトレーを持ってキッチンに入り、やがてコーヒーカップを二つ持って戻ってきた。カップをテーブルに置いて、イスに腰掛ける。ラウルに促されるまま、砂糖とミルクを入れて、コーヒーを口に含む。
 カップをテーブルに置いたタニーは、ラウルがこちらを見つめていることに気づいた。
「なあ、もしよかったら、カグツチエンジンのことを、教えてもらえないか?」
「カグツチのことを、ですか?」
「ああ。あれの性能は大したもんだったよ。あれを量産できれば、十分に宇宙狒々に対抗できるんじゃないかと思ってな」
 ──宇宙狒々に対抗する。
 カグツチにはそんな使い道もあったのだ。ラウルの言葉に、タニーははっとした。ほんの何時間か前にそんな使い方をしたばかりだったのに、なぜそのことに思い至らなかったのだろう。
 ただ、ラウルのいった「カグツチの量産」は難しいだろう。あれは少々……いや、かなり特殊なエンジンシステムだ。
 タニーは難しい顔を浮かべた。その表情を別の方向に勘違いしたのか、ラウルが穏やかな口調でつけたす。
「まあ、きみにもきみの事情があるだろうから、どうしても、ってわけじゃない。話したくないなら、それでかまわないから」
「いえ、話せないとか、そういうわけではないんです。ただ、カグツチはちょっと特殊なので」
「生体認証が組み込まれているのも、そのせいなのか?」
 はい、とタニーはうなずいた。コーヒーを一口飲んで、居住まいを正す。
「少し長い話になってしまいますけど、いいですか?」
「ああ。時間なら、たっぷりあるからな」
 うなずいて、ラウルがコーヒーをすする。
 ラウルがコーヒーカップを置くのを待って、タニーは静かに口を開いた。
「ラウルさんは、ハーシュラムの奇跡のことはご存知ですか?」
「二十年前のザンダールドスの接近の時に起きた事件だったな。ハーシュラム宙域で、民間の宇宙船が宇宙狒々に襲われたけど、奇跡的に赤ちゃんが一人、助かったっていうやつだろ?」
 はい。タニーはうなずいた。
「ハーシュラムの奇跡で助けられた子供が、私です」
 ラウルはタニーをまっすぐに見つめた。
「本当に? 君が?」
 半信半疑、といったていでラウルが問う。タニーはまっすぐに視線を返し、「はい」とうなずいた。
「もちろん、私にはその記憶はないんですが、そんな嘘をついたところで得をする人もいないでしょうし」
「まあ、そりゃそうだな」
 ラウルは納得したようにうなずいた。
「で、君がハーシュラムの奇跡で救出された子供だっていう話とカグツチは、どういうふうにつながるんだ?」
「はい。当時の報道では、救出されたのは私だけということになっていましたが、私が入っていた救命カプセルの中には、もう二つ、別のものが入っていたんです」
「別のもの?」
「一つは、小型のエネルギー変換ユニットでした。今でも理論はわかっていませんが、ごくわずかな燃料から、莫大な出力を得ることができるという装置です」
 いったん言葉を切って、コーヒーを口に含む。ラウルは腕組みをして、まっすぐにこちらを見つめていた。
 小さく息をついて、話を続ける。
「そしてもう一つが、そのエネルギー変換ユニットを使ったエンジンの基礎構造でした。その基礎構造を現代の理論に応用して作ったのが、カグツチなんです」
「なるほどな。そうすると、カグツチの生体認証は、その基礎構造に組み込まれていた、ってことなのか?」
「いえ、それはまた別の問題なんです。さっきお話ししたエネルギー変換ユニットの方に生体認証システムが組み込まれているようで……」
 タニーはちらりとラウルの顔を見た。どちらかといえば荒唐無稽ともいえるような話だった、しかしラウルは真剣な表情でタニーの次の言葉を待っている。
「……そのエネルギー変換ユニットが、動作原理も内部構造も全くわからない、完全なブラックボックスなんです」
「ブラックボックス?」
「はい。何をやっても傷一つつけることもできませんでしたし、中を見ることもできないんです。わかっているのは、とにかく異常なくらい効率よく燃料をエネルギーに変換できるということと、私が近くに居ないと、絶対に動作しない、ということだけなんです」
「つまり、エネルギー変換ユニットがないとカグツチは作れない。そしてそのエネルギー変換ユニットは、奇妙な生体認証システムが搭載されている上に、解析もできないからコピーのしようがない、ってことか」
「そういうことになります」
 タニーがうなずくと、ラウルは難しい顔をして、「わかった。ありがとう」と応えた。その表情を見て、タニーはふと、あることを思い出した。
「あ、あと、カグツチの基礎構造のデータが入っていたメモリーカードなんですけど、そのほかに暗号化されたデータが入っていたんです。もしかしたらそっちの方に、エネルギー変換ユニットの詳細が記述されているのかもしれません」
「その暗号っていうのは、解けそうなのか?」
「いえ、残念ですが……。色々とやってはいるんですが、まだ」
「いずれにせよ、今回のザンダールドスの接近期間の間にカグツチを量産するのは難しい、ってことだよな」
「すみません」
「きみが謝ることじゃないさ。こっちだって、物事がそう都合よくいくとは思っていないしな」
 ラウルは笑って応えた。
「そういえば、家には連絡は入れたのか? きみがハーシュラムの奇跡の生き残りでも、育ての親とか、そういう人はいるんだろう?」

 食事を終えたあと、タニーは別のコロニーで暮らしている養父母のところへ無事を伝える連絡を入れた。ラウルが宇宙船の通信設備を貸してくれたので、映像通信で無事な姿を養父母に見せることができた。
 タニーを我が子のように育ててくれた夫婦は、彼女の無事を心から喜んでくれた。二人はタニーの実の両親の後輩で、彼らに大きな恩があったので、その恩返しのつもりで彼女を引き取ったのだ、と語ってくれたのを覚えている。
 タニーは養父母に問われるままに、カグツチを接続した宇宙船に乗ったこと、その後整備工場が宇宙狒々に襲われ、自分だけが助かったことを話した。
 あの時の状況を思い出し、嗚咽混じりに言葉をつなぐタニーの話を、養父母は黙って聞いていた。
 やがてタニーの話しが終わると、義父が静かに口を開いた。
『つらい思いをしたね、タニー。でも、死んでしまったきみの学友たちには申し訳ないけれども、きみだけでも生き残ってくれてほっとしているよ。今回も、きっとご両親がきみを守ってくれたんだろうね』
 ──お父さんとお母さんが。
 両親が残してくれたデータから作ったカグツチ。
 そのカグツチを稼働させるためにラウルの宇宙船に乗らなければ、自分も学友たちと一緒にがれきの下敷きになっていただろう。
 それを「両親が守ってくれた」と考えるのは、いささかセンチメンタルが過ぎる気もする。ただ、ハーシュラムの奇跡といい、今回の一件といい、なにか不思議な力が自分を守ってくれたのだ、と考えてもいいくらいには、幸運が味方してくれたのは確かだった。
「そうだね。お父さんたちのおかげかも」
 タニーは養父の言葉にうなずいた。
「学校の方はこれからどうなるかわからないし、こっちのコロニーもまだ混乱してるから、落ち着いたらまた連絡するね」
『ああ。気をつけてな』
 挨拶を交わし、タニーは通信回線を切った。
 小さくため息をついて、足元に伏せているペットロボットに目を向ける。
「私の本当のお父さんは、どうしてカグツチのデータを残してくれたんだろうね」
 タニーの言葉に反応して、ファーナがこちらに顔を向けた。
 宇宙考古学者だった父母がなぜエンジンの設計理論が保存されたデータを持っていたのか。そしてあのエネルギー変換ユニットは何なのか。
 宇宙狒々に殺された両親が残してくれたものを形にすることに頭がいっぱいで、今までその意味を深く考えたこともなかった。
 一つだけわかっていることがある。
「カグツチを使ったから、宇宙狒々に勝てたんだよね」
 ファーナは静かに、タニーを見つめていた。

「宇宙狒々と戦うのに、カグツチを提供したい?」
 ラウルは面食らった。
 翌朝。朝食を終えたあとで、深刻な表情で、タニーが申し出てきたのだった。
「はい。カグツチの量産は無理ですけど、一つだけでも、少しは何かお役に立てるんじゃないかと思って」
「そりゃまあ、高性能な宇宙船は一機でもあるに越したことはないけど……」
 あれを稼働させるには、タニーが近くにいないとならないのではなかったか。
 タニーは真顔でこちらを見つめている。恐らくはいろいろと考えた上での決断なのだろう。
 だからといって、民間人の、それも前途ある学生を宇宙狒々との戦いの場にかり出すというのはおいそれと了承できるものでもない。そもそも一応は「会社員」という形になっているラウルに、そんな権限があるわけでもない。
 ──参ったな。
 ラウルは頭を掻いた。
「カグツチを提供するっていったって、きみはどういうやりかたを考えているんだ? 宇宙軍にカグツチを持って行って、『私もセットで使ってください』って引き渡すのか? カグツチだけならともかく、軍が民間人の学生をほいほいと使ってくれるとは思えないけどな」
「ラウルさんたちのような宇宙サービスも、宇宙狒々との戦いに協力すると聞いています。ラウルさんならカグツチの性能を実際に体験していますし、そういうところでなら使ってもらえるかな、って」
 ──いろいろと考えてはいるってことか。
 ラウルは小さく息をついた。
「きみの決断はありがたいと思うし、確かにこの先の戦いで、カグツチエンジンがあれば大きな戦力にはなるだろうな」
 ラウルは慎重に言葉を選んだ。
「だが、何百とか何千、何万って単位の戦力が動く戦場じゃあ、たった一機の高性能機がいくら活躍したところで、戦局を動かすのは難しいんだ」
 いかにカグツチエンジンが高性能だといっても、それだけで宇宙狒々を次から次へ撃退できるほどではないのは、昨日の戦闘でも証明されている。
 さらにカグツチエンジンは、量産もできない上に、奇妙な生体認証システムまで組み込まれている。戦術レベルでの戦力としてならば大いに期待は持てるだろうが、それで大きな戦局をどうこうできるかといえば、「難しい」といわざるを得ないだろう。
「きみも知っていると思うが、俺たち人類は個々の戦闘能力では宇宙狒々に劣っている。昨日はうまいこと撃退できたが、この次もうまくいくという保証はないし、その時にカグツチときみを乗せた宇宙船が撃墜される可能性だって、低くはないだろう」
 ラウルの言葉を、タニーは顔を伏せて聞いていた。
「おれは技術畑の人間じゃないから詳しいことはわからないが、カグツチエンジンを設計できるくらいなんだ。きみは優秀なエンジニアなんだろう。きみなら、そのうちにエネルギー変換ユニットのブラックボックスも解析して、量産だってできるようになるかもしれない。そうなれば、宇宙狒々とだって、今度は対等以上の条件で渡りあえるようになるだろうし、犠牲者だって今よりもずっと少なくなるだろう。将来のことを見据えれば、今、カグツチを積んだ一機の戦闘機を出撃させるより、ここでカグツチのことをもっと研究した方がいいと思うんだがな」
「それは、そうかも知れませんけど」
 タニーは言葉を濁した。
「でも、今できることをしなかったら、このあとずっと後悔すると思うんです。カグツチの解析が、というのなら、あいた時間を使って進めることだってできますし」
 目の前に座るエンジニアの卵の決意は固いようだった。
 ──やれやれ。
 ラウルはもう一つ息をついた。
 ──まあ、あれだけのことがあったあとだからな。精神状態も不安定なんだろうし。少し落ち着くまで、いうとおりにしといてやるのがいいのかもな。
 昨日の宇宙狒々の襲来は前哨戦。全面衝突まではまだ時間があるはずだ。
 タニーは機械整備の技術も持っているので、ラウルの勤め先であれば当面の彼女の「仕事」も十分にある。仕事は決して楽ではないので、ちょっと落ち着いてくれば、仕事のきつさに音を上げるのではないか。そうなったら、彼女を丁重に送り返してやればいい。
「わかった。君のその熱意は買おう。ただ、悪いが俺の一存で決めるわけにもいかなくてな。君だって、まだこのことは親御さんには話していないんだろ? 大学の手続きもあるだろうし、とりあえず君は親御さんの了承を得ること。それから、俺の会社で君を受け入れることが了承されてからだ」
 ハードルをいくつか設けておけば、どこかで引っかかる可能性もある。それでタニーが諦めてくれれば、その方がいいだろう。
 そんな打算まじりのラウルの言葉に、タニーは真剣な表情でうなずいた。

 意外なことに、タニーの養父母は彼女の「宇宙狒々と戦う」という決断に反対することはなかった。「もう成人しているのだから、その決断にとやかく口出しはしない」というのが二人の主張だったが、二人はタニーに、二つの約束をさせていた。
 大学は退学ではなく休学にすること。そしてザンダールドスが離れ、宇宙狒々の襲来が終わったら復学し、必ず卒業すること。
 タニーがその約束を守ることを誓うと、穏やかそうな見た目の夫婦は『ラウルさんでしたね』と、タニーの後ろに控えていたラウルに声をかけた。
『タニーのことを、よろしくお願いします』
「わかりました。精一杯の努力はさせていただきます」
 力強くうなずきを返す。
『それじゃあタニー、十分に気をつけて。きみのご両親が守ってくれた命を、粗末にしないようにね』
 タニーが「うん」とうなずくと、義父母は微笑んで通信を切った。
 これで一つ目のハードルは越えてしまったが、実質的にはタニーの申し出は通ったも同然だった。ラウルが勤めているシャープエッジ宇宙サービスは、慢性的な人手不足に悩まされている。雑用でも何でも手伝ってくれる人材がいるだけで大助かりだろうし、それが優秀なエンジニアならば大歓迎だろう。
 案の定、ラウルが会社に連絡を取って事情を説明すると、キムラ社長は二つ返事でタニーを歓迎した。
 そして社長はタニーの待遇のことなどを一通り説明したあと、ラウルに目を向けた。
『それで、いつ帰ってこれる?』
「コロニーもまだ混乱しているし、タニーも荷物をまとめたりしないといけないだろうから、今すぐってわけにはいかないだろうな。なるべく早く出発できるように努力はするよ。で、ザンダールドスの方はどうなってる?」
『今のところ、被害はそっちのコロニーの一件だけだ。まだザンダールドスと距離はあるから、そっちを襲った宇宙狒々はかなり活動的な個体なんだろうって分析はされている。まあ、もう二、三週間もすれば、被害報告は増えてくるだろうな』
「そうすると、仕事も宇宙狒々がらみのが入ってきてる感じか?」
『ああ。今のところ、警戒宙域の哨戒任務が一件と、緊急救援契約が三件きているぞ』
「もうそんなに取ってきてるのかよ。おれたちを過労死させる気か?」
 あきれ顔でラウルがつぶやくと、キムラ社長はからからと笑った。
『ウチの営業は優秀だからな。それじゃあ、なるべく早い帰還を待ってるぞ』
「了解」
 ラウルは応えて通信回線を閉じ、タニーへと向き直った。
「これで、ひとまずきみもシャープエッジ宇宙サービスの一員だな。しばらくは試用期間ってことにはなるが、それなりの働きは期待させてもらうぜ」
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