蜥蜴と狒々は宇宙を舞う

中富虹輔

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第三話

第三話 戦い迫り、おもいは揺れる

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 シャープエッジ宇宙サービスは、業界では中堅どころといった規模ではあるが、ラウルを始めとして、優秀な宇宙船パイロットが多数在籍していることで知られている。
 保有している宇宙船は、中型の母艦二隻と小型の汎用宇宙船が十数機。
 もっと規模の大きなところでは宇宙船を整備するための工廠コロニーを保有しているところもあるが、シャープエッジ宇宙サービスはノーマコロニーにほど近いオストーコロニーの宇宙港の一角を間借りし、そこを拠点としている。
「『宇宙サービス』なんて名前は聞こえはいいが、実態は宇宙の『何でも屋』だからな。荷物の輸送からデブリの排除に海賊退治と、まあ宇宙空間でやる仕事はなんでもやってるんだ。ウチは仕事を選べるからそうでもないが、小規模なところは違法スレスレの危ない仕事を受けているようなところもあるらしいな」
 タニーに問われ、ラウルはシャープエッジ宇宙サービスのこと、そして「宇宙サービス」という仕事そのものについて、簡単に説明した。
「見えてきたぞ。あれがオストーコロニーだ」
 コックピットから見える宇宙空間に、新たな光点が増える。光点は徐々にその大きさを増していき、やがて巨大なシリンダー状の構造物であることがはっきりとわかるようになった。
 コロニーの外観は、先日までタニーが暮らしていたノーマコロニーと変わることはない。宇宙の景色はあまり代わり映えする事はないので、「宇宙空間をぐるりと一周してノーマコロニーに戻ってきた」といわれても、信じられるかもしれない。
 ほどよくコロニーが近づいてきたところで、ラウルはコロニーの宇宙港に通信を入れた。
 所属と船籍を伝え、入港許可を求める。入港許可はすぐにおり、ラウルは誘導に従って、通い慣れたシャープエッジ宇宙サービスの占有ドックへと機体を向けた。
 宇宙港のドックは、整備作業の効率化のため、無重力の区画になっている。そのなかを微速でしずしずと進んでいくと、やがて巨大な宇宙船が視界に入ってきた。
 ただ、巨大というのはあくまで人間の目から見た感覚的なものに過ぎない。艦載機の積載数が十機に満たないこの宇宙母艦は、分類上は中型に相当する。
 宇宙狒々の襲来に備え、整備に余念がないのだろう。ドックに係留されている母艦には、大勢の整備スタッフがとりついていた。
「母艦が、一隻しかいませんね」
 横でタニーがつぶやくようにいった。
「宙域哨戒の依頼が来てるって話だったから、もうそっちに向かっているのかもしれないな」
 タニーに応えながら、整備スタッフの誘導に従って、機体を整備場兼駐機区画へと移動させる。ラウルは指示された区画に機体を入れると、整備スタッフによる機体の固定作業が終わるのを待った。
 ほどなくして、ヘッドアップディスプレイに機体の固定が完了した旨のメッセージが表示された。手順に従って、機体に異常がないかを確認し、エンジンを停止する。
「エンジン停止確認、と」
 ラウルは大きく身体を伸ばし、操縦席から立ち上がった。
「行くぞ、タニー。まずは社長に挨拶だ」
「はい」
 タニーの返事を聞きながら、ラウルはコックピットをあとにした。タニーがついてくるのを確認して、乗降用のハッチから外に出る。
 ハッチの外では、整備班長のホスローがラウルたちを待ちかまえていた。灰色の頭髪がだいぶ心許なくなってきた小柄な整備士は、
「お疲れさん。大活躍だったそうじゃないか」
「まあな。おれにかかれば宇宙狒々だって裸足で逃げ出すさ」
 ラウルの軽口に、ホスローはからからと笑った。
「頼もしいことだな。で、そっちの別嬪さんが、例の?」
「ああ、タニーだ」
「整備班長のホスローだ。よろしくな」
「タニーです。よろしくお願いします」
 緊張しているのだろう。会釈を返したタニーの声はこわばっていた。
「そんなに堅くならなくても大丈夫だぞ。別に取って食いやしないから」
 ホスローはからかうように笑い、
「まあ、気楽にいきな。仕事はちっときついが、慣れちまえば居心地は悪くないからな」
 そうはいわれても、いきなり「はいそうですか」とリラックスできるはずもないだろう。はあ、とうなずくタニーの表情は、強ばったままだった。
 ラウルはタニーに目を向け、「最初だから色々と不安だろうが、そのうち慣れるさ」と気楽にいった。
 今度はホスローに目を向ける。
「機体のほうは絶好調だ。エンジンの調子もいいし、操縦系の調整も完璧だった」
「そりゃそうだ。腕が違うからな」
 ホスローは左腕で力こぶをつくり、その上腕を右手でぽんと叩いた。そしてちらりとタニーを見やり、
「で、カグツチっていったか。例のエンジンモジュールはどうする? 送ってもらったデータを見た限りじゃ、基本的な構造は普通のエンジンと同じみたいだから、基礎点検くらいならできると思うぜ」
 ラウルはタニーに目配せをした。
「あ、はい。お願いします」
 タニーが応えると、ホスローは「まかせときな」と、にっと笑った。
「貴重な戦力だ。いじくりすぎて壊すなよ」
「馬鹿も休み休みいえ。俺を誰だと思ってるんだ?」
 ラウルの軽口に、ホスローも軽口で返す。そしてホスローは、すでに船体にとりついている整備スタッフに目を移すと、
「よーし、船体整備をさっさと済ませて、お宝エンジンを拝ませてもらうぞ」
 大声を出して、自分自身も船体後方へと向かっていった。
「よし、おれたちも行こう。こっちだ」
 ホスローの背中を見送って、ラウルはタニーに声をかけた。
 無重力の港湾ブロックを抜け、重力のある住居ブロックへ。港湾ブロックの出入り口から歩いて五分ほどのところにあるオフィスビルに、シャープエッジ宇宙サービスの事務所はあった。
 事務員たちと挨拶を交わしながら、タニーを伴って社長室へと向かう。社長室のドアをノックして、
「ラウルだ。入るぞ」
 声をかけてドアを開ける。タニーとともに部屋に入ると、
「お疲れだったな、ラウル」
 キムラ社長は気さくに声をかけた。五十歳を少し回った、がっしりとした体つきの男は、社長室の高級そうなイスに座っているよりも、宇宙船の操縦席の方が似合いそうな雰囲気がある。
 ラウルも詳しいことは聞いてはいないが、元々は、その雰囲気の通り宇宙船パイロットだったらしい。ただ、現在では宇宙船の操縦席に座ることはなく、用事がなければこの社長室か、宇宙港にいることがほとんどだった。
 社長はラウルたちに、部屋の隅にある応接用のソファに座るよう促した。二人がソファに腰掛けると、社長は二人の対面に座り、まずはタニーに目を向けた。
「ようこそ、シャープエッジ宇宙サービスへ。色々あったあとで大変だったと思うけれど、きみの決断を歓迎するよ」
 キムラ社長はタニーに向けて手を伸ばした。タニーはその手を握り返し、
「タニーです。よろしくお願いします」
「会社については事前に話しはしているから、早速で悪いが、仕事の話しをさせてもらおう。ザンダールドスの接近と、宇宙狒々の襲来はきみが体験したとおりだ。そして我々は、宇宙軍から、宇宙狒々の迎撃という仕事を受注している。すでに一部の社員は宇宙に出ているが、きみも、ここにいるラウルと一緒に宇宙に出てもらいたい」
「はい」
 タニーは即答した。彼女の表情に迷いはなく、ノーマコロニーでラウルに「宇宙狒々と戦いたい」と告げたときの決意は揺るいではいないようだった。
「まず、きみが提供してくれたカグツチエンジンは、現状のままラウルに使ってもらおうと思っているが、構わないかな?」
「はい。そういった判断は、私にはできませんので」
「では、きみはラウル機のリザードマン……というか、カグツチエンジンの整備を主に担当してもらって、ラウルの出撃の際には、ラウルと一緒にリザードマンに乗ってもらいたい。もちろん、手が空いている時には他の機体の整備作業もやってもらうし、きみのお父さんが残したというデータディスクの解析もやってもらいたい。あらかじめいっておくが、仕事はきついぞ」
 キムラ社長の言葉にも、タニーはひるむ様子はなかった。
「わかりました。頑張ります」
 ラウルは社長と目配せを交わした。可能ならば、未来のある若いエンジニアをこの戦いからは遠ざけておきたいという話をしていたのだが、やはり彼女の決意は固いようだった。
「よろしい。当面きみが寝泊まりするところは手配しておくから、きみはドックに戻って、仕事を覚えてもらいたい。予定では、出発は一週間後。それまでに、できるだけたくさん仕事を覚えてもらうぞ」

 宇宙船の整備をし、ラウルが訓練で宇宙に出ればそれに同乗し、帰還後には再び宇宙船の整備とカグツチの調整。
 とにかく目まぐるしい三日間が過ぎた。仕事は確かにきつく、一日が終わると何をする気力もないまま、会社が用意してくれたホテルで泥のように眠ることしかできなかった。
 そして四日目の朝。
「朝です。起床時間です。朝です。起床時間です……」
 ベッドの脇でファーナが飛び跳ねている。タニーは重い身体をようやくのことで起こし、ペットロボットに目を向けた。
「ありがとう、ファーナ。大丈夫、起きるから」
 大きく息をついて、のろのろとベッドから降りる。朝食をとるよりも身体を休めたかったが、食べないと身体が保たないのもわかっている。
 タニーは身支度を整えると部屋を出て、ホテルの食堂へ向かった。こんな状態で自炊しなくていいというのは幸いだった。
 味もわからなくなってしまったパンとサラダをオレンジジュースで流し込み、コーヒーをブラックでがぶ飲みする。
 かなり無理矢理な方法ではあったが、それでも徐々に身体の活動スイッチが入ってくる。
 ──さあ、今日も頑張らなくちゃ。
 自分を鼓舞して立ち上がり、タニーは食堂を出て、ロビーへ向かった。
 ホテルを出ると、見覚えのある男がこちらを見ている。男はタニーに向かって手を振り、彼女の方へと歩み寄ってきた。
 名前はトールといったはずだ。ラウルと同じチームのメンバーで、訓練などでラウルと一緒にいることも多い。
 タニーよりも少し年上で、きれいな金髪が印象的だった。何度か言葉を交わしたが、物腰の柔らかい、優しそうな人だ、という印象の男。
「おはよう」
「あ、おはようございます」
 挨拶を返して、なぜトールがここにいるのかを考える。
 タニーの疑問は、そのまま表情に出てしまっていたようだった。
 トールはタニーに微笑みかけ、
「ラウルさんたちが心配していたんだ。『そろそろ疲れがたまってくる頃じゃないか』って。家が同じ方向だから、ちょっと様子を見てこい、っていわれてね」
 ──見抜かれてるんだ。
 タニーは内心苦笑した。
「ありがとうございます。私は、まだ大丈夫です」
「でも、疲れがたまってる、って顔をしてるよ」
 平気を装って応えたが、やはり隠しきれない疲れが表れているのだろう。トールは微笑んで、「はい、これ」と、小さな瓶をタニーに差し出した。
 市販の栄養飲料。ラベルには「肉体疲労にこの一本!」など、景気のいい言葉が並んでいた。
「ま、気休めでしかないけどね」
「ありがとうございます」
 ──そんなに疲れがたまっているように見えるのかな。
 せっかくの好意を無駄にするわけにもいかず、タニーは栄養飲料の小瓶を受け取った。
「さあ、そろそろ行こうか。今日と明日頑張れば明後日は一日休みだし、船が出港すれば、もう少し余裕もできるはずだから」
「はい。頑張ります」
 タニーは応え、歩き始めたトールのあとを追った。
「仕事には慣れた?」
「手が遅くて、皆さんの足を引っ張ってばかりです」
「うちのメカニックはベテラン揃いだからね。きみはまだ大学生なんだろう? みんなと同じにできたら、それこそ大したものだよ」
 トールは朗らかに笑った。
「みんな、きみのことを褒めているよ。何でも器用にこなせるし、仕事はていねいだし、真面目だし、って」
「はあ」
 実感のないままタニーはうなずいた。何をするにも時間がかかってしまうのは事実だった。誰も口には出さないけれども、遅い仕事に皆がイライラしているのでは、と気がかりでならない。
 そんなタニーの内心の不安に気づいているのか、
「大丈夫。きみはうまくやれているよ」
 トールは明るくいった。
「そういえば、きみはハーシュラムの奇跡の生き残りなんだってね?」
 その事実を伝えても良いか、と社長に問われたときに「隠す必要もないから、かまわない」と、タニーは応えていた。おそらくシャープエッジ宇宙サービスの社員のほとんどが、その事実を知っているだろう。
 しかし、面と向かって彼女にそのことを問う者は、これまでいなかった。気を遣ってあえてそのことを話題にしていないのか、それとも本当に彼女の出自に興味がないのかはわからなかったけれども、誰も彼女を特別扱いしないというのは、ありがたかった。
 だからといって、自分を「そういう目で見ている」ことを公言したトールに対して、特別な感情を抱くこともなかった。自分の出自を知った人間が好奇心をあらわに色々と尋ねてくるというのは、嫌というほどに経験していたから。
「はい」
 タニーは平然とうなずいた。
「それだと、色々と大変だっただろう? 変な目で見られたりとか、したんじゃない?」
 トールの口から出てきたのは、タニーが想像していたのとは全く違う言葉だった。思ってもいなかった反応に、けれどもタニーは平静を装って応える。
「そういうのは、慣れました。それに、私がそうだと知っても、普通に接してくれる人も大勢いましたし」
「そうか、そうだね。きみの周りには、いい人がたくさんいたんだろうね」
「そう、ですね」
 タニーは静かにうなずいた。

 やはり、年齢の近いトールにタニーを頼んだ……トールが立候補してきた、というのが正確なところではあったが……のは正しかったようだ。
 出港前の慌ただしさもようやく落ち着いてきたところで、ラウルは談笑しているタニーとトールの姿を見かけた。
 先日の休日には二人で買い物に出かけたというような話しも小耳に挟んでいたし、話し相手ができたおかげか、疲労でどんよりとしていたタニーの顔にも生気が戻ってきている。
 ──すぐに逃げ出すかと思ったんだがな。
 半端な気持ちでやってきた若い整備士が三日で去っていくのを何度も見ていた。それだけに、見た目に華奢なタニーが一週間頑張り続けたのは、それだけで賞賛に値する。
 ──タニーなりに本気だ、ってことなんだろうな。
 ラウルは二人の方へと歩み寄っていった。
「トール、タニー。そろそろ乗艦だぞ」
 声をかけると、二人の目が同時にこちらに向く。
「了解」
「わかりました」
 二人の声が重なった。
「じゃあ、私は最後の点検があるので」
 タニーはラウルとトールに一礼すると、整備スタッフの集合場所へ足を向けた。その背中を見送り、ラウルもパイロットの乗艦口へ向けて歩き出す。
「もうタニーに手を出したんだって?」
 ラウルは後ろを歩くトールを、にやにやしながら振り返った。
「人聞きの悪いことをいわないでくださいよ」
 あわてた様子でトールが言葉を返す。
「この前の休みに、おまえたち二人が街でデートをしてるとこを見たって話しを聞いたんだけどな」
「誰ですか、そんなことをいいふらしてるのは? タニーが生活用品を揃えるのに、街が不案内だからちょっと案内してやっただけですよ」
「ま、そういうことにしといてやるよ」
 ラウルはにやにや笑いのまま、トールから視線をはずした。
「美人だし、しっかりしてるし、仕事もできるし。なかなかいい女だよな」
「それは認めますけどね」
 トールは不満げにうなずいた。
「彼女、この戦いが終わったらまた大学に戻るんでしょ? 大学に戻れば男の一人や二人、簡単に捕まえられるでしょうしね」
 一拍おいて、トールは「それに」と口を開いた。
「これから命がけの戦いに行こうって時に、そんな浮ついてられないですしね」
「ま、それもそうだな」
 トールの言葉に納得して、ラウルはうなずいた。
「まあ、宇宙狒々を撃退して、無事に帰ってこられたら、ちょっと考えてみますよ。色々と条件は厳しいですけどね」
 トールは冗談めかして付け加えた。

 シャープエッジ宇宙サービスの保有する宇宙母艦オーヴィルは、すべての準備を整え、出航を待つばかりとなった。母艦の運用スタッフ、艦載機のパイロット、そして整備スタッフ。皆が所定の配置につき、静かにその時を待っている。
『出航五分前です』
 艦内アナウンスが告げると、
『あー、オーヴィル乗艦のみんな。社長のキムラだ』
 艦内にキムラ社長の声が響いた。
『時間もないので手短にしておく。みんなもわかっているとは思うが、宇宙狒々との戦いは、いつもの輸送任務やデブリ除去といった仕事とは全くの性質の異なるものだ。くれぐれも、油断のないようにしてほしい。特に、直接戦火を交えることになる宇宙船パイロットのみんなは、自分の命を一番に考えてもらいたい。我々は職業軍人ではないのだから、逃げることは恥ずかしいことではない。危険だと思ったら下がれ。無茶はするな。そして』
 数瞬の間。
『全員で、生きて帰ってこい。宇宙狒々との戦いが終わったら、全員に特別ボーナスを出すつもりでいる。いくら大金が手に入っても、命がなければ使うことはできんぞ。以上』
 キムラ社長の言葉が終わると同時に、艦内放送が出航三分前を告げる。
 宇宙母艦オーヴィルの全てのエアロックが閉鎖され、乗降用のタラップがはずされた。
 船体を港に固定していたアームが切り離され、入れ替わりに射出用のカタパルトが接続される。
 宇宙船が港を離れるための手順を踏んでいくのと同時に、宇宙の海と、人々が居住する空間とを隔てている巨大な門が開いていく。
 宇宙船の出港準備が整うのと同時に、宇宙港のゲートも開ききった。宇宙船の船内ではカウントダウンの音声が放送され、ゼロがカウントされるのと同時に、カタパルトが巨大な宇宙船を星の海へと送り出す。
 数分後、宇宙母艦オーヴィルの順調な航行が確認されると、出港用のゲートは、静かに閉じられていった。

 出港から数日。
 オーヴィルの航行は順調だった。まずは宇宙軍の部隊と合流し、その後宇宙狒々の迎撃任務を始める段取りになっているが、宇宙軍との合流座標まで、まだ数日を要する。
 出港前の目の回るような忙しさも落ち着き……むしろやることがなさすぎて、タニーは拍子抜けしてしまった。
 とはいえ、時間ができたことは悪いことではない。タニーは整備班の待機室にあるコンピューター端末を借りて、延び延びになっていた、父のメモリーカードのデータ解析を再開していた。
 その日も、艦載機の基礎点検を終えてしまうとやることがなくなってしまい、タニーは班長のホスローに断って、データ解析を始めた。
 とはいえ、できることはもうそれほど多くはない、というのも事実だった。知りうる限りの暗号化方式と、思いつく限りの復合鍵文字列を試してはみたものの、どの方法でも復合することはできなかった。コンピューター関連に関してはあまり得意ではない、ということもあり、手詰まり感が強い。
 タニーは大きく息をついて端末から目を離した。
 ずっと同じ姿勢でコンピューターとにらめっこを続けていたため、身体がこわばっている。
 イスから立ち上がって身体を伸ばすと、部屋のドアがノックされた。
「どうぞ」
 声をかけるとドアが開き、「よう」と、ラウルが顔をのぞかせた。
 部屋に入ってくるラウルに続いて、トールが「やあ」と入室してくる。ラウルもトールも、パイロット用の宇宙服を身につけていた。
「何かあったんですか?」
 移動期間中、パイロットたちには主にシミュレーターでの訓練メニューが割り当てられており、宇宙服を着用する必要などないはずだ。何か緊急な事態でも起きたのかと、タニーは緊張気味にたずねた。
「ああ、いや、大したことじゃないんだけどな」
 苦笑混じりに応えたラウルに「はあ」と、間の抜けた返事をしてしまう。
「ずっとシミュレーターにこもっているのも飽きちゃってね。宇宙に出て、模擬戦でもやろうか、って話しになったんだ」
 ラウルの言葉を引き継いでトールがいった。
「カグツチを使うんですか?」
「そういうことだ」
 ラウルはうなずいた。
「わかりました。すぐに準備します」
 応えて、コンピューター端末に向き直る。端末の終了操作をしようとしたところで、後ろから、
「それは、何をしてるの?」
 問いかけられ、タニーはトールを振り返った。
「あ、ええと……父が残してくれたデータの解析を」
 ああ、と納得顔でトールはタニーの方へ近づいてきた。
「ちょっと見せてもらってもいい?」
「どうぞ」
 トールに場所を譲る。トールは画面を眺めながら時折端末を操作していたが、
「見たことのない形式だな」とつぶやいて、タニーに目を向けた。
「ねえ、このデータ、少し預かってもいいかな?」
「え? あ、はい。それは構いませんけど」
「一応これでもコンピューター周りのことは得意なんだ。できるかどうかはわからないけど、あとでちょっとやってみるよ」
「ありがとうございます」
 タニーは一礼した。
「じゃあ、準備してきますね」
「ああ。俺たちは機体の方で待ってるから」
 はい、と応えて、タニーは先に部屋を出た二人の背中を見送り、更衣室へと向かった。
 宇宙服を着て発着デッキに到着すると、二機の宇宙船の発進準備が整っていた。
 整備班も暇を持て余していたので、これ幸いと寄ってたかって発進準備を行ったのだろう。ラウルとトールはすでに機体に搭乗しているのか、デッキには姿が見えなかった。
「二人とも準備はできてるぞ。あとはお前さん待ちだ」
「はい」
 かけられた声にうなずいて、カグツチモジュールが接続されたラウルの愛機、リザードマンの搭乗口へと向かう。
 機体に大きく描かれた直立した爬虫類の戦士が、眼光鋭く進行方向を見つめていた。
 リザードマンにはカグツチのほかに、戦闘用の武装モジュールが接続されていた。二門の大型ビーム砲が基本的な装備だが、パイロットの好みで補助武器を追加したり、より大型で出力の高いビーム砲に交換されているものもある。
 リザードマンはカグツチの出力を活かすため、さらに二門のビーム砲と、大型ビーム砲も追加しているため、さながら動く砲台といつった様相になってしまっていた。
 宇宙船に乗り込み、コックピットへ向かう。コックピットに入った直後。
「やあ」
 とタニーを振り返ったのは、ラウルではなかった。
「トールさん」
 思いもよらない人物が操縦席に座っていたことに目を丸くする。
「どうしたんですか?」
 トールに座るよう促され、タニーは補助席に座りながら尋ねた。
「ちょっと、カグツチに興味があってね。無理をいって替わってもらったんだ」
『ハンディキャップだよ』
 通信回線が開かれていたらしい。ラウルの楽しそうな声が、室内のスピーカーから聞こえた。
『カグツチつきのおれと標準装備のトールじゃ、訓練にもならないからな』
「ひどいな、ラウルさん」
 ため息混じりにトールはいった。
 ラウルはトールの言葉など気にした様子もなく、
『準備ができたらすぐにでも始めるぞ』
 と、機嫌よくいった。

 戦績は、トールの完敗だった。カグツチの出力が高すぎて、トールでは扱いきれなかったのだ。
「ラウルさん、よくこんな機体を扱えるなあ」
 オーヴィルの格納庫に機体を収納し、精も根も尽き果てた、といった様子でトールがつぶやく。
「大丈夫ですか?」
 トールがいつまでたっても操縦席から立ち上がろうとしないので、タニーは心配になって横から声をかけた。
「ああ、ごめん。大丈夫。ちょっと疲れただけだから」
 応えて、トールは大儀そうに立ち上がった。そのまま、ふらふらとおぼつかない足取りで歩き始めたトールの後ろを、タニーははらはらしながらついていった。
「惨敗じゃないか、もっとしっかりしろよ」という整備スタッフの声に反論する元気もないようで、トールは格納庫横にある休憩室に転がり込む。
 トールは室内のソファに倒れるように座り込むと、先に部屋に入っていたラウルに目を向けた。
「ちょっとは手加減してくださいよ。ハンディキャップとかいって、ハンデがついたの、こっちじゃないですか」
「カグツチつきのを操縦してみたいっていったのはお前だろ? 機体性能だけ見れば、十分すぎるくらいのハンデだったじゃないか」
「それにしたって、あんな過激なセッティングがしてあるなんて思っていませんでしたよ」
「お前のがマイルドすぎるんだよ。もうちょっと敏感にしておかないと、いざって時に反応が間に合わないかもしれないぞ」
「疲れた」だけにしてはちょっと状態が悪すぎるような気もして心配になったが、こうしてラウルと言葉を交わしている様子を見る限り、杞憂だったようだ。
「いや、みんなあんなもんですよ。ラウルさんのリザードマンが敏感すぎるだけで」
 トールは立ち上がると、休憩室の隅に設置されている飲料コーナーに近づいていった。飲み物を二つ手に取り、タニーへと歩み寄ってくる。
「はい。タニーもお疲れ様」
「ありがとうございます」
 コップを受け取ると、
「タニーも災難だったな。コックピット、警報が鳴りっぱなしでうるさかっただろう?」
「いえ……」
 タニーは言葉に迷った。ラウルの言葉通り、コックピットではずっと警報音が鳴り響いていたのは確かだったが、必死に機体を操るトールをサポートしてカグツチの出力調整などをしていたので、それどころではなかったというのが本当だった。
「色々と、勉強になりました」
「タニーは優しいな。『もっとうまく操縦しろ、ボケ』くらいのことはいってもいいんだぞ」
「ひどいなあ。そんなに罵倒されるほど下手な操縦はしてませんよ」
 ラウルとトールのやりとりを、タニーは苦笑して眺めているしかなかった。二人のやりとりが本気ではないのは、表情や軽い口振りから明らかだった。
 ──それにしても。
 タニーは軽口の応酬から、実戦での機体運用の話しに話題が変わった二人を見ながら思った。
 これまではずっとラウルの横に座っていたので気づかなかったが、ラウルの操縦技術は図抜けていたのだ。
 ラウルが軽々と操っていた出力でも、トールには大きすぎて持て余し気味だった。結局先ほどの模擬戦では、出力をぎりぎりまで絞らなければならなかったが、それでもまだトールはカグツチを持て余していた。
 また、トールはしきりと「機体のバランスが」と毒づいていた。カグツチの出力に合わせて武装モジュールを大量に接続したため、機体の重量バランスが変わってしまっているのだろうが、一度同じ装備で宇宙に出たラウルは、一言もそんなことは口にしなかった。
 ──例えば、カグツチのテストに来たのがトールさんだったら。
 思わずタニーはそんなことを想像してしまったが、あわててそれを振り払った。
「そういえば、サブパイがいるだけで操縦がすごい楽になるんですね。タニーのおかげで、いろいろと助かりました」
 不意に自分の名前が出てきて、タニーの思考は現実に引き戻された。
「確かにな。まあ、カグツチが特殊だっていうのもあるだろうが、細々したことをやってもらえると、操縦に専念できるからな。おれも久し振りに一人で操縦したけど、一人だとやることが多いよな」
「ですよね」とトールがうなずく。
「あとやっぱり、タニーも優秀ですよね。こっちがやってほしいことをきちんとわかってて、先回りしてやってくれるし」
 ラウルとトールの目がこちらに向く。なんだか気恥ずかしくなって、タニーはさりげないそぶりを装って目をそらし、コップの中の飲み物を口に含んだ。
「ま、でもその優秀なサブパイがついているのにぼろ負けした誰かさんは、もうちょっと精進した方がいいってことだな」
 ラウルの軽口に、タニーは小さくくすりと笑った。

「この前預かったデータ、なんとかなりそうだよ」
 トールが声をかけてきたのは、防衛軍の艦隊と合流する数時間前だった。
 宇宙狒々の一団が侵攻しつつある、という情報も三十分ほど前にもたらされており、オーヴィルの乗組員には、最後の自由時間が与えられていた。
 自由時間といっても特別する事もなく、自室で無聊をかこっていたタニーには、トールの訪問はありがたかった。
「本当ですか? ありがとうございます」
「暗号化形式についてはあたりがついたから、あとは復号キーがわかれば、すぐにでも復号できると思うんだけどね。それで、復号キーについて、なにか心当たりがないかと思って」
「私の名前とかはどうですか?」
「それは一番始めに試してみたけど、残念ながらはずれだったよ」
「そうですか……」
 タニーはうなずいて、思いつく限りの言葉や数字をあげてみた。自分の誕生日。実の両親の名前。彼らが勤めていた大学名や、住んでいたコロニーの名前。
 復号キーはタニー自身か、あるいは実の両親に関連したものだろう、という点で二人の意見は一致したので、二十年前の時点で、両親が復号キーにしそうな単語をリストアップしていく。
 しばらくの間、二人で色々な単語を出し合い、トールは「じゃあ、こいつはあとで試してみるよ」と、単語をメモした紙をたたんで、ポケットに入れた。
「すみません、よろしくお願いします」
 タニーの言葉に、トールは「気にしなくていいよ」と応え、
「ちょっと、展望室に行かない?」
「展望室ですか?」
「うん。部屋にこもっているよりは、時間つぶしになると思うよ」
 はあ、と生返事をするタニーを、トールは半ば引きずるようにして部屋から連れ出した。

 展望室は、文字通り外の景色を楽しむために作られた部屋だったが、宇宙空間の移動中は、同じような退屈な眺めが続くことも多い。そのため、「少しでも変化を楽しめるように」と、望遠レンズによる遠方の光学映像を映し出すスクリーンも設置されていた。
 トールがタニーを展望室に誘ったのも、今回はこの望遠映像を見せるためのようだった。
 同じような目的で訪れているのだろう。いつもは閑散としている展望室は、珍しく大勢の見物客でにぎわっていた。
「あれ、見てごらん」
 トールがスクリーンを指さす。
 スクリーンに映し出されているのはなんの変哲もない宇宙空間のようにも見えたが、そこに投影されている星々に違和感を感じ、タニーは目を凝らした。
 違和感の原因はすぐにわかった。
 星に見える輝きの多くが、星ではなかったのだ。赤や青や白。光の色は宇宙空間にもあるありふれたものだったが、スクリーンに投影されている光の大部分が、明確な意志を持って移動している。
 タニーはトールへ目を向けた。
「トールさん、これって……」
 うん、とトールがうなずく。
「もうすぐ合流する、宇宙狒々防衛艦隊だよ」
 正規軍にコロニーの防衛隊、そしてシャープエッジ宇宙サービスをはじめとする宇宙サービス各社。総数にして一万を超える宇宙母艦と、それに数倍する艦載機。そしてそれを運用する数多の人員。無論、宙域に集結しているのはその一部に過ぎなかったが、それでも宇宙母艦にして数百隻の単位となっている。
 それが、ごく狭い範囲の宙域に集結して、統一した意思を持って行動しているのである。
 光点の一個一個を見ていけば、不規則な動きとも見えるのかもしれない。しかし、それが数百という単位となって、明確な意思を持って行動すると、統制のとれた巨大な集団と認識することができた。
 これほどの戦力があれば、宇宙狒々など恐れるに足りないのではないか。そんな思いと、これほどの戦力を持ってしても、宇宙狒々の脅威を排除することはできないのではないか。そんな相反する思いが、タニーの脳裏を去来する。
 不意に、肩を抱き寄せられた。
 確認するまでもない。隣に立っていたトールの手が、肩に回されていた。身体を引き寄せる腕は力強く、あまり馴染みのない「男性」の体温が、直接身体に伝わってくる。タニーはトールに目を向けたが、彼の視線は、望遠映像を映し出しているスクリーンに向いたままだった。
 ──どうしよう。どうしたらいいんだろう。
 身体をを引き寄せる腕を振り払うのも失礼な気がするし、だからといってそのまま身体を預けてしまっては、彼に勘違いをさせてしまう。
 大学のゼミでは、皆がそのあたりの距離感をわかっていてくれたのか、必要以上に彼女に接近してくる者はいなかったが、それゆえに、こういうときにどうすればいいのか、経験がまったくない。
 確かにトールが親しくしてくれたのはありがたかったが、だからといって身体を寄せ合うとか、そんな間柄になろうという意識はなかった。年上のトールもそのあたりの距離感はわかってくれていると思っていたのだけれども、だからこそ、自分の肩を抱き寄せたトールの真意を汲み取ることができない。
 そもそも、トールと知り合ってから、一週間と少ししか経っていない。相手は自分よりも人生経験が豊富なのだ。ちょっとした気の迷いや気まぐれ、あるいはほんの出来心。可能性はいくらでもある。
 なるべく不自然にならないように、タニーはトールの腕を躱し、彼の腕が届かないぎりぎりのところに移動した。
 トールの目がこちらに向くが、タニーは意図的に、その視線を避けた。
 トールの手がタニーの手を握ろうとしたが、タニーはその手も振り払う。トールの目は宇宙艦隊に向いていたが、その表情に失望の色が浮かんでいることに、タニーは敏感に気づいていた。
 ──ごめんなさい。……でも……。
 知り合って間もないトールに対して、男女の感情を抱けるわけもない。そのことは、トールだって十分に承知しているはずだ。
 タニーはトールの視線を感じながら、スクリーンへと目を向けた。ただの光点に過ぎなかった宇宙艦隊の、距離が近い一部艦船の姿が、ぼんやりとではあるが視認できるようになっていた。
 視線を動かすとトールと目が合ってしまいそうな気がして、スクリーンから目を離すことができない。一分一秒が一時間にも二時間にも感じられる中、タニーは次第に近づいてくる、スクリーンの光学映像を見つめていた。
 ──あれ?
 投影されている映像に違和感を感じたのは、その直後だった。艦隊を構成する光点の一つが、不自然に明るくなったような気がした。
 思いがけないトールからのアプローチに動揺して、ありもしないものが見えてしまったのか。
 そんなことを思いながらスクリーンを見つめていると、また一つ、光点が不自然に増光して、消えた。
 ──これって!
「トールさん!」
 声をかけるのとほぼ同時に、急を告げる艦内放送が響き渡る。
『合流予定の宇宙艦隊が、宇宙狒々の襲撃を受けている模様。各員は直ちに所定の配置へ移動せよ。繰り返す。合流予定宇宙艦隊か、宇宙狒々の襲撃を受けている。各員は直ちに所定の配置へ移動せよ』
 展望室が騒然とするが、それはわずかな時間だった。それぞれが、己のなすべきことをなすため、整然と行動を開始する。
「タニー、俺たちも」
「はい」
 トールがタニーの手を取った。
 あっと思いはしたものの、大勢の人間が一斉に動いている混沌とした状態のなか、タニーはその手に導かれて、展望室をあとにした。

 ──あーあ、やっちまったな。
 トールがタニーの肩を引き寄せ、タニーがその腕をすり抜けるのを、ラウルは少し離れたところで目にしてしまっていた。
 ──どうせやるなら、もうちょっとタニーをその気にさせてからの方がよかったろうに。
 気楽な傍観者の立場で、ラウルは無責任なことを考えていた。
 ──まあ、なるようになるだろ。
 これでトールが動揺して戦えない、などということになってしまったら目も当てられないが、この程度のことが影響するようなタマでもあるまい。
 これまでの様子を見ていた限りでは、決して脈がないわけでもなさそうだったので、ここから先はトールの頑張り次第、といったところだろうか。
 そんなことを考えながら、ラウルはスクリーンを見上げた。
 星々にも似た宇宙艦隊の輝きが、整然と行進している。
 ──大したもんだよな。
 スクリーンに映し出されている多数の光点は、全体から見れば、まだほんの一部に過ぎないのだ。
 ──これだけいても宇宙狒々を相手にするには戦力がぎりぎりだってんだからな。
 彼我の戦力差を考えると少々憂鬱な気分にもなってくるが、これまでも、人類はその戦力差をどうにかしてきたのだ。今回も、どうにかしてしまうのだろう、とも思う。
 ──あんまり余計なことは考えないようにしよう。
 宇宙艦隊の光学映像を眺めていると、妙に哲学的な気分になってしまう。
 ラウルはスクリーンから目を逸らそうとしたが、パイロットの動体視力がスクリーン内の微小な変化をとらえていた。
 ──コイツはまずいかもしれないぞ。
 艦隊の光の一つが、一瞬だけ大きくなって消えた。整然と並んでいた艦隊の陣形に、わずかな乱れも見て取れる。
 ラウルは小さく舌打ちすると、早足で展望室をあとにした。
 いやな予感は次第に強まり、ラウルの歩みは早足から駆け足、そして全力疾走へと変わっていく。その勢いに、すれ違う乗員たちが何事かとラウルを振り返ったが、そのようなことに頓着していられなかった。
 ほどなくして、艦内に一斉放送が入った。
『合流予定の宇宙艦隊が、宇宙狒々の襲撃を受けている模様。各員は直ちに所定の配置へ移動せよ。繰り返す。合流予定宇宙艦隊か、宇宙狒々の襲撃を受けている。各員は直ちに所定の配置へ移動せよ』
 ──やっぱりか。
 思いがけない事態に混乱している乗員たちを後目に見ながら、ラウルは格納庫へと走った。
 直近の状況報告では、宇宙狒々の姿は確認されていなかった。加えて、艦隊との合流までまだ少し時間があったため、少々油断していたというのは事実だ。しかし。
 ──ノーマコロニーの時の白い奴といい、どこからわいて出てきてるんだ?
 いくらなんでも艦隊が奇襲を許すほどの距離まで宇宙狒々の接近に気づかない、などということはないはずだ。ノーマコロニーの時は油断もあったから、奇襲を受けたのも理解はできる。しかし今回は事情が違う。
 宇宙狒々の体表はレーダーの電波を反射しにくい。そのため発見が遅れることもままあるとはいうが、この規模の艦隊だ。対応するための偵察部隊も編成されているはずである。
 ──あれだけの艦隊の索敵班が、揃いも揃ってサボるなんて考えられないぞ。
 ラウルは更衣室に飛び込んだ。何人かのパイロットが、すでに宇宙服への着替えを始めている。
「状況はわかるか?」
 ラウルは近くにいた同期のパイロットに問うた。
「わからん。まだ情報は届いていない」
 敵の規模も戦況も不明では身動きのとりようがないが、最悪の事態は想定しておかなければならない。カグツチの性能があれば、艦隊のいる宙域まで先行することも可能だろう。
 ──タニーたちが展望室で人の波に巻き込まれちまったら、ここに来るまでもう少し時間がかかるか。
 カグツチなら、そのくらいの遅れは取り戻せるだろう。
 いずれにしても、発進準備は進めておいた方がいい。ラウルはパイロット用の宇宙服を乱暴にひっつかんだ。
「なにが起きるかわからん。機体をいつでも発進できるようにしておいてくれ」
 宇宙服を着込みながら、着替えを終えたパイロットたちに声をかける。
 ラウル自身も手早く着替えを終え、愛機リザードマンへと向かった。
 緊急事態の発生だったが、整備班に混乱はなかった。パイロットが搭乗した機体から順に、整然とした作業で発進準備を整えていく。
 整備士たちの作業を横目に見ながら、ラウルはリ愛機に飛び乗った。
 コックピットに入って操縦席に座り、メインエンジンを起動する。通信回線を開くと、状況を伝える一斉通信が流れ込んできた。
『……現在、五十メートル級が三体。十メートル級が少なくとも三十体確認されています。なお、艦隊も反撃を開始した模様。損害は比較的軽微とのことです』
 ──損害は軽微、か。
 それならばこちらの出る幕はないか。そんな考えがちらりと頭を横切ったが、油断していると手痛いしっぺ返しを食らうこともある。敵を撃退するまでは、気を抜くことはできないだろう。
 ──それに……。
 大型種の数の割に、小型種が少ないのが気になる。ラウルの知識では、五十メートル級一体に対し、数十体の十メートル級がいることになっている。五十メートル級が三体確認されたのなら、少なくとも百体近くの十メートル級がいなければおかしいはずだ。
 ──伏兵?
 宇宙狒々が、高度な戦術を用いるという話は聞いたことはない。だが、こちらに攻めてきている宇宙狒々の数が、知識よりも少ないのも事実だ。
 ──何がどうなっているんだ?
 もやもやしたものを感じながら発進準備を進めていると、
「すみません、遅くなりました」
 コックピットのドアが開き、荒い息をつきながらタニーが入ってきた。私服のまま、宇宙服を小脇に抱え、額にはうっすらと汗がにじんでいる。
「そんなに慌てなくても大丈夫だ。相手の数は思ったより少ないから、俺たちが出張る必要はないかもしれない」
「そうですか」と、宇宙服を小脇に抱えたまま席に座ろうとしたタニーを、ラウルは制止した。
「カグツチの起動は俺がやるから、きみは先に着替えてきな」
「はい。すみません」
 コックピットを出て行くタニーを確認し、カグツチの起動を開始する。再び一斉通信による戦況の報告があったが、やはり数で勝るこちらが優勢のようだった。同時に、艦載機パイロットには「出撃態勢を維持したまま待機」の指示が下される。
 通信が途切れるのを待って、ラウルはブリッジを呼び出した。
「ブリッジ、ラウルだ」
『どうした?』
「いや、敵の数が妙に少ないのがちょっと気になってな。カグツチなら艦隊のいる宙域までそれほどかからないし、ちょっと様子を見に行ってみようと思うんだが」
 少しの沈黙。やがて返ってきた返答は、ブリッジの通信士ではなく、オーヴィルの艦長ヴァルソムからだった。
『ラウル、おまえはどう思っているんだ?』
「さっきもいったとおりだ。座学の知識だが、大型が三匹いたら、小型は百匹くらいはいるのが普通なんだろ? 大型の数の割に、小型の数が少なすぎる。奴らだって馬鹿じゃないんだ。どう考えたって負けるようなケンカを、積極的に仕掛けてくるとも思えないしな」
『連中が、何か罠を張っている、と?』
「絶対そうだとはいい切れないけどな。あいつらに、伏兵とかの小細工ができるような知性があるかどうかもわかっていないんだ。警戒はしておくに越したことはないだろう」
 再び、わずかな沈黙。
『わかった。じゃあこうしよう。おまえも含めて艦載機部隊は順次発進してオーヴィルの直衛に。艦隊の戦闘状況を確認しつつ接近して、何かあった場合には、おまえに先陣として急行してもらう』
 妥当な判断だろう。何らかの罠が張られているのなら、ラウルが単騎で先行したところでどうにかできるとも思えない。ここで状況を見つつ、罠の正体がはっきりしたところで救援に回れば、逆に罠を食い破ることもできるかもしれない。
「了解だ。艦載機部隊はオーヴィルから発進し、当面はオーヴィルの直衛に当たる」
 オープン回線での会話は、他のパイロットたちにも伝わっていた。艦長が同じ指示を正式に命じる間に、艦載機の出撃準備は着々と進んでいく。
 そして、ラウルがカグツチの起動を終えたところで、宇宙服に身を包んだタニーがコックピットに戻ってきた。
「命令は聞こえていたな?」
「はい」
 席に着いたタニーは短く応え、操作パネルを呼び出す。
 ──余計なことはいわない方がいいだろうな。
 展望室での一件についてはあえて触れないことにして、ラウルは管制室を呼び出した。
「リザードマン発進準備完了。いつでもいいぜ」
『管制室了解。発進が立て込んでいるから、もう少し待っててくれ』
「了解」
 応えて、ラウルはタニーに目を向けた。
「これから先の状況次第だが、本格的な戦闘になる可能性もある。覚悟はいいな?」
 タニーはラウルに視線を返し、緊張がありありとうかがえる硬い表情で「はい」とうなずいた。
 そのまましばし、ラウルは開きっぱなしの通信回線から、次々に聞こえてくる発進の指令を聞いていた。
 やがて。
『ラウル機、発進カタパルトへ』
「了解」
 ラウルは操縦桿を握りなおした。機体が乗っていた床が静かに移動して、発進位置で止まる。ラウルは機体をゆっくりと、カタパルト接続位置まで前に進めた。機体を停止させると、手慣れた様子で、整備班が機体をカタパルトに接続する。
『カタパルト接続、スタッフの待避も完了。いつでもいいぞ』
「了解。ラウル、リザードマン出るぞ」
 返答と同時に、カタパルトが機体を射出した。強烈な加速によって、身体が強くシートに押しつけられ、ラウルの視界に入ってくる景色が、格納庫から宇宙空間へと一瞬にして変化する。
 進路を母艦オーヴィルから左天頂方向に取って、次の艦載機の発進ルートを確保。オーヴィルとの距離を十分に取ったところで相対速度を合わせ、ブリッジからの指示に従って、オーヴィルの前方やや天頂方向に相対位置を固定する。
 ほどなくして、オーヴィルに搭載された艦載機のすべてが発進を終えた。艦載機は母艦周辺を護衛する隊形に配置され、戦闘が続く艦隊の元へと進む。
「メインエンジン、カグツチ、どちらも正常です」
 機体が安定したところで、タニーの声が横から聞こえてきた。
 ──こっちも大丈夫かな。
 展望室の一件で動揺しているかとも思ったが、少なくとも目に見える言動に変化は感じられない。
「了解。ひとまずカグツチの出力は五パーセントに設定してくれ。状況次第で飛ばすこともあるだろうから、気を抜くなよ」
「わかりました」
 タニーは短くうなずいた。機体を自動航行にして、オーヴィルから送られてくる戦況データをサブモニターに表示する。
 ──艦隊の優位は変わらず、か。
 先ほど感じた気がかりは杞憂だったのだろうか。考えている間にも、大型の宇宙狒々を表すマーカーが一つ、消滅する。
 ──決まったな。
 ラウルが艦隊の勝利を確信したその直後。
 艦隊を上下左右から挟み込むような格好で、大量の宇宙狒々が出現した。
「なんだ、これ?」
 頓狂な声が出てしまう。その様子にタニーも、
「ラウルさん、なにが……あっ」
 すぐに事態に気づいたようだった。
「これって」
「ああ。どんな手品を使っているのかわからないが、とにかくあいつらが増援を隠していたのは確かだな」
 艦隊を取り囲むように出現した宇宙狒々の増援は、それぞれの地点で大型が数匹と、小型が百匹あまり。さらに艦隊の正面からも、ラウルが違和感を覚えていた、小型の残りと思われる数十の宇宙狒々が接近しつつあった。
「あのままじゃ艦隊が全滅だぞ」
 戦力的には、攻めてきた宇宙狒々と艦隊とはほぼ同等だろう。だが、艦隊の方は、伏兵による奇襲を受けて浮き足立ってしまっている。
「ブリッジ、このままじゃまずい。俺だけでも先行する」
『わかった。だが、無理はするなよ。いくらカグツチがあるといっても、単機では限界がある』
「わかってるさ。とりあえず、奴らの包囲の外側から風穴を開けてやる」
 威勢良く啖呵を切り、
「タニー! カグツチの……」
「準備始めてます。カグツチの出力は五十パーセント。半分を推進系、残り半分を武装系に割り振りました」
「お、おう……」
 まさに自分が指示しようと思っていたことをぴたりと先回りされてしまい、幾分気勢がそがれてしまった。
 ──おれ、そんなにわかりやすい思考をしてるのか?
 埒もない疑問が頭をよぎっていくが、ひとまずそんな疑問を振り切り、
「飛ばすぞ、タニー!」
 ラウルはエンジンスロットルを開いた。機体は一気に加速し、母艦を置き去りにして戦闘宙域へと飛んでいった。
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